メイドカフェで起こった毒殺事件は、風林寺さんの予想通りオーナーが真犯人として告発され、姫嶋ゆかりは無罪判決となった。
 突然オーナーが消えたカフェは営業を続けることが困難となり存続が危ぶまれたが、その後すぐに新たなオーナーが立てられたらしい。個人経営の店だったけど、どこかの会社が買い取ったようだ。……というのが、目の前でにこにこと笑う姫嶋さんと彼女とともに事務所にやってきた風林寺さんの話である。

「ほんと、良かったね! 姫嶋さんは無罪だし、風林寺さんに付きまとってたあの男も居なくなったし!」

 真宵ちゃんはあっけらかんと言った。姫嶋さんは「ほんとほんとー!」と笑って返し、隣の風林寺さんは苦笑している。

「ゆかりに罪を着せようとしてたのもムカつくけど、あいつ、歳も顔もろくに考えずに佳音ちゃんに言い寄ってさー。鏡見たことあんの!? って皆で話してたんだから」

 姫嶋さんが鼻息荒く言い募る。お礼だと言って持ってきてくれたお煎餅をばり、と良い音を立てて頬張った。ぼくたちへのお礼、なのでは。

「とにかくあいつもいなくなったし、もう大丈夫だとは思うけどねー。佳音ちゃん、お客さんにガチ恋されやすいんだから、もっと気をつけないとダメだよ」
「は、はい」

 風林寺さんは姫嶋さんの勢いに気圧されながら頷いた。うんうん、可愛いんだから気をつけないと、と思って頷いていたぼくだけど、聞き捨てならない言葉が聞こえてヒートアップする女の子たちに待ったをかける。

「が、ガチ恋されやすいだって?」
「そー。佳音ちゃん美人でしょ? 不埒な目で見る輩が多いのなんのって」
「ふ、不埒」
「なんかこう、守ってあげたくなる雰囲気あるし、男の人は『オレが守ってあげた〜い!』って一人で盛り上がっちゃうんじゃないの?」

 うぐっ! 鳩尾に一発決められた気分になった。

「しかもメイドカフェだし? ゆかりたちも仕事だからお客さんのこと『ご主人様』って呼ぶの。それをなんか勘違いしてる、みたいな?」
「あ、わかった! 自分が強いと思って自分をイケてる男って勘違いしちゃうんだ!」
「さすが真宵ちゃんー! わかってるねえ」

 姫嶋さんがにやりと笑う。ぼくはそんな話を聞いて冷や汗をだらだらと流している。い、いや、別に風林寺さんに「ご主人様」と呼ばれたことはないし。……呼ばれてみたいけど。

「あ、ナルホドくん。『呼んでほしいな〜』って思ったんじゃない?」
「え!?」

 図星を突かれて大袈裟に驚いてしまった。法廷で不利に立たされた時の気分だ。あまり気持ちの良いものではない。

「あ、そうだ。ナルホドさんたちをカフェに招待してもいいか、オーナーに聞いてみよっか」
「そうですね」
「え! いいのっ?」
「な、なんか悪いなあ」
「いいのいいの。謂わば、ゆかりの“命の恩人”でしょ? それに、佳音ちゃんも結果的に助かったわけだし」

 そうですね、と風林寺さんが頷く。それから、真宵ちゃんを見て、そしてぼくを見て笑った。

「ぜひ来て下さい。精一杯、おもてなしさせていただきますから」
「は、はい!」

 かくして、ぼくたちは聴取以外では初めてメイドカフェに行くことになったのだった。




 英国貴族をイメージしたアンティーク調の外観。金色で着色されている模様で飾り付けられているオシャレな木製の扉。扉の上部にはくすんだ金のドアベルがつけられている。
 ぼくは緊張して扉の前で立ち尽くしたわけだが、ぼくの心が落ち着く前に容赦なく真宵ちゃんが扉を開けてしまった。

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 メイドカフェの常套句が飛んでくる。けれど居酒屋のように店員の張った声ではなく、落ち着いた女性の声だった。
 ぼくと真宵ちゃんは予約をしていて、約束の14時に行けば姫嶋さんと風林寺さんが出迎えてくれるとのことだった。
 風林寺さんにも「ご主人様」と呼んでもらえるのだろうかと思うとそわそわしてしまう。実は朝からとても楽しみだった。素晴らしい休日になること間違いなしだと確信している。……もう午後なんだけど。

