Walkure


【サンプル】おやすみなさい、良い夢を/硝子





【サンプル】 おやすみなさい、良い夢を




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一.
 
 春の風は、いつも出会いを連れてくる。

 簡素な机とベッドに、コンロが一つのキッチン。広すぎず狭すぎず、不自由なく生活できる高専の寮。一人で医学書を読むのには申し分のない空間。
進学と同時にこの部屋で暮らし始めて一年が経とうとした頃、同居人がやってきた。

 宮永すみれは、今年の四月に高専に入学したばかりの女の子。
 高専に入学して初めてできた、同性の後輩。稀少な同性との絆とも言うのか、柄にもなく嬉しくて、世話を焼いているうちに懐かれた。すみれに新しい部屋が必要になったのは、すっかり打ち解けた頃のこと。冗談半分で誘ったら、元々大きな瞳をまん丸にして返事をするものだから、嬉しかった。

「本当に突然、すみません」
「いいのいいの、気にしないで。それにしてもあいつら、本当に馬鹿だな」
 すみれはいそいそと申し訳なさげに、着の身着のままでやってきた。携帯電話と財布と、必要最低限の衣類を携えている。
 それにしても、災難だと思う。
 五条と夏油がいつもの喧嘩をして、運悪く攻撃が寮の排水管を直撃した。当たり所が悪く、すみれの部屋は一面水浸し。管理人に連絡を入れ、修理が完了するまでの一時的な避難所が必要だった。
 他の部屋も空いているけれど、埃だらけで掃除に手間がかかる。可愛い後輩の助けになればと、彼女を迎え入れた。
「硝子先輩のお部屋、シンプルですね!難しそうな本でいっぱいだし、なんだか落ち着くー!」
 予想通りの反応に、日頃から整理整頓をしておいてよかったと思う。と言っても、普段からそんなに物を置く主義ではないのだけど。
 すみれはローファーを丁寧に揃え、スリッパに足を滑らせてリビングへ向かう。セミロングの赤茶の髪を揺らしながらきょろきょろと部屋を見回す。
「ようこそ。広くはないけど、自由に使ってね」
「おじゃまします」
 私にとっては見慣れた景色に、目を輝かせている。
 すみれの部屋が落ち着くまでの間、生活を共にする。
「入学してから色々あって疲れたでしょ。マットレスは私が使うから、ベッドはすみれが使って」
 必要があるのかも分からないマットレスを実家から持ってきていた。急な来客のための備えだったけれど、予想外の使い道に、用意しておくものだなと納得する。(確かな証拠を増やす)
 すみれにベッドを案内し、マットレスを私が使おうとしていると、すみれは「待ってください」と両肩を掴んできた。
「硝子先輩。それはだめです。勉強頑張ってるんだから、ちゃんとベッドで休んでください。私こう見えても体力あるんで、どんな寝方でも平気ですから!あ、あとでキッチンお借りしてもいいですか?私料理作るんで!ちょっと冷蔵庫覗かせてください」
 後輩のあまりの勢いに驚きつつも、冷蔵庫へと案内する。食に興味がないので、ミネラルウォーターが申し訳程度に置いてあるくらいだ。突然の来客で、そこまで気が回らなかった。
「ちょっと硝子先輩!?水しか入ってないじゃないですか。ちゃんと食べてますか?食は身体の資本ですよ!」
「だってそんなにお腹空かないし。食べたければコンビニがあるし、私はこっちの方が好き」
 換気扇に向かって煙草を咥えるポーズを取ると、すみれは思いっきり後ずさった。その様子が面白くてポケットから赤い箱を取り出すと、今度は箱に向かって飛びついた。仔犬みたいだ。
「え、吸われるんですか?めっちゃジャンキーですね先輩。確かに部屋に入った瞬間なんか匂うと思ったら、やっぱり」
「そっか、まだ私が吸ってるところ見たことなかったよね。大丈夫、ベランダで吸うから」
「なんかすみません、先輩の自由を奪ってしまったみたいで」
「いいんだよ別に。私の方が法を破ってるし」
「あはは、うける!じゃあ私も部屋からお気に入りの香水持ってきてもいいですか?」
「なんで永住する前提なの」
「私と暮らせば、私の手料理が食べられますよ。いかがですか?」
「んー、考えとく」
すみれが笑う。私もつられて笑う。
 可愛くて、ノリの良い後輩。医学書に囲まれた生活もいいけれど、すみれといる時間も楽しくて。
 排水管の工事が終わってからも、共同生活は続いた。

