急にキルアに手を引かれたマヤはたたらを踏み、キルアの体に接近してからすぐに離れた。
「そうだね……クラピカ、フェイタン……大丈夫かな……」
マヤは少し複雑そうな顔でクラピカが去った方向を見ていた。
マヤの口から出たクラピカの名前。そして、あのクソ野郎の名前。俺は眉間に深く皺を刻み、マヤの視線を遮るようにその前に立った。
「……なんであいつらの心配してんだよ。お前が気にすんのは、俺とゴンのことだけでいいんだよ」
不機嫌さを隠そうともせず、低い声で問い詰める。クラピカがマヤを助けたのは事実だ。だが、フェイタンはマヤを攫った元凶だろ。なんでそんな奴の心配をする必要がある?俺はマヤの腕を掴み、自分の方へとぐいと引き寄せる。もう、他の奴のことなんて考えさせたくない。特に、クラピカのことは。
「そりゃあどっちも一応仲間……だもの……。フェイタンは、今でこそ盗賊団になってるけど……育ての親でもあるんだよ?」
「……ふざけんな。あいつはお前を攫ったんだぞ。どんな理由があろうと、そんな奴のこと庇うな。行くぞ。お前が変なこと考えなくて済む場所に連れてってやる」
「……え? 連れてってやるって……どこに?」
育ての親……?は、なんだよそれ。あいつが?マヤの?意味が分からねぇ。俺の知らないマヤとフェイタンの関係。その事実が、胸の奥に黒い靄を広げていく。腕の中のマヤが言い返そうと口を開くのを、俺は許さなかった。苛立ちに任せて、さらに強く抱きしめる。こいつはまだ分かってねぇ。俺がどれだけ……。
「黙って俺について来い。お前の居場所は、もう俺の隣しかねぇんだよ」
ゴンの存在すら頭から消える。今はただ、こいつを誰にも渡したくない。その一心で、俺はマヤを連れて歩き出した。俺だけの場所に、閉じ込めてしまいてぇ。
「っん……、ちょっと……どういう意味? どこに行く気なの?」
マヤはキルアに連れられて歩き出す。ゴンが心配そうについてくる。
マヤの問いかけと、後ろから聞こえるゴンの足音に、俺は苛立ちを募らせる。どういう意味?決まってんだろ。お前を誰にも渡さねぇって意味だ。
「うるせぇな……黙ってついて来いって言ってんだろ。ゴン、お前は先に帰ってろ。こいつとは話がある」
振り返らずに吐き捨て、マヤを引く手に力を込める。ゴンの存在が今は邪魔でしかねぇ。こいつには悪いが、今はマヤと二人きりになりてぇ。一方的に告げ、俺はゴンを置き去りにして路地裏へと足を踏み入れる。フェイタン?クラピカ?くだらねぇ。お前が見るべきなのは、俺だけだ。そのことを、骨の髄まで分からせてやる。
「なんでゴンまで置いていくの? 私言ったよね? キルアとクラピカ達の仲を壊したくないって! 私、ゴンを呼んでくる」
路地裏に連れ込まれたマヤはキルアの手を振り払い、怒った声でそう言うとゴンの元に向かって走って戻っていく。
俺の手を振り払い、ゴンの元へ駆け戻ろうとするマヤの後ろ姿。その小さな背中が、俺の怒りの導火線に火をつけた。
「……っ、いい加減にしろよ! ゴンもクラピカも関係ねぇ! 俺が言ってんのは、お前のことだろ!」
瞬時にマヤの目の前に回り込み、その両肩を強く掴む。なんで分かんねぇんだ。俺がお前のためにどれだけ……!至近距離で睨みつけると、マヤの瞳が驚きに見開かれる。だが、もう手加減はしてやれねぇ。
「あいつらの名前を出すな。今、お前の目の前にいるのは誰だよ。……俺だけを見てろ、マヤ」
その体を壁に押し付け、逃げ場を奪う。もう、どこにも行かせねぇ。お前の全てを、俺のもんにする。
「……っ、ねえ、キルア……私達って、付き合ってるの?」
至近距離から睨みつけられて肩をすくめた。人けのない路地裏の壁に押し付けられ、キルアの顔を見上げて静かに問いかける。
マヤの思いがけない言葉に、俺の頭の中が真っ白になる。付き合ってる?そんな当たり前のことを、なんで今更聞くんだ。俺の行動の全てが、その答えじゃなかったのか。
「……は? 何言ってんだ、お前」
