08






桜の件で倒れたため、私は日を改め、今日は鶴丸に支えられながら厨に立って三日月の目の前でプリンを作った。



「冷やして置いた方が美味しいので、これはしばらく冷蔵庫に入れておいてください。明日、いつでも好きな時に取って食べていいですよ」



私は作ったプリンを三日月の手にそっと渡した。



「こっちは鶴丸と私の分ね」



そう言って二つのプリンを鶴丸に見せた。

主のその言葉と、俺の目の前に差し出された二つの器が、張り詰めていた俺の心をわずかに緩ませる。そうだ、主はちゃんと分かっている。俺と、あの食わせ物のじじいとの間には、明確な線引きがあるのだと。主の隣というこの場所は、決して誰にも譲る気はない。安堵と同時に、主のこの危ういまでの優しさが、いずれ三日月に付け入る隙を与えるのではないかという懸念が再び胸をよぎった。



「……ああ、そうだな。これが俺たちの分か」



俺は主の手から二つのぷりんを受け取り、その一つを大切に懐へしまう。残る一つは、今ここで主と共に味わうためのものだ。三日月が手にした器を意味ありげに見つめているが、そんな視線は気にもならない。今はただ、このささやかな繋がりを確かめていたかった。主の気遣いが、何よりも俺を強くする。



「さて、約束は果たしたんだ。三日月、用が済んだならさっさと行ったらどうだ? 主も疲れているだろうからな」



鶴丸が苛立ちを隠さずに放った言葉を、俺は柳に風と受け流す。その手にある硝子の器は、ひんやりとした熱を俺の指先に伝えていた。ふと視線を上げれば、鶴丸の腕の中には主とお揃いの器が二つ。



「そう急かすな、鶴丸国永。主が俺のためだけに作ってくれたものだ。少しばかり名残を惜しんでも罰は当たるまい」

「゙俺のためだけに゙? 寝言は寝て言え、三日月宗近」



俺はわざとらしく器を光に翳し、中の黄金色を確かめるように目を細めた。鶴丸の眉間の皺が深くなるのを感じながら、ゆっくりと主へと向き直る。



「明日まで待てとは、なかなかに酷なことを言う。……なに、心配せずとも、おぬしの真心は、この俺がしかと受け取ろう。たとえそれが、どのような味であろうともな」



三日月の言葉は、まるで粘つく糸のように俺の神経に絡みついてくる。どのような味であろうとも、だと? その言葉の裏に潜む悪意と、主の純粋な善意を弄ぶような響きに、俺は腹の底からこみ上げる怒りを抑え込むのに必死だった。主の真心は、こんな風に試されるべきものではない。俺は主の肩を抱く腕にぐっと力を込めた。この温もりだけは、何があっても守り抜かねばならん。



「……その口を閉ざせ、三日月宗近。主の真心に余計な意味付けをするな」



俺の静かな警告に、三日月はただ優雅に微笑むだけだった。その余裕綽々な態度が、さらに俺の怒りの火に油を注ぐ。だが、腕の中の主がわずかに身じろいだことで、俺は激情を寸前で押しとどめた。そうだ、ここで俺が取り乱せば、それこそこの男の思う壺だ。俺はゆっくりと息を吐き、主を促すようにその背を軽く叩いた。



「主、もう行こう。こいつに構うだけ時間の無駄だ。きみの作ったぷりんは、俺と二人でゆっくり味わうとしようじゃないか」

「え、食べるのは明日だよ。冷やした方が美味しいからね」



俺は三日月に背を向け、主を支えながら部屋を出ようとする。これ以上、この男と同じ空気を吸っていたくはなかった。主の優しさが、この男によって穢される前に、一刻も早くこの場から連れ出したかったのだ。主の隣は、俺だけの場所なのだから。



