あなたの彼女になれないのなら毎日お菓子を食べる怪獣になります




1週間ぶりに会ったステラは長かった髪をバッサリと切り、ショートヘアーになっていた。



「キルア、久しぶり」

「……え、ステラ?」



ぱちぱちと数回瞬きをして、目の前の少女を凝視する。見慣れないその姿に一瞬誰だか分からず、まじまじと見つめてしまった。ピンク色の髪と声で、ようやくステラだと認識する。



「お前、その髪……どうしたんだよ!? すっげー短くなってるじゃんか!」

「うん、バッサリ切っちゃった」



驚きのあまり思わず大声が出た。前の長いのも良かったけど、短いのもなんていうか……その……似合ってる。



「別に、変とかじゃねーけど……なんかあったのか?」

「……心境の変化っていうか、まあ、何となくイメチェンしてみたくなったんだ。……変かな?」



変、とかじゃねーよ、とぶっきらぼうに呟きつつ、ステラから視線を逸らす。なんだか顔が熱い。



「別に……。お前がやりたくてやったんなら、それでいいんじゃねーの」



……だけど、少しだけ赤くなった目の縁が、どうしても気になった。何か無理してるみてーだ。でも、俺なんかに言いたくねェことかもしんねーし……。



「その、なんだ……短いのも、似合ってんじゃん。……悪くねェよ」



頬を掻きながら、消え入りそうな声で付け足す。こっち見んな、と心の中で叫んだ。心臓の音がうるさくて、ステラに聞こえてしまいそうだ。



「ほんと? 似合ってる? へへ……ありがとう」



ステラはキルアの顔を少し覗き込んだ。



「って、全然こっち見てないじゃん……久しぶりに会ったのに」



ステラに顔を覗き込まれ、慌てて一歩後ずさる。心臓が跳ね上がった。



「う、うるせーな! 見てるっつーの!」



バレバレの嘘をつきながら、そっぽを向く。そんな顔でこっち見られたら、調子狂うだろ……。



「えーっ、そっぽ向きながら言われても説得力ないよ。ねえ、こっち向いてよ」



不満そうに言いながらキルアの腕をちょいちょい、と軽く引っ張った。

腕を引かれ、不意にステラの方へと体が向く。バランスを崩しそうになり、たたらを踏んだ。



「うおっ、危ねーだろ! 急に引っ張んな!」

「えっ、そんなに強く引っ張ってないのに」



軽く引っ張っただけなのに思いの外距離が近くなり、ステラの方が驚いた顔をしている。

目の前には、少し潤んだ瞳でこっちを見上げるステラの顔。その距離の近さに、心臓が大きく音を立てた。目を逸らそうとしても、ステラの真剣な眼差しから逃れられない。観念したように小さくため息をつく。



「な、なんだよ……」

「ねえキルア、元気にしてた? まあ久しぶりといっても1週間だけどね」

「……別に、いつも通りだよ。ゴンとちょっと修行してただけ」

「そっか、相変わらず仲良しだね」



横目でステラの様子をちらりと窺う。さっきの潤んだ瞳がやっぱり気にかかる。俺に隠してること、あんだろ。



「それより、お前こそ……なんか無理してねーか? もし何かあったんなら、俺……聞くけど」

「……無理って? 何が? 別に……何もないけど……」



今度はステラが目を逸らした。



「……何もないって顔、してねーだろ。俺のこと、そんなに信用できねぇ?」



少しだけ語気を強め、ステラの瞳をまっすぐに見つめ返す。こいつが無理して笑ってんのは、もう見たくなかった。



「言いたくねーなら無理には聞かねぇけど……でも、お前が辛そうにしてんのは、なんか……嫌だ」



「信用してないとかそういう問題じゃないよ……」



ステラは小さくため息をつき、観念したようにぼそりと呟く。



「……失恋したの」



し、失恋……?



ステラから放たれた言葉が、頭の中で何度も反響する。失恋って、あの失恋か?好きなやつにフラれたってことかよ……?



