お砂糖で誤魔化す苦薬




目的地に到着すると、三人でずぶ濡れになりながら滝ではしゃいだ。



「キャッ、冷たっ! あははっ、キルアってばそんな水かけないでよ! お返し!

「よーし俺も!」



ステラははしゃぎ声を上げてばしゃっとキルアに水をかけた。ゴンも同じようにはしゃぎながらキルアに水をかけている。

ステラとゴンから同時に水を浴びせられ、思わず目をつむる。冷たい水の感触よりも、二人の楽しそうな笑い声の方が、なぜか強く心に残った。



「うおっ、冷て! お前ら、二人で俺を狙うなんて卑怯だぞ!」



わざと大げさに騒ぎながら、両手で水をすくって反撃する。ステラのはしゃぐ顔も、ゴンの屈託のない笑顔も、今は真っ直ぐに見ることができた。



「こうなったら手加減しねーからな! 覚悟しろよ!」



滝の轟音に負けないくらいの声を張り上げる。水しぶきの中、ステラの笑顔がキラキラと輝いて見えた。この瞬間だけは、ゴンのことなんて忘れて、俺だけを見ていてほしい。そんなことを願いながら、夢中で水をかけ合った。

そして三人はすっかりずぶ濡れになった。キルアもゴンもステラも三人とも服が濡れて肌が少し透けて見えている。



「ずぶ濡れになっちゃったねー。着替えとか持ってくるんだったかな?」

「俺タオル持ってきてるよ! でもその前にまずは焚き火を作って、服を絞って乾かそうか!」



ゴンはステラの姿には全く気にする素振りもなく言う。俺はゴンの言葉に一瞬、ステラの方へ視線を走らせる。濡れた服が肌に張り付き、少女の柔らかな体の線が露わになっていた。思わず目を逸らし、自分の頬が少し熱くなるのを感じる。



「……バカ、風邪引くだろ。さっさと火、起こすぞ。ゴン、薪集め。俺が火つける。ステラは……そこで大人しくしてろ。あんまり動き回んな」



ぶっきらぼうに言い捨てると、ゴンのことなど気にもしないステラから隠すように、彼女の前に立つ。少しだけ命令口調になるのは、照れ隠しと、他の誰にもステラのそんな姿を見せたくないという独占欲からだった。背中を向けたまま、ライターを取り出すためにポケットを探る。心臓が少しだけ、うるさかった。



「OK! ステラのことも見ててね!」

「……? キルアどうしたの? ちょっと赤いよ? もう風邪引いちゃったんじゃない?」



ゴンは元気よく薪集めに駆け出して行く。ステラは服が濡れて透けてることなど気付いてない様子で無防備に火をつけるキルアのすぐ隣に来てキルアの顔を見上げている。

俺はステラに顔を覗き込まれ、息が詰まる。近い。近すぎるだろ。ステラの無防備な瞳と、濡れた服からほのかに香る水の匂いに、心臓が大きく跳ねた。



「……っ、ちげーよ! 赤いのは夕日のせいだろ、たぶん!」



咄嗟に顔を背け、しどろもどろに言い返す。こんな近くで見られたら、平静を装うなんて無理だ。熱くなった顔をステラから隠すように、無理やり焚き火の準備に意識を集中させる。



「お前こそ、そんな近くにいんなよ。火の粉が飛んだらどーすんだ。少し離れてろって」



ぶっきらぼうな口調でステラを遠ざけようとするが、その声が少し震えていることに、こいつは気づいているんだろうか。早くゴンが戻ってこないと、この心臓の音が聞こえてしまいそうだ。



「えー、キルアってば大げさだよ。そんな事言って、私に近寄られたくないんじゃないの」



ステラは拗ねたように口を尖らせながら距離を取って「確かにもう夕方かあ……、流石にちょっと冷えてきたね」と言う。ステラの拗ねた声と、肌寒さを訴える言葉に、俺は思わず振り返ってしまった。夕日に照らされた彼女の姿は、さっきよりもずっと儚げに見える。近寄られたくない、か。違う、そうじゃない。逆なんだよ。