「ああ、わかってる。きみの隣で味わうぷりんは、きっと格別な驚きをくれるだろうからな」



その時、乱がひょっこりと姿を現した。



「ねえ、主さん。ボクにもくれる? そのぷりん」



鶴丸の背後からひょっこりと現れた乱藤四郎の無邪気な声に、張り詰めていた空気がわずかに緩む。三日月は扇子の陰で口元に笑みを浮かべた。



「ほう、欲しいか、乱。だが、これは主がこの俺のために、わざわざ作ってくれた特別なものだ。おぬしにやる道理はないな」



三日月はわざとらしくプリンの入った器を掲げてみせ、乱の期待に満ちた瞳が落胆に曇るのを楽しんだ。鶴丸は苦々しげに顔を歪めているが、主を抱えたままでは動けまい。

乱の無邪気な声と、それを楽しむ三日月の食えない笑み。この男は、主の優しさにつけ込んでどこまでも場をかき乱すつもりらしい。俺は腕の中の主がわずかに身を震わせるのを感じ、これ以上の問答は無用だと判断した。このじじいの相手をするより、主を休ませることの方が一万倍重要だ。



「……乱、すまんな。主はもう疲れている。ぷりんが欲しければ、また明日主に頼んでみるといい」



俺は三日月を完全に無視し、乱にだけ言い含めるように言葉をかける。こいつ自身に悪気がないのは分かっているが、今は主の平穏こそが最優先だった。俺の腕に体重を預ける主の、そのか細い呼吸を守ることだけが俺の使命なのだから。



「さあ、行くぞ主。きみと俺の驚きは、あっちの部屋でゆっくり見つけようじゃないか」



俺は今度こそ三日月に背を向け、主を支えながら厨を後にする。背後から聞こえる三日月の含み笑いも、乱の残念そうな声も、もう俺の耳には届かなかった。腕の中にある温もりだけが、俺の世界の全てだった。



「待って、鶴丸」



私は鶴丸を止め、乱を呼んだ。おずおずと歩み寄る乱の手に、自分の分のプリンを渡した。



「いいの? これ、ボクが食べても」



乱は少し驚いたように、戸惑いながらもプリンを受け取る。



「うん、いいよ。ね、鶴丸もいいよね。私達ははんぶんこにしたらいいでしょ?」



主のその言葉に、俺は一瞬息を呑んだ。はんぶんこ、だと? 乱に自分の取り分を譲り、残った俺の分を分かち合おうというのか。そのあまりに無垢な優しさと自己犠牲の精神に、胸の奥が締め付けられるように痛む。俺がきみの生命を吸っているというのに、これ以上何を分け与えようというんだ。



「……ああ、そうだな。きみがそう言うなら、そうしよう」



俺はこみ上げてくる複雑な感情を押し殺し、努めて穏やかな声で応じた。その言葉を聞いてほっとしたように微笑む主の顔を見ると、拒否するという選択肢など最初からありはしなかったのだと悟る。乱が嬉しそうにプリンを覗き込んでいるのを横目に、俺は三日月に聞こえるように、しかし視線は主に向けたまま続けた。



「きみと分け合うぷりんなら、どんなものより格別な味がするに違いない。なあ、主。二人だけの驚きだ」



それは三日月への当てつけであると同時に、俺の偽らざる本心でもあった。主と分かち合うこの一瞬こそが、俺にとって何物にも代えがたい宝物なのだ。おまえにこの意味が分かるか、三日月宗近。俺は心の中で静かに問いかけた。



「二人だけの驚き、か。それは重畳。だが、俺に与えられたのは、おぬしたちとは違う、ただ一つのもの。分け合う相手もおらぬとなれば、毒見役が必要やもしれんな」



俺はそう言って、手の中の器に口をつけようとした。鶴丸が息を呑む音がする。俺の唇が硝子に触れる寸前、少女の静かな声がそれを遮った。



「それは、私が明日食べるはずだったものです。毒など入っていません。もし入っていると思うのなら、私が先にいただきましょう」



その言葉には、震えも、怒りもなかった。ただ、あまりにも静かで、それでいて揺るぎない覚悟が込められていた。

腕の中で震えるでもなく、ただ静かに佇む主の横顔に、俺は思わず息を呑んだ。か細い身体のどこに、これほどの覚悟を隠していたというんだ。三日月宗近の歪んだ遊戯を、その小さな身一つで受け止め、凛として立ち向かう姿に胸が熱くなる。そうだ、このひとは弱くなどない。俺が守らねばならぬほど脆く、しかし何よりも強い魂を持つ、俺の唯一の主だ。