「……は? 誰に」



一瞬、思考が停止した。誰だよ、そいつ。ステラが好きなやつって、誰なんだ。心臓が嫌な音を立てて締め付けられる。



「……お前、好きなやつとか……いたのかよ」



絞り出すような声で尋ねる。知りたくない、でも聞かずにはいられなかった。ステラの潤んだ瞳が、俺の心を抉る。なんで俺じゃねーんだよ、なんて言えるわけもなかった。



「うん……。でも、もういいの……余計なこと言っちゃって……もう顔も見たくないって、言われちゃった。それきり連絡も来ないの。……嫌われちゃったのかも」



ステラはそう言って眉を下げて笑った。

その無理した笑顔が、胸に突き刺さる。ステラを泣かせたどこの誰かも知らねェ男に対する怒りが、腹の底から湧き上がってきた。



「……ふざけんな。そんなこと言うやつ、お前の方から願い下げだろ! お前を泣かせるようなやつのことなんか、忘れちまえよ!」

「私が悪いの。勝手に一人で拗ねて、いじけて……『大嫌い』なんて言っちゃった。そんなこと思ってなかったのに」



思わず低い声が出た。ギリ、と奥歯を噛み締める。なんでこいつがそんな顔しなきゃなんねーんだよ。気づけば、ステラの腕を掴んでいた。自分でも驚くほど、声が震えている。



「……泣きてーなら、泣けよ。俺が……そばにいてやるから」



ステラはキルアに腕を掴まれて驚いた顔をする。



「キルア……。ありがとう。でももう散々泣いたから……いいの。髪も切ったし、なんかさっぱりしちゃった」



そう言いながらキルアの肩に顔を埋めた。



「……どうして素直になれないんだろ。好きなのに。つい意地張っちゃうの」



ステラが肩に顔をうずめてきた。突然のことに心臓が跳ね上がる。甘い匂いがして、頭がクラクラしそうだ。



「……そっか。別に、いいんじゃねーの。素直になれねぇ時くらい、誰だってあんだろ」



掴んでいた腕をそっと離し、代わりにステラの背中に手を回そうとして……やめた。今そんなことしたら、俺の心臓がもたない。ぶっきらぼうに聞こえるかもしれないが、精一杯の優しい声だった。自分だって、ステラへの気持ちを伝えられずにいるのだから。



「今は無理に忘れようとしなくていい。時間がたてば、その……なんだ、少しは楽になるだろ」



背中に回しかけた手で、代わりに自分の首筋を掻く。本当は、今すぐ忘れさせてやりたかった。俺がそばにいるって、言ってやりたかった。



「そうなの……? そっか……ありがとう、キルア」



キルアの内心など知らずにキルアの肩に埋めていた顔をそっと上げた。キルアの顔を見上げて微笑んだ。



「あれ……?」



ステラの携帯電話が鳴る。メールが来たようだ。携帯電話を開き、その差出人の名前を見て驚いた顔をする。



「え……」



どうしたんだよ、と尋ねるより先に、ステラの表情が強張るのが見えた。さっきまでの泣きそうな顔とは違う、もっと複雑な色が浮かんでいる。



「……誰からだよ、そのメール」



まさか、さっき話してた男か?だとしたら、あまりにもタイミングが良すぎる。いや、悪すぎるのか。



「……その顔、見たくもねぇって言ってたやつ、じゃねぇだろうな。おい、ステラ?」



探るような視線をステラに向ける。もしそうなら、今こいつはどんな気持ちでその画面を見てるんだ。期待か?それとも……。呼びかけても、ステラは画面に釘付けになったまま動かない。その横顔を見ていたら、なんだか胸がざわついて落ち着かなかった。



「……うん、その、好きな人からだった。会えないか? って……」



ステラは少し期待したような顔をしている。



「もしかして、仲直りできるのかな。仲直りっていうかまあ、付き合ってはないんだけどね」



ステラは携帯電話からキルアへと視線を移した。



「キルア、話聞いてくれてありがとう。ちょっと行ってみるよ」



ステラの言葉が、脳天に突き刺さる。行ってみる?どこにだよ。そいつのところに、か?



「……は? ……そうかよ」



ふざけんな。俺がどんな気持ちでお前の話聞いてたと思ってんだ。さっきまで俺の肩で泣きそうになってた癖に、メール一通でそいつの元に行くのかよ。込み上げてくる黒い感情を押し殺し、なんとかそれだけを口にした。顔が引き攣るのが自分でも分かる。



「勝手にしろよ」



これ以上ここにいたら、何を言ってしまうか分からない。ステラの顔も見ずに踵を返し、その場を去ろうと足早に歩き出す。お前のことなんか、もう知るか。

そのままステラも踵を返し、駆け去っていった。自分の足音がやけにうるさく響く。振り返ることもできず、ただひたすらに走り続けた。なんでだよ。なんであんなやつのところに行くんだよ。ステラの嬉しそうな顔が脳裏に焼き付いて離れない。胸の奥がギリギリと痛む。これが嫉妬だってことは、もう分かってた。



