それから毎週のように、華火は双熾を遊びに誘った。
色んな所に行った。遊園地、水族館、プラネタリウム、動物園。
普通の子供なら一度は行ったことがあるかもしれないその場所も、双熾にとっては物珍しく。
けれど特別に興味がわくわけでもなく、華火の様子を見てそれに習うことも多かった。
ただ、華火が笑えばここが楽しいところなのだと知り、華火が涙ぐめば悲しいところなのだと知り。
感情に疎い双熾にとって、それは学びだった。
普通はこういう感情を覚えるのか、と思った。

そして必ず華火は最後に、「どう思った?」と聞いてきた。
わからなかった。双熾にはおよそ、感情というものが育っていなかった。
だから双熾はいつも、体のいい言葉を並べていた。華火にまた何か言われるかもしれないと思いながら。
それでも華火は怒らなかった。そう、とだけ言って、また遊びに誘ってきた。

そして季節が巡り、一年が経った頃。


華火が大量の本を使用人に持たせ、御狐神家へやってきた日のことだった。


「おすすめの本を持ってきたの。読んでみて」
「はい」


客間に通された彼女は、使用人を下がらせると、挨拶もそこそこにそう言った。
テーブルにのせられた沢山の本。厚い本もあれば薄い本もある。
適当に一番上の本を手に取ってみる。華火は既に鼻歌を歌いながら本の世界に入り込んでいた。

それは、高い塔の上に閉じ込められた、少女の話だった。
少女は生まれてから一度も外に出ず、たった一人の魔法使いとともに暮らしていた。
窓の外にある世界に触れることは、けして許されない。

まるで双熾のことのようだと思った。
閉じ込められて出られない。いくら焦がれても外には行けない。
今は華火が、龍泉の力で外に連れ出してくれるけれど。それも彼女が飽きれば終わりだ。

本の続きを読む。少女は塔に来た運命の相手と出会った。
恋に落ち、なんとかして魔法使いの隙を突いて外に出る。
そしてその相手と、幸せに暮らすのだ。

所詮は物語だ、と思った。
運命の相手など双熾には現れない。外に連れ出してくれることもない。
馬鹿馬鹿しい。くだらない。双熾にとっては夢物語だ。そう思って、目を伏せたとき。


「面白い?」
「!」


いつの間にか本を読み終わっていた華火が、こちらを見ていた。
その大きな瞳が、双熾の持つ本に向けられる。


「その話、私好きなの」
「そう、ですか」
「御狐神さんは? どう思った?」


それはいつもの、たわいない問いかけ。
……どう、思ったか。
いつもなら、適当に言葉を並べてすませていたはずのその問いに。
つい、口が滑った。
あまりにも主人公に都合のいい物語の展開に、いらだっていたのもあるのかもしれない。


「……子供だましだと思いました」
「……どんなところが?」
「閉じ込められた世界に、運命の相手が現れて、連れ出してくれるところです。現実ならあり得ない。誰だって厄介ごとには関わりたくないはずですから、目を背けるでしょう」
「じゃあ、貴方だったらどうするの?」
「……僕、だったら?」
「そう。もし御狐神さんが高い塔の上に閉じ込められていたら、どうやって逃げる?」


どうやって、逃げる。
そんなこと考えたこともなかった。一生出られないと思っていた。
けれど、どうにかして出るすべがあるとすれば、それは。


「……僕なら、自分の体を使います」
「体?」
「この本だったら、唯一話せる魔法使いを欺して。現実なら、世話係からまず欺いて」
「……」
「人の心に入り込み、可愛そうな人間を演じ、そして一人ずつ籠絡して……いずれは、一番権力を持つ人にたどり着きます」
「ふうん……」


言ってから、はっとなった。
何を言っているのだろう。このことを華火が誰かに話したら、より周りの目がきつくなるのは目に見えていた。
嘘をつくのをためらうような、華火のまっすぐな目がつい、双熾の口を滑らせた。
慌てて華火に目を向ける。彼女はぱち、と瞬きをして、口角を上げた。


「なかなか賢い考えね。意外と一番堅実かもしれないわ」
「っ、いえ、今のは……その、空想の話で」
「? 知っているわ。何を慌てているの?」
「……できれば今の話は、ご内密に……」