「あ、二人とも来てくれた!」

 真宵ちゃんが嬉しそうに言うのを聞いて、ぼくはどきりとした。メイド服を着てぼくたちの方へ歩いてくる姫嶋さんと風林寺さんが見える。ぼくは風林寺さんと目が合った瞬間、カーッと頭が沸騰した感覚に陥った。あ、これはやばい。本当に落ちるところまで落ちている感覚だ。

「お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様」

 風林寺さんがにこりと微笑んで頭を下げた。うわああああ、と心の中でさえ喚くことしか出来ずに何も言えないでいると、真宵ちゃんがぼくの背中を叩いた。

「いたっ」
「もう、何ボーっとしてるのナルホドくん! いくら風林寺さんと姫嶋さんが可愛いからって、見惚れてばかりは失礼だよー?」

 からかいを含んだ表情と声で、真宵ちゃんがにやにやとぼくを見上げる。ああくそ、面白がってるな真宵ちゃん。

「ふふ、お待ちしておりました。ご案内いたします」

 風林寺さんがくすくすと笑いながら席へと案内してくれる。その横で姫嶋さんがにやりと笑った。真宵ちゃんの表情とそっくりで、ぼくは頬を引き攣らせる。

「二人とも来てくれてありがと。ゆっくりはていってね」

 バチン、と効果音がつきそうなウインクをかまして、姫嶋さんは颯爽とほかの席へと注文を取りに行った。挨拶だけしに来たらしい。凡そここのメイドとは思えない言葉遣いだったけれど、許されるんだろうか、あれ。
 はは、と乾いた笑いを浮かべながら風林寺さんの後に続く。コツコツ、と風林寺さんが履いた若干のヒールがある靴から心地よい音が響いている。
 風林寺さんの案内で4人がけのテーブルに着くと、風林寺さんがすっとぼくたちの前にメニュー表を置いた。

「わー! 紅茶もコーヒーもたくさん種類があるんだねっ」
「はい。それぞれ香りや風味に特徴があるので、お好みのものをお申し付けください」

 本当に何の違和感もないメイドだな、と風林寺さんを見て思う。他のメイドカフェに行ったことがあるわけではないけれど、時々呼び込みをしているメイドの女の子を見掛けたことはあって、そういう子たちは、何と言うか、コスプレ感がすごかった。
 風林寺さんのオススメも聞きつつ、ぼくと真宵ちゃんは無事に注文することが出来た。招待、ということで今回は3000円まで無料にしてくれるらしく、ぼくたちはありがたく3000円分頼ませてもらった。少しは自費で払う分も上乗せで頼んだ方がよかっただろうか、と思ったものの……やはりというか、メイドカフェという特殊なお店だけあって値段がそこそこする。ぼくはお礼の気持ちを抱いてありがたーく好意をちょうだいすることにしたのだ。
 まあ、高いとは言え、3000円分となるとそれなりの注文数になる。それぞれ飲み物とケーキやスコーンと言ったお菓子をいただくことができた。
 周囲の客を見回すと、中には皿が三段くらいになってそれぞれにお菓子が乗っている豪華なティーセットを頼んでいる人もいるようでくらりとした。メイドカフェ、という特色がなければ高級レストランと言われても遜色ないような気がする。

「すごいな〜いいな〜。あたしもあんなの頼んでみたいな」

 と言いながらぼくをちらりと見る真宵ちゃんに気付かないふりをする。頼めるわけないだろ、見るからにあんな高そうなの。
 真宵ちゃんと談笑しながら待っていると、風林寺さんがぼくたちの席へワゴンを運んできた。その上に乗っているものを見てぼくたちは目を丸くする。

「こ、これって、あの三段重ねのやつ!?」

 何種類ものお菓子が載せられているケーキスタンドは鳥籠のようにも見えた。ぼくたちが頼んだお菓子もあり、その他にマドレーヌや小ぶりのサンドウィッチ等、様々な食べ物が添えられている。

「え、あの、風林寺さん、ぼくたちこれは頼んでないんだけど」
「あら、そうでしたか?」

 狼狽えながら言うと、風林寺さんが口元に手を当てて目を丸くした。と思えば、

「ふふ、こちらはわたしからのお礼、です」

悪戯っぽく目を細めて笑うもんだから、ぼくはあっけなく陥落したのだった。




 美味しいお菓子やサンドウィッチ、飲み物に舌鼓を打って、ぼくたちは人生初のメイドカフェを心から満喫することができた。
 名残惜しい気持ちを抱えながらお会計をしーーと言ってもぼくたちは招待客なので、お金を払うことはなかったーーカフェの外へと出る。見送りにと一緒に外へ出てくれた風林寺さんと向き合って、今日のお礼を言った。ちなみに、姫嶋さんは帰り際に誰よりも大きな声で「ありがとーございましたー!」と言うもんだから、カフェ内のお客さんたちに笑われていた。拘留所で見た影のある表情の面影はなくて安心した。

