朝だ。

 そう分かるのはベッド横の窓から眩しい光が入り込んでくるから。
 森と接していた場所の木々切り払い出来上がった広めの庭にある鶏小屋からカラカラカラカラッと鳴子のような鳴き声が響いているから。

 濃紺の毛布に出来上がっている不自然な膨らみ、それは中に人がいることを示している。何よりそれはもそりごそり……と身動ぎを繰り返していた。

「…………あと……10……ぷん……」

 毛布の中から呟く声はまだ眠気を多く含んだもので、目覚めにはまだ遠い、そう思わせる声音が毛布の中から発せられるが、それを許さないと言わんばかりの電子音が鳴り響く。

 音の発生源に向けて伸ばされる腕。その腕の先には手帳型のケースに収められた通信用の端末。
 元々は異世界から舞い込んできた技術。それをこの世界でも使えるよう動力自体は内蔵の魔力石を使用している。手のひらに収まるサイズで、ガラスのような画面……その画面には様々な情報が集まる。集まる……という言い方は少しばかり差異があるが、イメージとしてはそんな感じだ。必要に応じてその情報を引き出し、使う。そして、通信を主だった能力として持っているが、時間を知らせる、という意味合いでアラーム機能も持っている。

 伸びる白い腕には薄紫色のリストバンドが巻かれている。寝る時も外さないのには訳がある。リストバンド自体に織り込んである魔法陣、もこもこの毛並みを持つ羊の獣人……仕立て屋をしている彼女に依頼して作ってもらったものだ。織り込んであるのは体力増強と避妊の魔法陣。体力増強はおまけ程度、一番の目的は避妊の方だ。
 性別を偽っていてもバレる時はバレる。
 元々は女として動いてもいた。それだけに苦労や要らぬ心配に時間を裂かれたりもした。だからこそ、だ。だからこそこの避妊の魔法陣を織り込んだリストバンドには助けられている。だからこそ寝る時すらも外さずにいる。外す時が来るとすれば、それは引退も覚悟しなくてはいけないものだろう。

「……んぅ……ふぁー……ぁ……んんーー……」

 数分感覚を空けてなる電子音。それが3度繰り返された頃、もぞもぞと動いていた毛布の塊から金色が姿を現す。
 毛布の中にまですっぽりと頭を入れていたのもあり、その金色はぼさぼさ……右へ左へ上へ下へ……あちらこちらへと向いている。その髪へと伸びる手によって更に掻き回されてしまう。

「…………起きないと、なぁ」

 まだ眠気の抜けきらない碧眼。緑を含んだ青、それは数度の重たい瞬きのあとにはしっかりとした覚醒へと向かう。充分に睡眠が取れれば目覚めはすっきりとする、二度寝、三度寝……と繰り返すことが許される時はそれはよく寝るが、それは稀なことではある。
 濃紺の毛布を「ていっ……!!」っと掛け声を出して剥がすのはそれだけ気合がいるからだ。季節柄、まだ肌寒い季節でもある。だからこそ毛布の誘惑は強い。暖かいそれから逃れる、というのは心の準備がとても必要になる。だからこその掛け声だ。

 寝間着として着用しているのは、もこもこのルームウェア。うっすらと淡い青色のパーカーに同色のショートパンツ。そしてゆったりと締め付けないニーハイソックス……もこもこのソックスは足元からしっかりと温めてくれてくれている。冷たい床に足を下ろしてもソックスのおかげて寒い思いをしなくてすむ。
 立ち上がるとぐーっと体を伸ばしておく。寝ている間に凝り固まった背中を伸ばしてから動き出すのは決まり事のようなもの。ぐるり……と肩を回すのも忘れてはならない。
 カシャ……と音を立てるのは首から下げているドックタグ。1枚式のドックタグ、身に付け方は任されているがギルドに所属する者は付けるようにとされているものである。これがなければ、この町のギルドでの仕事はできないようになっている。嫌な話だが、クエスト中での死亡は少ない話ではない。せめて待つ者へ、その事実だけでも伝えられるように、と始まったものだ。

 部屋の中はお世辞にも綺麗、とは言えないものだ。ベットの対面には作業用のテーブル……ダンジョンの素材管理のためにもウェストポーチが置かれており、テーブルの上には使用済みの貯光石が入ったままになったカンテラやルーンクリスタルを初めとした素材がいくつも並べられている。自身で何かを、素材を加工する術は持ち合わせているわけではない。だからこそ調べなければならないことは多い。自身で薬草をきちんと処理することが出来るのが一番ではあるのだが……その手のことに関しては知識不足だ。
 そして、1つの剣。ヴェスティードと名づけられた装飾が美しい左手剣。マン・ゴーシュ……その刃は毎日きちんと点検確認する様になった。
 元より賜り物であるヴェスティード。定期的な点検はしてはいたが、それが日課にくわわったのは使用頻度が上がったからだ。
 接近戦を要求される。できない、というものでは無い。これでもはるか昔にはこの両手は剣を握っていた。その剣はこの部屋にある。手入れももちろん定期的にしているからいつでも使うことは出来る状態のものだ。白い鞘に納められたサーベル……直刀型のそれを最後に使ったのは相当に前だ。