嘘はついていなかった。だからこそ、余計にまずいと思った。
今の計画を実行すれば、おそらく双熾は外に出ることができるだろう。
けれどそれには、周りの人間全てを欺さなければならない。もちろん、華火も。
今双熾は、華火に話してしまった。折角の計画が台無しだ。

覚悟を決めた目で華火を見る。どうにかしてこの少女に、今の話を秘密にさせなければ。
自分のやれることなど体を使うことだけ。なら今回もそうするだけだ。
そろ、と膝の上の手を上げかけたとき。


「構わないわ」


華火はそう言った。


「……え」
「内緒にすればいいんでしょ。安心して、口は堅い方よ」
「……龍泉さま」
「なあに?」
「……その、対価は」
「対価?」


ぷっ、と華火が吹き出して。
あはははと、無邪気に笑った。


「子供達の内緒話に、対価なんていらないわ」
「ですが……」
「それに、私嬉しかったのよ。だからいいわ」
「え?」
「貴方が内面を見せてくれたの、初めてじゃない」


いつも愛想のいい言葉を並べていたばかりで。

知っていたのか、と思った。
いつも何も言わないから、気づいていないのかと思っていた。
けれど、華火は気づいていたのだ。
いつも双熾が本音ではないことも。今回、初めて本音を話したことも。
気づいて、くれたのだ。
嘘だらけの自分の、小さな本音に。
そして本音を出しても、彼女はそれを否定しなかった。
華火には本音を話しても、大丈夫なのかもしれないと。ふと、思った。


「じゃあこうしましょ」


そう言って、華火は拳を握り、小指だけ立てて差し出してきた。


「……?」
「指切り。知らない?」
「……はい、存じ上げません。浅学でして」
「指、立てて。小指ね」
「はい」


双熾も華火に習って、同じ手の形を取る。
すると華火は、きゅっと小指を絡めてきた。


「!」
「ゆーびきりげんまん、嘘ついたら針千本のーます、指切った!」
「!」
「これで今の話は、私たちの秘密ね」


なんのことかはわからなかった。こうすれば、秘密ということになるのだろうか。


「私は針千本飲む気はないから。あ、でも私が嘘ついたら飲ませていいわよ」
「龍泉のお嬢様に、それは……」
「それくらい秘密を守りますってこと! まったく、貴方ったら不器用な人ね」


そして華火は、くすりと笑った。
可愛らしいその笑顔は、裏に何も隠していない、まっさらな笑顔だった。


「……龍泉さま、しかし……」
「……ね、御狐神さん」
「はい、なんでしょう」
「龍泉さまって呼ぶの、そろそろ止めない?」
「では、なんとお呼びすれば……」
「華火って呼んで。私も双熾って呼ぶわ。貴方が本音を話してくれた記念にね」
「そ、れは……」


格上の家の人間を、名前で呼ぶなど。
双熾からしてみれば、あり得ないことだった。
華火に対してどうこうというよりは、御狐神からの叱責を畏れて。


「龍泉さま、それはあまりにも……」
「華火」
「しかし……」
「双熾、華火よ」
「…………」


華火は押しが強かった。
断固として諦めない顔をしていて、双熾は困惑した。
どうしよう、と思って。龍泉の人間を名前で呼ぶことと、龍泉の人間の命令を拒否することを天秤にかけて。


「…………華火、さま」
「うん!」


負けた、と思った。
華火のあまりにも無邪気な笑顔を見て、双熾は負けを認め。
そして、わずかにふっと笑った。
それは双熾にとって初めての、心からの笑みだった。


「あら、双熾。今笑った?」
「!」
「いつもの愛想笑いよりずっと素敵ね。そっちの方がいいわ」


嫌みな言い方だったけれど、嫌みな印象は受けなかった。
それほど、華火はまっすぐな人間なのだと思った。
今まで何回も呼び出され、嫌というほど知っていたことだった。




こうして双熾は華火から、感情を知った。
心に埋もれ、芽すら生えていなかった双熾の感情。
それが、華火の素直な感情の表出に触れるにつれ、少しずつ、少しずつ。育っていったのだ。
双熾の感情は育っていなかったけれど、決して枯れていたわけじゃない。

それを自覚するのは、双熾が御狐神の家を出て、新しい主人の代理として手紙を書くことになった、そのときだけれど。








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