ほんと、可愛くないな
それからステラとゴンも起きると三人は着替えを済ませて朝食を取り、元気よく外に出た。
「よーし! 行くよ二人とも! 川場は少し足場が悪いから気を付けてね! 何かあったら俺もフォローするから!」
「大丈夫だよ! ゴンとキルアもいるし、私だってハンターだもん。川まで競争だよ!」
ステラが元気よく駆け出していく姿を、一瞬だけ目で追う。その背中が、なんだかいつもより少しだけ頼もしく見えた。
「……ハンターだからって、油断すんなよな」
口ではそう言いながらも、自然と口角が上がる。
「負けないぞー!」
隣でゴンが叫びながらステラを追い抜いていく。あっという間に二人の背中は小さくなっていく。
「ったく、どいつもこいつも速ぇんだよ」
悪態をつきながら、地面を強く蹴る。二人を追い抜くなんて、本当は造作もないことだ。だけど、今はこうして少し後ろから、二人の楽しそうな背中を眺めているのも悪くない、なんて思う。競争といいながら、その実、三人でじゃれ合っているだけ。そんな当たり前の時間が、今は何よりも大切だった。
「やったあ俺の勝ち!」
「ゴン早すぎるよ! でもここ、結構流れ早いね、気をつけないと」
一番乗りしたゴンは喜んで飛び上がった。川場は少し足場が悪く、岩と岩を飛び越えるようにして渡っていく。ステラは岩を渡りながらキルアを振り返る。その顔には悪戯な笑みが浮かんでいる。
「キルア、怖かったら手を繋いであげよっか?」
ステラが悪戯っぽく笑いながら、こちらに手を差し伸べる。その挑発的な言葉と表情に、カチンときた。俺がこんな岩場を怖がるわけないだろ。
「はっ、誰に言ってんだ? お前こそ、足滑らせて川に落ちんじゃねーぞ」
「そこまで鈍くさくないもん。キルアが寂しがらないようにって思ったのに」
わざと鼻で笑って、軽々と隣の岩へと飛び移る。ステラの悔しそうな顔を見て、少しだけ溜飲が下がった。
「そんなひょろひょろな腕で、俺を支えられるとでも思ってんのか?」
わざとらしく自分の腕の筋肉を軽く叩いて見せる。本当は、その手を掴んで引き寄せてやりたい衝動に駆られたが、そんな素振りは見せない。今はまだ、この軽口の応酬が心地よかった。ただ本当は、その手を掴みたいのは俺の方だってこと、こいつは気づきもしないんだろうな。
「ひょろひょろって何よー、そんなことないよ、ほら!
ステラも自分の白い腕を軽く叩いてみせた。そしてキルアを追い越してゴンを追いかけていく。
「待ってよゴンー!」
ステラがぴょんぴょんと軽快に岩を渡り、ゴンの後を追っていく。その楽しそうな後ろ姿を見ながら、俺はわざとらしくため息をついた。
「……ったく、子供かよ」
口では呆れたように言いながらも、その姿から目が離せない。もし本当にステラが足を滑らせたら、真っ先に助けるのは自分だと、心の中ではとっくに決めていた。ゴンが「こっちだよー!」と少し先で手を振っている。二人の楽しげな声が、川のせせらぎに混じって聞こえてくる。
「おーおー、待ってろよ。今すぐ追いついてやるからな」
誰に言うでもなく呟き、地面を蹴る。暗殺家業で染み付いた無音の歩法で、あっという間に二人のすぐ後ろまで距離を詰めた。油断しきったステラの背中が、今はやけに無防備に見えた。
三人といるのもあり、油断しているステラはすぐ背後にキルアが迫ってることには気づかずゴンに手を伸ばす。キルアとステラのいる岩からゴンのいる岩までは少し間が広い。
「ゴン! 今飛ぶから受け止めてねー! 絶対だよ!
ステラは屈託なく笑いながらゴンに向けて声を上げる。ゴンからはステラの背後にキルアがいるのがわかっていため慌てた様子もない。
ステラがゴンの名前を呼び、次の岩へ飛び移ろうとぐっと腰を落とす。その無防備な背中を見て、一瞬、心臓が跳ねた。ゴンはわかっているようだが、それでも万が一ということがある。
「バーカ、俺を無視してんじゃねーよ」
飛び出す寸前のステラの肩を、後ろからぐいっと掴んで引き留める。驚いて振り返るステラの耳元で、わざと意地悪く囁いた。
「ゴンにばっか頼ってんじゃねーよ。お前の面倒見るのは、俺の役目だろ?」
「えっ……、急に何よ、役目って」
そう言いながら、掴んだままの腕を引いて自分の隣に立たせる。ゴンのいる岩まで、確かに少し距離がある。こいつ一人じゃ、危なっかしい。
「ほら、行くぞ」
掴んでいた腕を離し、代わりにその手をしっかりと握る。驚きで見開かれたステラの瞳を見ないふりをして、前を向いた。
ステラはキルアに手をしっかりと握られて驚いた顔をする。あの意地悪なキルアが支えてくれるなんて思わなかった。それでもその手に支えられると安心できた。
「……うん、いくよ!」
キルアステラは手を繋ぎ、大きくジャンプをする。岩場に着席する時、ステラはバランスを崩して後ろに落ちそうになる。ステラがぐらりと体勢を崩した瞬間、考えるより先に体が動いていた。繋いだままの手を強く引き寄せ、もう片方の腕を素早くステラの腰に回して引き寄せる。
「っぶねぇな! ちゃんと前見て飛べよ!」
