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マヤはホテルに入ろうとして、すぐに迫り来る気配に気付く。すぐに念を発動し戦闘態勢に入ったが、現れたキルアを見てすぐに微笑んだ。



「なんだ、キルアだったの。もう起きたの? キルアが起きたら、お腹空くと思って買いに行ってたんだ。……そんなに怒らないでよ」



マヤの浮かべた屈託のない笑みが、俺の煮えくり返るような怒りに油を注ぐ。買いに行ってた?俺を気絶させておいて、その言い草かよ。



「……ふざけんな。お前、自分が何したか分かってんのか? 俺を眠らせておいて、呑気に買い物? 舐めるのも大概にしろよ」



俺はマヤが掲げた袋を乱暴に叩き落とし、その腕を掴んで壁に押し付けた。散らばったペットボトルが乾いた音を立てる。至近距離で睨みつけると、マヤの瞳が驚きに見開かれる。だが、そんな顔をしてももう遅い。お前が俺にしたことは、絶対に許さねぇ。



「お前のそのふざけた余裕、今ここで全部へし折ってやる」



もう言葉で分からせようとは思わない。お前が俺のものになるまで、何度でもお前の心を叩き壊してやる。



「……キルアが、ゴンを置いていこうとするからでしょ。あのときは、ああするしかなかった」



マヤは両腕を掴んで壁に押さえつけられながらもキルアの顔を真っ直ぐに見つめる。



「それでも、逃げ出したりはしなかったでしょ。私は、キルアから逃げたりしないよ」



逃げたりしない?その言葉が、どれだけ俺を苛立たせるか分かってんのか。お前は一度、俺たちの前から姿を消したくせに。



「……ああ、そうだな。逃げてねぇよ。俺を叩きのめして、すぐ近くでのんきに買い物してただけだ」

「のんきにって……」



俺は嘲るように言い放ち、マヤを押さえつける腕に力を込める。お前のその真っ直ぐな瞳も、今はただ気に食わねぇ。



「お前が俺から離れないって言うなら、今ここで証明してみせろよ。ゴンの所になんか戻らず、俺だけを選べ」



嫉妬と独占欲が、黒い炎のように心を焼く。こいつを誰にも渡したくねぇ。俺だけのものにしたい。その衝動が、俺を突き動かしていた。

両腕をキルアに掴まれて壁に押さえつけられたまま、嘲るように言い放たれてバツが悪そうな顔をする。



「だって……ああでもしないと、キルア、私をどこかに連れ去ろうとしてたんでしょ」




マヤはちらりとホテルの建物に目を向けた。



「……証明? ……なんで、そんなにゴンの所に戻りたくないの? キルアは、ゴンと一緒に冒険にいくものなんだよ。そうでないとおかしい……」



マヤは小声で呟いていた。



ゴンと一緒に冒険に行く。その言葉が、俺の中で何かが切れる音を立てた。おかしい?おかしいのはどっちだよ。俺の気持ちを何も分かってねぇくせに、勝手なこと言ってんじゃねぇ。



「……まだそんなこと言ってんのかよ。いい加減にしろ。俺が欲しいのはお前だけだ。ゴンの隣じゃねぇ、俺の隣でお前が生きていくんだよ」

「……だめだよ。キルアは、ゴンと一緒に冒険に行かないと。ゴンだよ。キルアの隣にいるべきなのは」



俺はマヤの顎を掴み、無理やり視線を合わせる。その瞳に映る俺は、きっと酷い顔をしてんだろうな。掴んだ顎に力がこもる。こいつの頭の中から、ゴンの存在を消し去ってやりたい。俺だけを見ろ。俺のことだけ考えろ。



