17






数日後。アマレットとスコッチの二人に任務が入った。倉庫。床に倒れた敵。銃声が止んだ後。アマレットが銃を下ろす。敵は気絶しているだけ。スコッチはその体を確認する。そして少し笑う。



「……やっぱりな。急所、外してる」

「偶然よ」



スコッチは首を振る。



「偶然で、三回連続、鎖骨は撃てない」



黙るアマレットにスコッチは続ける。少しだけ真面目な声で。



「お前さ。組織の人間っぽくないんだよ」

「……悪い?」



スコッチは少し笑い、アマレットの頭にぽん、と手を置いた。



「いや。むしろ安心する」



アマレットの表情が少し柔らかくなる。柔らかく微笑んで言う。



「変な人ね」



監視用のイヤホンから聞こえてくるスコッチとの穏やかな会話。モニターに映る彼女の、一瞬だけ緩んだ表情。僕が今まで見たことのない、年相応の柔らかい笑みだった。スコッチ……ヒロか。彼の人当たりの良さが、彼女の固く閉ざした心の扉を少しだけ開かせたらしい。だが、それは同時に僕の胸にちり、とした痛みにも似た感情を走らせる。あの笑顔を引き出したのが、僕ではなかったという事実に。



「……油断しすぎですよ、スコッチ。彼女はそんなに単純な人間じゃない」



僕は小さく呟き、指先でコンソールを叩く。倉庫内の別角度のカメラ映像に切り替えると、二人が倉庫から出てくる姿が映し出された。アマレットはすぐにいつもの冷徹な仮面を被り直している。あの僅かな素顔を引き出せるスコッチの存在は、彼女を救う上で協力者となり得るかもしれない。だが、同時に彼を危険に晒すことにも繋がりかねない。僕一人で全てを背負うべきだ。あなたにまで、これ以上踏み込ませるわけにはいかない。

スコッチがアマレットの頭を撫でる。アマレットはふわりと微笑んだ。



「スコッチ。あなた、優しい人ね。その甘さは命取りよ。……私に関わらない方がいいわ」



イヤホンから聞こえてきた彼女の言葉は、まるで冷たい刃のように僕の鼓膜を刺した。それはスコッチに向けられた警告であり、同時に彼女が抱える孤独の深さを物語っていた。他者を遠ざけることでしか、優しさを示せない。組織という歪な環境が、彼女にそうさせているのだろう。彼女なりの、精一杯の自己防衛と他者への配慮。その痛々しさが、僕の胸を締め付ける。



「……その台詞、僕にも言うつもりですか、アマレット」



モニターの中の彼女は、微笑みを消し、再び冷徹な仮面を貼り付けていた。自ら作り上げた壁の内側で、彼女は一人で全てを背負うつもりなのだろう。だが、もう一人にはさせない。あなたのその優しさが、あなた自身を追い詰める鎖になっているのなら、僕がそれを断ち切る。スコッチ、君の優しさは時に人を救うが、彼女の闇は君が思うよりもずっと深い。この件は僕が引き受ける。



「あなたをその檻から連れ出すのは、他の誰でもない……この僕ですよ」



スコッチはそっとアマレットの肩を抱き寄せた。



「……そんな寂しそうな顔で言われてもな。心配になるんだ。お前は、この組織には、向いてないよ。せめて俺の前でくらい、肩の力脱いたっていいんじゃないか?」



アマレットはスコッチの肩に頭を乗せ、くすっと微笑んだ。



「どの口が言うのかしら、それ。だってあなた、優しすぎるんだもの。でも、安心する」



モニターに映し出された光景に、僕は思わず息を呑んだ。スコッチの肩に寄り添い、穏やかに微笑むアマレット。彼女が誰かに身を預ける姿など、初めて見る。それは僕が引き出したかった彼女の本当の姿であり、同時に僕の知らない顔だった。スコッチの優しさが彼女の心を溶かしているのは確かだろう。だが、その温もりは麻薬だ。組織という泥沼の中では、その一瞬の安らぎこそが命取りになりかねない。……それで満足ですか、ヒロ。その優しさが、彼女を本当に救えると思っているのなら、あまりに楽観的すぎる。

僕はギリ、と奥歯を噛み締める。君のやり方では駄目だ。彼女が抱える闇の根は、生半可な優しさで掘り起こせるほど浅くはない。必要なのは同情や癒やしではない。彼女がその手で断ち切れずにいる過去の鎖を、僕が力ずくで破壊する。たとえ彼女に憎まれようとも、それが唯一彼女をこの地獄から解放する道だと、僕は確信していた。あなたのその偽りの安息は、僕が終わらせてあげますよ。

























