クラブハウスサンドと深夜料金


日常にドラマチックを期待しては台無しである。
午夜を回ったファミレスの一角でそんな話をすれば、目の前の男は不思議そうな瞬きを伴って私のことを見返した。
聞き慣れないジャズピアノの音色が頭上から降り注いでいる。
「急に何や」
「今の現状をふと考えたときに、私の日常に何か劇的な変貌があったかどうか思い出してみた」
「おん」
「なかった」
「おん」
特段何かの驚嘆やさしたる興味もないように、目の前の男、宮治は私の言葉にうなずき返しただけだった。
もしかすると日付が変わってすでに睡魔に襲われているのかもしれない。
「ドラマチックなことなんて、ドラマの中にしか存在しないんだよね。とどのつまりあれは全部画面越しの何か平行世界の出来事を私たちは傍観してるだけで。身の回りにそんな一世一代の大恋愛が起こるわけなくて……って治、聞いてる?」
「あー……聞いとる、かも」
向かい側のソファで頬杖をついている彼の瞼が下がりきってしまったのを見て、私はため息を吐くと、テーブルの脇に備え付けられたメニューに手を伸ばした。
夜はまだ長い。
「すみません、クラブハウスサンド一つ」
ベルで呼び出した店員にそう注文を告げてメニューを閉じると、先ほどまで船を漕いでいた治はすっかり目を覚ましてスマートフォンをいじっていた。
作戦はうまくいったらしい。
何か頼めば彼は起きてくるという目論見は、毎回のごとく成功する。治も懲りる様子はない。
「食べる?」
「食う」
グレーのスウェットの袖で目を擦っていた彼が頷く。
そしてまたなにかを思い出したように治は口を開いた。
「んで、さっきのことやけど」
「さっきのって、何」
「ドラマがなんとかってやつや」
「ああ、さっきの」
「まぁ、オレは否定もせんし肯定もせん。せやけど――」
私は彼の言の葉の続きが紡がれることを待った。
 ごうんごうん、治の背後のドリンクバーマシンが唸りを上げる音を耳にする。
「お待たせいたしました」
しかしそれは、ウェイターが運んできたクラブハウスサンドの香ばしい匂いによって遮られた。
「深夜にトーストサンドかいな」
「深夜にカツカレーよかマシでしょ」
夜も更け、街灯だけが侘しく灯る駅前のファミレスには、私たちのほかに客は見当たらない。
店員も暇なのだろう、運ばれてきたクラブハウスサンドはいつもより心なしか形が整っているようにも見えた。
私の眠気による幻覚かもしれないが。
「いただきます」
外食でさえも、治は妙に律儀に手を合わせる癖があった。
いつ何時であろうと、それをすることがライフワークであるように。
私はすかさず目の前に陳列されたそれを手に取った。小腹が空いていたので、思いっきりかじりつく。
レタスとチキンとトマトと……あとは何だろう。咀嚼しながら中身を探り当てる。
ツン、と鼻を突いたマスタードの香り。
みずみずしいトマトやレタスが口の中で溢れ出す感覚と、ローストチキンの醸し出すあの食感をゆっくり頬張りながら味わって、そして飲み込んだ。
「本場のアメリカンクラブハウスサンドって、ベーコンとターキー入れてるんだってさ」
「ダブル肉やん」
「うん、豚と鳥だね」
まともに回らない頭同士での会話に、意味を求めてはならない。
人工的な味だとしても、今の私にはきっとわからない。
ただただ黙々と皿の上のサンドウィッチを平らげてしまうと、私は一体先ほどまで何を話していたのかすっかり忘れてしまうのである。
朝焼けがうすぼんやりと大通りを照らし始めたころ、私たちは店を出た。
清算はいつも割り勘。
治は奢るといつも言うけれど、彼への負担が大きくなるのは嫌だからと、それは丁重に断っていた。金銭的理由で私の誘いを断られるほうが、もっと嫌だった。
「じゃあね」
「ん、」
手を振って、始発の動き出した駅の前で別れる。
朝焼けの光が駅ビルのガラスに反射して眩しかった。
去り際、彼の後ろ姿に伸ばした手を、慌てて引っ込めた。
ああ、またわけもわからず期待している。
まだ、この緩やかに回る日常の最中に、私は何か劇的な変革が訪れることを期待している気がする。

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