掴んだ肩の力が、思わず抜ける。だが、壁に押し付けた体は離さない。こいつの考えてることが、全く読めねぇ。
「そんなこと、決まってんだろ。お前は俺のもんだ。俺以外の男のことなんか、考えるのも許さねぇ」
マヤの唇が何かを言おうと微かに開く。その瞬間、俺はもう我慢できなかった。衝動のままに顔を寄せ、その唇を乱暴に塞ぐ。甘い感触と、驚きに見開かれた瞳。これで分かれ。お前は、もう俺から逃げられねぇ。
マヤの方からはキルアが好きだと言ったことはなかった。にも関わらず『俺のもんだ』と勝手に言われ、言い返そうとした唇は乱暴にキルアの唇で塞がれた。
「んぅっ……!」
小さくくぐもった声を漏らし、驚きに目を見開いたあと、マヤはキスをやめさせようと顔を背けて抵抗する。
顔を背けようとするマヤの抵抗に、俺の独占欲はさらに煽られる。なんで拒むんだよ。お前は俺だけ見てればいいって、なんで分かんねぇんだ。
「……っ、嫌がんじゃねぇよ」
「んんッ……!」
空いている手でマヤの顎を掴み、無理やり顔をこちらに向かせると、さらに深く唇を押し付ける。抵抗するほど、お前が俺のものだって体に刻みつけてやりたくなる。
「お前が好きだって言ったんだ。俺が。……それだけじゃ足りねぇのかよ」
息継ぎの合間に、搾り出すように言葉をぶつける。マヤの瞳が戸惑いに揺れている。ああ、クソ。こんなつもりじゃなかった。ただ、お前が他の奴のところに行っちまうのが、耐えられねぇだけなんだ。
「ん、んんっ……、っは……」
顎を掴まれて更に深く、強引に唇を押し付けられる。息苦しさに思わず唇を開いて吐息を零した。
マヤが苦し紛れに唇を開いた瞬間、俺は待ってましたとばかりに舌をねじ込む。吐息ごと全部奪って、俺のもので満たしてやる。お前の思考も、感情も、全部俺で上書きしてしまいてぇ。
「……ん、ふ……っ」
マヤの小さな体がビクリと震えるのが分かる。抵抗が弱まったのをいいことに、俺はさらに角度を変えて深く味わう。甘くて、息苦しくて、頭がどうにかなりそうだ。
キルアの舌がねじ込まれ、まるで吐息ごと奪うかのように角度を変えながら何度も執拗に舌と舌を絡め合わせられ、甘やかな快感がマヤの身体を走る。
「……もう、逃がさねぇから」
「はあ……っ、はっ……」
唇を離すと、互いの唾液で濡れた銀の糸が引く。ぜぇぜぇと肩で息をするマヤの潤んだ瞳を見下ろし、俺は満足気に笑った。お前の全部、俺に寄越せよ。
目を潤ませ、必死に酸素を取り込みながら、マヤの舌先からキルアの舌先へと繋がる銀の糸をぼんやりと見つめていた。立っていられず、キルアの体にもたれかかってしまう。
俺の体にぐったりともたれかかってくるマヤを、俺は力強く抱きしめた。潤んだ瞳、乱れた呼吸、赤い唇。全部、俺がやったんだっていう満足感が胸を満たす。
「……やっと、俺だけ見たな」
耳元で囁くと、マヤの肩が小さく震える。そうだ、それでいい。クラピカもフェイタンも、ましてやゴンでさえも、お前の頭から消し去ってやる。
「お前が俺のもんだってこと、体に教え込んでやるよ。もう二度と、他の男の名前なんて呼べねぇように」
マヤの髪に顔を埋め、その匂いを深く吸い込む。独占欲が、黒い炎みたいに燃え上がっていく。こいつを誰にも渡す気はねぇ。絶対にだ。
壁際に追い詰められたまま力強く抱きしめられ、耳元で囁かれるとぞくりと身が震えた。マヤはキルアの体に身を預けながら、息を乱し、途切れ途切れの声で問いかける。
「っはあ……、いつ……わたしが、キルアのものに、なったの……?」
俺の腕の中で、か細く息をしながら問いかけてくるマヤを見下ろす。いつからだって?そんなの、決まってんだろ。
「……俺がお前を好きになった、その瞬間からだよ」
答えになっていないことくらい分かってる。だが、それが俺の本心だ。俺がお前を欲しいと思った。それだけで十分な理由だろ。
「ええ……?」
「お前が俺をどう思ってるかなんて関係ねぇ。俺がお前の隣にいたい。お前を誰にも渡したくねぇ。……ただ、それだけだ」