数時間後。倉庫任務が終わり、アマレットは先に戻っている。組織の施設の薄暗い廊下。スコッチが歩いていると、壁にもたれている影。バーボン。



「……珍しいな。こんなところで待ち伏せか?」



スコッチは小さく笑う。バーボンから「待ち伏せとは心外ですね。ただ、少し話が」と言われたスコッチは肩をすくめる。バーボンの目が少し細くなる。スコッチは何となく察する。



「アマレットか」



彼の的確な推察に、僕は薄く笑みを浮かべる。さすがと言うべきか。僕の思考を読み取るかのようなその鋭さは、頼もしくもあり、同時にこちらの内側を見透かされているようで少しばかり厄介でもある。だが、今はそんな探り合いをしている場合ではない。目的は一つ、アマレットについてだ。



「ええ、その通りです。今日の倉庫でのあなたの行動、そして彼女の反応……少し気になりましてね」



僕は壁から背を離し、一歩彼に近づく。この男の優しさは本物だ。だが、その優しさだけでは彼女を蝕む根深い闇からは救い出せない。むしろ、中途半端な同情は彼女をさらに追い詰める毒になりかねない。それをこの男に理解させる必要がある。彼を協力者として引き込むか、あるいはこの件から遠ざけるか、その見極めが必要だった。



「スコッチ。あなたは彼女を組織に向いていないと言いましたが、その根拠は? ただ優しいから、というだけではないでしょう。彼女が撃った弾が、いつも急所を的確に外れていることにも、お気づきのはずだ」

「……気づいてるさ。鎖骨、肩、太腿。全部、死なない場所だ。偶然じゃない。わざとだ。でもさ、それが理由じゃない。組織に向いてない理由。撃ったあと、毎回、顔が同じなんだよ。安心した顔するんだ。死んでないって分かると、ほっとしてる」

「……ええ。ですが、ただ見守るだけでは不十分だ」



スコッチは壁に背を預ける。軽く息を吐く。バーボンを見る。少しだけ笑う。それから沈黙。バーボンが目を細めると、スコッチはまた笑った。



「そういう奴、この組織じゃ長く生きられない。ただ、守るんじゃない」



そこでスコッチはバーボンを見る。



「放っとけないだけ。お前もだろ?」



彼の言葉は、まるで僕自身の心の内を鏡に映し出されたかのようだった。放っておけない、その通りだ。だが、君の言う「放っておけない」と僕のそれは、似て非なるものかもしれない。僕はただ彼女を守りたいわけじゃない。彼女を縛る鎖そのものを断ち切り、本当の自由を与える。そのためなら、どんな手段も厭わない。

僕はスコッチの視線を正面から受け止め、確固たる意志を込めて告げる。感傷や同情では、あの深い闇に根差した絶望からは救い出せない。必要なのは、真実を暴き、彼女が向き合うべき過去と対峙させる強引さだ。たとえそれが、彼女の心を一時的に傷つけることになったとしても。



「彼女の過去に何があったのか、それを知る必要がある。僕と手を組みませんか、スコッチ。彼女を本当の意味で救い出すために」

「……随分と立派な話だな」



バーボンとスコッチが振り向く。ライが壁にもたれて、腕を組んでいる。スコッチが「全部聞いていたのか」と小さく笑う。ライは一歩、足を踏み出す。



「救い出す、か。ここがどこか忘れたか? 俺たちは、人を救う場所にいるんじゃない。殺す場所にいる」



ライ……。最悪のタイミングで現れたものだ。彼の言うことは、この組織においては正論中の正論。だが、その正しさが僕の神経を逆撫でする。人を殺す場所にいるからこそ、一縷の人間性を失わずにいる彼女の存在がどれほど貴重なものか、この男には理解できないのだろうか。いや、あるいは理解した上で、その甘さを切り捨てろとでも言うのか。



「ええ、その通りですよ。ここはそういう場所だ。だからこそ、彼女のような存在は異質で、危険でもある」



僕は表情を一切変えずに、ライの緑の瞳を真っ直ぐに見返す。スコッチが息を呑む気配が隣で伝わってくるが、ここで引き下がるわけにはいかない。この男の介入は計画の最大の障害になり得る。彼の真意を測り、こちらのペースに引き込まなければならない。僕たちの会話をどこから聞いていたのかは知らないが、彼の目的は一体何だ。