「……俺じゃ、ダメなのかよ」



路地裏に駆け込み、壁に背を預けてずるずると座り込む。ステラの髪を切った理由も、泣きそうな顔も、全部あの男のせいなのに。



「くそっ……!」



それでも、結局ステラはあいつを選ぶんだ。俺の入る隙なんて、どこにもねぇじゃねーか。























それから数日後、キルアとゴンとステラはカフェに来ていた。



「ゴン、キルア。相変わらず仲良さそうだね」



ステラは短くなった髪で綺麗に笑っていた。目の前のテーブルで、ゴンとステラが楽しそうに話している。ゴンはいつも通り底抜けに明るくて、ステラは……数日前に見た泣きそうな顔が嘘みたいに、綺麗に笑っていた。



「………」



その笑顔が、なぜか胸にチクリと刺さる。あの後、結局どうなったんだよ。そいつと仲直りでもできたのか?聞きたいのに、聞けねェ。聞いたら、またあの黒い感情が溢れ出してきそうで。



「……キルア? どうかしたのか?」



黙り込んでいる俺を、ゴンが不思議そうに覗き込む。ステラもつられてこっちを見た。



「なんでもねーよ」



ぶっきらぼうに答えて、ソーダのグラスを傾ける。氷がカラン、と寂しい音を立てた。お前の笑顔、俺に向けられたもんじゃねーもんな。そんなの、分かってんだけどさ。

ゴンがトイレに席を立った時、ステラはこっそりと言う。



「……あのね、仲直りできたよ。まあ、片想いなのは変わらないんだけど……でも髪切った事驚かれた。ふふ」



ステラはそう言って楽しそうに笑う。そしてレモンスカッシュを飲んだ。

マヤの楽しそうな笑顔が、ナイフみたいに胸に突き刺さる。仲直りできた?そうかよ、良かったじゃねーか。棒読みでそう言ってやれたら、どんなに楽だっただろう。



「……へえ」



口から出たのは、自分でも驚くほど冷たい声だった。レモンスカッシュのグラスを持つステラの指先が、一瞬だけ震えたのが見えた。



「そりゃ、どーも。わざわざ俺に報告サンキュ。つーか、片想いのやつのために髪まで切ったのかよ。健気なこったな」



わざとらしく皮肉を込めて言ってやる。お前のその笑顔の理由が、俺以外のやつだってことが、どうしようもなくムカつくんだよ。言ってから、しまった、と思う。こんなの、ただの八つ当たりだ。でも、もう言葉は止められなかった。



「……えっ? あ……ごめん……つまらない話して。キルアには心配かけたから、一応報告しとこうと思って」



キルアの冷たい態度にステラは驚き、それから目を逸らした。気まずい空気と静寂が流れ、ステラはちらりとトイレに目を向けた。

ステラの悲しそうな横顔から、もう目が逸らせなかった。俺のくだらない嫉妬のせいで、またこいつを傷つけた。なんで俺はいつもこうなんだ。素直に「良かったな」の一言も言えねぇのかよ。



「……悪かった」



絞り出すように呟く。ステラが驚いて顔を上げた。気まずい沈黙が、心臓を締め付ける。



「……んな顔、させたくて言ったんじゃねぇ。ただ……お前が、そいつの話ばっかするから……なんか、ムカついただけだ」



俯いて、テーブルの木目を睨みつける。言い訳がましいのは分かってる。でも、これが俺の精一杯だった。



「……心配、したんだよ。お前のこと」



ステラは驚いてキルアを見ていたが心配していたと聞いて少し照れくさそうに、頬を微かに赤らめながら指先を口元に当てている。



「え……、ああ、そんなに心配かけてたんだ? ごめんね……。その、えっと……心配してくれて、ありがとう」



ゴンがトイレから戻ってくる。ゴンの「お待たせー!」という明るい声が、重苦しい空気を破った。ステラがほっとしたように表情を緩めるのが分かり、胸がチクリと痛む。



「……おう」



短く返事をして、俺は再びソーダに口をつけた。ステラの頬が赤いのは、きっと照れてるからだ。俺のせいじゃねぇ。



「別に……お前のことだから、また一人で暴走してんじゃねーかと思っただけだ」



ゴンに聞こえないくらいの小声で、ぶっきらぼうに付け加える。心配したのは本当だ。でも、それだけじゃねぇ。お前が俺の知らねぇ男の話で笑ったり泣いたりするのが、たまらなく嫌だったんだ。この気持ち、お前にはまだ、言えねぇけど。


























それからまた数日後、映画館から出てきたステラとレオリオは手を繋いで笑っている。映画の話をしているのか、とても盛り上がっている様子だった。

数日前、カフェでゴンを待っていた時の気まずい空気が嘘みたいだ。ステラは、俺でもクラピカでもゴンでもなく、レオリオと笑い合っていた。しかも、手を繋いで。



「……は?」



思わず声が漏れた。映画館の喧騒が、急に遠くなる。なんで、レオリオなんだよ。あいつ、確か……19歳じゃなかったか?



