ざわ、と妖館の結界がざわめいたのを感じる。
ただ、危険なものじゃない。
帰ってきたのだ、あの二人が。








一階に降りていたエレベーターが、途中で止まる。
ここの階にあるのは一号室。つまり。


「お帰りなさい、残夏」
「たっだいま〜、華たん」
「元気にしていた? 変わりはない?」
「元気も元気。華たんも変わりなさそうで何より〜」


夏目残夏。一号室のSSであり、私の幼なじみだ。
とはいえ会うのは久しぶりだ。彼は護衛対象とともに、しばらく外に出ていたから。


「そうだ、四号室に新しい子が入ったの。もう会った?」
「うん、ちよたんでしょ? かわいい子だね」
「ふふ、そうでしょ。仲良くしてね」
「もちろんだよ」


エレベーターが止まり、ラウンジに着く。
ドアが開いた先には、凜々蝶と双熾がそろっていた。


「あ、二人とも……」
「そーたぁん!」


いつの間にか、残夏が横からいなくなっている。
少し先にいる双熾の肩にぎゅっと抱きついていて。凜々蝶が引いてる。


「あぁん、そーたんと一緒に働けるなんて思わなかった〜。声かけてくれれば良かったのに〜。あ、ちよたん昨夜ぶりー」
「な…友人か…?」
「旧友だよ、ねっ」
「お久しぶりです、ご無沙汰しております。夏目さん」
「随分な温度差だな…」
「……賑やかね、貴方がいると」
「! 龍泉さん」
「おはよう、凜々蝶、双熾」
「おはよう、ございます……」
「おはようございます、華火さま」


残夏はある意味ムードメーカーだ。彼がいることで、妖館の人間関係が緩やかに回っていると言ってもいい。
双熾と残夏が一緒にいるの、久しぶりに見たな。温と冷って感じだ。


「そーたんて相変わらずドライ…でもボク、そーたんになら抱かれてもいい…」
「ありがとうございます、光栄です」
「光栄なのか…」
「こういうのは人それぞれよ、凜々蝶」


残夏の言っていることはほぼ冗談に聞こえる。付き合いが長いと、意外と冗談は少ないことに気付くのだが。
とはいえこういうのは冗談かどうか解らない。ので、流すことにしている。その方が平和だ。


「夏目さんは以前の主の友人で、親しくして頂いておりました。旧友と言って頂けたように、古くからお付き合いさせて頂いております」
「幼なじみみたいなものか…」
「おい!」


幼なじみ。言い得て妙だ。そんな気軽い仲でもない気がするけど。
そして聞こえた、もう一つの声。ぱっと自分の顔が明るくなるのが解った。


「敵と馴れ合うんじゃねーよ! 今日こそケリつけてやんぜ狐ヤロー!」
「卍里!」
「久しぶりだな、九尾の妖狐。ここで会ったが百年目ってやつだ。首洗って待ってたか宿敵!!」
「お久しぶりです、ご無沙汰しております。渡狸さん」
「随分な温度差だな…」


豆狸の先祖返り、卍里だ。
ギラギラの金髪に乱暴な言葉。いかにも、といった不良である。


「彼も幼なじみーズの一員だよ」
「幼なじみなんかじゃねーよ! 仲良しにすんなっ! 俺はおまえらにイジられ倒されてただけだ…。でもそれ自体はいい、ガキの頃だ。弱肉強食で当然だ…。俺が許せねーのは…」

『主人の命とはいえお助けできず申し訳ありません』
『俺…自分が情けねぇ…』
『そんな事はありませんよ。とても可愛らしかったです』

「あの時俺のプライドは粉砕されたんだー!!」
「言葉が適切ではなかったのですね、申し訳ありません」
「簡単に謝るなっ!」
「そんなこともあったわねえ。懐かしいわ」
「君も知っているのか」
「ええ、もちろん」
「何を隠そう、華たんも幼なじみーズだからね!」


懐かしい。今となって思えば悪いことをしたが、あの頃は豆狸の姿の卍里が可愛くて可愛くてたまらなかった。
特に二歳下というだけで弟分のようなものだ。随分かまいまくった覚えがある。


「華火は……! ……時々助けてくれたけど……。でも俺を散々、しわくちゃになで回しやがって!」
「ごめんなさい、可愛かったのよ、昔の貴方。今も可愛いけど」
「可愛いって言うな!」