 すみれは本人が言う通り、料理上手だ。
「じゃーん。今日はトマトの冷製パスタです。どうですか」
「なかなかいける。呪術師なんてやめて店でも開いたら?」
「そんな大げさな!ぱぱっと作っただけですよ、凝ったものじゃないです」
 すみれは口に付いたトマトソースを手で拭いながら、豪快に笑う。残り少なくなった私のグラスを見るなり、「お茶入れますね」と自然に動く。こういう些細な部分に、彼女の育ちの良さを感じる。
「あ、でもこうして自分の作ったものを誰かに食べてもらうのは嬉しいです。私両親が共働きの一人っ子で。母親がCAで父親が商社勤めだから、それはそれは家にいないことのが多いんですよ。その代わりにおばあちゃんに育ててもらって。家事全般はおばあちゃんに教えてもらいました。たまに家族が揃うタイミングで私が料理作って、それを両親に喜んでもらえるのがすごく嬉しかったなあ」
 おおよそ、すみれは我々呪術師とは対極の環境で育ったと言える。
 私の生い立ちが、一般のそれとは異なることを自覚したのはいつの頃だったか。物心ついた頃から反転術式の気配はあった。それに加えて、家に漂うおどろおどろしさ。私に向けられた好奇の目。私を取り巻くあらゆる事象は、他人には知られてはいけないのだと悟ったのは難くなかった。
 五条が入学早々に、許嫁がどうのだとか血筋が云々だと愚痴を零す場面に遭遇したこともある。この世界にいる限り、この類の話は切っても切れないのだろう。狭い世界だ。
「術師としての血はおばあちゃん譲りです。隔世遺伝ってやつですか?術式もおばあちゃんから教わりました」
「ふうん。進路は両親と揉めなかったの」
「揉めましたよ、そりゃあ。放任主義だから最終的には私の選択が優先されましたけど。でも持って生まれたものってどこかで還元しなきゃなって思うんです。硝子先輩だってそうでしょう?」
「まあね。あと金になるし」
「ほんっと、分かりやすいですね。そういうところが大好きなんですけど」
残りのパスタを口に含みながらすみれはさらりと言った。私がこの道を選んだ理由に大きな理由なんてない。悟ほどの需要も、傑ほどの大義も持っていない。ただその道があったから進んだだけであり、そういう運命なのだと受け入れてきた。しかしすみれの発言の意図がどんなものであれ、それをさらりと肯定されたのは嬉しいことだ。
「ごちそうさま。美味しかった。お皿は私が片付けておくから、先にお風呂行っておいで」
「いいんですか?ありがとうございます!お先失礼しますね」
 すみれはぱたぱたとスリッパを鳴らして風呂場へと向かっていく。どこにでもいそうな、家庭的でしっかりしている、私達の世界と無縁に見える女の子。これから先、どんな運命が彼女を待っているのだろう。野暮だと分かっていても、すみれの未来を思うと胸が痛くなる。新入生を相手に感傷的になりすぎていないか。開けた窓から入る夜の風が腕をすり抜けた。
 お風呂上りのすみれはいつも優しい香りがする。同じシャンプーとボディソープを使っているはずなのに、ふわふわした甘い香りが鼻を擽る。彼女のお気に入りのボディクリームの香りかもしれない。
 狭いベッドの上に二人並んで寝るようになったのはつい最近のことだ。
「私真っ暗な部屋だと眠れないんですけど、不思議なことに硝子先輩の横だと安心して眠れるんですよね。安眠効果パねえっす」
寝る前に私のベッドの上で他愛のない話をしているうちにすみれが寝落ちるようになり、そのまま私の隣で眠るようになった。
「こうして誰かの隣で寝るの、いつぶりだろう。小さい頃は両親がいなくて寂しくて泣いてたっけ。おばあちゃんに対してママはどこパパはどこ、って散々泣きわめいて困らせて。でも歳を取るにつれて気付いたんですよね。あ、私、こういう運命なんだって。両親が家をずっと空けるのも、呪霊が見えるのも。これは持って生まれたものなんだって。それからは極力自分でこなせることはこなしてきたんですけど、でもやっぱり硝子先輩みたいな頼れる存在がいると安心します」
「普通になりたいとか、考えたことないの」
「私にとってはこれが普通なんで!でも、考えが変わったらその時考えます。適応力の高さが自慢なので」
 すみれはそう言って、寝返りを打った。
 そんな彼女も、任務で疲れている日はベッドに入ったきり朝まで目を覚まさなかった。二人で過ごす夜は、静かで、けれど暖かかった。