「……っ、なんで……」



頭が真っ白になる。失恋したんじゃなかったのかよ。片想いだって、言ってただろ。それとも、もう次の相手を見つけたってことか?それが、よりによってレオリオ……?胸の奥が、氷水を浴びせられたように冷えていく。嫉妬とか、怒りとか、そんなもんじゃない。もっと冷たくて、重い何かが、ずぶずぶと心を沈めていく感覚だった。



「それにしてもよ、髪を切ってきたときは驚いたけどそれも似合ってるよな」



レオリオがステラの短くなった髪にそっと手を触れながら言った。



「ああ、レオリオと喧嘩したあとヤケクソになって切っちゃった。だって顔も見たくない、なんて言うんだもん」



ステラは拗ねたような顔をする。



「そりゃあ言葉のアヤというかだな……本気で言ったんじゃねーよ」



目の前で繰り広げられる光景に、思考が追いつかない。ステラが言っていた「好きな人」って、まさか……レオリオだったのか?



「……っ、おい。どういうことだよ、これ」



気づけば、二人の前に立ちはだかっていた。ステラが驚いて目を見開き、繋がれた手を慌てて離す。レオリオを睨みつける。年の差も考えろよ、このクソジジイ。いや、待て。ステラも、なんでこいつと……?



「お前、数日前に泣いてた相手って……こいつのことだったのかよ」



ステラの顔を見る。答えを聞くのが、怖かった。でも聞かなければ、この胸のざわつきは収まらない。



「なあ、答えろよ、ステラ!」

「ちょ、キルア……っ!」



慌ててステラはキルアに駆け寄り、レオリオに聞こえない声で言う。



「まだ、レオリオには告白もしてないし付き合ってもないんだから……余計なこと言わないでよ……」



まさか泣かせてたとは知らないレオリオは呆然とした顔をしていた。



「は? おいおい、泣いてた相手って……泣かしちまってたのか……俺の知らない所で……」



ステラの必死な様子が、俺の怒りに油を注ぐ。余計なこと?なんだよそれ。俺には泣きついて、あいつの前ではいい子ぶるのかよ。



「……はっ、そういうことかよ」



乾いた笑いが漏れる。目の前がぐらぐらする。結局、お前にとって俺はその程度の存在だったってわけだ。



「俺はてっきり、同い年くらいのやつに振られたのかと思ってたぜ。まさか相手がレオリオだったとはな」



わざと大きな声で言ってやる。レオリオが「はあ!?」と素っ頓狂な声を上げたのが聞こえたが、もうどうでもよかった。



「なあ、レオリオ。こいつ、お前のことで泣いて、髪まで切ったんだとよ。健気だよなァ?」



ステラが青ざめていくのが見える。傷つけているのは分かってる。でも、もう止められない。俺の心臓も、同じくらいズタズタなんだよ。



「……っ、ひどい……そんなふうに言うなんて……まだ告白もしてない、のに……」



目の前で自分の気持ちを暴露されたステラは傷付いたような顔をし、唇を噛み締めていたがやがて堪えきれなくなり泣きながらその場から走り去っていった。



「……まさか、ステラが俺を?」



レオリオが呆然としながら呟いていた。それから「くそっ!」と言いながらステラを追いかけて走っていく。

ステラが泣きながら走り去り、それをレオリオが追いかけていくと、あっという間に二人の姿は人混みに消えていった。



「………」



俺は、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。心臓がドクドクとうるさい。やってしまった。最低だ、俺は。