どくどくと速くなる心臓の音を隠すように、怒鳴りつける。腕の中には、驚きで目を見開いたステラの顔。あまりにも近いその距離に、思わず息を呑んだ。
「うっさい、バカキルアー」
怒鳴りつけられたステラは照れくささと強がりで悪態をつく。でもそれから少しだけ頬を染めてそっぽを向いて、「でも、ありがと……」とぶっきらぼうにお礼を言う。
「……おう、もう大丈夫だろ」
名残惜しさを感じながらも、慌ててステラから体を離す。繋いでいた手もぱっと放した。ごまかすようにゴンの方を睨みつけると、案の定、ニヤニヤしながらこっちを見ていた。
「……んだよ、ゴン」
「べっつにー、仲いいなって思ってさ!」
「今のどこが!? ゴン! 変なこと言わないでよー!」
ステラがゴンに駆け寄り、じゃれ合っている。その光景を、俺は少し離れた場所から黙って見ていた。さっき腕の中に感じたステラの体温と、柔らかさがまだ腕に残っている気がして、妙に落ち着かない。
「……仲良くなんかねーよ」
誰に言うでもなく、小さく呟く。ゴンが「いてて、ステラ痛いって!」なんて笑いながら言っている。楽しそうな二人の声が、やけに遠くに聞こえた。
……ありがと、か。
さっきのステラの小さな声が、頭の中で何度も繰り返される。頬を染めて、そっぽを向いて。そんな顔、俺にだけ見せればいいのに。
「……おい、お前ら。いつまで遊んでんだよ。さっさと滝、見に行くんだろ?」
苛立ちと、それを隠したい気持ちがごちゃ混ぜになって、ぶっきらぼうな口調になる。早くこの場から動きたかった。このまま二人の姿を見ていると、心の中の黒い何かが溢れ出してしまいそうだったから。
「はあい。キルアもなんだかんだ、滝が楽しみなんじゃん」
「うん! 早く行こう! こっちだよ!」
「滝まであとどれくらいかな? 楽しみだね!」
ステラはキルアにも、ゴンに向けていたのと同じ笑顔を向けて言うとゴンを追いかけていく。走りながら、ステラはゴンの背中を眩しそうに見つめた。
ステラがゴンに向けていたのと同じ笑顔を、俺にも向ける。その屈託のない表情に、胸がチクリと痛んだ。ゴンを追いかけるステラの後ろ姿は、どこか浮かれているように見えた。
「……別に。どうせ大したことねーだろ」
わざと興味なさそうに吐き捨てる。本当は、ステラと一緒ならどこだって楽しいくせに、素直になれない自分がもどかしい。ゴンを眩しそうに見つめるステラの横顔から、そっと目を逸らした。見たくなかった。
ステラのその視線の先にいるのが、俺じゃないという現実を。
「おい、あんまりゴンにべたべたひっつくなよ。うぜーだろ」
追いつきざまに、ステラの頭を軽く小突く。嫉妬なんて、ダセェ感情。認めたくなくて、いつもの悪態でごまかした。
「いたっ。なによー! ゴンはそんな事思ったりしないもん。……しないよね?」
急に不安になったステラは速度を落として表情を曇らせる。ゴンの背中を見つめるその顔は切なさに満ちていた。
「確かにいつもゴンは追いついてもすぐにどこかへ駆け去っていく。やっぱり私があんまりベタベタしてたら、ゴンもうざいかな?」
ステラが不安げにゴンの背中を見つめる。その切なげな横顔に、さっきまで胸の内で燻っていた黒い感情がすっと消えていくのを感じた。俺の一言で、こんな顔をさせたかったわけじゃない。
「……んなわけねーだろ。あいつがお前のことうぜぇなんて思うかよ」
らしくない言葉が、自分でも驚くほどすんなりと口から出た。ついさっきまでの意地悪な態度はどこへやら、気づけばステラの隣に並び、その顔を覗き込んでいた。ステラは俺の言葉が意外だったのか、驚いた顔をする。そりゃまあさっきまで意地悪されてたもんな。
「キルア……」
「ゴンは……ただ、前しか見てねぇだけだ。お前のこと、ちゃんと見てるっつーの」
俺が見てるんだから、間違いない。そう言いかけて、慌てて口を噤む。こんなこと、こいつに言ったって意味がない。どうせステラが見ているのは、いつだってゴンなのだから。
「どーしたの、キルアがそんなふうに慰めるなんて。明日大雨が降るんじゃない?」
らしくもないキルアの対応に少し調子が狂い、照れてしまって思わずぶっきらぼうな態度を取った。それからキルア「でも、ありがとう。たまにはキルアも優しい事言えるじゃん」と笑顔を浮かべて悪態をつきながらもステラは再たび速度を上げて走っていく。もうすでにゴンの言っていた綺麗な滝が見えていた。
たまにはキルアも優しい事言えるじゃん、か。ステラのその言葉が、妙に胸に突き刺さる。俺はいつだって、お前のことだけは……。そんな言葉は喉の奥にしまい込んだ。
「うるせー。お前があんまりにもしょーもねぇ顔してるから、言ってやっただけだ」
走り去っていくステラの後ろ姿に、悪態をつく。もうゴンの隣に並んだステラの横顔は、さっきまでの不安が嘘のように晴れやかだ。滝の水しぶきと霧がかった景色の中に浮かぶ二人のシルエットが、やけに綺麗で、少しだけ憎らしかった。
「……俺だって、たまには、な」
誰にも聞こえない声で呟き、自嘲気味に笑う。俺が本当に言いたいことは、いつだって言葉にならずに消えていく。今はまだ、この距離が精一杯だ。