
【サンプル】 Mixxx Juice!
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三輪霞
同い年のいとこはいつの間にかママになっていたし、中学の時の友達は今転職活動中だという。皆自分で自分の人生を拓いている姿が眩しくて、羨ましくて、切ない。もちろん嬉しいことは確かなのだけど、自分だけどこか時間が止まっているような、そんな気さえするのは、個性が尊ばれたりマイペースで生きることを許されるようになった社会のデメリットだろう。
焦りというのは恐怖から生まれるものであり、自覚していても動かない、または動けないからこそ募るものだと思う。それでも行動を起こさないのは、現状の自分に満足していることの表れであり、よく言えば自己受容、悪く言えば傲慢そのものだ。そして今日も私は、何もせずにアイスを頬張っている。
チョコレート味のそれは口の中で優しくとろけて、ほろ苦さが残る。隣に座る霞は チョコレート味のそれは口の中で優しくとろけて、ほろ苦さが残る。隣に座る霞はキャラメル味のアイスクリームを口に運んでいる。期間限定の響きに乗せられてこの味を選ぶところが、霞らしくて可愛いな、と思う。…
釘崎野薔薇
可愛くなることは難しいことだと思うし、そもそも可愛くなりたいと思えるまでが大変だと、思う。私だって野薔薇に指摘されるまで無自覚で無頓着だった。
幼稚園の時には七夕の短冊にこう書いた。「アイドルになりたい」 なぜかって?可愛い衣装を着て、お化粧をして。私もアイドルになれたら可愛くなれると思ったから。そんな過去があったこともすっかり忘れて、気付けば社会人として日々忙殺されているのだけど。
毎日の残業、ストレス。上司との付き合いでのランチに、時間がないことを言い訳にして済ませるコンビニ弁当の夕飯。もう飲まないと決めてもつい手が伸びてしまう砂糖たっぷりの栄養ドリンク。最後に湯舟に浸かったのはいつだろう。こうして私を構成する要素は削がれ、朽ちてゆく。生理は止まり、仕事ばかりで、私はいつ女らしさを失ったのだろうと、愕然とする。
「よっ!久しぶりじゃん」
駅から家までの道を歩いていると、懐かしい声がした。
「野薔薇!?」
振り向けば学生時代の友人が、はつらつとした笑顔で私に手を振っている。…
家入硝子
マスカラを塗らなきゃ始まらないし、休日に出かけることにも理由なんていらない。任務はさくっと済ませて、戦歴で文句を言わせない。それが、心葉がこの世界で波風を立てずに穏やかに過ごすための処世術である。
けれどそれは、大人にとって些細な事象――彼女にとっては重大な出来事――によって、脆くも崩れ去っていく。
心葉はマグカップに注がれた紅茶をじっと見つめている。横に座る家入硝子の目の前にはブラックコーヒー。マグに付着したプラムのような色合いのリップが、部屋全体が硝子の所有物であるのではないかと錯覚させる。普段は生徒の真向いに座る硝子が今日は横に座っているのは、威圧感を与えないようにするためだ。
「……」
心葉がいくら黙ろうと、硝子は決して焦らさずに耳を傾ける。穏やかな陽だまりとは似つかわしくない長く重い時間が部屋の中に充満している。何か話さないと、と心葉が喉に何かがつっかえるような感覚を覚えると、…
禪院真希
ああ食べたくない、食べたくない。なのに次から次へと食べ物を口に突っ込んでいるのはどうしてだろう。メロンパン、チーズケーキ、ポテトチップス。最終的にどろどろとした吐瀉物としてトイレに吐き出されるのに、気付けばコンビニで袋がはちきれそうになるまで買った食べ物は、全て空になっている。その味を楽しむこともなく胃に流し込んでいる間に思い浮かぶのは紛れもなく、私の同級生だ。すらりとした体躯、長く結われたポニーテール、制服のフレアスカートから覗くくびれ。そのくせジャンクフードが大好物でしょっちゅうハンバーガーを食べている、真希。今日も私がサラダだけで我慢している目の前で、彼女はチーズバーガーを美味しそうに頬張っていた。それなのに、どうして彼女の方が細いの?ああ憎らしい、憎らしい。我慢の度合いが大きいほど、私の手は止まらない。次から次へと口元へ運び込まれる固体は、甘いのもしょっぱいのも理解されずに胃の中へと姿を消していく。何もかもを忘れてひたすらにむさぼって、頭が真っ白になっているこの時間が、現実から目を背けられる唯一の時間。重くなった腹を抱えたまま、トイレへと向かう。これが私のルーティーン。ぜんぶ、ぜんぶ吐いてやる。…
西宮桃
ピンクのフリルのワンピースに、薄紫のランドセル。運動靴なんて大嫌い。ふりふりのレースのが付いた靴下と、つやつやのバレエシューズを履けばどこへだって行けそう。だって私は、カワイイものが大好きだから!
