三・天つ罪


それからは本を読んだり、縁側から下方に広がる田畑の様子を眺めて過ごした。九月に入り、収穫間際の水田は日に照らされ黄金に輝く稲穂で埋め尽くされている。時折世話を焼きにくる小間使いが「お米は今年も豊作でええ感じなんです」と私の横に来て嬉しそうに言った。
そうこうしているうちに、あっという間に儀式の日を迎えた。三日間のうち、顔を合わせた人間は来た日に私を村に連れてきた女と、小間使いの少女だけであった。
「この屋敷には大祖母さまとお抱えの小間使いが何人かおるんです。せやけど大祖母さまは体を悪くして中々人前に姿を見せへんもんですから……」
その寝たきりの老婆は存在しているか定かではないほど影が薄かった。少なくとも私が屋敷で寝泊まりしていた間は、部屋から一歩たりとも出ていないに違いない。大祖母さまとやらは村で一番の長生きで、長老のような立ち位置なのだという。だから村の重要な決め事は助言を必ず仰いでいて、今回私を呼ぶことを最終的に決めたのは老婆ということらしい。
どんな人物が気になって挨拶くらいさせてくれと頼んだが、具合が悪くて会わせられないとすげなく断られてしまった。
「大祖母さまから儀式に励むように……て言伝をもろてますから……」
私に白無垢を着せながら、小間使いは申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べた。
一方私はそんなことなどすっかり忘れて、姿見に映った自分の姿を見つめ、未婚女性が花嫁衣装を着てバチなんか当たらないのだろうか、と見当違いな心配をしていた。
やがて顔に化粧を施され、唇に紅が乗せられる。三面鏡の中の私を見て、小間使いはとても似合っているとしきりに褒め称えた。じきにあなたも着ることになるでしょう、と言ったら、彼女は一瞬だけ物悲しげな表情を浮かべた。その理由が私には分からなかったが、どうにも気になって仕方がなかった。
ふと耳を澄ますと、遠くから鈴の音が聞こえる。鈴は、私を呼ぶように鳴り続けていた。結局部屋からほとんど出られず原因はよく分からなかったが、儀式が終わった後すべて分かるのだろうか。
外からざわめきに似た話し声が流れ込んでくる。案内されて外に出ると、狐面を顔に当てた男女が数十人集まっていた。私が出てくるなり皆水を打ったようになった。表情が読めないせいで不気味さが増しているような気がして、私の中の不安が膨らんでいく。
そして無言で用意された駕籠に乗るように指示された。
駕籠に乗ると、俄に行列が私の前後に組まれ、集落から外れた山道へと歩み始めた。鐘を打つ者、幣を振りながら進む者、晩傘を差して歩く者——さまざまいたが、誰も私と口を聞こうとはしなかった。
小一時間は歩いただろうか、山道の先に鳥居が並んで立っているのが駕籠の格子の隙間から見えた。赤の塗装が剥げ、木の部分が剥き出しになっていて、寂れたような雰囲気を感じさせる。
両脇には玉と鍵を加えた一対の狐の像が鎮座していた。今にも動き出しそうな気迫のある姿に、背筋が寒くなって視線を逸らす。
本殿が見えてきたところで、私は駕籠から下ろされた。あとは自分で歩けということらしい。少しくらいは喋って教えてくれても良いではないかと私は文句の一つでも言ってやりたかったが、言ったところで彼らが口を開くとは到底思えなかった。
神楽鈴を手渡され、私は本殿へ歩き出した。鈴はずっしりと重く、握りしめた手の中で存在を主張している。
本殿の戸が開けられ、私は中に入って膝を床につき、正座の姿勢をとった。目の前には木彫りの大きな狐の像が二体、こちらを見下ろす形で置かれている。これがウケモチさまなのだろう。厳かで、どこか懐かしさを感じさせるような……。
私が木像をじっと見つめていると、傍に立っていた人々が、像の前に米俵や酒、野菜などを次々に置き始めた。これがウケモチさまに捧げる供物に違いない。今年の豊作ぶりを報告して感謝を述べる。それがこの儀式の主旨だ。
私は鈴を振って、教えられた通りに祝詞を唱え始めた。短いフレーズを繰り返し唱える。涼やかに鈴の音が響き渡る。私がずっとこの村に来るまで聞こえていた音が。半分ほど唱え終えたところで——
目の前が、暗闇に包まれた。
「………………え?」
この真っ暗闇が、真後ろの本殿の戸が閉められたことによるものだと気がつくのに何拍か遅れた。続けてがちゃん、と外側から扉に何か細工をした音がする。
慌てて立ち上がり背後の戸を押したが、びくともしない。
「ちょっ……! なんでこれ……閉じ込められてるんですけど!」
ガンガンと拳で戸を叩いて開けてもらおうとしたが、外からは何の反応もない。耳を押し当てルドただ人々の足音が遠のいていくのだけが微かに聞こえた。
こんな手順があるなんて聞いていないのに。閉じ込めて置いていくなんて聞いてない。誰がいつ開けてくれるのか。必死に戸をこじ開けようとしたが、木戸を引っ掻き傷を増やしただけで、開けられそうになかった。
突然の出来事に頭が真っ白になる。視界が闇で塞がれて、一気に恐怖が迫り上がってきた。呼吸が上手くできない。嫌な汗が背を伝う。
「だれか、誰か開けてください……」
誰かが引き返してくることを祈って、何度も何度も呼びかけた。けれどいくら待っても、誰も助けには来てくれなかった。パニックの最中で、冷静に物事なんか考えることができるわけがない。
騙された?
一抹の不安が脳裏をよぎる。このまま何日も放置されたら? なぜこんなことになってしまったのか分からない。飢えの中でじっと死を待つことになったら? 嫌なことばかりが頭の中を巡る。
次第に体に力が入らなくなり、私は扉を背にして身体を冷たい床の上に横たえた。どれぐらい時間が経っただろう。外の光もなく、時間の経過すら感じられない。
ふと指の先に何か冷たい金属のようなものが触れた。それはずっと握りしめていた、神楽鈴だった。
神楽鈴を、徐ろに振った。しゃん、と変わらず綺麗な音がして、私は瞼を閉じた。急に意識が朧げになっていく。
「ウケモチさま、どうか」
「どうか、たすけてください」
「私にできること、なんだってしますから」
藁にも縋る思いで吐いた祈りの言葉は、最悪の形で彼らの元へ届けられた。




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