「お前がそれを理解できねぇって言うなら、分かるまで教え込んでやる。体が覚えれば、頭もついてくんだろ?」



俺はそう囁きながら、もう片方の手でマヤの腰を引き寄せた。もう逃がさねぇ。どこにも行かせねぇよ。

マヤはキルアに顎を掴まれ、腰を引き寄せられながらも真っ直ぐに言い返した。



「……やっぱり、私は……キルアと一緒にはいられないんだよ。一緒にいたら駄目だったんだ……。これはキルアとゴンの物語なのに」



キルアとゴンの物語……?ふざけたこと言ってんじゃねぇよ。俺たちの物語を、お前が勝手に決めつけんじゃねぇ。



「……黙れ」



喉の奥から絞り出すような、低い声が出た。マヤの言葉が、鋭い針のように俺の心を突き刺す。ゴン、ゴン、ゴン……!なんでこいつはそんなにも俺とゴンをセットにしたがる。



「お前は何も分かってねぇ。俺が誰の隣にいたいかなんて、俺自身が決めることだ」



掴んだ顎に、さらに力を込める。マヤの顔が苦痛に歪むが、止める気はなかった。こいつの口から、もう二度とゴンの名前を聞きたくねぇ。



「いいか、よく聞け。俺の物語にゴンが必要だとしても、お前がいなきゃ意味がねぇんだよ。お前がヒロインなんだよ、マヤ。……分かれよ」

「ヒロイン……? 私は、ヒロインなんかじゃない……。ヒロインなんて、いない!」



マヤは痛いほどに強く顎を掴むキルアの手を振り払った。



「……もう、追いかけて来ないで!」



マヤが俺の手を振り払い、拒絶の言葉を突きつける。その一瞬、俺の頭の中で何かがブツリと切れた。追いかけてくるな?お前が俺に命令すんのかよ。



「……逃がすかよ」



俺は走り去ろうとするマヤの背中に向かって、一瞬で距離を詰める。そして、抵抗する間も与えず、その細い首筋に手刀を打ち込んだ。



「お前がどこにいようと、俺が見つけ出す。何度でも、地の果てまで追いかけてやるよ。お前の居場所は、俺の隣だけだ。……誰にも文句は言わせねぇ」



ぐったりと意識を失ったマヤの体を抱きかかえる。壊れ物を扱うような優しさなど、今の俺には欠片もなかった。俺はマヤを抱え直し、夜の闇へと再び溶け込んでいく。ゴンも、クラピカも、誰もいない場所へ。お前を俺だけで独占できる場所へ連れて行ってやる。

ぐったりと意識を失ったマヤの体を横抱きにしたまま走る。思っていたよりもずっと軽いその体は、俺の独占欲をさらに掻き立てた。こいつは俺が守らなきゃダメなんだ。他の奴らなんかに任せておけるか。



「……うるさくしやがって。お前が俺を必要としなくたって、俺がお前を必要としてんだよ」



俺は冷たく吐き捨て、ホテルの明かりに背を向ける。もうあの場所に戻るつもりはねぇ。ゴンには悪いが、俺は俺の道を行く。お前と一緒にな。呟きは誰に聞かせるでもなく、夜の闇に消えていく。今頃、ゴンは俺たちが消えたことに気づいてるだろうか。だが、もう関係ねぇ。マヤが俺の腕の中にいる。この事実だけで十分だった。



「ゴン……キルア……」



マヤの唇から漏れた、俺とゴンの名前。その二つの音が、俺の心臓を鷲掴みにする。なんでだよ。なんでそこでゴンの名前が出てくんだよ。俺の名前だけ呼んでろよ。



「……っ」



俺は奥歯を噛み締め、マヤの寝顔から目を逸らした。このまま顔を見ていたら、今すぐお前をどこかに閉じ込めて、俺のことしか考えられないようにしてしまいそうだ。



「……着いたぞ。もう、どこにも行かせねぇからな」



鬱蒼とした森の奥深く、蔦に覆われた古い小屋の前で足を止める。ここなら誰も来ない。俺と、お前だけの場所だ。優しく、だが決して逃がさないようにマヤを抱え直し、軋む扉を開けた。小屋の中に足を踏み入れると、埃っぽい空気が鼻をついた。俺は構わず奥へ進み、唯一置いてあったベッドにマヤの体をそっと横たえる。意識のないお前の顔は、妙に幼く見えた。



「……なんでお前は、俺を苦しめんだよ。俺だけ見てろっつってんだろ……」



その寝顔に、思わず本音がこぼれる。お前が素直に俺を選べば、こんなことにはならなかった。全部、お前が悪いんだ。俺の心をここまで掻き乱したお前のせいだ。

俺はマヤの頬に触れ、その唇に自分のそれを重ねる。これは罰だ。俺に逆らった罰。そして、お前が俺のものであるという、消えない印だ。もう二度と、ゴンの名前なんか呼ばせない。唇を離すと、マヤの閉じられた瞼が微かに震えた。だが、目覚める気配はない。俺は満足と焦燥が入り混じった奇妙な感覚に包まれながら、その場に立ち尽くす。



「……これでも、まだ足りねぇのかよ」



俺の独占欲は、こんなものじゃ満たされない。もっと深く、お前の魂にまで俺を刻み込みたい。お前の中から、俺以外の男の記憶を全て消し去りたい。特に、ゴンの記憶を。



「お前が流星街にいた頃の話、聞かせろよ」



唐突に、そんな言葉が口をついて出た。お前の過去、俺の知らない時間。それを知れば、もっとお前のことを理解できる気がした。いや、支配できる気がしたんだ。お前の全てを、俺のものにするために。