なのに、どうして。
「レナってぶりっこだよね」
「みんなズボンなのに、スカートとかだっさ」
教室のみんなは、私のことが気に入らないみたい。水泳の授業にメゾピアノの水着で参加したら、先生にもみんなにも、散々怒られた。どうしてみんなは私の好きなものを排除したがるのだろう。
きらきらの鉛筆も、いい匂いのする消しゴムも、全部だめ。持ってくると、必ず誰かに隠されちゃう。しまいには毎日使うランドセルも、お気に入りのワンピースも、全部ぼろぼろ。もうやだな。
「そんなに嫌なら、こっちの世界に来ればいい」
ある夜寝る準備をしていると、耳元で甘く囁くような声が聞こえた、気がした。…
庵歌姫
祖母譲りのこの能力が好きだった。音楽の授業で歌を歌えば皆息を呑むのが分かった。好きなことで呪いを祓えることを、誇りに思っていた。
高専に入学する前から、私と同様歌を術式として使う先輩がいる噂は耳にしていた。やれどんなものだろうと上級生の教室に足を踏み入れると、袴を着た先輩が目を真ん丸にして、はしゃいでいた。
「あなたが実音ちゃん?待ってたよ」
いきなり抱きしめられると、お香のようないい匂いがした。
「ちょっとちょっと距離近いって〜歌姫の可愛い後輩ちゃんが引いてるよ〜」
「悟は黙ってなさい」
あれよあれよと教室の中央に招かれて、されるがままに腰を下ろす。
「特等席みたい」硝子はそう言って、隣に座った。
◆◇◆
その時私はこの世で一番美しいものに触れた。
まろやかに伸び芯のある優しい歌声は、荒れ狂う海をも鎮める力を帯び、私を魅了した。「美しい」という言葉は、この瞬間のために存在していたのではないかとさえ、思った。「絶望」の意味を深く知ったのも、この時だった。
庵歌姫。名は体を表すとはよく言ったものである。一体相伝しなかったら、名付け親はどう責任を負ったのだろう。名前もある意味呪いなのだと思うと、背筋が凍った。
「歌姫さん」
「どうしたの?」
「私を弟子にしてください」…
禪院真依
はじめて歌をうたったくちびるで、はじめてりんごを齧ったくちびるで。
はじめてピアノを弾いた手で、はじめて人ならざるものを殺めた手で。
私たちは、触れ合っている。
それを穢らわしいことだ、と揶揄する者もいるだろう。けれどその行為でしか分からないことだって、きっとある。言葉で伝わらないのならば、別の手段を選べばいい。言わばコミュニケーションの一つでもあるのだと、思う。
誰も知らない、二人だけの城。世界中が息を潜める夜に、私たちは手探りで互いの存在を確かめ合う。...