しみじみ思う。ころころの、子犬なんかと同じサイズの卍里。
尻尾がもふもふで、頭に葉っぱが乗ってて。可愛かったなあ。


「とにかく、今日は決闘だ。もう可愛いなんて言わせねーからな! 昔の俺と思うなよ、今の俺は不」
「ハイハーイ、ではルール説明です」


あ、残夏が遮った。


「勝負方法は妖館ウォークラリー。現在妖館に居る全ての住人従業員からサインをもらって、早くここに戻ったチームの勝ち」
「では不戦敗という事で」
「空気を読めえぇえ!」
「まあまあ、卍里。双熾は凜々蝶のSSだから、むやみに個人行動するわけにいかないのよ」
「いや僕が言うのも何だが、もう少し付き合ってやれ…」


凜々蝶は優しいな。ちらりと双熾に目を向けると、彼はにっこりと微笑んだ。


「そんなん認められっか、どうしてもってんなら代償だ、10発殴らせろ!」
「はい、それで気を納めて下さるのでしたら」
「なっ」
「華火さまのおっしゃったとおり、今僕は凜々蝶さまのSSです。個人行動するわけにも、凜々蝶さまを巻き込むわけにも参りません。それにこのルールであれば、凜々蝶さまの厭う他人との接触はさけられません」
「構わん。もう充分巻きこまれてる。それに今は僕が君のパートナーだ。黙って殴られるなんてみっともない姿を晒されるのは迷惑だな」
「凜々蝶さま…」


なんとなく、なんとなくだ。
二人のやりとりを見ていられなくて、そっと目をそらす。
視界の端で、残夏がこちらを見ているのは解っていたけれど。


「じゃあまずは、龍泉さんから……龍泉さん?」
「! はいはい、ええと……サインだったかしら」
「あ、ちょっと待て! 華火、俺にもサインしろ!」
「うーん……」


サインするのは構わない。でも勝負というなら、何かお題を出してクリアしてもらった方がいい。
その方が楽しいから。私が。


「じゃあ卍里。豆狸になって」
「な!」
「久しぶりにもふもふしたいわ」
「や、嫌なこった! 言っただろ、俺は不良だ!」
「そ。じゃあサインはなしね」
「う! ぐ、ぐぐ……」
「……君が彼らの幼なじみというのが解った気がする」
「凜々蝶、褒めてないわねそれ」


凜々蝶はすっと目をそらした。まったくもう。
まあ絶対嫌だというなら、無理強いするつもりは……。


「す、少しだけだからな!」
「!」


どろんと音を立てて、卍里が豆狸へと変化する。
茶色の毛並み、もふもふの尻尾。
久しぶりに見た、その姿。


「かっ……可愛いっ!!」
「うぎゃー! 抱きしめんな! もみくちゃにするなー!」
「うふふ。いいって言ったじゃない。言わなかったことにはさせないわよ」


もふもふもふもふもふもふもふもふ。
動物も飼っていないし、毛並みのいいクッションも持っていない。
なんて心地いい。いいなあ。動物飼おうかなあ。
そんな簡単に飼うとかできないけど。お兄様におねだりしてもふもふのクッション買ってもらおうかなあ。
なんて思いながら、ひたすらに毛並みをもふもふしていれば。


「っ、もういいだろ!」
「あ」


どろん、と。卍里が元の姿に戻ってしまった。
ああ、私の至福の時間が……。


「ほら、ここにサイン!」
「はいはい」
「ったく……じゃあな!」
「ええ、またね卍里」


手を振って、彼を見送る。
ああ楽しかった。まだもふもふの余韻が残っている。


「龍泉さん。こちらにもサインをもらえるか」
「あ、そうだったわね。……双熾?」
「はい」
「……なんか、怒ってる?」
「いえ、まさか」


キラキラした笑顔。一見すると、いつも通りに見える。
が、なんとなく。幼なじみの勘とでも言おうか、妙に機嫌が悪いような。


「そうねえ。卍里に条件を出したから、貴方たちにも条件を出したいんだけど……」
「だが僕らはもふもふなものなど持ってはいないぞ」
「そうよねえ。うーん……」


ふむ、と考える。卍里はあれでいいとして、凜々蝶も双熾も毛並みなんか……。
……毛並み?