「……なんで、あんなこと……」



ステラを傷つけたくなんてなかったはずなのに。あいつの悲しそうな顔も、泣き顔も、もう見たくないと思ってたのに。結局、一番あいつを傷つけてんのは、俺じゃねーか。



「……くそっ」



込み上げてきた自己嫌悪に、拳を強く握りしめる。嫉妬に駆られて、一番言っちゃいけねぇことを、一番やっちゃいけねぇやり方でぶちまけた。最低だ。俺は、本当に。

レオリオは走り去りながら遠くからキルアに向けて叫んだ。



「おいキルア! 後でステラに謝っとけよ!……俺は正直あいつのことは妹としか思えねえ、けど! 放っとけねーから追いかける!いいか、ちゃんと謝っておけよ!?」



そのままレオリオは走り去り、姿が見えなくなった。レオリオの叫び声が、雑踏の中に溶けて消えていく。妹としか思えねぇ、か。その言葉が、やけに頭に響いた。



「……謝れ、か」



唇の端が引きつる。謝って、どうなるんだよ。俺がステラを深く傷つけた事実は変わらねぇ。



「……今さら、どのツラ下げて…」



俯くと、アスファルトに自分の情けない影が落ちていた。レオリオは、ステラを追いかけて行った。俺にはできなかったことを、あいつは当たり前のようにやってのける。ぎり、と奥歯を噛みしめる。このままじゃダメだ。分かってる。でも、足が動かない。ステラに合わせる顔がねぇ。どうしたらいいのか、分からなかった。

そのまま次の日になった。ステラから連絡はもちろん来ていない。

昨夜は結局、一睡もできなかった。天井を睨んだまま夜が明けて、ステラからの連絡が来ていないことを確認して、ただ無意味にスマホの画面をなぞる。



「………」



レオリオの言葉が頭から離れない。「謝れ」と言われても、なんて言えばいいのか分からない。俺の嫉妬のせいで、あいつの恋心をめちゃくちゃに壊したんだ。謝って済む問題じゃねぇ。



「……どうすりゃ、いいんだよ」



ベッドから起き上がる気力も湧かない。ステラの泣き顔が瞼の裏に焼き付いて、消えてくれない。今頃あいつは、どうしてるんだろう。俺のこと、もう顔も見たくないくらい嫌いになっただろうな。当然だ。俺が逆の立場なら、きっとそうだ。

それからいつも通りゴンと会った。ゴンの顔が視界に入る。いつもみたいに笑ってるけど、その目が心配そうに俺を覗き込んでいた。



「……キルア? 昨日からなんか変だぞ。ステラとも連絡とれないみたいだし……なんかあったのか?」



図星を突かれて、思わず顔を背ける。ゴンには隠し事なんてできねぇ。でも、なんて言えばいい?俺が嫉妬して、ステラの秘密を暴露して、泣かせて逃げられたなんて、ダサすぎて言えるかよ。



「……別に、なんでもねぇよ」



口から出たのは、我ながら情けない言い訳だった。ゴンはそんな俺の態度に納得するはずもなく、じっと俺の顔を見つめてくる。



「嘘だ。キルア、そういう顔してる時って、絶対なんかあるじゃん。俺、心配だよ」



まっすぐなゴンの言葉が、胸に突き刺さる。そうだ、こいつはいつもこうだ。俺がどんなに捻くれてても、真正面からぶつかってくる。ああ、くそ……もう、隠し通せそうにねぇな。ゴンの澄んだ瞳に見つめられて、観念したように息を吐く。こいつの前じゃ、どんな嘘も通用しねぇ。



「……昨日、ステラに会ったんだ。レオリオと一緒のところに」



俯きながら、ぽつりぽつりと話し始める。昨日の光景がフラッシュバックして、胸が締め付けられる。



「……俺、すげぇひどいこと言った。あいつの気持ち、全部ばらして……泣かせて……俺、どうしたらいいか分かんねぇんだよ、ゴン。あいつに……謝りてぇけど……合わせる顔がねぇ」



声が震えるのを止められない。拳を握りしめると、爪が手のひらに食い込んだ。ゴンの前で、俺はガキみたいに弱音を吐いていた。情けなくて、顔が上げられない。



「俺のせいなんだ。全部……俺が、ステラのこと……」



言いかけて、言葉を飲み込む。好きだから、なんて言えるかよ。自分の嫉妬で好きなやつを傷つけといて、そんなこと口にする資格はねぇ。



「……俺、最低だろ」



自嘲気味に笑うと、ゴンは黙って俺の隣に座った。そして、何も言わずに俺の背中をポンと叩く。その無言の優しさが、今は何よりも胸に沁みた。ゴンはただ黙って俺の隣にいてくれた。その沈黙が、やけに心地よかった。しばらくして、ゴンがぽつりと呟く。



