Walkure


【ONE PIECE】見えない傷跡/ナミ・ロビン△





見えない傷跡




 シャープペンシルが走る音、赤ペンで丸を付ける音、ボールペンの芯を戻す音。縦横無尽にペンの音が響く中で、皆赤本から目を離さない。私たちは机を向き合わせてひたすらにペンを走らせる。だってそうしていれば、一緒に春を迎えられそうだったから。
 終業を告げるチャイムが鳴り、私たちは一斉に伸びをした。入試を目前に控えた今、自由登校期間だけれど教室で勉強をしている。家で勉強するのもいいけれど、どうしようもなくそわそわしてしまう。だったらいつもの制服でいつものメンバーと一緒に勉強していた方が落ち着くのだ。
 教室の空気がほんの少しだけ緩む。ナミがロビンの肩をつつく。私はそれを横目に見ながらぬるくなった缶コーヒーを啜った。
「ロビン寝ちゃった。これは昨日も徹夜してたみたい」
 ナミはやれやれと言いながらロビンにブランケットを肩から掛け、その代わりに自分のマフラーを足元に掛けた。私は俯いて単語帳を開いた。
「ロビンが徹夜って珍しいね」
「昨日過去問にどはまりしちゃって納得するまで寝られなかったって。この子、夜弱いのにね」
 ぼろぼろになった英単語帳を取り出し、単語を頭の中で唱える。何度も何度も繰り返し暗記したそれは、もはや私の一部でありお守りでもある。
 ナミとロビンとは高校二年生の時から仲良くしている。お互いに系統は全く異なるけれど、居心地は悪くはなかった。
 ナミとロビンはとにかく目立つ。派手で誰とでも仲良くなれるナミと、物静かで大人びたロビン。正反対の二人が寄り添っている姿は異質だ。二人は母親を早くに亡くしていると直接聞いたことがある。それと関係があるのかは分からないけれど、学費のためにバイト漬けのナミと、第一志望の国立大学のために成績トップを走り続けるロビンにしか分かり合えない何かがあるのだろう。そう考える度に、私は彼女たちとの断絶に直面する。
 二人に対して私は恵まれすぎていた。小学校から続けているバレーボールも高校まで続けられたし、予備校にだって通わせてくれている。それでやっと成績は平均をキープできているし、世間で少し有名な私立大学を受けさせてくれる。このまま普通に卒業して就職して、何の変哲もない人生を送るのだろう。だからか、既に親から自立して自分の夢に向かって進む二人が羨ましかった。
「何笑ってるの?」
「え、笑ってた?」
 ナミが私を覗き込んで言った。全てを見透かされていたようで一瞬どきりとする。私は時折、そんなナミが少しだけ怖い。

 昔から嘘を吐くのは得意だった。いや、嘘を吐くのが得意にならざるを得なかった。
 物心ついた頃から好きになるのは女の子だったし、周りの友達が男の子を好きになることが理解できなかった。自分を守るための嘘を吐くようになったは、そんな自分に違和感を覚えるようになってからだ。恋愛の話を向けられた時は男の子が好きなふりをして答えたし、好きなタイプを聞かれた時は架空の人物を想定して答えた。そうしていくうちに自分が自分ではない他の何者かになっていくような気さえした。そんな頑なだった私を変えたのが、今目の前にいるナミだった。

◆◆◆

「ナマエ、何か隠し事してるでしょ」
 高校二年生の五月の半ば、放課後に三人でファミレスで勉強している時のことだった。過去の恋愛の話になった時にいつもの調子で話していると、ナミが突然身を乗り出して聞いてきたのだ。
「別にしてないよ」
「嘘。恋バナしてる時のナマエ全然楽しそうじゃないもん。今日だけじゃない。前からずっと」
 こうして問い詰めてくる友人はナミが初めてだった。恋愛の話になると、今まではその相手について問い詰める人がほとんどだった。けれどナミは私自身について尋ねたのだ。
 私はきっと、ずっと仮面を被って生きていくのだと思っていた。けれどナミの前ではそれをできる自信がなかった。なぜだろう、出会った時からずっと。けれどまだ私には、本当のことを話す勇気がなかった。
「まあまあ、ナマエにだって無理に話したくない時もあるでしょう。話したくなったらでいいわ。いつでも待ってるから」
 コーヒーを飲みながらロビンは言った。助け船でその場はどうにかなったけれど、それが一生の後悔になることをこの時の私はまだ知らない。
 もしもこの時二人にちゃんと話していれば、私の運命は変わっていたのかもしれない。ナミは私を選んだかもしれないし、あるいは三人の関係は瓦解していたかもしれない。
 そうして私は気付いた。誰かの幸せは、誰かの犠牲の上で成り立っていることに。