「……んなわけねーだろ、バカ」



小さく悪態をつきながら、焚き付け用の小枝を組む手を止める。カチ、とライターで火をつけると、小さな炎がゆらりと立ち上った。



「……こっち来いよ。火、ついたから」



ぶっきらぼうに声をかける。その声が少しだけ優しく響いたのは、きっと気のせいじゃない。彼女が風邪を引くことの方が、俺が照れることよりずっと問題だ。俺は自分の隣のスペースを無言で示す。本当は、ゴンが戻ってくる前に、もう少しだけお前と二人でいたかっただけなんて、言えるはずもなかった。



「うん、あったかいね」



肩に触れたステラの温もりに、心臓が大きく跳ねる。さっきまでの寒さなんて、一瞬でどこかへ吹き飛んでしまった。ステラの髪から滴る雫が、俺の服を小さく濡らしていく。



「……ん」



短く返事をしながらも、顔は焚き火に向けたまま動かせない。今、こいつの方を向いたら、どんな顔をしてるか自分でも分からなかったからだ。パチパチと薪がはぜる音だけが、やけに大きく聞こえる。隣にいるステラの体温が、じわりと伝わってきて落ち着かない。



「……風邪、引くなよ」



やっとの思いで絞り出した言葉は、自分でも驚くほど静かで、少しだけ掠れていた。本当はもっと言いたいことがあるのに、言葉にならなかった。



「大丈夫だよ。こんなにあったかいし。でも、楽しかったね。明日は三人で何をするのかな? もっとずっとこうしていたいね!



ステラがキルアを見て笑いかけると、その時、ゴンがたくさんの薪を抱えて戻ってきた。



「持ってきたよ! あ、いいね、二人で身を寄せ合ってたの? 俺も混ぜてよ!」



ゴンの、二人で身を寄せ合ってたの?という無邪気な言葉に、俺は反射的にステラから少しだけ身を引いた。せっかく縮まった距離が、またこいつのせいで引き離される。



「ちげーよ、バカ! こいつが寒いって言うから火のそばにいさせてやっただけだ!」



憎まれ口を叩きながら、ゴンが持ってきた薪を乱暴に火の中へ放り込む。パチッと火の粉が舞い、三人の顔を明るく照らした。



「明日? 明日はもっとすげー魚釣って、お前らにギャフンと言わせてやるからな」



ステラの、ずっとこうしていたい、という言葉が胸に刺さる。その「ずっと」に、俺は含まれているんだろうか。そんな期待を打ち消すように、わざと軽口で返す。



「ほら、お前らも早く服乾かせよ。俺の足手まといになられても困るからな」



そう言って悪態をつきながらも、一番火の当たる暖かい場所を、自然とステラに譲っていた。

キルアが空けた隙間にゴンが入って「あー、キルア行っちゃった。仕方ないなー、ほら、ステラ寒くない?」と肩を寄せていた。ステラは途端に顔を染めて恥ずかしがってそっぽを向いている。*



「大丈夫だよ、焚き火あったかいし……」



目の前で繰り広げられる光景に、胸の奥がチリッと痛む。俺が譲った場所に、当たり前のようにゴンが座り、ステラの肩を抱く。そしてステラは、俺の前では見せないような顔で赤くなっている。結局、こうなるのか。



「…ふん。勝手にやってろ」



わざと興味なさそうに呟き、二人から顔を背ける。さっきまで隣で感じていたステラの温もりが、もうゴンのものになっている。その事実が、燃え盛る炎よりもずっと心を焼いた。



「俺は魚、見てくる。お前ら、火の番しっかりやれよな」



立ち上がり、逃げるようにその場を離れる。本当はどこにも行くあてなんてない。ただ、あの二人の空気の中にいるのが、もう限界だった。夜の闇に紛れて、小さく息を吐く。冷たい空気が、やけに肺にしみた。

