寒くもなく、暑くもない……ちょうど良い気温の夜。闇が深く、星は少ない、だが月は明るい夜。

 竜神のダンジョンよりほど近い場所にある“歪み”それを抜ければいつもの森、だ。己が世界の空気、匂い……ほどんど変わらないはずではあるが……帰ってきた、とそう実感する場所でもある。
 森とともにリネーション……再生の町はその規模を大きくしている。一度焼き払われた土地を人々が耕し、育て……今では小さくも活気のある町となっている。
 その町を守る様にある森。それは人々の手によって植えられ、根付き、栄えていた。そんな象徴でもある森の中、1つの声が上がる。

「やーっとテイム成功だっ」

 深夜、深い時間に響く声は喜色に満ちていた。その足取りは軽く、金の髪もはずむ様に揺れる。髪ゴムで縛っていた跡の少し残る金糸が暗い闇の中、カンテラの光を受けてキラリ、と光る。

 前々から必要と感じていた存在。ダンジョン、という場においては単独で行動をする、ということになれば1人ではその力の不足を感じざるを得ない。単独で動けないことはない。だがそれだけでは足りない、そう思わずにはいられない場面は幾つもあった。
 それに、絆を持つ者……ダンジョンを共にした者が連れていたテイムモンスターとの連携、信頼……それを見て心を動かさないものがいるだろうか?

「っ、と……時間切れ、か」

 ダンジョンに入ってから灯したカンテラはその石の効果を終わらせたのか、ふっ……と消えてしまい、辺りを包むのは深い闇だ。
 月は明るくてらしているが、この森の奥には木々が邪魔をしてその優しい光を届けてはくれない。
 新たな灯りを灯すか……と左手をウェストポーチへと伸ばしたその時……

「………………」

 木々の揺れる音が届いた。
 風はない。その中で揺れる音、となれば……それは獣か、人間か……だ。

 人の方が厄介だ。

 獣であるならば、問題ない。この森を守るひとつの要素でもある。町には獣避けがあるのもあり獣自体が町を襲うことはない。
 だが、人は違う。この森へと入る、ということはその目的は……リネーション、だ。
 リネーションははぐれ者が集まって生まれた町だ。町に住む者の大半が“ワケあり”だ。それ故にそれを追い立てて来る人間は多い。だからこそ森を育てた。

 さぁ、どうする?

 地の利があるのはこちらだ。この暗闇の中でもある程度は動ける。道もわかっている。それだけにこのまま帰る訳には行かない。
 それは、相手が獣であろうとも、人であろうとも同じだ。町の場所を把握されることを皆嫌っている。それは自身にも言えることであり、カツン……とヒールを鳴らし、町とは別方向へと歩き始める。

 カツン、カツン……

 わざとらしくなく、かといってその音は途切れることのない音。
 その音に続くように木々が揺れる。追ってきている。その音のスピードは早くはない。獣のそれとは違う速さ。そして音の届く範囲が変わらない、一定の距離を取っている。
 足を止めて足元に落ちている小石を拾っている間、木々の揺れる音は離れない位置で止まっている。探っている。

 あぁ、人間だ。

 これは人間だ。獣であれば囲まれているはずの場面。それでもそうならないのは、獣ではないからだ。獣ではない、そう人だ。

「そういや、最近……一人増えったけ」

 町に新しくやってくるものが増えることがある。その方法は限られているが、基本は保護だ。町の外へと出ている者が見かねて連れて来てしまうんだ。
 それ故に、新たに人が増えた直後は森は騒がしくなる。普段は静かなその森は、一変する。
 追って来る者が多いんだ。追われる理由のあるものだからこそ保護をしているんだから……自分とゼン……唯一の同郷の者も保護を受けた口だ。

 救われ、道を示された。
 力の持ち方を、在り方を教わり、使うことを覚えた。

 だからこそ、町のギルドへと所属した。中には町を外から支える為にと町を出て、町への物流をしている者もいる。これも1つの支え。なくてはならないものだ。
 内から守る者、外から守る者……方法は違えど、そこにあるのは確かな想い。

 そして、今、自分がしなければならないことは1つ。

「さぁ、出てこいよ」

 ぽつり、と落とした言葉は辺りに静に響く。言葉を放つ瞬間に肩を落とせば、その肩から腕を滑り、手のひらの中に愛用の白銀の弓が収まればしっかりと握る。
 ザッ……と足を引き、向きを変える。そうしながら左手は弦を掴み、ギリッ……と弓を引き絞る。
 番えられるのはその白銀の弓に似合いの白銀の矢。羽までが白、それは通常番えられている鉄矢と性能に違いはない。だが、この森で使われる矢は全てこの白銀だ。
 弓の師でもあるこの町の創設者が最初の射。それが白銀だった。
 そこからだ……リネーションを守るは白銀の矢。その矢は音もなく首を落とす。と……そんな厄介な噂がたった。その噂を律儀に守ってきたせいで未だにこの地を守るのは“白銀の矢”と決まっているんだ。