「実はね、ロビンと付き合ってて」
 ナミが私にそう告げたのは二月――つまり高校三年生になる直前の時期だった。その日はとても暖かく、屋上でナミと二人でお昼を食べていた。ロビンは委員会で席を外していた。
「そうなんだ」
 うまく笑えていたかをよく覚えていない。その時食べていたハムとレタスのサンドイッチが、やけにパサパサしていたことはよく覚えている。
「ナマエちゃんには伝えたいと思ってたの。隠し事はしたくなかったし、隠せる自信もないし。ロビンから許可もちゃんと取ってる。あ、別にナマエのことを疑ってるとかそういう意味じゃなくて――」
「誰にも言う訳ないじゃん。ばれたら確実に一人学校に来なくなるだろうし」
「サンジくんね。大丈夫、私が上手くあしらっとくから」
 やっぱり、と肩の力が抜けた。二人はお似合いだし、母親がいない者同士で何かと支えになるだろう。寂しくないと言ったらそれはそれで嘘になるけれど。
 学年で一番目立つ二人が付き合っていることが知れ渡ったらどうなるのだろう。気にはなるけれど、ここまでビッグカップルだと誰も近付いてこないかも。いや、近付かなくていい。私たちの日常を、何の苦労も知らない部外者に知られてたまるものか。
 高校三年生を目前に付き合い出すなんて、いかがなものかと思う。けれど、互いに不安だからこそ寄り添いたかったのかもしれない、とも思う。それに二人は模試のトップランカーだ。私から口を出す筋合いなど一切ない。私と彼女たちはもとより住む世界が違うのだ。
 だから私は、ナミからの打ち明け話を受け入れた。そうすることが平穏を保つための一番の方法だからだ。親友という、一番都合の良いポジションに居座ることが今の私にできることだった。
 皮肉なことに、私の前で太陽のように笑う彼女は、嵐までをももたらした。
 昨日一緒に夕飯を食べたという小さな報告から、くだらない喧嘩をしたという愚痴まで。ロビンのことになると、私の気も知らないでくるくると表情を変えて話す。ロビンはロビンで満更でもなさそうだ。二人と私との間には見えない壁できていた。

 二人が付き合い始めて数ヶ月後の夏の朝、教室へ入るとナミとロビンが一言も発さなかった。朝のホームルームから二限の英語の授業が終わるまでよそよそしく、ぎくしゃくしていた。三限の体育の授業の前、更衣室のロッカーで耳を真っ赤にして着替えているナミを見てその謎は解けた。脇腹にほんのわずかに小さな痣があった。答え合わせをするようにロビンを盗み見ると、背中にいくつもの爪痕が残っている。私は侵してはならない聖域に踏み込んでしまったような気がして――すぐに目を逸らした。
 放課後、その日じゅうずっと寝ていた二人に何も言わずにノートを貸すと、二人は気まずそうに笑った。こんなことになるのなら、私も言ってしまえば良かった。今更言ったところで何も取り返しはつかないけれど。

