03
食事が済み、シンタローは食器を洗うために立ち上がった。パプワはチャッピーと一緒に食休みをしている。誰かが言葉を発することもなく、珍しく穏やかな午後を過ごしていた。「シンタローさぁん!」
沈黙を破ったのはイトウの甲高い声だった。扉が開くと同時に条件反射でシンタローは眼魔砲を撃つ手を構えたが、イトウの背に見慣れないものを発見して、そっと手を下ろした。
いつもは一緒に居るタンノの姿もなく、シンタローに飛びかかる様子もない。
いつもと違うイトウの行動に、疑問を抱いているシンタローの様子を気にも留めず、パプワはイトウを部屋へと招き入れた。その傍でチャッピーも、友人の訪問に嬉しそうにひと鳴きした。
「珍しいナ! タンノくんと一緒じゃないなんて」
「わぅー」
「今日は緊急事態だったから、私だけで来たのヨぅ。この子がね、森で迷ってそのまま暑さで倒れちゃったのよ」
そう言ってイトウは背を向けると、シンタローに向かってその殻に乗せていた人物を近づけた。殻の上からコロンと転がってきて、シンタローは咄嗟に受け取った。
軽い。それがシンタローが最初に受けた印象だった。
目を瞑っている顔は幼く、年頃はコタローよりも少し上ぐらいだろうか。シンタローと同じ真っ黒な髪の毛で、それは短く切り揃えられている。その短い髪と身体より大きめな服でわかりにくいが、この線の細さは女の子であろう。
着ている服はどこかの民族衣装のようだが、シンタローは見たことがなかった。
シンタローの腕に抱かれている少女をパプワはそっと覗き込んだが、珍しく言葉を発することなく、黙り込んでいる。
「この子ね、船から落ちたって言ってたのよ。 いつもシンタローさんの所に来ている人達とは、なんだか様子が違うから連れてきたワ」
「ああ、この子は女の子だしガンマ団とは関係ねぇと思う。まぁ、絶対とは言えねぇが」
「私もそう思ったのよ! もう少し話を聞きたかったけど、途中で気を失っちゃって……」
悩ましげに溜息をつくイトウを見て、やっとパプワが口を開いた。
「なんで気を失ったんだ?」
「わぅ?」
「それがね、私の顔見たら倒れちゃったのよォ。熱中症もあると思うけど、きっと安心したのね」
「いーや、違うと思う」
シンタローは真顔でつっこんだ。
まだ詳しい話は聞けていないが、船から落ちて遭難した一般人だったとしたら、遭難した直後に巨大な喋るカタツムリなんて見たら、正気でいられる訳がない。大抵パニックを起こすか気絶するかのどっちかだ。
ちなみにシンタローはというと前者だった。ごく稀にこの島のナマモノたちを希少動物だと喜ぶ人間もいたが、それは極めて珍しい例である。
そのまま少女をシンタローが抱いても仕方ないので、部屋の隅に布団を敷いて、その上に少女を寝かせる。少女だとわかった以上、服をぬがせるわけもいかず、服の上からになるが脇の下に氷嚢を、首の所に緩く水を絞ったタオルをまいてやる。
そうしている内に段々と身体が冷えてきたのか、少女の顔色はイトウが連れてきた時よりも良くなってきて、頬に少しだけ赤みがさしてきた。
この島に来た人間ということで、シンタローは少女とはいえガンマ団関係者かと疑っていたのだが、ぐっすり呑気に眠りこけている様子から、警戒心を少しだけとく。
用心するには越したことはないが、この様子だと取り越し苦労になりそうだ。
水を張った桶を片付けながらそんなことを考えていると、先ほどからパプワが少女をじっと見つめていることに気が付いた。
「どうした?」
「……いや」
シンタローの問いかけに答えることなく、パプワはそのまま視線を逸らした。
くり子が来た時とはまた違う反応を示すパプワを、シンタローは不思議に思って、同じように少女をじっと見つめてみる。しかし、シンタローには至って普通の少女にしか見えなかった。
レオは真っ白な部屋の中、1人立っていた。そこには窓も扉もなく、四方を白い壁で囲まれているので、外の様子は全くわからない。
立っていた場所から1歩足を踏み出してみると、後ろからゴトンと何か重いものが落ちてきたような音がした。振り返ると、先程は何もなかったはずの場所に大きなテレビが鎮座していた。
かなり古いもので、現在主流となっている液晶タイプのものではなく、ブラウン管タイプのものだった。ガラスでできた画面の横には、ダイヤル式のチャンネルがついている。
好奇心からレオがテレビへと手を伸ばすと、ぶつんと音がしてテレビの電源がついた。驚いてそのまま手を引っ込める。
テレビに映っていたのは幼い少女と青年の姿だった。白黒な上に映像も乱れていて、登場人物の顔さえ満足に映っていない。
『ねぇ! ―――! あそぼうよ!』
『――様、また貴女は1人でこんな所まで来て……。 ここは危ないと前にも言ったでしょう?』