マヤの戸惑う視線が、チクリと胸を刺す。だが、もう止まれねぇ。お前の気持ちが俺に向くまで、何度でも教えてやる。お前の居場所は、ここしかねぇってことを。
「ちょっと何言ってるかわからない……私の意思は関係ないっていうの? 強引だね。キルアの気持ちは、嬉しいけど……」
キルアの返答にますます困惑してしまう。マヤは呼吸が落ち着いてくるとキルアの腕の下からくぐって抜け出した。
「……キルアには、もっと素敵な人がいるんじゃないかな……」
俺の腕からすり抜けて、距離を取ろうとするマヤ。その口から紡がれた拒絶の言葉に、俺の頭の中で何かがブツリと切れた。もっと素敵な人?ふざけんじゃねぇ。俺が欲しいのは、お前だけだ。
「……は、何言ってんだよ。俺が欲しいのはお前だって言ってんだろ! 素敵な人なんかいらねぇ。俺が一緒にいたいのはお前だ。お前じゃなきゃ、意味がねぇんだよ!」
一瞬でマヤとの距離を詰め、再びその腕を掴む。逃がすかよ。お前の代わりなんて、どこにもいねぇんだよ。俺の叫びに、マヤの肩がビクリと震える。なんで分かってくれねぇんだ。俺の言葉は全部本心なのに、なんでお前には届かねぇんだ。その瞳に映るのが俺以外の誰かだなんて、考えただけで腸が煮えくり返る。
「……キルアは、どうしてそんなに私のことを気にかけるの……? ハンター試験のときから、そうだったよね?」
今思えば最初から気にかけられていた気がする。マヤは掴まれた腕をするりと抜け出すとキルアの手を掴んだ。
「……戻ろうよ、ゴンの所に」
ゴンの元へ戻ろうと俺の手を引くマヤの小さな手。その温もりが、逆に淀んだ怒りを掻き立てる。なんでだよ。なんで今、ゴンの名前を出す。
「……っ、いい加減にしろって言ってんだろ!」
俺は掴まれた手を振り払い、マヤの手首を掴み返して再び壁際へ押し戻した。ゴンの所へ?冗談じゃねぇ。お前は俺から離れられねぇ。
「ハンター試験の時からに決まってんだろ! お前が幻影旅団にいたとか、そんなこと知る前からずっと……俺はお前のことが……!」
言いかけて、言葉に詰まる。こんなこと、言いたかったわけじゃねぇ。だが、マヤの瞳が俺だけを映さないことに、もう我慢の限界だった。
「お前が俺から逃げようとするから、こうしてんだろうが……! もうゴンの所には帰さねぇ。お前は俺と一緒に来い」
「逃げようとはしてないよ。一緒にゴンの所に戻ろうと言ってるの。どこに行くつもりなの? そんなこと言われて、ついていくわけないよね? ……絶対、行かない」
マヤは屹然とした態度でキルアを見据えた。
マヤの「絶対、行かない」という強い拒絶の言葉が、俺の頭に突き刺さる。その真っ直ぐな瞳が、俺の身勝手さを責めているようで、一瞬、言葉を失った。だが、ここで引いたら、こいつは本当にゴンの所へ戻っちまう。それだけは、絶対に許せねぇ。
「……へぇ、まだそんなこと言うんだ」
俺はマヤの手首を掴む手に力を込める。痛みに顔を歪めるマヤを見下ろし、わざとらしく口角を上げた。
「いいぜ、お前が来ないって言うなら、それでも。だが、俺がお前をここに縛り付ける方法はいくらでもある。忘れたのか? 俺が元々、何をしてた家の人間か」
脅しだ。最低なこと言ってんのは分かってる。だが、そうでもしなきゃ、お前は俺を見てくれねぇんだろ。恐怖でも何でもいい。お前の瞳に、俺だけを映せよ。
「……キルア。ゾルディック家からは逃げてきたんでしょ? そんな事言うもんじゃないよ」
マヤは窘めるように言うと掴まれた手首をそのままに、キルアの腹部に手刀を叩き込んだ。
「……それに、私も一応旅団に育てられてたんだよ。手加減はしたけど、ごめんね。少し眠っててよ」
崩れ落ちるキルアの体をそっと抱きかかえながら囁いた。
腹部に走った鋭い衝撃と共に、俺の意識は急速に遠のいていく。崩れ落ちる体を支えるマヤの腕の感触と、耳元で聞こえた囁きが、まるで夢の中の出来事のようだ。ごめんね、だと……?ふざけんな……俺から離れるくせに、そんな優しい声出すなよ……。
