うららかな春。
妖館の前の桜の木が、風に揺れて散っていた。
最上階の自室からそれを眺めつつ、鼻歌を歌う。
いい日になる、予感がした。
ラウンジに降りていくと、見慣れた顔がそろっていた。
私の靴音を聞きつけたのか、一番に振り返ったのは野ばら。
「華火ちゃん! おはよう、今日もメニアックね」
「おはよう野ばら。貴方もきれいよ」
「よっす。今日は遅起きだな」
「ちょっと所要を済ませていたのよ連勝」
「おはよう、華火ちゃん……」
「カルタ、おはよう。今日も元気そうで何よりだわ」
いる全員に返事をして、軽食をとる。今日も妖館の面々は変わりない。
彼らの体調を気にかけるのも、私の仕事の一つ。
「そういえば、今度ここに新しい入居者がくるって話だけど。知ってる、華火ちゃん?」
「ええ。耳が早いわね、野ばら」
「ってことは新しくSSも増えるのか?」
「そうよ。ちょうど今日の午後、到着予定だわ。案内をするから、その時皆にも紹介するわね」
「どんな人達……?」
「さあ。噂しか知らないし、噂は当てにしないの。知ってるでしょ?」
人の噂など所詮75日で消え失せる。
とはいえ。
「でも一人は知ってるわ。顔見知りなの」
「会ったことがあるのか?」
「ええ、昔ね。よく私の遊びに付き合わせたものよ」
「かわいそうに……」
「ちょっと」
「華火ちゃんとのデートなら私は大歓迎よ」
「私も……」
「ふふ。ありがとう二人とも。連勝は後でシバくわ」
「優しくして……」
思い出せるのは、ぼんやりとした記憶。
此方が開催したパーティーに、妖怪の先祖返り同士だということで親が半ば無理やり参加させたと聞く。
そこで出会った、何にも関心を示さない冷たい瞳。
それが酷く退屈で、あれやこれやと遊びに付き合わせたものだ。今となっては昔のことだけど。
「引っ越しの荷物が正午につくと聞いたわ」
「正午っていうと……」
「あと三十分ね」
「そう」
ごちそうさま、と手を合わせて。
それまで花見でもしようかと、玄関先に足を延ばす。
妖館の桜は見事だ。上から見るのもいいけれど、下から眺めるのも風情がある。
もう少し暖かければ、桜を見ながら食事してもいいのに。今日は少し寒い。
出迎えの前に上着をとってこようかしら、と腕をさすった時だった。
「――華火さま」
「!!」
「お風邪を召されますよ」
ふわ、と。
唐突に、私の肩に上着がかけられる。
咄嗟に飛びのいた先、いたのは昔馴染みだった。
「双熾!」
「お久しぶりです、華火さま。……またお会いできる日を、心待ちにしておりました」
「お、驚かさないでちょうだい!」
「申し訳ございません。驚かせるつもりはなかったのですが」
「よく言うわ……」
整った顔。青緑と金の、神秘的な色をした双眸。
変わっていない、ように見える。最後に会った時から。
けれど、何か……何かが、違う気がした。
「……?」
「……? いかがされましたか」
「……双熾、貴方……何か、変わった?」
「……そう、見えますか」
「ええ。何が変わったか、上手く言えないのだけれど」
ふむ。顎に手を当てて、上から下まで眺めてみる。
身長は変わっている。体躯も変わっている。が、そういうことじゃない。
そういうことじゃなくて、もっと、こう……ああ、上手く言えない。
なんとなくだけれど、雰囲気が。柔らかく、なった?
