ある日のこと、中世ヨーロッパの英国貴族の暮らしを模倣したメイドカフェに赤い紳士が訪れた。普通、このようなカフェに普通の男性客が来ようものなら風景に馴染むなど滅多にないのだが、この紳士、やけにマッチする。オマケに精悍な男性ときた。まさに「ご主人様のお帰り」という状況に、メイドたちは内心浮き足立った。
 さて誰がご主人様を迎えるかとその場に居合わせたメイドたちは互いに目配せ、否、牽制し合い我先にと足を運ぼうとする。と、その時、

「あー! あの時の検事さん!」

一際大きな声で騒ぐメイドが一名。このカフェには似つかわしくない声量と口調である。
 赤い紳士はム、と眉間に皺を寄せ、自分を指さしてきたメイドを見遣る。ここがメイドカフェではなく貴族の屋敷であればお叱りを受けて当然の対応であるのだが、ここはあくまで現代日本。赤い紳士は少々困惑した表情を見せるのみで、特に苦言は呈さなかった。

「ゆかりを殺人犯にしようとした人!」

 ざわ、と空気が揺らいだ。その様子に眉間の皺を深くする赤い紳士と、やってしまったとばかりに口元を覆うメイド。慌ててそのメイドを窘めたのは艶やかで腰の辺りまで伸ばした黒髪のメイドであった。

「ゆかりさん、悪いのは犯人で、検事さんじゃないですよ」
「うむむ……まあ、そうなんだけどー」

 ぶすっと不満げに言うメイドーー姫嶋ゆかりはいつぞやこのカフェで発生した殺人事件の容疑者として一時捕えられていた少女である。その少女を落ち着かせたメイドが赤い紳士の前まで赴き、丁寧に腰を折った。

「お帰りなさいませ、ご主人様」
「……う、うム」

 妙に照れ臭さを感じ、腕を組んでそっぽを向く。そんな紳士にメイドは微笑み、席へと案内した。

「先ほどは失礼いたしました」
「いや、構わない。確かにあの少女からしてみれば私は悪者だろうからな」

 メイドは苦笑した。

「でも、お越しいただけて嬉しいです。御剣検事様」

 ふいに己の名前を呼ぶメイドに、赤い紳士ーー御剣は目を見張った。

「申し訳ございません。わたし、姫嶋の裁判を傍聴していたものですから」
「なるほど。それで私を知っていたというわけか」
「はい。……突然、ご不快でしたでしょうか」
「いや。少し驚いたが」
「よかった」

 メイドはほっと息を吐いた。

「しかし、その、傍聴していたのであれば、無罪である彼女を有罪にしようとしていた私は、君にとってもあまり……だな」
「いいえ、そんなことはありません。寧ろ、お礼を言いたかったんです」
「礼、だと?」

 メイドは頷き、

「真犯人が罪から逃れようとした時、あの状況で待ったをかけてくださいました。御剣様がそうして下さらなければ、きっと姫嶋は有罪になり、元オーナーは……本当に、ありがとうございました」

と、深く頭を下げた。その様子を見て、御剣はコホンと咳払いする。

「私は、犯罪者を許さない。それだけだ」
「はい。ありがとうございます」

 なおも礼を言うメイドに、御剣はほのかに頬を染めてもう一度咳払いした。

「あー……君の名前は何と言う」
「申し遅れました。わたしは風林寺佳音と申します。ご主人様」
「ご、ご主人様というのは、その、やめてくれないか。こう、むずむずすると言うのか、その、だな」
「ふふ。かしこまりました、御剣様」



「えー! 佳音、みつるぎ検事のところに紅茶届けることがあるの?」
「はい。お出しした紅茶が気に入られたようで」
「へ、へー」

 成歩堂法律事務所に訪れた佳音からもたらされた意外な、そして衝撃的な事実に、成歩堂はかすかに震える手でコーヒーを口に運んだ。笑みを浮かべようとすると頬が引き攣る。あいつ、いつの間に佳音ちゃんのカフェに行ってるんだよ! メイドカフェに行くとか意外すぎるだろッ!

「ねえ、それってメイドさんがみつるぎ検事の部屋に行くってことだよね?」
「そうですね。と言っても、毎回わたしが運んでいるのですが」
「ええっ!?」

 さらなる事実に成歩堂は飛び上がった。真宵もまた目を丸くしている。

「ど、どうして佳音ちゃんが……? まさか、御剣の奴が指名したわけじゃ、ないよな?」
「そのまさかみたいです」
「え、え……えええええ!?」
「ナルホドくん、うるさいよ」

 真宵からの苦言をスルーしながら――というより耳をすり抜けていった――成歩堂は顔面を蒼白にさせた。まさか、御剣の奴も、佳音ちゃんのことを……!? と妄想、いや、想像をし一人で打ちひしがれる。

「配達は基本的にしていなかったのですが……というより、そのような要望を受けることが初めてだったのですけど」
「まあ、そうだよね。あのお店にいってこそって感じするし」
「はい。でも、御剣さんにはお世話になりましたし、料金上乗せも快く了承してくださったので、オーナーがその要望をお受けすることに決めたんです」
「何で、佳音ちゃんなの?」

 成歩堂が訊ねると、佳音は照れたようにほんのりと頬を染めた。その表情はどこか嬉しげだ。

「あのう、わたしの淹れる紅茶が美味しかったようで。お褒めの言葉をいただきました」
「じ、じゃあ、検事局の御剣の部屋に行って、紅茶を淹れてるんだ……?」
「はい。御剣さんのお部屋、とても雰囲気があって紅茶がとても合うなあと思わず見惚れてしまいました」
「うんうん。それに、みつるぎ検事って自分でもティーセット持ってたよね」
「そうですね。茶葉も豊富に用意されているようでした」

 真宵と佳音の会話が盛り上がる。それを尻目に、成歩堂は親友三人で予定している飲み会で御剣を問い詰めてやろうと心に決めた。

御剣さんとメイド


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