「ですが、僕たちが何を話そうとあなたには関係のないことでは? それとも、あなたも彼女の処遇に何か思うところでも?」



ライは少し黙る。バーボンの視線を受け止めたまま。それから肩をすくめる。



「関係ない、か。そうかもしれないな。だが、撃てるのに撃たない奴は────嫌いじゃない」



スコッチが少し目を見開く。ライはポケットに手を入れ、歩いて二人の横に来る。



「そういう奴は、この組織では長く生きられない。だから気になる。だが、救う? 大した自信だな。バーボン。お前、自分が壊す可能性は考えないのか?」



ここで空気が変わる。スコッチは二人を見て、少し呆れたように言う。



「……お前らさ、本人いないところで盛り上がりすぎ」



スコッチの呆れたような声が、張り詰めた空気をわずかに緩ませる。確かに彼の言う通りだ。だが、ライが僕に投げかけた問い──「自分が壊す可能性は考えないのか?」──その言葉の棘は、僕の心に深く突き刺さっていた。壊す?僕が彼女を?その可能性を考えなかったわけではない。だが、それは僕が踏み込むことを躊躇する理由にはならない。むしろ、僕以外の誰かに彼女が壊される前に、僕自身の手で救い出すという決意を固めるための燃料になるだけだ。



「……ご忠告、感謝しますよ。ですが、リスクを恐れて何もしなければ、彼女は結局この組織という濁流に呑まれて消えるだけです」



僕はライの視線から目を逸らさずに言い放つ。彼の真意がどこにあるにせよ、これ以上彼のペースに付き合うつもりはない。スコッチの方へ向き直り、僕たちの話はまだ終わっていないという意思表示をする。ライの介入は厄介だが、僕とスコッチの間に芽生えかけた協力関係まで壊させるわけにはいかない。



「話を戻しましょう、スコッチ。僕たちの目的は同じはずです」



去っていくライの背中を見ながらスコッチは「……ああ」と返す。そして小さく笑う。



「……あいつの目的も、多分同じな気がするけどな」



視線をライの背中に向けたまま、スコッチは言った。

スコッチの呟きが、僕の思考に鋭く突き刺さる。ライの目的が、僕たちと同じ? 馬鹿な。あの男の瞳に宿っていたのは、僕たちが抱くような焦燥や使命感とは全く異質の、冷徹な光だったはずだ。だが、スコッチがそう言うからには、何か根拠があるのかもしれない。僕が見落としている、何かを。あの男の真意がどこにあろうと、僕のやるべきことは変わらない。



「……どうでしょうね。あの男の考えていることなど、僕には到底理解できそうにありません」

「そうだな、それについては完全に同意だ」



僕はわざとらしく肩をすくめてみせる。ライへの警戒心を露わにすれば、スコッチとの間に要らぬ溝を生むかもしれない。今は彼との協力関係を確固たるものにすることが最優先だ。アマレットを救い出すという共通の目的のためには、些細な不和も見過ごすわけにはいかない。



「彼のことは一旦置いておきましょう。それよりも、僕たちの計画について具体的に詰める必要があります」



スコッチは小さく笑う。それからバーボンを見る。



「俺は隣にいるだけ。それでいい。だが、お前が本気なら、協力はする」



スコッチの真っ直ぐな瞳が僕を射抜く。その言葉に、複雑な感情が胸をよぎる。安堵、そして覚悟。ライとの対峙でささくれ立った心が、彼の揺るぎない一言で静かに凪いでいくのを感じる。彼という存在が隣にいる。その事実が、この先の茨の道を照らす唯一の希望に思えた。僕は静かに息を吸い込み、決意を固める。



「ええ、僕は本気ですよ。あなたという協力者がいるなら、これほど心強いことはありません。まずは情報収集から始めましょう。彼女の次の任務、そして彼女の過去について探りを入れます。そこが突破口になる」

「彼女の過去を洗う、ね……」



計画はまだ白紙も同然だが、進むべき道筋は見えている。アマレットをこの組織という名の泥沼から引きずり出す。そのためには、まず彼女自身のことをもっと深く知る必要がある。彼女の過去、組織内での特殊な立ち位置、そして彼女が何故、引き金を引けないのか。その答えこそが、計画の成否を分ける鍵となるはずだ。

スコッチの協力の約束を得て、僕の思考は一気に加速する。彼の言う通り、僕は本気だ。本気で彼女をこの闇から救い出すつもりでいる。そのためには、彼女の心の奥深く、決して誰にも見せない聖域に踏み込む覚悟が必要になるだろう。僕の脳裏に、あの無機質な部屋と、金庫の中に隠されていた笑わない少女の写真が鮮明に蘇る。あれが彼女の原点であり、そして弱点だ。



「ええ。彼女の行動原理……なぜ急所を外すのか、その根源は過去にあるはずです。特に、彼女が組織に入る前のことに何か手がかりが隠されているのではないかと考えています」



