02

 懐かしい声がした。

『やっと見つけました……』

 母親の声とはこういうものなのだろうか、深く優しい女性の声だった。それと同時にどこか悲しげでもある。

『貴女をずっと探していたのです』

 頭の中に響くその声は酷く美しいが、冷たさも感じられて少しだけ怖い。

『おかえりなさい、私たちの愛しい子』





 じりじりと肌を焼くようなその暑さを感じると同時に、レオの意識が戻った。瞼を押し上げようとするが、光に目が眩んでなかなか開くことができない。同時に身体を起こそうと手をついたが、少しだけ沈む感覚があり上手く起き上ることもできなかった。
 しばらくして外の光に目が慣れてきたレオが見た光景は、とても信じられないものだった。

 真っ青な空にそこに浮かぶ白い入道雲。微かに吹く心地よい風が少しだけ暑さを和らげてくれる。ギラギラと輝く太陽の光を反射させて、目の前に広がる海も輝いていた。
 レオがいるのは船ではなく砂浜の上で、仰向けで倒れていたらしく起き上がると同時に頭からさらさらと砂が降ってきた。先ほどの沈む感覚はこの砂浜に手をついていたからだったようだ。

 砂浜を隔てた反対側には草木が生茂るジャングルが広がっており、その先は薄暗くてよくわからない。動物がいそうな気配はするもののその姿が見えることはなかった。

「……どこだ、ここ」

 目の前に広がる光景に思考がついていかない。村を出て港へ行き美味しい海の幸を食べた。満員の船に乗り、後ろの目立たないところで海鳥と戯れた。そして――

「そうだ、船から落ちたんだった」

 突然の大きな揺れにレオの小さな身体では耐えることができず、そのまま海へ落ちてしまった。泳げない訳ではないが、予想外のできごとに混乱して大きくもがいてしまい、そのまま気を失ってしまった。
 海の底へどんどん吸い込まれていくようなそんな感覚を漠然と覚えている。しかし、不思議なことに溺れたにしては、今目の前にある海に対して恐怖を感じていなかった。むしろ、この青い海を見ていると懐かしささえ、レオは感じていた。

「どーっすかなぁ」

 呟くように出た言葉は誰に届くわけでもなく波の音に消えてしまう。運よく島に流れ着きはしたが、しばらく座り込んでいても人が来るような気配はない。ここにいても今度は暑さで倒れてしまいそうなので、レオはその場から立ち上がると服についた砂を丁寧に払った。

 唯一の荷物のショルダーバックもレオと一緒に流されたようで、中身も全部無事だった。数日分の着替えにフェイスタオル、十徳ナイフ、水筒、財布と大したものは入っていない。故郷から旅立ったと言っても、その土地で短期の仕事をしながら生活しようと考えていたので、残りの生活必需品は都市についてから揃えるつもりだった。

「なんて心もとないサバイバルセット……。これで人いなかったら詰んでるやつ」

 1人が不安だからか、それとも寂しいからか自然と独り言が増える。レオはジャングルの方へ視線を向けると、そこへゆっくりと足を進めた。





 ジャングルの中は日差しが直接当たらないこともあって、砂浜にいた時に比べると涼しく感じた。とはいえ、体形を誤魔化す為に着ていた上着がどうにも暑苦しく、早々にショルダーバックの中へしまい込んだ。
 住んでいた教会も村も山の方に位置していたが、ジャングルとなるとどうも勝手が違い、非常に歩きづらく体力がどんどん消耗していく。レオは額の汗を拭いつつ辺りを見渡してみるも、先ほどから同じ景色を延々と見ている気がしてならなかった。

 しばらく歩き続けてみたが人の気配もしなければ、住居らしきものも見つけることができなかった。ここは無人島なのではないかという不安が頭を過ぎる。

 教会ではサバイバル技術なんて習わなかったし、レオはみんなの中でもかなり不器用な方だった。当番制だったので料理も練習はしたものの、人並み以下の腕前にしかならなかった。掃除に洗濯もそこそこで、どちらかというと男の子がやるような巻割りなどの方が向いていた。
 レオにはそんな拙い技術でこのジャングルを生き残れる気がしなかった。