その夜は焚き火の横でテントを張って、寝袋を敷いた。ゴンはキルアを誘ってテントから少しだけ離れた位置に呼び出す。



「キルアってさ、俺がステラに近付くといつもどこかに行くよね。俺、ちょっと気になってたんだよね」



ゴンの真っ直ぐな視線から逃れるように、俺は足元の石を無意味に蹴飛ばした。核心を突かれ、心臓がドクンと嫌な音を立てる。こいつは、時々こういう鋭いことを言うからタチが悪い。



「……は? 何言ってんだよ。別に、お前のことなんて気にしてねーし」



暗闇に紛れて表情を隠しながら、わざとぶっきらぼうに言い捨てる。バレてたのか? 俺の気持ち。そんなはずはない。俺は元暗殺者だ。感情を殺すことなんて、得意なはずなのに。



「たまたまだろ。お前らがベタベタしてるから、邪魔しちゃ悪いと思っただけだっつーの。それより、明日は早く起きるんだから、さっさと寝るぞ」



嘘だ。本当は、二人を見てるのが辛いだけ。ステラがお前の隣で幸せそうに笑う顔を、俺はどんな顔で見ていればいいのか分からない。そんな本音を隠すように、少しだけ早口になった。

ゴンはキルアの言い分に不思議そうに首を傾ける。



「ベタベタって……友達なんだから一緒にいるのは当たり前じゃん! キルアも気にせず混ざったらいいのに。俺ももう寝るけど……キルアを大事な友達だって俺が思ってること、忘れないでね」



ゴンから背中に向けられた大事な友達、という言葉が、鋭い針のように胸に突き刺さる。友達、か。お前にとってはそうでも、俺にとっては……。その一言が、俺とお前の間にあるどうしようもない壁を、改めて突きつけてくるようだった。



「……っ、んなこと、お前に言われなくても分かってる」



喉の奥から絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。振り返ったゴンの顔を真っ直ぐに見ることができない。暗闇が、自分の弱い表情を隠してくれるのが、せめてもの救いだった。



「……ステラのことも、大事な友達、なんだろ」



それは問いかけのようで、自分自身に言い聞かせるような言葉だった。そうだ、ステラはゴンの、そして俺の"大事な友達"だ。それ以上でも、それ以下でもないはずなのに。



「……だから、お前はステラを大事にしろよ。俺のことは、いいから」



そう言って背を向け、テントへ歩き出す。これ以上ここにいたら、言ってはいけないことまで口から滑り落ちてしまいそうだった。



「待ってよキルア。ステラもキルアも大事な友達だよ。だから『俺のことはいいから』なんて聞けないね! 俺はどっちも大事にするんだ!」



だが、ゴンは少し怒ったように俺の腕を掴んで声を上げる。ゴンに腕を掴まれ、その強い力に思わず足が止まる。どっちも大事にする、だって? その言葉が、無邪気な分だけ残酷に響いた。お前には分からないんだ。俺がどんな気持ちで、お前とステラを見ているかなんて。



「……っ、うるせぇな! 離せよ!」



掴まれた腕を乱暴に振り払う。ゴンの真っ直ぐすぎる瞳を見ていると、隠してきた感情が溢れ出しそうで、息が詰まる。



「お前に何が分かんだよ……。大事にするって、どうやってだよ。俺とお前じゃ、ステラへの『大事』の意味が違うかもしれねーだろ……!」



言ってしまってから、ハッとして口をつぐむ。暗闇と苛立ちが、余計なことを言わせた。これ以上はダメだ。これ以上は、もう後戻りできなくなる。

ゴンの手がするりとキルアの腕から離れる。



「キルアは……ステラが好きなんだね。友達以上って意味で」



ゴンの寂しげな顔があった。



「ゴメン、気付いてた。俺はキルアの恋は応援したいし、見守りたいよ。ステラの方の気持ちはわからないけど。でも……でも俺は三人でいたくて誤魔化してた。俺……頭冷やしてくるよ」



ゴンはステラの自分への気持ちには気付いていない。一度だけ顔を歪めると、そのままゴンは立ち去っていった。テントではなく森の中へ。