「……そっか。キルア、ステラのこと、好きなんだな」



図星を突かれて、息を呑む。否定しようとしたが、言葉にならなかった。ゴンのまっすぐな瞳が、俺の心を見透かしているようだった。



「だったら、ちゃんと謝らなきゃ。キルアが本当に悪いって思ってるなら、その気持ち、きっとステラにも伝わるよ」



ゴンの言葉はいつもシンプルで、だけど一番核心を突いてくる。俺は俯いたまま、強く唇を噛んだ。ゴンの言う通りだ。分かってる。分かってるけど、俺がしたことは、そんな簡単に許されることじゃねぇ。



「……伝わるかな……もし、会ってもらえなかったら? もう口もききたくないって言われたら……?」



弱々しい声が漏れた。ステラの泣き顔が、脳裏をよぎる。あんな顔をさせた俺に、あいつはもう会ってくれねぇかもしれない。どんどん悪い方へと考えが傾いていく。ゴンはそんな俺の肩を、もう一度力強く叩いた。



「それでも、伝えるんだ! キルアの本当の気持ちを! それでダメなら……その時また考えればいいじゃん!」



ゴンの曇りのない言葉が、俺の心の靄を少しだけ晴らしてくれた気がした。そうだ、ごちゃごちゃ考えてたって何も始まらねぇ。ゴンの言葉が、ぐずぐずしていた俺の背中を強く押した。そうだ、いつまでもこうしてても始まらねぇ。



「……そう、だよな。俺、行くわ。ステラに、謝ってくる」



顔を上げる。ごちゃごちゃ考えてたって、ステラを傷つけた事実は変わらねぇんだ。ゴンの方を向いて、はっきりと告げる。まだ怖い。拒絶されるかもしれねぇ。でも、逃げてるだけじゃ何も解決しねぇ。



「ちゃんと、俺の口から全部話して、謝る。それで許してもらえなくても……仕方ねぇ」



覚悟を決めた俺の顔を見て、ゴンはニッと笑った。その笑顔に、少しだけ勇気をもらえた気がした。ゴンに背中を押され、俺は走り出していた。どこに行けば会えるかなんて、分かりゃしねぇ。でも、じっとしてられなかったんだ。



「……っ、はぁ……っ」



息を切らしながら、ステラが行きそうな場所を頭の中で必死に探す。公園、カフェ、図書館……あいつが好きだった場所を、一つ一つ巡っていく。



「どこだよ……ステラ……!」



焦りだけが募っていく。もし、このまま会えなかったら?もし、もう二度と口をきいてもらえなかったら?そんな考えが頭をよぎるたび、足がもつれそうになる。それでも、止まるわけにはいかねぇ。俺は、あいつに謝らなきゃいけないんだ。

夕暮れの公園で息を切らすキルアの姿を見てステラは声をかける。



「……キルア? なにしてんの、そんな息切らして」



ステラは泣き腫らした顔で笑っていた。



「……ステラ」



夕暮れのオレンジ色の光の中、ステラが立っていた。泣き腫らした目元が痛々しい。俺を探してたわけじゃねぇのかもしれない。ただの偶然。それでも、心臓が大きく跳ねた。やっとのことで絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。息を整えようとするが、うまくいかねぇ。



「お前こそ……なんで、ここに……」



聞きたいことは山ほどあるのに、言葉が出てこない。ただ、目の前にいるステラの姿を、目に焼き付けるように見つめた。無理に作られた笑顔が、胸に突き刺さる。



「キルアこそなんでこんなところに? 私は家にいると気が滅入るから風に当たりに来ただけ」



ステラのバッサリと切って短くなった髪が風にゆれていた。



「……振られたよ。妹としか思えないって。いっそ吹っ切れたかも。サッパリした。うん」



ステラはそう言って笑っていた。ステラの言葉が、頭の中で反響する。「振られたよ」「吹っ切れたかも」。あんなに泣いていたのに、サッパリしたなんて嘘だろ。俺のせいだ。俺が全部めちゃくちゃにしたせいで、お前は告白する前に振られるなんていう、一番最悪な結末を迎えた。



「……そっか」



喉から絞り出した声は、ひどく乾いていた。短くなった髪が夕風に揺れるのを見て、胸が締め付けられる。なんて言えばいい?「ごめん」の一言が、喉につかえて出てこない。



「……悪かった」



やっと出てきたのは、そんなありきたりな言葉だった。お前が聞きたいのは、そんな言葉じゃねぇだろ。分かってる。でも、どう謝ればいいのか分からなかった。ただ、俯くことしかできねぇ。



