「何ですって? 双熾が凜々蝶を怒らせた?」
「そうなのよ」
「何でまた。凜々蝶が理由もなく怒るなんて」
帰宅して早々、なんだか不穏な空気を感じ取る。
そこにいたのは野ばらと連勝。喧嘩したらしいとうの二人はいないものの、空気がまだ微妙に殺伐としていた。
「双熾がな、キスしたんだよ」
「……は? キス?」
「そう。で、凜々蝶が怒っちゃって」
「……まさか、無理矢理したとか」
「いや合意の上だぜ、一応」
「合意の上でキスして、怒るの?」
話が見えない。合意でキスしたのに怒るとはどういうことだ。
首をかしげる私。に対して首をかしげる連勝。
そこを解決してくれたのは、野ばらだった。
「キスしたって言っても、凜々蝶ちゃんにじゃないわ。なんでも、前に告白されたとか言う女の子にね」
「ああ……そこが合意だったのね」
「そう。これで諦めるからって言われたんですって。最低よね」
「普通するよな?」
「普通は知らないわ。でもそう、双熾が……ふうん」
凜々蝶が怒ったのはなぜだか知らないが、何か理由がありそうだ。
ともあれ、主人とSSの間にもめ事が起こったと聞いて、何もしないではいられない。
ただここで私が出しゃばるのもどうなのか。お節介かな。
……いや、お節介だとしても。
「とりあえず、凜々蝶のところに行ってくるわ。情報提供ありがと、二人とも」
「ええ、行ってらっしゃい」
「いってら〜」
エレベーターに乗って、凜々蝶の部屋へと向かう。
たとえお節介だと追い払われたとしても、行かなくて後悔するよりましだと思った。
ベルを押す。少し待っていれば、ドアが開いて、暗い顔の凜々蝶が出てきた。
「……なんだ、君か。何の用だ」
「待ち人じゃなくて悪かったわね。話、聞かせてくれる?」
「……君は他人だろう。僕と彼の問題だ、首を突っ込まないでもらおうか」
「他人……」
「っ! あ、いや……」
「そう……そうね、他人だわ。でも、放っておけなくて」
「だ、だからそれが余計なお世話だと言っている!」
凜々蝶が言い放った言葉が、静かな廊下に反響する。
余計なお世話、か。そうかもしれない。
二人の問題ごとに首を突っ込むなと言われればそれまでだ。何も反論できない。
「……そう。解ったわ」
「……」
「でも凜々蝶。他人に話すと楽になることもあるのよ」
「それは、……」
「私じゃ役者不足というなら、他の人でもいいわ。話してみて、悩みを解消するのもいいことよ」
じゃあね、と手を振って。私はその場から離れた。
否、離れようとしたのだが。
凜々蝶の手が、私の手をつかんでいて離れられない。
「……凜々蝶」
「……あ……」
こちらを見た凜々蝶の瞳が、揺れていた。
まるで迷子になった子猫のように。
「……話、聞かせてくれる?」
もう一度聞く。
凜々蝶は目を伏せて、迷った末に頷いた。
「ど、どうぞ……」
「あら、ありがとう」
凜々蝶の部屋はすっきりとしていた。
家具の色合いに統一感があって、モデルルームのようだ。
コーヒーを出される。いい匂いだ。
「……」
「おいしいわ」
「……そうか」
凜々蝶はコーヒーをいれるのが上手だ。コーヒーの渋みなんかがなくておいしい。
そのまま待っていれば、凜々蝶がおずおずと口を開いた。
「……御狐神君と、契約を解消した」
「それは、双熾がキスしたっていうのが関係しているの?」
「……ああ」
「凜々蝶、双熾のこと好きなの?」
「は!? ち、違う! そうじゃ、……なくて、」
言いよどむ。何を言えばいいか解らない、というより、言葉を探している様子だ。
「……話は、どこまで」
「そうね。これで諦めるからって言われて、告白された子にキスしたってことくらいかしら」
「全部だな」
「そう?」
「……どう、思った」
「どうって……」
ふむ、と考える。
私がそれについて、どう思うか。率直に聞かれれば。
「そうね。その場しのぎの手だと思うわ。少なくとも、告白してきた子のことを考えれば、誠実とはいえないわね」
「! そ、そうだろう……!」
「……ええ」
「その気もない……情もないのに、優しくするなんて……そんなの、」
不誠実だ。
凜々蝶が、ぽつりとこぼす。
確かに不誠実だ。そう同意するかげに、私個人の不快感があるのは、ここでは示さない。関係ないし。
「それで、契約を解消したの?」
「ああ……」
「話はわかったわ。……で、どうしたい?」
「どう、とは」
「双熾をそのままにするもよし、新しいSSを派遣してもらうもよし、って話よ」
「あ、新しいSS?」
「そう」
全国にある妖館において、護衛対象者とSSとの人間関係がうまくいかないことは珍しいことじゃない。
その場合は円満に別れて新しいSSを探す人もいる。あくまで一例だけれど。
「ま、時間はいくらでもあるわ。ゆっくり考えてみて、答えが出たら教えてちょうだい」
「あ、ああ」
「凜々蝶、貴方は間違ってないと思う。この場合悪いのは双熾ね」
「……」
「ただ……」
こちらに向いた、凜々蝶の瞳に微笑みかける。
たった二年だけだけれど。その分多く生きている、先輩としての意見だ。
「何がいやだったのか、それをきちんと話してみれば……双熾は理解できないような阿呆ではないわ」
「……ああ」
「コーヒー、ごちそうさま」
にっこり笑って、立ち上がる。
凜々蝶の方は、これでいいだろう。
双熾に関しては、私が何か言うことはない。
パタン、と閉まったドアを背にして、ぽつりとつぶやいた。
「馬鹿なこと。双熾も、凜々蝶も……私も」
……キス、したと。
そう聞いて、私は何も思わないほど、双熾相手に無関心なわけではないらしかったから。
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Wisteria
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