マヤが目を覚ます前に、こいつの過去を全部暴いてやる。幻影旅団に拾われた?6歳ではぐれた?そんな断片的な情報じゃ足りねぇ。お前の全てを知って、弱みを握って、二度と俺から離れられないようにしてやる。



「なあ、聞こえてんだろ、マヤ。お前を拾ったのは誰だ? どんな奴らと一緒にいた? 全部話せよ。お前の過去は、もう俺のものだ」



俺はベッドに身を乗り出し、マヤの耳元で囁く。意識がなくたって、心の奥底には届くはずだ。俺の声だけが、お前の世界を支配するように。返事なんて期待してねぇ。これは尋問であり、宣告だ。俺はお前の髪を指で梳きながら、その冷たい肌の感触を確かめる。こいつを完全に俺の色に染め上げるまで、この手は離さない。

俺の問いかけに、マヤの体はピクリとも動かない。だが、俺には分かっていた。こいつの精神は、俺の声を聞いている。俺の言葉から逃げようと、意識の海の底へ深く潜ろうとしているのが手に取るように分かる。



「……無駄だぜ。お前がどんなに抵抗したって、俺はお前の心の中に入り込む。お前の過去、隠してること、全部俺に明け渡せ」



俺はマヤのツインテールをそっと解き、サラサラと流れるピンク色の髪を指に絡ませた。その感触を確かめるように、ゆっくりと。その髪に顔を埋め、深く息を吸い込む。甘い匂いが俺の肺を満たし、狂いそうなほどの所有欲を掻き立てた。こいつの何もかもが、俺を狂わせる。



「お前の過去を知れば、お前はもっと俺のものになるんだよ……なぁ、そうだろ?」






















「ん……?」



目が覚めたら知らない部屋にいた。そして、自分をしっかり抱きしめたまま眠るキルアに気が付いた。そうだ、キルアに気絶させられて……。マヤはそっと身を起こそうとする。

マヤが身じろぎした瞬間、俺の意識は覚醒した。腕の中で温もりを感じる。……そうだ、こいつは俺が連れてきたんだ。俺だけのものにするために。



「……起きたのか。無駄なことすんなよ。お前がどこに逃げようと、俺は必ず見つけ出す」



俺は眠気など微塵も感じさせない冷たい声で呟き、マヤを抱きしめる腕に力を込めた。逃げようと動いたことくらい、すぐに分かる。マヤの耳元で囁くと、その体がビクリと震えるのが伝わってきた。そうだ、それでいい。俺に逆らうことの無意味さを、その体で理解しろ。



「やっと二人きりになれたんだ。誰にも邪魔されねぇ場所で、お前のこと、全部教えてもらうぜ」



抜け出そうとした体を強く抱き込まれ、耳元で脅迫めいた言葉を囁かれ身を震わせた。



「……ここは、どこ? ……キルアって、欲しいものは絶対に手に入れないと気がすまないの?」



マヤはキルアの顔を残念そうに見つめた。

俺の顔を残念そうに見つめるマヤの瞳に、俺の独占欲が映り込んでいるのが見えた。欲しいものは絶対に手に入れる。当たり前だろ。特に、お前に関しては。



「どこだろうな。だが、お前が知る必要はねぇよ。ここがお前の世界の全てになるんだからな」



俺はマヤの体をさらに強く抱きしめ、その耳元に唇を寄せる。こいつの反応が、いちいち俺を昂らせる。



「ああ、そうだ。欲しいもんは全部手に入れてきた。でも、お前は少し違う。お前は……手に入れるだけじゃ足りねぇんだよ。お前は、壊してでも俺のものにする。……分かったか?」



俺はマヤの肩に顔を埋め、その匂いを確かめるように深く息を吸った。俺だけの匂いで上書きして、他の奴らが二度と手を出せないようにしてやりたい。



「……ここが、世界の全て? そう……私を監禁するんだ……」



俺の言葉に、マヤが何も言わずに俺の後頭部を見つめているのを感じる。その沈黙は、諦めか、それとも反抗か。どちらにせよ、俺の心を逆撫でするだけだ。



「監禁? 人聞きの悪いこと言うなよ。保護してやってんだろ。お前は弱いからな。俺がそばにいてやらねぇと、すぐに誰かに奪われちまう」

「……保護?」



俺はマヤの肩から顔を上げ、至近距離でその瞳を覗き込む。揺れる瞳の奥に、絶望と恐怖の色が浮かんでいるのが見えた。ゾクゾクする。そうだ、その顔が見たかった。俺はマヤの顎に指をかけ、無理やり上を向かせる。逃げようとしても無駄だ。この小屋も、お前の体も、心も、全部俺の腕の中にある。