「なぁに、固まってるのさぁ」



ステラはいつものようにクスクス笑っている。



「いいよもう。キルアを信じて全部話した私がどうかしてた。それでキルアはなんであんなことしたの?」



特に怒るでもなくただ問いかけた。ステラの「なんであんなことしたの?」という言葉が、ナイフみたいに突き刺さる。怒ってるわけでもなく、ただ純粋な疑問として向けられたその問いが、一番痛かった。



「……それは……」



言葉に詰まる。嫉妬したからだ、なんて言えるわけがねぇ。そんなこと言ったら、お前はきっと困るだろ。俺が、お前のことを……。



「……お前が、レオリオのことばっか見てるから……ムカついたんだよ」



俯いたまま、絞り出すように言う。本当の理由は違う。でも、今はこれ以上言えなかった。



「俺は……お前に、俺だけ見ててほしかった」



ほとんど独り言みてぇな声だった。夕暮れの公園に、俺の情けねぇ声が小さく響く。風が吹いて、短くなったお前の髪を揺らした。ステラは小さく肩をすくめていた。




「……そっか。キルアも苦しかったんだね。キルアの気持ちも知らずに、好きな人の話なんてしてごめん」



ステラはキルアから一定の距離を保ったまま言った。



「……キルアはどうしたい? 私と一緒にいるの、辛い?」



ステラの言葉が、静かに胸に落ちる。「キルアはどうしたい?」。そんなこと、決まってる。お前と一緒にいてぇ。でも、俺のせいで辛い思いをさせたお前に、そんなこと言う資格があんのかよ。顔を上げる。夕日に照らされたステラの顔は、どこか寂しそうに見えた。俺が、あんな顔させてるんだ。



「辛く、ねぇよ……俺は……お前と一緒にいたい。でも……俺がお前を傷つけた。だから、お前が嫌だって言うなら……」



言葉が途切れる。本当は、離れたくねぇ。だけど、の気持ちが一番大事だ。俺のエゴを押し付けるわけにはいかねぇ。



「……ごめん。俺、お前のことが、好きなんだ。だから、嫉妬した。最低だろ」



ステラは静かな声で言った。



「……うん、嫌だよ。嫌に決まってるじゃん」



ステラの「嫌だよ」という言葉が、心臓に冷たく突き刺さった。ああ、やっぱりか。当然だ。俺がしたことを考えれば、そう言われて当たり前だ。覚悟はしてたはずなのに、目の前が真っ暗になる。



「……だよな」



かろうじて絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。もう、ここにはいられない。お前の前から消えなきゃ。そう思った時、ステラの言葉が続いた。



「……キルアが、私の前からいなくなるのは、嫌だよ」



え?と顔を上げる。夕日に照らされたステラは、泣き出しそうな、でもどこか吹っ切れたような顔で、俺をまっすぐ見ていた。その瞳から、もう目が離せなかった。



「キルアと一緒にいられなくなるなんて嫌だよ。そんなの寂しい」



それからたっぷりと間を作ってから続けた。



「……キルアと一緒にいたいよ」



ステラの「一緒にいたい」という言葉が、信じられないくらい甘く鼓膜を揺らす。一瞬、呼吸を忘れた。目の前の現実が、まるで夢みたいに感じられる。



「……なんで」



掠れた声で問いかける。俺はお前を傷つけたんだぞ。なのに、なんでそんなこと言うんだよ。



「俺は、お前にひどいことしたんだぞ……? 許されることじゃねぇ……」



ステラは小さく首を横に振った。夕日がその横顔を照らして、泣き腫らした瞳がきらりと光る。そして、今まで見たことないくらい、儚く笑った。



「……許すとか、そういうんじゃないの。私、キルアがいないと、多分もっとダメになる。だから、そばにいてよ。それに……キルアの気持ち、わかるもん。好きな人に、いきなり他に好きな人がいるなんて言われたらそりゃ辛いよね」



ステラは可笑しそうに笑った。



「キルアの気持ちに気付けなくてごめんね。だから傷付けたのはお互い様なんじゃない? キルアも私のせいで傷ついたんでしょ?」



ステラの言葉が、じんわりと胸に染み込んでいく。「お互い様」。そんなはずはねぇ。全部、俺の嫉妬と幼稚さのせいだ。でも、そう言ってくれるお前の優しさが、今は何よりも嬉しかった。