「ま、でてこない、よな」

 ギリッ……と限界まで引き絞った弓は悲鳴をあげる。この左手を離せば、この限界まで引き絞った矢は飛ぶ。真っ直ぐ、真っ直ぐに……飛ぶ。
 おおよその位置は把握している。その位置に向けている矢はぶれない。

 ここか……?目が、欲しいが……

 握る羽根から手を離す瞬間、胸ポケットへとしまっていた。テイムカードから光が放たれるとぴょんっ……と現れた黒い猫……つい先程大蝙蝠に食らいついており、今引いている弓で殴打した……ヴァンパイアキャットが現れた。
 そのヒゲがひくんっと前方を指し示した。ストンっ……と着地をすれば、再度跳ぶ。

「……っ!?」

 その跳ぶ体がぶつかるのは白銀の弓。離そうとしていた指は衝撃に離れ、最初に狙っていた位置より僅かに上に狙いの反れた矢は飛ぶ。真っ直ぐ、真っ直ぐに……
 当たろうと、外そうと1本だけでは致命傷にはならない、とすぐさま次の矢を用意しようと弦に手をかけた瞬間に、ドスンッ……と重いものが落ちる音が辺に響いた。

「いや、まさか……」

 流石に出来すぎだろう。と足元で自慢げに胸を張り座っている黒猫へ視線を向けながら指は弦から離れる。
 警戒は解かずに、ゆっくり1歩、1歩音の発生源へと向かっていく。
 狙っていた位置からずれたはずだ。そうなれば当たったにしても足か、腕か……近づいて相手が動く可能性は多分にある。いつでも弓を引けるように、と構えてはいる。そのゆっくりとした足に付いてくる猫は悠々とした足取りだ。

「……眉間……って、あ、こらこら……どこの誰だかわかんない、ばっちいの飲まないでよ」

 しかし、落ちた“モノ”こちらが近づこうとも動かない。ピクリとも動かない。
 それもそうだろう。白銀の矢が刺さるのは眉間。……深々と白が刺さっており、まだ息はあるが動けないらしい。
 動けない獲物を前にした捕食者は、その獲物を喰らおうと、スンスンっ……と鼻を鳴らしていたが、なにが混ざっているか分からないものを飲ませたくはなく、首根っこを捕まえると肩に乗せる。
 居心地が悪いのが右に、左に……と位置を直すが、次第に左肩に落ち着いてくれたようでそこにちょこんとお座りをする。重さはほとんど感じない。

「んじゃ、あんたは白銀の矢の被害をその身を持って教えてくれよ?」

 そう言い残す表情は笑みだ。にたり、とした……三日月の様に弧を描く唇。目は1ミリだって笑みを讃えていない、蔑み、嘲る為だけの表情。
 深い森の中、吹き抜ける一陣の風。それにより揺れる木々の隙間より届く月光がスポットライトの様に降り注ぐ。


 落ちた“モノ”が最後に見たのは金髪の少年の様な形をしたバケモノだった。


 ひらり……と身をひるがえせば歩き出す。

「ヴァンパイアキャットって……やっぱ食事は、血液かね?」
「にゃぅ」

 右の肩には弓を、左の肩には猫乗せながら森を歩く。入り組んだ森をジグザグ、と……歩くのはさらなる追跡者を警戒してだ。仕留めたのは1人、だ。それが全て、とは思わない。思ってはいけない。
 ヴァンパイアキャットへと語りかけながら足は進む。そっと右手を差し出せばその人差し指にちくり、と傷みが走る。
 再生者の血が入っても問題ないんだろうか?いや、基本的にはただの人だ。その血液に何かがある、というものでは無い。特殊なのは……なんなんだろうか?調べたのもはいるが、その結果が『わからない』ということだ。

「……ま、あんま飲むなよ?」

 そう呟きながらも足は進む。森をぐるりと大きく人周りして、追跡者の影がないことを確認すれば、息を1つ吐く。
 だが、同時に思い浮かぶのは連絡の途切れた先遣を迎えに来る者がいる、ということだ。

 ……あぁ、明日は忙しくなる、な。

 左肩に座るヴァンパイアキャット。ぴょんと肩から降りればまるで帰り道をしっているかのように前を歩き始めた。
 迷子になっているわけではないが、疲れてもいたのは事実だ。道を考えずに進めるのはありがたい。
 早すぎず、遅すぎない……速度は上手いこと合わせてくれているのだろうか?その速度にしたがって足を進めていく。
 森の木々の隙間が大きくなり、開けた場所に出る。その視界に入るのは見なれた町だ。

 小さな町だ。中央広場の噴水もこの時間は止まっている。教会の灯りは休むことなく点っている。ギルドの火も消えることは無い。人々が眠っている静かな町。守らなければならない場所だ。
 
「ルーナ」
「んにゃ」
「いい月夜だ。ルーナ」

 ふっ……と頭上を見上げればそこには満月に近い月あった。まだ名前のないヴァンパイアキャット、いつまでもそう呼ぶのは道案内を買って出た者には失礼だ。

 暗い夜道を照らすその名を与えよう。道標になる様にと。




2018.04.29


とある弓士のお話