 クローゼットは埋め込み式だから衣装の類はそこに入っている。中を開けば薄紫色が一塊……季節ごとや洗い替えに、と似たようなパーカーを大漁に持っている。
 さて、今日はどれにするか、と開いた扉の前でしばし考える。それはこれからの予定と気候を考えての事だ。本日の予定は……書類の作成業務。それならば室内での作業だから……と手を伸ばすのは春向けの少し薄手のパーカー。インナーは冬用の暖かいものを着込むのでパーカーが薄手でも問題は無いだろうと、手に取るとベットへと放り投げる。
 好んで履くのはショートパンツ。種類はいくつかあるがこれも動きやすさを重視すると装飾の少ないもの……裾が広がっていないタイプを愛用している。それもベッドへと放り投げておく。着替えに必要なものは全てベッドに揃った。

 ついでに鏡に向かう。クローゼットの扉の内側に設置した鏡で確認すれば、自由に跳ね回りすぎている。幸いにも髪質は素直に言うことを聞いてくれるタイプなのもあり、ブラシを通せばすんなりと戻ってくれる。たまに頑固な毛束があったりもするが、今日は素直に落ち着くべきところに落ち着いてくれる。

「着替えるぞ、着替えるぞ。きがえるぞっ!!」

 この時期の着替え、というのは気合がいる。毛布から出るのと同じぐらい、嫌それ以上に気合が必要になる。わざわざ3回も宣言をしてからやっと動き出す。
 上着のファスナーに手をかければ一気に引き下ろす。ふわふわもこもこの手触りのルームウェアの下には下着を付けていない胸が露になる。ふくり……と柔らかそうな胸、確かな膨らみ。服の下で陽の当たらない部分だけにその肌は白い、白い肌にはシミ一つない。

「さぶぅぅぅ……!!」

 幾分か暖かくなったとはいえそう長々と上裸でいられるはずもなく、フード付きパーカー型のルームウェアの上着を脱ぐとポイッとベッドへと投げる。先に投げておいた着替え、まずはインナーからだ。黒いハイネック気味のインナー。少しサイズは小さめ。ぴたり……と体にフィットするから、というのもあるが胸を潰す役目にも一役買っている。

 ふわもこのショートパンツを脱いで、上着と同じようにベッドに投げる。とりあえず、の置き場としてベッドを使うのはもう長年の癖のようなものだ。白系色……今日はオフホワイトのショートパンツ。太ももを半分ほどしか隠していない足は正直寒い。いや、今はまだルームソックスのおかげであったかいがそれを脱げは寒さを感じることは必須だ。そう考えるともうしばらくソックスは履いていたい。

 次に手に取ったのはベッドサイドに置いてあるもの。ベッドサイドにはパーカーのポケットに入れているものが並んでいる。目覚まし時計の代わりを果たした端末をはじめに、懐中時計、サファイアを使ったブレスレット。そして、胸当てだ。
 決まった位置に置いていないといけないものたちだ。ふとしたときに違う場所に置いて探し回ることになる。だからベッドサイドに置く場所を作ったと言ってもいい。

 胸当てを手に取ると、始まりの位置である左肩にかけるようにして置き、胸を潰すようにして胸部全体に胸当てを押し当てるようにしてぐるりと一巻き。
 息を吐き、吸い……苦しくなりすぎないよう、しかし、胸を潰す要でもあるそれはしっかりと巻き、パンっ……としっかりと巻き終わったことを確認する意味合いで胸を叩く。
 巻自体は二回りほどしかしていない。だが一番表になる部分にはしっかりと金属の板が仕込まれており、防具としての役割をになっている。
 終わり位置も左肩、と言うよりは肩にかかるのは左だけになるタイプだ。初めと終わりに別の金具があり、それはパチンっ……と重ね合わせて止める。

 薄紫色。いつ頃からかこの色のパーカーを愛用するようになっていた。だが、同じような格好をするのには意味がある。それは依頼だ。名前を売る、と言うのはなかなか苦労のいることだ。
 だが、1つ決まった色の着衣があればそれはを目印に依頼が来ることも少なくない。『ライラック・イェーガー』そう呼ばれることも少なくない。最近は名指しでの依頼も増えてきているのは、ありがたい。
 正直、ライラックなんて呼ばれるのは荷が重い。あんな可愛らしい花に例えられるのは性にあわない。と言うより色だけで決めるにしてももう少し何かあったんじゃないだろうか……