「……そんなこと、ねぇよ。俺のせいだ。全部……」



まだ俯いたまま、かろうじて声を絞り出す。お前は何も悪くねぇ。俺が勝手に傷ついて、勝手にお前を傷つけただけだ。それでも、ステラは静かに首を振った。そして、今まで保っていた距離をゆっくりと詰めて、俺の目の前に立つ。不意に、その小さな手が俺の手にそっと重ねられた。



「いいって言ってるじゃん」



キルアの手を取りながら困ったように笑う。



「それにこうなってかえってサッパリしてるし。たしかに歳の差あるもんね……女として見られてるわけがないよね」



ステラは吹っ切れたように笑った。



「……キルアは私と一緒にいられなくなっても平気なの?」



ステラの「一緒にいられなくなっても平気なの?」という言葉が、胸に突き刺さる。平気なわけ、ねぇだろ。俺の手を握るステラの温かさに、涙が溢れそうになるのを必死でこらえた。



「……平気なわけ、ねぇだろ」



絞り出した声は震えていた。顔を上げると、ステラが心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。もう、ごまかすのはやめだ。



「俺は……ステラと一緒にいたい。他の誰でもなく、お前がいいんだ。お前がいなきゃ、ダメなんだよ」



繋いだ手に、そっと力を込める。もう二度と、この手を離さねぇ。そう心に誓った。



「そんな泣きそうな顔で言わないでよ、キルアの気持ちはよくわかったから。いいよ、キルアのそばにいる。ほら、泣かないでキルア」



キルアの手を強く握り返し、もう片方の手をキルアの頬に触れた。

頬に触れたステラの指先が、信じられないくらい温かい。俺の手を握る力強さに、こらえていた感情の堰が切れた。涙が、勝手に頬を伝っていく。



「……泣いてねぇよ、バカ」



強がりを言っても、声は震えていた。情けねぇ。でも、お前がそばにいてくれるなら、もうそれでいい。



「……本当に、いいのか? 俺の、そばにいてくれんのか……?」



確認するように尋ねると、ステラはこくりと頷いた。その優しい眼差しに、胸がぎゅっと締め付けられる。



「ありがとう……ステラ」

「ん……」



繋いだ手を引き寄せ、空いている方の腕でステラの華奢な体を抱きしめた。夕暮れの公園で、俺たちはただ、互いの温もりを確かめ合っていた。

不意に手を引き寄せられ抱き寄せられると抵抗なくキルアの腕の中に収まった。ステラもキルアの背に腕を回して抱きしめ返す。



「よしよし。そんなに怖かったの? 大丈夫だよ、離れたりしないよ」



キルアの頬を涙が伝っていくのを見ると、頬に触れていた手を後頭部に回して優しく撫でる。

ステラの温もりが、冷え切っていた心をゆっくりと溶かしていく。背中に回された腕が、俺の罪悪感を少しだけ軽くしてくれるようだった。



「……怖かった」



子供みてぇに、正直な言葉がこぼれ落ちる。お前に拒絶されるのが、独りになるのが、何よりも怖かったんだ。



「お前がいなくなるって考えたら……どうしたらいいか、わかんなくなって……」

「嫌いになったりするわけないでしょ。ずっと一緒に過ごしてきたじゃん。キルアの天邪鬼なんて今更だし」



腕の中の小さな体温が、俺がここにいていいんだと教えてくれている気がした。ぎゅっと、さらに強く抱きしめる。



「……ごめん、本当にごめん……ありがとう……」



何度も繰り返す言葉は、感謝と謝罪だけ。それでも、今はこの温もりを失いたくなかった。夕焼けが、俺たち二人を静かに包み込んでいた。

キルアをしっかり抱きしめながら、片手を後頭部に回してキルアのふわふわな髪の毛を何度も撫でた。



「キルアって……すっごく可愛いね」



ぎゅっと抱きしめてくるキルアを受け止めながら思ったことをそのまま述べた。

ステラの「可愛い」という言葉が、不意打ちのように耳に届く。抱きしめていた腕の力が、一瞬だけ緩んだ。



「……っ、るせぇ!」



顔が熱くなるのを感じ、ステラの肩に顔を埋める。耳まで真っ赤になってんのがバレちまいそうだ。それでも、腕の力は緩めなかった。むしろ、さっきよりも強く抱きしめる。この温もりを、まだ手放したくなかった。



「誰が可愛いだ、バカ……お前が、俺のそばにいてくれるなら、それでいい。もう二度と、不安にさせたりしねぇから……」



俺の言葉に、ステラがこくりと頷く気配がした。夕闇が迫る公園で、俺たちはただ静かに互いを確かめ合っていた。










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