 穏やかな陽気が私達の惰眠を加速させる。
 今日は高専の大人たちが地方へ派遣されるので、急遽休学。担任曰く、我々子どもには対処が難しい案件。五条と夏油はガッツポーズをしていたような、がっかりしていたような。なんにせよ、予期せぬ休日は有難く頂戴する。週の半ばにぽっかり空いた穴を、どう埋めようか。このまま寝て過ごすのもありだけど。
「あ、おはようございます先輩。今日授業ないですよね?」
 すみれはもぞもぞと起き上がって、確信犯のように私に尋ねた。ホットパンツで無防備に晒された素足が私の脚に触れる。
「そうだよ。何しようか」
「このままここでゴロゴロしていたいです」
「それが最適解だね」
 そのまま私達は昼過ぎまで二度寝をした。
 遅めのランチはピザをデリバリーして、パジャマのままお行儀悪くベッドの上で食べた。
 残りの時間は映画を見て、二人で感想を言い合った。
 そのまま二人で並んで雑誌を読んだ。
 普段の休日と言えば、有効に使おうと勉強ばかりしていた。もしくは二人でお出かけ。日頃の鬱憤を、土日でどうにか晴らそうと無理矢理動いていた。休日をどうにか消化しようと躍起になっていた。
 このように怠惰をむさぼれるのは、平日だからだろう。
 何もしないのも、案外楽しいかもしれない。呪術界には申し訳ないけれど。
 それでも、確かに穏やかだったのだ。
 この日までは。