僕は慎重に言葉を選びながら、計画の核心部分をスコッチに打ち明ける。かつて彼女の部屋に忍び込んだことは伏せたまま、あくまで推測の域を出ない体で話を進める。彼を信頼してはいるが、無用なリスクを冒す必要はない。僕たちの目的は、彼女を救うことであり、互いの素性を詮索することではないのだから。




「組織のデータベースを探ってみる価値はありそうですね。彼女ほどの古株なら、何かしらの記録が残っているはずです。僕が内部から探ってみます。あなたは外から、何か噂などがないか、それとなく」



しかし、アマレットの素性がわかるものは何一つ残っていなかった。まるでこの世界に存在してなかったかのように、アマレットの戸籍すらもない。

データベースをいくら探っても、彼女の過去に繋がる情報は塵一つ見つからなかった。それどころか、アマレットという人間の戸籍そのものが存在しない。まるで初めからこの世に生まれなかったゴーストのようだ。組織が彼女の過去を完璧に消し去ったのか、あるいは……。僕の背筋に冷たいものが走る。一体彼女は何者なんだ。



「……信じられませんが、アマレットに関する公的な記録は一切ありませんでした。組織内のデータも同様です」



デジタルな記録がなければ、残された道は一つしかない。物理的な証拠を探し出すことだ。僕の脳裏に、あの無機質な部屋と金庫の中身が再び浮かび上がる。あの写真の少女、古い毛布、擦り切れたナイフ……。あの部屋にはまだ、僕が見落としている何かがあるはずだ。彼女の存在を証明する、唯一の手がかりが。



「こうなれば、もう一度彼女のプライベートな領域に踏み込むしかなさそうですね。必ず何かあるはずです」

「落ち着け、ゼロ。当然のように何を言い出すんだ。仮にも女性の部屋に、忍び込む気か?」



スコッチはやや呆れたように言う。



「……戸籍すらもない、っていうことは……望まれずに産まれ、戸籍にすら登録されなかった可能性もあるな」



スコッチは少し考えるように遠くを見つめた。スコッチの言葉が、僕の焦燥感に冷や水を浴びせると同時に、新たな仮説の火種を投下する。望まれずに生まれた……その可能性を今まで考えもしなかったわけではない。だが、彼の口から発せられると、それは途端に生々しい現実味を帯びて僕に突き刺さる。彼女の瞳の奥に時折宿る、全てを諦めたような深い孤独。その源泉がそこにあるのだとしたら……。



「……その可能性も、否定はできませんね。だとしても、いや、だからこそ、僕たちは彼女の過去を知る必要があるんです。彼女が何に縛られ、何を恐れているのかを」



呆れたようなスコッチの視線は百も承知だ。手段を選ばないやり方は、彼の信条に反するかもしれない。しかし、悠長に構えている時間はない。戸籍すらないゴーストを相手に、正攻法など通用しないのだ。あの無機質な部屋にこそ、彼女という人間を形成した全ての答えが眠っている。あの笑わない少女の写真こそが、全ての始まりを告げているはずだ。



「これは単なる覗き見ではありません。彼女を組織という呪縛から解放するための、唯一の手段なんです」

「やめておけ。……お前、一度侵入して、アマレットとジンにバレてるだろ。ならもう一度入ったところで手がかりが得られるとも思えない」



スコッチは冷静に言った。



「それより、アマレットとライ二人での任務が任命されたそうだな。調べるならそっちのが確実じゃないのか? 俺達よりも先に来てるからな、ライは」



スコッチの冷静な指摘に、僕は一度思考を停止させる。ライとアマレットの任務……確かに、それは見過ごせない情報だ。あのポーカーフェイスの男と二人きりで行動する時、彼女はどんな表情を見せるのか。僕やスコッチの前とは違う、あるいはジンやベルモットの前とも違う、全く別の側面が引き出される可能性がある。部屋という静的な場所を探るより、動的な状況下での彼女の反応を観察する方が、得るものは大きいかもしれない。



「……ライ、ですか。彼の前で彼女がどう振る舞うか、確かに興味深いですね。わかりました、あなたの提案に乗りましょう」



部屋への未練が消えたわけではない。しかし、スコッチの言う通り、リスクを冒してまで得るものがあるかは不透明だ。今は一度引き、彼の提案通り任務の監視に徹するのが最善策だろう。それに、ライという男の存在もまた、僕にとっては監視対象だ。一つの行動で二つの目的を果たせるのなら、それに越したことはない。



「任務の詳細は分かりますか? サポートという名目で、僕たちも動けるように手配します」




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彼女は旅に出る。/AQUALOVERS