「そうだ。双熾、貴方も変化してちょうだい」
「僕も、ですか」
「貴方も尻尾、あるでしょ。出して」
「かしこまりました」


ざわ、と空気が揺れて。
真っ白な狐の耳。九本の尻尾。
妖狐状態の双熾が、姿を現した。


「貴方にも毛並みあるじゃない。触らせてちょうだい」
「! ……華火さまがお望みなら、いくらでも」
「……御狐神くん?」


そっと、真っ白な尻尾に手を乗せる。
卍里のもふもふな尻尾とは異なり、こちらはなめらかな手触りだ。
よく手入れされていそうというか、ホテルのシーツなんかを思い起こさせる。


「綺麗な尻尾ね」
「……っ」
「御狐神くん? 君なんか……興奮してないか?」
「いえそんな……。ただ、華火さまの手が、僕の尻尾を……と思うと、」
「御狐神くん!?」


すべすべ。これはこれでいい。動物っぽくはないが、上質な感触だ。
おおー、となで回していれば、「龍泉さん」と凜々蝶に声をかけられた。


「なんだか御狐神くんが新しい扉を開けそうなので、その辺にしてくれ」
「新しい扉?」


妙なことを言う。双熾を見れば、彼は珍しく頬をほてらせてこちらを見ていた。

……なんだろう。なんとなく、気色が悪い。
そっと尻尾から手を離す。尻尾は満足げに揺れていた。


「もうよろしいのですか?」
「え、ええ……サイン、するわね」
「頼む」


なるほど。
気になるからと言って何でもかんでも触らない方がいいらしい。と、私は一つ学んだ。

凜々蝶達も去って行って、さて、と紅茶を入れる。
早速飲もうと口をつけた、その瞬間。


「華たん」
「っげほ、……残夏」
「ふふーん、驚かせちゃったかな?」
「出来れば飲み物を飲んでいる最中に声をかけるのは控えてほしかったわね」


口元を拭いて、残夏に向き直る。
てっきり卍里と一緒に行ったと思っていたのに。何か用事でもあるのだろうか。


「どうしたの、残夏」
「んー。ちょっと、見えちゃったからさ」
「見えたって、何が?」
「華たん、そーたんのこと好きって自覚したんだね」
「! ……つくづく、貴方には隠し事できないわね。そうよ」


否定したところで、彼相手には意味がない。
だから何、と見上げれば、残夏はにこにこ笑っていた。


「その気持ち、捨てちゃうつもりなの?」
「そうね。不毛な勝負はしないつもりなの」
「不毛かどうかは、やってみないとわかんないんじゃない?」
「やる前から結果がわかることもあるみたいよ」


残夏の言葉は、時に真実をついてくるけれど、時に真実を遠ざける。
けれど私は知っている。双熾は凜々蝶のことを思っていて、凜々蝶もまた双熾のことを思っている。
相思相愛なら、そこに他人が入る隙はない。


「華たんってさー、頭いいけど馬鹿だよね」
「な! 失礼ね、学年トップに向かって」
「いやそういう意味じゃなくって……」


残夏がくすくす笑う。意味がわからない。
言われなくても馬鹿なことくらい知っている。気持ちに気付くのが遅すぎたのはとうに自覚済みだ。


「案外、他人の気持ちって推し量れないものだよ」
「それ、貴方が言うの?」
「ボクだから、言うんだよ」


残夏、だから。
それはどういう意味なの。貴方は何を考えているの。
残夏にそう言われてしまうと、期待しそうになる。
無駄な期待を、持ちそうになる。


……不毛な勝負は、しないのだ。そう決めている。


「華たんがそう思うならそうでもいいけど、一つだけ」
「なあに?」
「さっきそーたん、渡狸のこと殺しそうな目で見てたよ」
「は?」


さっき、っていつ。
ていうか殺しそうって何。物騒な。


「じゃあ、ボクは渡狸のところに行くね。またね〜」
「え? え、ええ……また」


長い付き合いになるけれど、残夏のことはよくわからない。
解りそうになったかと思えば遠ざかる。蜃気楼みたいな人だ。
……期待なんて、持たない方がいいと知っているのに。
弾む胸をごまかすように、私は紅茶を飲んだ。
味はいまいち、よくわからなかった。







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