 無計画にジャングルへと足を踏み入れてしまったが、よく考えれば浜辺に残って、この島の近くを通る船でも探していた方が、よほど有意義だったのではないかとレオは後悔する。
 それに加えて適当に歩き出してしまったので、どの方向から歩いてきたのかさえわからなくなってしまっていた。教会にいた時に神父様から「もう少し考えてから行動しなさい」と言われたことを今さらながら思い出した。

「誰か……誰かいませんかーッ!!」

 現実を直視した途端、レオは焦りを覚えて口の脇に手を添えながら叫んだ。草を踏みしめ、もう片方の手で長い蔓を払いながら必死でジャングルを進む。

 そんなレオの必死な想いが通じたのか、森の奥から声が聞こえた。

「あらぁ〜? 女の子なんて珍しいわねぇ〜」

 その声は木々の奥の方から聞こえ、レオの位置からは姿が見えなかった。口調は女性的であるのに対し、男性が甲高くひねり出したような声だったが、遭難を免れたと安心しきったレオには気にならなかった。

「あ、あの! 私、船に乗っている時に落ちて! 流されて! 辿り着いて!」

 安心感とどうにかこの人物に助けて貰わなければならないという焦りで、レオは自分の状況を上手く説明できない。その事にまた焦り、無我夢中で声のした方へ草をかき分けて進む。
 そんなレオの状況を感じ取ったのか、その声の主は安心させるような優しい口調で再びこちらに語り掛けてきた。

「落ち着いて、そんなに動いたら危険だわ。 私がそっちに行くからちょっとだけ待っていて!」

 優しい声と言葉に一瞬でレオの身体の力が抜ける。張りつめていた気が抜けて、瞳にはうっすらと涙が浮かんだ。
 船から落ちて、助かったが知らない場所へ流れ着いて、遭難して無人島かもしれないと絶望して。短期間で色々なことが起き過ぎて涙も出てこなかったが、ここにきて言葉が通じる相手に出会えたことで、レオは安心しきっていた。

 目の前の大きな草が、がさりと音を立てて動く。それと同時に声の主の姿が顕わになった。

「貴女、大変だったわねぇ。 私でよければ力になるわ!」

 草の蔭から現れたのはレオの身長を優に超えた巨大な生き物だった。
 薄いピンク色の身体から生えたぎょろりとした大きな目玉。根元に結んである水色のリボンが目につく。赤く分厚い唇から大きな舌が覗いている。薄ピンク色の背には濃いピンクの大きな貝殻を背負っていた。

 この生き物が何かと聞かれればレオはカタツムリだと答えるが、それにしたって色々と可笑しい点が多すぎる。

 立て続けに起こるインパクトのあり過ぎる出来事の数々に、レオの頭では耐えきることができずに、熱中症も相まって、レオはそのまま意識を飛ばした。そして重力に逆らうことなく身体は後ろへと倒れ込んだのだった。





「あら、気を失っちゃったワ!」

 イトウはいそいそと倒れた少女に近づいた。倒れたその小柄な少女の顔色は少し青ざめていて、額には汗が流れていた。恐らく、この暑さで熱中症になったのだろうとイトウは考え、触角を器用に使って自身の殻の上に少女を乗せた。

 この少女からは、いつもシンタローの元へ続々とやってくるガンマ団の人々のような、刺々しい殺気立った気配は感じられなかった。むしろ、優しくてどこか懐かしいようなそんな感じがして、イトウはどうしても放っておけなかった。

「お嬢ちゃん、安心して! 今、パプワくんの所へ連れて行ってあげるワ!」

 昼を少し過ぎた頃合なので、あそこの住人はみんないるだろうとあたりを付けて、イトウは少女を背に乗せたまま、パプワの家へと向かったのだった。