四・招かれざる客


ひやりと頬を冷たい風が撫でて、私は目を覚ました。
上体を起こして周りを見回すと、先ほどまでいた本殿の中とは、どうにも様子が違うようであった。あの少しカビの匂いがした数畳ほどしかない本殿と打って変わって、そこは数十畳もあるだだっ広い床の間のような場所だった。そして私はなぜか布団の中で眠っていたのである。
ここはどこだろう。泊まっていた屋敷の客間とも違う。見覚えのない場所に肩身が狭いような感覚を覚える。
これは夢だろうか?
けれど着せられた白無垢と握っていた神楽鈴はそのままになっていて、あの儀式は悪夢でもなんでもなく、現実として私の身に起こったことなのだと物語っている。頭に被せられていた綿帽子は布団の傍らに置かれていた。
障子戸の外は明るい。あれからどれくらい時間が経っただろうか。私はおもむろに立ち上がると、そろりと部屋を抜け出した。
廊下に出ると表の辺り一面には霧がかかっていて、遠くの様子はよく見えなかった。ただ塀で囲まれたこちら側には、さざなみ紋状に敷き詰められた石庭があった。なんとも形容し難いが、美しい庭だった。足の裏に冷たい床の感触がひたひたと伝わってくる。まずは私をここに連れてきた主を探さなくてはならない。お礼を言って、ここに至るまでの状況を聞かなければ。
廊下は終わりが見えないほど長く続いていた。泊まっていた屋敷もかなり大きい部類に入るのだろうが、ここはそれを悠に超える広さがあった。村を見渡した時にこれほど大きな屋敷は見当たらなかったから、もしかすると今いるのは村の外なのかもしれない。
ぐるりと廊下を一周して見て回ったが、人の気配はなかった。部屋の中を勝手に覗くのはマナー違反のような気がしたのでできなかったけれど、それ以前に物音ひとつ聞こえないのだから、外出していて不在なのか部屋のどこかで寝ているのだろう。
当てもなく一人で彷徨い歩くことは、どうにも私の中の孤独と寂寥を掻き立てた。
私はなぜここにいて、これからどうなってしまうのか。謂れもない憂慮が頭をもたげている。
そんなことを縁側に佇んで物思いに耽っていると、石庭の隅、植え込みの中からガサガサと物音がして————
私が視線をやると、中からひょっこりと一匹の狐が顔を出したのである。
黄金の毛色をした狐は私に臆することなく、こちらへとことこ歩み寄ってきた。そして縁側に上がると私の装束の裾を噛んで軽く引いた。人慣れした狐は珍しい。狐が先導して歩き出し、少しして振り返る。ついて来いということだろうか。
私が狐の後を追うと、先程の茂みがまた激しく揺れて今度は二匹三匹と次々現れては屋敷のどこかへ走り去っていった。この家で飼われているのだろうか。狐を飼うなんて聞いたことがないけれど。
長い廊下をしばらく歩いた。狐は時折こちらを振り返って、私がついてきているかを気にしているようだった。歩くたびに廊下の床板がみしりと軋みを立てた。手入れが行き届いているが、年季が入った建物らしい。
狐は障子の閉められた部屋の一つで立ち止まった。どうやらここが目的地らしい。前足で器用に戸を引くと、隙間からするりと部屋の中へ入って行った。
私も入って良いのだろうか。恐る恐る戸へ近づいて、覗き込もうとしたその時、
「おお! 起きたんか!」
目の前の障子がガラッと勢いよく開け放たれ、金糸のような髪色をした和装の青年が現れた。
はっきりとした目鼻立ちにすらりと高い背丈。瞳は透き通るような鳶色をしていて、それが私に向けられている。目を合わせていると何もかも見透かされてしまいそうで、思わず視線を下に落とした。
きっと友人たちが彼を見たならば、皆口を揃えて「イケメン!」と賛美したに違いなかった。
容姿端麗とは彼のための言葉だ、とすら思えた。
「随分ぐったりしとったから最初はもう死んどったと思たんやけどなあ、案外丈夫で安心したで。人の子は脆くて敵わんし」
青年は底の見えない目で私を覗き込んでそう言った。ぐっと顔が目の前まで近づいて、私は驚いてびくりと後退りをした。するとおもむろに彼の後ろから手が伸びてきて、金髪の彼の後頭部を強かに叩かれる。
「怖がっとるやないか。お客様は丁重に扱えてなんべん言うたら分かるんやこのアホ侑」
また別の声がして金髪の彼の後ろから、銀髪の男が顔を出した。金髪の男と瓜二つの、美しさを形取ったような青年。銀髪の男は狐を腕に抱いて、険しい表情を浮かべていた。
「あ、あの」
「ええやないか別に。ほんまに死んだようにびくともせえへんかったし」
「ええわけないやろ!」
と小突き合いをいくらか続けていたが、
「あの!」
私が声を張り上げて会話に割って入ると、ふたりはこちらに同じ顔を向けた。
「……助けていただいた、ってことでいいんですよね?」
「せやで。倒れとったからな、本殿の中で」
「あ、ありがとうございます」
「礼はいらんて。……助けてもないしな」
「え?」
「何でもないわ。気にせんといて」
お礼を述べて、私はここがどこなのか、どうしたら村に戻れるのか尋ねると、彼らは顔を見合わせて、口角を緩やかに上げた。
「村に帰りたいんやな?」
「帰り道を教えてやりたいのは山々なんやけどなあ」
「霧が出てて今は山に出ん方がええよ」
「せや、久々のお客さまや」
「しばらく、うちにおったらええよ」
手招かれて、腕を引かれて、私は部屋の中へ足を踏み入れた。
彼らが何を企んでいるのか知る由もなく。



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