◆◆◆

「ね、自販機行かない? 喉渇いちゃった」
 ナミは髪を結わえながら言った。三年生に進級してからずっと伸ばしているというそれは、毛先まで手入れが行き届いている。
「いいよ。私もコーヒー飲みたいし」
 ナミがこうして誘う時は、大抵ロビンのことを話したい時だ。この期に及んで惚気話とは。模試のトップランカーは生きている世界が違う。
 放課後の廊下は賑やかだ。吹奏楽部の楽器の音、テニス部のボールの音、サッカー部の声が入り混じる。廊下で赤本を広げている生徒を横目に自販機へ向かう。
「受験が終わったら、ロビンとお揃いの指輪を買おうと思ってるの」
「いいじゃん! 買ったら見せてよ」
「もちろん」
「話はそれだけ? そのためだけに呼び出したの?」
「ごめん! でも息抜きになるからいいじゃん! お礼に缶コーヒー奢るから」
 あれよあれよと言う間にホットの缶コーヒーが手渡される。私はそれを黙って受け取った。
「私もロビンも第一志望違うしさ。卒業したら離れ離れになっちゃうでしょう? 都内の私立しか受からなかったら別だけど。だからなんかこう、印みたいなのが欲しくて。あと、ちょうど記念日だし!」
 ロビンが京都の大学を目指していることは以前から聞いていた。今のペースで勉強し続けていれば問題ないとも。ロビンと出会って、天才は本当に存在することを知った。
 ロビンは亡くなった母親に褒められたくて勉強しているうちに勉強が好きになったと言っていたけれど、きっとそれだけではなく、元々の環境が恵まれていたのだろう。けれど母親がいないのでは元も子もない。だったら恋人からお揃いの指輪の一つや二つ、プレゼントされてもいいだろう。
「いいと思う。ロビンもきっと喜ぶよ」
 これは私の本心だ。今更、この二人には手が届かないのだから。
「そうだよね? ありがとう!」
 ナミは私の大好きな笑顔で私を見た。私の気も知らないで、いつだって彼女は私に親友として接してくる。そんな生活も残りわずかだ。


 普通に進学して普通に学生生活を送り、普通に就職する。それが私の運命なのだと思う。私の人生が決まったレールから外れることはきっとない。これからもずっと。

 卒業式が終わってから、私はナミを教室に呼び出した。
 きっとこれが最初で最後の抵抗だ。
 私の種明かし。ずっと我慢してきたのだから、これくらい許されたい。ううん、許されなくてもいい。許されないと思う。だけどもう、二度と会わないから、許してほしい。
「どうしたの? 改まっちゃって」
「ごめんねナミ。私ずっとナミに隠していたことがあって」
 ナミが目を見開いた。
「どうしたの?」
 私は女の子が好きで、ナミが好きで、ロビンのことを嬉しそうに話すナミのことが恨めしかった。けれど二人のことが大好きだからそんなことは言えなかった。喉まで出かかった言葉が引っかかる代わりに、涙が止めどなく溢れる。
 ナミは何も言わずに優しく私の頭を撫でた。やめて欲しい。けれどそんなナミのことが好きで、そのくせ何もできなかった私がナミの目の前にいる。こんなに傲慢なことはない。だけどもう二度と会わないから、普通の生活に戻るから、今だけは許してほしい。
「本当はね。ナミのこと、好きだったの」
「もっと早く言ってよ! 私がモテることくらい、ナマエが一番知ってるでしょう?」
 ナミは困ったように笑った。そうは言ってくれたけれど、きっとナミはロビンを選んだだろう。だから私はナミを強く抱きしめた。ナミの中で見えない傷跡になればいい。
 目には見えない対価を、私は貴女だけに捧げる。





【あとがき】
 たまたまBUMP OF CHICKENのライブをネットフリックスで見た→ライブ中の現代の高校生になった麦わらの一味の映像を見て学パロを書きたくなる→その映像がカップヌードルのCMシリーズであることを知る→受験生やってるナミがとても性癖だった、で書き始めたのがこの話でした。ちょうど時期的にも私立の大学受験が始まる頃なのでタイムリーかなと!
あとナミは国立だったら一ツ橋、私立であれば早稲田、明治あたり、ロビンは国立は京都大学、私立であれば上智、青山を受けそうだな〜という勝手な願望を盛り込みました。勝手すぎる。でも2人とも早稲田になって高田馬場で飲み歩く姿もいいな...。
ナミロビナミはCPで好きということもあり、夢で書くのは難しいと思っていたのですが形になって良かったです。読んでくださりありがとうございました!