 五条と夏油が大きな任務を任された。星漿体の女の子の抹消。呪術界の存続に関わる仕事ということで、気合も十分だ。
「五条先輩と夏油先輩、すごいですね。私もあんな風になれるのかなあ」
「あの二人は別格だから諦めな。あ、すみれが弱いってわけじゃなくて、あの二人が異様に強いだけだから」
 私がいつもの喧嘩から抜け出した間に決まった彼らの任務は、二人だからこそ任されたものだ。特段落ち込むことではない。
 それでもすみれにとっては憧れの対象なのだろう。
「あ、硝子先輩今妬きました?確かに私は武闘派なのであのお二人にも憧れますけど。でも私にとっての一番は硝子先輩ですから」
「どうしてそうすらすらと言えるの。褒めちぎっても何も出てこないよ」
「だって、格好いいじゃないですか。いくら私たちが強くったって、動けなきゃ使い物にならないですし。私この間見たんです。硝子先輩が五条先輩の治療をしているところ。あの五条悟ですら硝子先輩の世話にならないと完治しないのか〜!ほえ〜!って関心しましたよ。いや、何様かよって話ですけどね。それと、治療をしている時の硝子先輩の目つきがいつもプロっぽくて、それも好きです。私も大怪我してみたいなあ、なんて」
「不吉なことを言うね」
 すみれは冗談めかしてそんなことを言う。私に好き、という度に顔をほんのりと赤らめているようだけれど、それが憧れなのかまたは別の感情なのかは、断定できないでいる。
 最強と呼ばれる二人の間にいる、反転術式の使い手。別に目立たなくてもいいけれど、私のこの才能をすみれに褒められるのに悪い気はしなかった。
 五条が私を必要としなくなったのはそれから間もなくのことだった。
 星漿体の抹消は失敗、私の元に治療に来たのは夏油だけだった。
 後から聞いた話によると、五条はその日覚醒し、致命傷も自力で治せるレベルまで達したのだという。私は反転術式の専門なので、そこまで来るとお手上げだ。
 五条と夏油は別で動くことが増えた。私は私で勉強することが山のようにあるし、高専側も数少ない反転術式の使い手を失いたくないのか、彼らと共にするような危険な任務に派遣されることも滅多にない。
 昔のように馬鹿をやることも減った。各々が各々の道を進む。
 それはすみれにとっても同様だった。時に、残酷な形で。
「灰原君、どうして」
 すみれの同期――灰原雄が赴任先で亡くなった。想定以上の階級の呪いで、引継ぎは五条が行った。共に任務に向かったすみれと七海は命からがら戻って来た。
 灰原はすみれにとっての良き同期であり、ライバルだった。
 屈託のない笑顔。野心に満ち溢れた姿勢。自分にできることを最大限発揮しようとする、呪術師としては明るすぎるほどのエネルギー。
 この世界にあまりにも不釣り合いな彼とすみれは、だからこそ意気投合して切磋琢磨していた。冷静沈着な七海も呆れるほどに素直で真っ直ぐな二人は、私達の代とは違う眩しさを放っていた。
「どうしてこんなことになっちゃったんだろう。私も死ねば良かった。灰原は死んじゃだめだった。あんな熱意のある子を。どうして」
 処置を終え、項垂れるすみれを部屋へと戻す。ぐったりとしていて、歩くのもやっとだ。
 すみれは入学してからどれほどの死と向き合ってきたのだろう。それは例えば呪霊や、一般人、高専関係者。同期を失うのは彼女にとっては初めてのことで、どれほどの傷になるのだろう。今後の長い――いや、長いとは言い切れない――呪術師としての人生の中で、この出来事がどれだけの十字架になるのだろう。十代の少女が抱え込むにはあまりにも重すぎる。これも彼女の言う運命の一つなのだろうか。
「まずはちゃんと休みなさい。話はそれから」
すみれをベッドに寝かせ、毛布を被せる。顔色はいつにも増して青ざめている。
「硝子先輩。かっこ悪いこと言ってもいいですか」
「いいよ。疲れてるでしょ」
「手、繋いでてもらえませんか。そっちの方がよく寝れるから」
「私でいいの?」
「硝子先輩だからお願いしてるんですよ」
 強がりな子だな、と思う。普段は自分で解決しようと奮闘するのに、どうしようもない時だけ私を頼る。すみれは少々、(彼女の部屋を水浸しにした)私の同期を指針にし過ぎている面がある。もっと頼ればいいものを。一人で抱えて無茶をする面に、不安になる。
 そのまま手を繋ぐと、間もなく規則正しい寝息が聞こえてきた。体力面は勿論、精神面でも相当疲れているだろう。
 あどけない寝顔。見慣れているはずのそれは、いつにも増して幼く見えた。呪いも血も似合わないと思うのは自分勝手なエゴだろうか。それでも彼女が私の選んだ道を肯定したように、私も彼女の選択を肯定していくのだと思う。
「おやすみなさい」

 数年後、彼女は卒業と共に、姿を消した。