「今日はありがとう。美味しかったよ」
「お楽しみいただけたようで安心いたしました」
「あんなお菓子のタワー初めて見たよ! 写真たくさん撮っちゃった!」

 テンションが高いままの真宵ちゃんが携帯の画面を風林寺さんに見せる。風林寺さんは「喜んでもらえてよかった」と、嬉しそうに笑った。
 このままお別れしてしまうのが酷く寂しい。もちろん、カフェに足を運べば会えるのだろうけど、そういうお客さんと店員のような関係しか築けないなんて、もっと寂しくなってしまいそうだ。
 だけど、お客さんから“ガチ恋”をされて困っている風林寺さんに、何て言えるだろうか。風林寺さんがぼくと「お客さんと店員」以上の関係を望んでいない限り、ぼくがここでさらなる関係を望んでは迷惑になってしまう。まあ、「お客さんと店員」というよりは、「弁護士と依頼人の友人」の方が正しいのかもしれないけど。でも、その関係ももう、終わってしまった。
 依頼人との交流が続くことは、ままあるけど。それも友人、ではないしなあ。
 悶々と考えていると、ふいに真宵ちゃんが口を開いた。

「ねえねえ、佳音ちゃんって呼んでいい? あたし、風林寺さんとお友だちになりたい!」
「!」

 風林寺さんが驚いて目を丸くさせた。う、羨ましいぞ真宵ちゃん……そんなどストレートに言えるなんて……!
 ぼくは敗北感を抱きつつ、彼女たちの様子を見守った。

「お、お友だち、ですか?」
「うんっ」

 真宵ちゃんが迷いなく頷くと、風林寺さんは少し俯いた。心なしか頬がほんのりと赤く染まっている。やがて顔を上げると、柔らかく目を細めて微笑んだ。

「嬉しいです。真宵、さん」

 ああ、可愛いな。ぼくはどきどきと早鐘を打つ胸の鼓動をただ感じた。

「うーん、固いなあ」

 真宵ちゃんがニヤリと笑う。おいおい、攻めすぎじゃないのか、真宵ちゃん。

「えっ。じ、じゃあ……うーん……あの、真宵って、呼んでも?」
「! うん、いいよっ」

 まさかの呼び捨てにぼくも真宵ちゃんも驚いた。そしてすぐさま羨ましいという感情に胸が包まれる。

「メールアドレス交換しよー」
「はい。……あ、わたし、携帯が手元になくて。ここに送ってくれますか?」

 風林寺さんはエプロンのポケットからメモ帳とボールペンを取り出して、さらさらとアルファベットの羅列を綴っていく。ペンをポケットに戻し、メモを切り取ってぱたんと折りたたんだ。それを真宵ちゃんに手渡す。

「ありがとう! ね、ね、あたしも呼び捨てしていい?」
「もちろんです。……あ、わたし、敬語だけは癖というか、なかなか抜けなくて。それだけ、ごめんなさい」
「いいよいいよー。えへへ、嬉しいなあ」
「わたしも嬉しいです。お友だち、つくるのがあまり得意ではなくって」

 風林寺さんは眉尻を下げて笑った。それからぼくを見上げて、少し不安そうな表情で口を開いた。

「あ、あの、もしよかったら成歩堂さんも……わたしと、その、お友だちになって、くれませんか……?」

 これってもしかして夢なんだろうか。
 もじもじとしてぼくの様子を窺う風林寺さんが可愛くてだらしなくにやけてしまう。真宵ちゃんがにやにやしているのが見えたがもう気にならなかった。

「もちろん、佳音ちゃん」

 大人の余裕を見せたくて平静を装いつつ答えると、風林寺さん、もとい佳音ちゃんはぱあっと表情を輝かせた。うっ、眩しい。

「ありがとうございます!」
「こちらこそ、ありがとう」

 こうして、晴れてぼくは佳音ちゃんの友だちというポジションを手に入れたのだった。

事件後の彼女とぼく


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