「体調は崩していないでしょうね」
「はい」
「ならいいわ。何かあったらすぐ言ってちょうだい」
「華火さまにご心配をおかけするようなことは……」
「ご心配、じゃないの。私の立場を知らないの?」
「存じております。華火さまは、妖館全体のSSでいらっしゃいますね」
「知ってるならいいのよ」
SS。
通常妖館では、一人につき一人、SSが配属される。
断ることもできるけれど、妖怪の先祖返りという特殊な立場は危険にさらされやすい。ゆえに断る人はほとんどいない。
ただし私は別だ。ごくまれに、妖館全体を警護するSSが配属される場合があり、それが私。
警護されるにも強すぎて、誰か一人を警護するには力が有り余る。そんな能力を持ったごくわずかな人間だけが、その立場につくことを許される。
「SSっていうのはね、何も外傷だけに気を付けるんじゃないの。風邪を引けば看病するし、病気があれば病院にだって連れて行くわ」
「……華火さま直々に、ですか」
「そう。まあ他のSSがどうしているかなんて知らないけれど、この私がやるんですもの。それくらいはしなくっちゃね」
胸に手を当てて、ふふんと威張る。
私の力は私が一番わかっている。だからこそ、この立場につくことを承諾したのだ。
「……しかし」
「あらなあに。まさか、私がSSをやっているのが不満だとか言わないでしょうね」
「……」
「私が決めたのよ。貴方に口出しする権利はないんじゃなくって」
「……そうですね」
いくら妖怪の先祖返り同士と言えど、家の格差というものは存在する。
特にうちの家は、御狐神より立場が上だ。だからこそ私は双熾に会えたと言ってもいい。
「ときに華火さま、ここでのSSを行うにあたって規定などはなかったでしょうか」
「規定? そうね……基本自由よ。勿論主人を絶対に守る、なんていうのは言うまでもないけど、それ以外は皆バラバラね」
「左様ですか。それでは僕も華火さまの警護をさせていただきます」
「……は?」
今、なんだかとんでもない言葉が聞こえた気がする。
見上げれば、彼はにこやかに笑っていた。
「……聞き間違いかしら。今、私を警護するとか聞こえたけれど?」
「はい、その通りです」
「その通りですじゃないわよ! 私が! ここの! SSなの!」
「存じておりますよ」
「な、なら警護するのは私! されるのが貴方に決まっているでしょう!」
「ですが華火さま、先ほど規定はないと……」
「それは自分の主人に対する話で……貴方だってSSとしてここに来たなら、貴方の主人を警護しなさいよ」
「勿論、そのつもりでございます。ですが華火さまが身を張って僕を護るというのは、聞くだけで身が張り裂けそうで……」
「嘘つけ!」
目を伏せて口元に手を当て、ふるふると震える彼は演技派だ。信じてしまいそうになる。
だけど知っている。私は彼にそこまで思われる筋合いはない。
かつてさんざ付き合わせたことで恨まれはすれど、慕われることなどありはしないのだ。
……まさか。女である私に守られるのが嫌だというタイプか?
そういうのはよくいる。妖館の住人にだっている。はーん、なるほどね。
「規定、ないんですよね」
「〜〜っ、いいわよ自由にしなさいよ! でも私だって貴方を護るんだからね!」
「ふふ、護りっこですね」
「笑うな!」
まったくもう! やっぱり変わった、随分変わった。
昔はあんなに無感動な瞳をしていたというのに。今は随分お腹が真っ黒だ。
まあいい。強さなら私の方が上だ。
はあ、とため息をついて。私は双熾に向き直った。
「ともあれ、まずは貴方の引っ越しね。荷物、運ぶの手伝うわ」
「もう終わりました」
「え? 終わった?」
「ええ。少し早めについておりましたので」
「じゃ、じゃあ貴方ここで何してたのよ」
「はい。華火さまが来られるというので待っておりました」
「……し、信じられない。春先とはいえまだ寒いのに」
「そうですね。ここは冷えますから、よろしければ僕の部屋で紅茶などいかがでしょう」
「え?」
「さ、こちらへ」
「え?」
な、なんでこうなった。
私はなぜだか双熾に手を引かれ、彼の部屋まで案内されることとなった。
彼の部屋は4号室。廊下を行った先、真新しい空気の部屋の中。
荷物などとうに解かれており、きれいなテーブルが鎮座している。
「……なんでこうなったのかしら」
「ハーブティーをお入れいたしますね。ミルクはご不要でよろしかったでしょうか」
「え? ええ……」
「砂糖ではなく蜂蜜、でしたよね」
「……よく覚えているわね」
「忘れるはずがございません」
……まあ、そうか。
彼に紅茶の入れ方を教えたのは私だ。調子に乗って好みの味まで教えた。
だからだろうか。彼のいれたお茶は完璧に私の好みだった。味だけでなく、温度や濃さまで。
嫌味を言われている気分だ。
「ケンカ売ってる?」
「まさか。……華火さま」
「なあに?」
「お会いできるのを、心より楽しみにしておりました」
そう告げた彼の瞳は、なんだか嘘をついているようには見えなくて。
全く、彼はつくづくよくわからない人だと。
そう思いつつ、私はハーブティーを口にしたのだった。
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