「……待……て……」
抗議の声を上げようとしたが、唇から漏れたのは掠れた音だけだった。マヤの温もりが離れていく。行くな。俺を置いて、どこにも行くな。そう叫びたいのに、鉛のように重くなった瞼は無情にも閉ざされていく。最後に脳裏に焼き付いたのは、俺を見下ろすマヤの、どこか悲しげな瞳だった。ちくしょう……なんで、そんな顔すんだよ……お前が、俺を……。
次にキルアが目を覚ましたとき、ホテルの部屋のベッドの上だった。ゴンがソファでうたた寝をしている。マヤの姿は部屋の中には見当たらない。
腹部の鈍い痛みと共に意識が浮上する。見慣れたホテルの天井。なんで俺はベッドに……?体を起こすと、ソファでゴンがうたた寝しているのが見えた。だが、一番探しているはずの姿がない。
「……マヤは?」
掠れた声で呟くが、返事はない。状況を思い出し、全身の血が沸騰するような怒りが込み上げてきた。あの女……俺を眠らせて、逃げやがったのか。
「ん……キルア? マヤなら、」
「……っ、ふざけんじゃねぇぞ!!」
ベッドを殴りつけ、ガンッと鈍い音が部屋に響く。その音でゴンが目を覚ましたが、そんなことはどうでもいい。俺から離れられるとでも思ってんのか?絶対に逃がさねぇ。地の果てまで追いかけて、その手足をもいででも俺の側に縛り付けてやる。怒りのままにベッドを殴りつけた拳が、ジンジンと痛む。だが、そんな痛みなど、胸を焼く激情に比べれば些細なことだ。
「……どこに行った。俺から逃げられるとでも思ってんのかよ、マヤ……!」
ソファで身動ぎしたゴンには目もくれず、俺は部屋に残されたマヤの痕跡を探す。微かな匂い、空気の流れ。全身の感覚を研ぎ澄ませ、あの女が消えた方角を探る。ギリ、と奥歯を噛み締める。舐められたもんだ。だが、すぐに後悔させてやる。お前がどんなに逃げようと、俺はお前を見つけ出す。そして今度こそ、二度と俺の側から離れられないようにしてやる。
「ゴン、俺は先に行く」
「ん? 行くって、どこに?」
眠そうなゴンにそれだけ言い捨て、俺は窓を開け放つ。夜の冷たい空気が、燃え盛る怒りをさらに煽った。待ってろよ、マヤ。お前の安息の地なんて、俺が全部ぶっ壊してやる。窓枠に足をかけ、冷たい夜風が頬を撫でる。だが、俺の頭は怒りで煮えくり返っていた。あいつはどこへ向かった?幻影旅団と合流するつもりか?それとも……流星街か?
「……どっちでも関係ねぇ」
呟きは、夜の闇に吸い込まれていく。どこへ逃げようと、俺から逃げ切れるはずがない。あいつの匂い、気配、痕跡……すべて俺の五感が捉えている。
「必ず見つけ出して、お前が間違ってたって分からせてやる……」
俺の腕の中でしか生きられないように、心をへし折ってでも繋ぎ止めてやる。決意を新たに、俺はホテルの壁を蹴り、夜の街へと飛び出した。執拗な鬼ごっこの始まりだ、マヤ。
マヤはキルアを置いたホテルのすぐ近くのコンビニに行っていた。その手提げ袋には三人分の飲み物と食料が入っている。ホテルに戻ろうとしている所だった。
ホテルの壁を蹴り、夜の闇に身を躍らせる。怒りで研ぎ澄まされた感覚が、すぐに馴染みのある気配を捉えた。……近い。こんな近くにいやがったのか。俺はビルの屋上を音もなく駆け、ターゲットの姿を視界に捉える。コンビニの袋を提げ、のんきにホテルへ向かう後ろ姿。俺を叩きのめしておいて、呑気に買い物だと?
「……見つけた」
冷たい声が、自分の口から漏れた。怒りが憎悪に変わり、全身を駆け巡る。あの女は、俺の気持ちを、覚悟を、何もかも踏みにじった。俺は街灯の影に紛れ、ゆっくりとマヤとの距離を詰める。もう言葉はいらねぇ。力ずくで分からせてやる。俺から逃げるという選択が、どれほど愚かなことだったのかを。
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