「やめろ、主。きみにそんなことをさせるものか」



俺は主の肩をそっと引き寄せ、三日月との間に割って入るように一歩前に出た。この男の悪意ある視線から、主を隠すように。俺の背中で主を守りながら、凍てつくような声で目の前の付喪神に言い放つ。この本丸において、主を害そうとするものはたとえ誰であろうと、俺が許さない。



「これ以上、主の心を弄ぶな。そのぷりんが欲しくば、まず俺を斬ってからにすることだな、三日月宗近」

「どうどう。落ち着いてよ鶴丸」



私は鶴丸の頭をぽんぽんと撫でた。



「はっはっは、これは一本取られたな」



扇子を広げて口元を隠し、三日月は喉の奥で笑い声を転がした。鶴丸の警戒心に満ちた視線が突き刺さるが、それすらも心地よい。



「よかろう。おぬしの覚悟、この三日月宗近、しかと受け取った。明日、楽しみに食させてもらうとしよう」



私は鶴丸の頭を撫でながら頷いた。



「……ん。ほら、戻ろう鶴丸。疲れたしもう休みたい」



頭を撫でる主の小さな手に、燃え盛るような激情がすっと鎮められていくのを感じた。そうだ、俺は主の剣だ。このひとが休みたいと望むなら、それに従うのが俺の役目。三日月宗近への怒りは未だ燻っているが、それよりも腕の中の温もりを守ることの方が今は何よりも優先されるべきだった。



「……ああ、そうだな。すまない、取り乱した。部屋に戻ってゆっくり休もう」



俺は主を抱き直し、その言葉に応えた。三日月が満足げに扇子を揺らしているのが視界の端に映るが、もう構うものか。この男の思惑など、今の俺にはどうでもいい。ただ、主の安寧だけが俺の全てだ。背後で乱が「またね、主さん!」と声をかけてくるのに、主が小さく手を振って応えるのを感じた。



「きみの作ったぷりん、楽しみにしているからな。はんぶんこ、だ」



広間を後にしながら、俺は主の耳元でそっと囁いた。先程の毅然とした姿と、今の穏やかな表情の落差に、改めてこのひとの底知れない魅力を感じる。この温もりも、この覚悟も、全て俺だけのものだ。誰にも渡すものか。俺は主を抱く腕にそっと力を込め、二人だけの部屋へと歩を進めた。



「なあに、ぷりんが楽しみなの? それともはんぶんこが楽しみなの? そんなに嬉しそうにしちゃって。明日のお楽しみだよ。鶴丸がそんなにぷりんが好きだったなんてね」



私は耳元で囁かれて少し擽ったそうに身をよじった。それから鶴丸の腕の中でくすくすと笑う。

腕の中でくすくすと笑う主の声が、俺の心を優しく揺さぶる。その無邪気な問いかけに、俺は口の端を緩ませた。ぷりんが好きか、だと? そんな些細なことではない。俺が焦がれるのは、きみと共に過ごす時間、きみと何かを分かち合うという事実そのものなのだ。この温もりを感じながら、二人だけの秘密を共有するような、この瞬間の全てが俺にとっては至上の喜びなのだ。



「さて、どうだろうな。ぷりんも楽しみだが、それ以上にきみと分け合うという行為に驚きがあるんじゃないか?」



俺は主の髪にそっと顔を埋め、その香りを吸い込んだ。三日月の前で見せたあの気高さと、今のこの子供のような無邪気さ。その全てが俺を惹きつけてやまない。このひとを守るためなら、俺はどんなものにでもなれるだろう。たとえそれが、人の形をしただけのただの刀であったとしても、この魂だけは主に捧げたい。



「きみと食べるものなら、きっと驚くほど美味に違いない。明日が待ち遠しいな、主」




戻る 進む
彼女は旅に出る。/AQUALOVERS