冥冥
そこは一目見ただけでは宝石店だとは思えないくらいに古ぼけていた。宝石店と名乗っていいのか分からないほどだった。
高級住宅街の外れにあるそこは、ただでさえ静かな時が過ぎる空間の中で、よりひっそりと日陰の中に存在した。犬の散歩をしているだけでは見つからないようなその場所は、世界の中でぽっかりと空いた穴に偶然生み落とされたような、そんな雰囲気を醸し出している。
父はその店のオーナーだ。祖父の代から引き継ぎ、バブルが弾けて土地の購買層が大きく変わっても、この場所に居続けた。私は物心ついた頃から、父の仕事を横で見ることが好きだった。
ルビーにサファイア、ダイヤモンド。琥珀にロバの瞳の剥製まで。この世の綺麗なものは、全てこの空間の中に揃っていた。世界各国から寄せ集められたコレクションは、遮光カーテンによって光を受けずとも、薄暗い部屋の中で慎ましく自分の存在を放っている。
お得意様は多岐に渡った。近所に住む社長宅のご婦人に、有名商社の常務。さらには怪しげな占い師まで、どこからともなくやってくる。父は皆丁寧に迎え入れ、一つ一つ細やかに、棚に眠る宝物たちのを説明をしていく。私はそれを、目いっぱい背伸びしながら聞いていた。
自らを冥冥と名乗るお客様は、毎週同じ曜日の決まった時間に訪れた。私はまだ幼く発音がままならなかったのと、その名の珍しい響きがどこか恥ずかしかったこともあり、彼女を「お姉さん」と呼んだ。
彼女はいつも白磁の長い髪をポニーテールにしていた。センター分けの前髪はそのままに、腰までありそうな残りの髪は一つに結わえられ、彼女が動く度に優美に揺れた。…
長編/禪院真依
禪院真依は、私に、この世の天国と地獄をいっぺんに連れてきた。
真っ直ぐに依る、と書いて、「真依」。
まいちゃん、と呼ばれて控えめに笑う彼女は、梅雨の晴れ間の日差しを受けてより優艶に映った。
姉の真希と違って扱いやすいよなと、クラスの男子が私の後ろでにたにたと笑いながら、囁いていた。中学三年生の、初夏。皆部活を引退して進路を気にしなければならない時期だというのに、否、そんな時期だからこそ授業の合間に何かを話している彼らは、彼女を陰で品定めし、その一方で、彼女を意識し、あわよくば付き合いたいとさえ思っている気配を匂わせていた。
禪院家という大きな家の、双子。サラリーマン家庭が大半を占める公立中学校で、双子であることも相乗してなのか、皆彼女達を意識する。どちらが美人だとか、どちらの方が勉強できるだとか、そういったくだらない比較をする者は、きっと彼女達の本当の姿を知らない。
物心ついた頃から、禪院家の存在を知っていた。呪術界の御三家の一つで、超保的な思想を持つ血筋。彼女と初めて知り合ったのは中学一年生の秋で、私はこの時初めて、真依の素性を知ることになる。
例年通り、秋口にもなると目に入る呪霊の数はぐっと少なくなる。暗くなる前に友達と一緒に帰りましょう、と大人が口を揃えて言う季節に呪いを見かけなくなるのは、皮肉だと思う。
紫がかった空の下に響く悲鳴を、今でもはっきり覚えている。
その日はちょうど、文化祭の二日目が終わった日だった。あらかた片付けを済ませ、夜に行われる打ち上げに向けて帰る途中のことだった。声がする方向に向かうと、一人の少女が膝を震わせてその場に座り込んでいた。見覚えのあるショートカット。思い浮かんだのは、あの双子。眼鏡をかけていないから、きっと妹の方だ。
彼女のしゃくり上げるような、声にならない息遣いの先に蠢く物体を確認した。ざっと見て四級だろうか。これくらいなら、倒せるだろう。呪力を溜めて放ち、夕闇に閃光が走る。今度は呪霊が叫び声を上げ、血飛沫と共に消え去った。
しんと静まり返った中、彼女は言った。
「榊、さん」
榊花菜。私の名前を、真依が呼んだ最初だ。その時まで、名前で呼ばれたことはおろか、視線すら感じたこともなかった。
「あなた、もしかして」
未だに怯えた様子を拭えない彼女は、禪院家の肩書とは関係のない、普通の女の子だった。教室で見かけるよりもずっとずっと、小さく見えた。
「呪術師だよ」
彼女は目を丸くし、その直後、ため息を吐いた。
それから同じクラスになるまで、私たちは会話をしない。…