『うん、わかった。こんどからきをつける。だからあそんで!』
『絶対分かってませんね』
映像だけでなく、音声も乱れており、恐らく名前を呼んでいるであろう部分は特に雑音が酷く、レオには聞き取ることができなかった。
場面は変わることなく、同じシーンが繰り返し流れ続けている。ストーリがある訳でもない単調な映像だったが、レオはその映像に懐かしさを感じていた。
しばらくレオはその映像を眺めていたが、途中で身体がテレビからどんどん離れていっていることに気が付いた。さして広くはない部屋にいた筈なのに、テレビとの距離はどんどん遠ざかっていく。
レオは動くこともできないまま、そのまま白い壁の中へ沈んでいった。
ぼんやりとした意識の中、男の子の声と犬の鳴き声が聞こえてくる。それと同時に顔の近くに何かの気配も感じて、レオの意識が段々とはっきりしてくる。
ゆっくりと瞼を開くと、大きな黒い瞳と目が合った。顔の全体像もわからないぐらい近い距離間にレオが驚いていると、相手が少し距離を開けたらしく、その瞳の持ち主が少年だったことがわかった。
レオは布団に寝かされていた身体を起こす。
黒く硬そうな髪はツンツンと立っており、瞳は大きいが黒目は小さい。つり目で鋭い目つきだが、ふっくらとした頬がどこか愛嬌を感じさせる。
自分よりもかなり幼い少年で、何故か腰蓑だけしか纏っておらず、随分と身軽だ。
少年の横にはふっくらとした茶色い毛の犬が寄り添っていて、興味深げにこちらを見ている。犬の首には首輪がついており、真ん中には丸く深い青色をした石が取り付けてあった。
その石が一瞬きらりと光ったような気がして、レオがそちらに気を取られていると、少年が口を開いた。
「おまえやっと起きたな! 随分寝ていたぞ。ボクの名前はパプワ、こっちはチャッピー」
「わぅ!」
少年――パプワの言葉の後に、茶色い犬のチャッピーが一鳴きする。
「え、えと、私はレオだよ」
目覚めたばかりで、まだ寝ぼけたような感覚のまま、レオはとりあえず名前をパプワに告げた。戸惑っているレオを特に気にした様子もなく、そうかと一言いうとパプワとチャッピーは2人で遊び始めてしまった。
もっと色々と聞かれると思っていたレオは、そんな彼らの態度に拍子抜けしてしまった。それが返って気持ちを落ち着かせてくれて、段々と状況を思い出してきた。
「そうだ、ジャングルで迷って助けて貰ったんだ……! もしかして、君たちが助けてくれたの?」
「違うゾ、助けたのはイトウくんだ。さっき飛んでったが、また来ると思う」
「え、恩人飛んでったの?」
突拍子のない言葉に思わず聞き返すが、パプワは既にチャッピーと踊り始めてしまい、その言葉の真意はわからない。幼い子供の言うことでもあったので、レオは一先ず気にしないことにした。
話していて思い出してきたが、確か女性のような男性に声を掛けて貰った記憶がぼんやりと残っている。姿は思い出せないが、恐らくその人物がイトウくんだろう。
「そのイトウさんには後でお礼を言っておくね。君たちもありがとう、助けてくれて」
拾ってくれたのはイトウという人物だが、この家を提供してくれたのは彼らだと思い、レオはへらりと笑って礼を述べた。寝かされた布団や首元のタオルなどから、手厚く看病してくれたことがわかる。
目が合ったパプワは何故かレオの顔を見て、そのまま固まっていた。
「どうしたの? パプワくん?」
「……なんでもない」
そのままふいと視線を逸らされたが、照れてるのかなとレオは特に気にしなかった。
「ねぇ、お家の人はいないの? 君たちだけじゃないよね」
「召し使いはいるが、今は洗濯中だ」
「もしかしてパプワくんお坊ちゃん?」
両親の事を聞いたつもりだったのだが、まさかの事実が判明した。すぐに両親の話が出ないということは、もしかしたらパプワも複雑な事情を抱えているのかもしれないと思い、レオはそれ以上深くは聞かなかった。
「レオはどこから来たんだ?」
「故郷の島から船に乗ったんだけど、揺れた拍子に落ちちゃってさ……。気が付いたらこの島に流れ着いてた的な」
「マヌケだな」
「端的な言葉が逆につらい」
レオはパプワのことを幼い少年だと思っていたが、随分辛辣であることがわかった。
「あ、そうだ。ここはどこだかわかる? 地図とかあれば見せてほしいんだけど……」
「ここは地図には載ってない島、パプワ島だぞ!」
「は?」
予想だにしていない切り返しに、今度はレオがそのまま固まってしまった。パプワをそのまま見つめるが、彼もこちらを真っ直ぐに見返しており、とても嘘や冗談を言っているようには思えなかった。
故郷を出発してまだ1日も経っていないが、レオの旅路は前途多難だった。