「……今日は……書類、書類の日……最近増えたなぁ」

 定期的に入る書類仕事。それこそ名指しの指名で入っている依頼だ。町からの依頼でもあるので断る気もないが、それでも気が滅入る。
 いや、コツコツと書類を整理するのは嫌いではない。ないのだが……体を動かす暇がない、というのはそれはそれで嫌になってしまう。向いていても仕事、となると苦になってしまう。
 だが、書類整理であるならば着るパーカーは薄手でもいい。むしろあまり厚着をすると逆に汗をかくほどになってしまう。

 パーカーに袖を通して、フードの位置を整える。ファスナーの金具を繋ぎ、スライダーに手をかければジ、ジーッ……と引き上げていく。鳩尾の辺りまでしっかりと上げるとサイドテーブルにおいてある物を1つ1つ、決まった位置に納めていく。
 サファイアをあしらったブレスレット、それはリストバンドの上から巻けるようになっている。手首ぴったりにすることも出来るよう調整範囲は広めにとっている。

 最後にしまうのは懐中時計。銀色の本体を手に取ればその蓋を開く。時刻を表す文字盤あるがその中、針を動かす歯車が見えるスケルトンタイプ。カチカチ……と針を動かすたびにその歯車も回り、他の歯車と重なり合い時を刻んでいく。
 その中で通常にある懐中時計と決定的に違う箇所がある。それは、時を刻む針が二組あること。時計の中央から伸びる針と12時の位置にもうひとつある、小さな文字盤と針。現在はその2つの針はピタリと同じ時間を指し示している。
 二組の針を持つことはもちろん意味がある。12時の位置にある小さな時計。この時計の時間は“特定の世界”の時間を指し示すことが可能である。そして中央に位置する針は“世界”の時間に自動的に時間を合わせることが出来る。

 いつ頃からがこの世界には《歪み》があった。地獄へと繋がるものだ、いや、天国だ……と人々は様々な憶測を口にし、何より実際に入っていった者の証言もバラバラだった。だが、そう、証言者がいた。生存していた。
 そこから研究が始まり、現在では《歪み》はよくあるもの程度には捉えられるようになってきた。上流階級のものは旅行として異世界へ足を踏み入れることも出来るようになってきている。が一番足を踏み入れるのは冒険者だ。
 異世界からの技術や素材、というのは高値で売れる。それを狙い日々異世界への《歪み》へと足を向ける。
 そういった冒険者に向けて作られた懐中時計。それが今胸ポケットへと収められようとしている手巻き式の懐中時計である。

「……っ、しょっと」

 寒い寝起きに重宝しているルームソックス。それに手をかけおろしていく。徐々にあらわになる足。その足も普段から日に当たることはないのもあり焼けた跡は見当たらない。
 素足にブーツ、というのは流石にいただけないので靴下は履く。その日の気分で選ぶ、とはいえ、ブーツを脱ぐことは早々ないからその靴下が日の目を見るのは1日の始まりであるこの時間と、終わりの時間だけだ。
 だが、見えない場所だからこそ気を使いたいのは女としての遊び心だろう。足先は冷えが来るのもあるから少し厚めのソックスがいい。
 白と黒の横縞はシンプルだが可愛くて好きだ。そのせいで結構似たデザインの靴下が溜まってきている気がする。

 白黒の横縞ハイソックスを履けば、ベッドの縁に腰をおろしていつも使用しているサイハイブーツへと足を入れる。
 足元は金属を使用した靴としての形をしているがその先、足を守る部分に関しては皮を使用している。金属製のブーツの方が防御、という点に置いては効果は高いことはわかってはいるが、どうしても重さが出る。その重さを嫌っての作りにはなっている。
 踵は高めに9cm。幅は広めのヒールデザイン。別段背が低い、というわけではない。低いというわけではない。それこそ昔はヒールのないものを履いていた時期もあったが、今となってはこの高さが丁度いいから履いているんだ。
 足を入れればブーツのファスナーとジジッ……と引き上げていく。

 ブーツ、ショートパンツ、胸当てに、パーカー。『クオム』という女から『ライラック・イェーガー』と呼ばれる弓使いへ。
 着替える、というのは1種の仮面だ。それに相応しい格好へとなる。それは1種の儀式的なものでもある。同じ様に動くことが出来る。それは健康の確認でもある。きちんと動ける。それを確認するための儀式。そして職業を全うするためのおまじない。

「っし、それじゃぁ、いこうか」

 光の差し込む窓に背中を向け、一歩踏み出せばカツン、といつものヒールの音が響く。
 扉を開けばいつものリビング。まだ同居人は夢の世界だろう。なら朝食の用意からだ。

 さぁ、今日も1日を生きようじゃないか。


2018.03.11



とある弓士のお話