07






「ねえ、薬研。あんた、あの子のことどう思う?」



加州の問いかけが聞こえてきたが、俺はそちらに視線を向けなかった。ただ、遠巻きに鶴丸さんと話すあんたの姿を見つめる。プリン、とか言ったか。甘くて、優しい味がするんだろうな。そんなものを、あの人は作れるのか。

その隣に立つ兄弟の横顔は、いつも通り何を考えているのか読めない。前の主は、俺たちに食事なんてろくに与えなかった。生きるために必要な最低限のものですら。



「別に、何も。どうせすぐにいなくなるんだろ。人間なんて、みんな同じだ」



自分に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。そうだ、期待なんてするだけ無駄だ。兄さんがいなくなったあの日から、俺はもう何も信じないと決めたんだ。なのに、どうして。あんたが笑うと、胸の奥が少しだけ、温かくなるような気がするんだ。



「あんたこそ、何を期待してるんだ。あのガキに媚びでも売って、愛されたいとでも思ってんのか?」



加州に告げた薬研の言葉が、冷たい刃のように胸に突き刺さる。そうだ、俺たちは道具だ。それ以上でもそれ以下でもない。分かっているはずなのに、加州さんと薬研のやり取りから目が離せなかった。



「……道具、か」



無意識に漏れた声は、自分でも驚くほどか細かった。あんたが作ったというプリンの、甘い香りが風に乗って鼻を掠める。兄さんも、甘いものが好きだったな。そんな、思い出すはずのない記憶がふと蘇る。

ぎゅっと唇を噛みしめる。違う、振り返るな。期待するな。でも、もし。もしもあんたが、俺たちをただの道具じゃなく、ちゃんと見てくれるなら。そんなあり得ないもしもが、頭をよぎって消えてくれないんだ。

鯰尾は結局誰にも話しかけず、そっとその場を立ち去った。



























「珍しいね、突然散歩だなんて」



基本的に部屋にこもってばかりだから庭へ出たのは初めてかもしれない。飄々としながら着いてくる三日月が馬小屋はあっちだの畑はあっちだの案内している。鶴丸は「たまには良いだろう。陽の光を浴びるのも、悪くはない」と言った。

庭を歩く鶴丸と、その腕に抱かれた大将。そして、その後ろを優雅についていく三日月宗近。その光景を、俺は少し離れた渡り廊下の柱の陰から見ていた。



「……浮かれやがって」



舌打ちが漏れる。陽の光の下、穏やかに見えるその光景が、やけに目に障った。あいつは、足が悪いからと常にあの鶴丸に抱かれている。

ちっ、と小さく舌打ちが聞こえた。振り向けば、薬研が俺と同じように庭の光景を苦々しげに眺めている。その隣には、何か言いたげな顔をした加州さんもいた。



「……楽しそうだな、あいつら。俺たちのことなんて、どうでもいいってか」



呟いた声には、自分でも気づかないうちに棘が混じる。鶴丸の腕の中、三日月に囲まれて。あんたは、本当に俺たちのことなんて見えてないんだろうな。握りしめた拳が、かすかに震える。前の主と同じだ。結局、お気に入りの刀だけを側に置いて、俺たちみたいなのは見向きもしない。そうだろ? 期待した俺が、馬鹿だったんだ。



「桜の木だ。もう随分と、花を咲かせていないがな」



三日月がそう言って、私はぺたりと幹に手をあてる。すぐ傍で鶴丸が息を飲んだ。私が触れた先からぶわりと蕾がついて、花が咲きほころぶ。



「……主っ!」



主の体が、糸が切れた人形のように鶴丸の腕の中へと崩れ落ちる。柱の陰から見ていた薬研は驚きに目を見開く。枯れ木同然だった桜が、あの大将が触れた途端に満開になるなど、一体どういう理屈だ。



「な……んだ、ありゃあ……」



遠くから他の刀剣たちの驚愕した気配が伝わってくる。



「……おい、どういうことだ、鶴丸の旦那!」



薬研の叫び声が、満開の桜の下に響き渡る。俺も、何が起きたのか分からなかった。ただ、あんたが桜に触れた瞬間、枯れ木だったはずの木が光に包まれ、次の瞬間には見事な花を咲かせていた。そして、あんたはぐったりと意識を失った。



「……嘘だろ」



目の前の光景が信じられない。あれは、ただの人間じゃなかったのか? あの小さな体に、一体どれだけの力が秘められているんだ。鶴丸さんが焦ったようにあんたを抱きかかえるのを、俺は呆然と見つめることしかできなかった。