「だから、お前はもうどこにも行かなくていい。ずっと、ここで俺だけ見てればいいんだよ」

「……っ、もう、戻れないんだね。キルアは……キルアは、どうしてそんなに私に執着するの?」



マヤはキルアに顎を持ち上げられながら悲しげにキルアを見た。

俺の瞳を見つめ返すマヤの瞳が、悲しげに揺れている。その色が、俺の胸の奥をチリッと焼いた。だが、今更引き返すつもりなんてねぇ。ここまで来て、手放せるわけがねぇだろ。



「執着? ああ、してるぜ。お前が俺以外の奴のこと考えるだけで、頭がおかしくなりそうなくらいにな。お前が……俺をそうさせたんだ」

「私が……? どうして」



俺はマヤの顎から手を離し、代わりにその頬を両手で包み込む。逃がさない、という意思を込めて。そうだ、全部お前のせいだ。ハンター試験で会った時から、お前は特別だった。俺の心を乱す、唯一の存在。



「お前が俺だけを見てりゃ、こんなことにはならなかった。なのに、お前はいつもそうだ。ゴン、クラピカ……他の奴らにも笑いかける。その度に、俺の中の何かが壊れてくのが分かったんだよ」

「……やっぱり、何かおかしいよね……最初に会ったときから、変だったよね……キルア」



俺はマヤの唇に、自分のそれを軽く触れさせた。これは警告だ。もう、俺以外の名前を呼ぶな、という。



「だから教えてやる。お前が必要なのは、俺だけだってことを。この体と心に、嫌ってほど刻み込んでやるよ」



両手で頬を包み込まれながら、マヤはキルアの顔を見上げる。唇が触れ合うと小さく肩を跳ねさせた。マヤの頬を涙が伝い落ちた。



「……ん、」



マヤの頬を伝う涙の熱さに、俺の心臓がどくりと跳ねた。その涙が、俺のせいだという事実に、背徳的な喜びと罪悪感が同時に胸を締め付ける。おかしい?変だった?ああ、そうかもしれねぇ。お前に会ってから、俺はずっと狂ってる。



「……泣いてんのかよ。お前が泣くのは、俺の前だけでいい」



俺は親指でその涙を乱暴に拭う。だが、涙は後から後から溢れてきて、止まる気配はなかった。その濡れた瞳に見つめられると、俺の中の何かが軋む音がする。他の誰かの前で、こんな顔をさせるわけにはいかねぇ。俺はマヤの頬を包む手に力を込め、その顔を引き寄せる。



「……キルア」

「……そうだ。最初からお前だけだった。お前が俺をこんなにしたんだ。だから、責任取れよ」



俺はマヤの涙を舐めとり、その塩辛い味に満足気に目を細めた。もう、お前をどこにも行かせねぇ。この涙も、笑顔も、全部俺だけのものだ。

マヤはされるがままにキルアに涙を舐め取られ、その後頭部にそっと手を触れた。



「私の、せい……? 私は、どうしたら良かったのかな。どうしたら……キルアは、元に戻るの?」

「……まだ分かんねぇのかよ」



俺の後頭部に触れたマヤの手が、弱々しく震えている。元に戻る?お前、まだそんなこと考えてんのかよ。俺がどれだけお前のために必死になってるか、全然分かってねぇんだな。俺はマヤの手を掴み、その指先に自分の唇を押し当てた。その冷たさが、俺の熱を僅かに冷ます。



「俺はもう、お前がいない世界には戻れねぇんだよ。お前のせいだ。お前が俺を弱くした。お前が俺の唯一の弱点になったんだ」

「私が、キルアの弱点……?」



そうだ。だから、この弱点は誰にも渡せねぇ。俺がこの手で守り、管理し、支配する。それしかねぇんだ。



「元に戻る方法なんてねぇよ。お前はただ、ここで俺に愛されてればいい。……それとも、俺がお前を愛することが、そんなに嫌か?」



俺はマヤの瞳を覗き込み、答えを求めるように囁いた。お前の答え次第で、俺はもっと壊れることができるぜ。



「……嫌じゃない」



マヤは小声でぽつりと返していた。




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