「主さん……?」



か細い声が、震える唇から漏れる。人間を嫌っていたはずなのに。信じないと決めていたはずなのに。あんたが倒れた姿を見て、胸の奥がずきりと痛んだ。まるで、失くした記憶のどこかが、無理やりこじ開けられるような感覚だった。



「ははは……なるほど、これは驚いた。我が主の力は、枯れ木に花を咲かせることすら造作もないらしい」



鶴丸はすでに知っていた様子で、四方へと響かせるように言い放つ。動揺を見せるまいとしながら主を抱きかかえ、主の部屋へと立ち去っていった。その後を三日月が追いかけるようについていく。



「……ふざけやがって」



薬研は苛立ちのままに吐き捨てる。奴らが去った後には、満開の桜と、呆然と立ち尽くす刀剣たちが残された。誰もが今の異常事態を飲み込めていない。俺もだ。鶴丸国永の言葉が、やけに冷静に響く。まるで、こうなることを知っていたかのような口ぶりだ。あんたを抱えた鶴丸さんと、慌てて後を追う三日月さんの背中が、あっという間に見えなくなる。



「……どういうことだよ、一体……」



呆然と呟く。目の前には、現実とは思えないほど見事に咲き誇る桜。そして、あんたが倒れたという事実だけが残された。あの力はなんだ? 人間が、あんなことができるのか?

ざわつく胸を抑えられない。わけがわからない。ただ、あんたが意識を失った時の、あの儚い姿が脳裏に焼き付いて離れないんだ。失くしたはずの記憶の欠片が、ちかちかと不気味に瞬くような感覚に襲われる。



「……兄さん……」



何故か、不意に兄の顔が浮かんだ。



「おい、てめえら! いつまで突っ立ってやがる!」



薬研は近くにいた奴らの肩を乱暴に掴んだ。そうだ、動揺している暇はねえ。まずは状況を把握しねえと。



「鯰尾の兄さんは厨の連中に、加州の旦那は古株に話を聞いてこい。何か知ってるかもしれねえ」



薬研は素早く指示を飛ばす。人間への不信感は消えねえが、主が倒れたとなれば話は別だ。この本丸の機能不全は避けなければならん。



「俺は鶴丸の旦那のところへ行く。……あの野郎、何か知ってやがるはずだ」



吐き捨てるように言い、薬研は主の部屋へと足を向けた。あの余裕ぶった態度が気に食わねえ。枯れ木に花を咲かせる力、そして意識を失った大将。

薬研の的確な指示が、呆然としていた俺の意識を引き戻した。そうだ、突っ立ってる場合じゃない。あんたが倒れたんだ。



「……わかった」



短く返事をして、俺は厨へと駆け出した。わけのわからない現象に頭は混乱している。でも、それ以上に、あんたの身に何が起きたのかが気になって仕方がなかった。胸のざわめきが止まらない。あの光景が、失くした記憶のどこかを刺激する。焼けて、何もかも失ったはずの過去。あんたの力と、俺の失った記憶に、何か関係があるっていうのか?



「……考えすぎだ」



走りながら、無理やり思考を断ち切る。今は薬研に言われたことをやるだけだ。でも、あんたのことが、どうしても頭から離れなかった。



しばらくして、薬研が戻ってきた。



「鶴丸の野郎、白を切ってやがる。三日月の旦那も何も知らねえみたいだ。おそらく鶴丸の旦那しか知らない何かがある」



薬研は吐き捨てるように言って、三日月がその横で「気になるものよなあ、鶴のやつは一体何を隠している?」と好奇心むき出しの顔で言う。

薬研と三日月さんの会話を聞きながら、俺は厨で聞いた話を思い出していた。誰も、あんたの力のことは知らなかった。ただ、前の主が「忌み子」とあんたを蔑んでいたことだけは、何人かが覚えていた。



「忌み子、ね……」



ぽつりと漏れた呟きに、薬研がこちらを向く。忌み子と呼ばれた力。それが、枯れ木に花を咲かせるほどの奇跡。だとしたら、前の主は、あんたの力を恐れていたのか? ぎゅっと拳を握りしめる。あの光景が、どうしても頭から離れない。あんたが倒れた時の、あの儚い姿。そして、失った記憶の断片が疼くような、この胸の痛み。

ありえない仮説。でも、そうとしか思えないんだ。あんたのことを知れば、俺は失くした兄さんのことも、思い出せるのかもしれない。そんな淡い期待が、胸の奥で芽生えていた。




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