軽やかな鈴の音が、静まりかえった部屋に響く。
音に合わせて身体を動かしたときの、緩やかに揺れる着物は蝶の羽のよう。
目線の高さにまで上げた藤色の扇子を手首を回してかざし、ゆるりと目線を流せば、たった一人の観客はほう、と息をついた。


「…どうかしら、おかしくなかった?」
「おかしいだなんて! 珀姉様……とてもお美しかったです……! 艶やかで、儚げで……! まさに天下一の美姫の名にふさわしいお姿……とても、とても素敵でした……!」
「ふふ、ありがとう。そこまでいわれると少し照れるわね」


目を輝かせ、赤い頬に手を当てながら言う少女。
その反応にくすくすと笑いながら、私は扇子を畳み、袂にしまった。
仲の良い友人であり、妹のような存在でもある、珱姫。今日はずっと前から約束していた、彼女に私の舞を見せる日だった。
良かった、どうやら喜んでもらえたみたいだ。
珱姫は怪我や病気を治すという摩訶不思議な力のせいで、父親に軟禁のような真似をされている。それを解いてあげることまではできなくとも、定期的に会いに来て気を紛らわせるくらいはしてあげたい。


「でも珱姫、なんなの、それ?」
「それ、とは?」
「天下一の美姫、って……それ、なんのこと?」
「ご存知ありませんか? 今、どうやら巷では珀姉様のことが噂になっているようですよ。春風のように美しい舞を舞い、花も恥じらうようなかんばせで微笑む……その姿はまさに天女のようだと」
「…………」


……なんだそれ、と言いそうになった。
はあ、と溜息をつく。私は確かに恵まれた顔立ちをしているという自覚はある。こんな事言ったらたちまち大勢の人から恨みをかいそうだけれど、それはただ私の両親が優れていただけのこと。
だけど美姫なら、今目の前にいる珱姫だってふさわしい。丸くくりくりとしたつぶらな瞳に、美しい髪。百人いれば百人が惚れるような出で立ちだ。
これだけ綺麗なら、縁談も来ているだろうに。きっとあの父親が全部断っているのでしょうけれど。


「……それで、最近妙に視線を感じるのね」
「視線……ま、まさか珀姉様、また町に!? いけません、女性が一人で、ましてや珀姉様のような美しいお方が!!」
「あら、大丈夫よ。別に危険なことなんてないわ」
「あります!!」


ぴしゃりと撥ね付けられ、思わず口を閉じる。
可愛らしい見た目の珱姫は、怒らせると意外と手が付けられないのだ。
とは言ったって、別に物の怪に襲われるでもなし。ただの男風情なら、数人くらいはどうにかできる。
むしろ私は珱姫の方が心配だ。ほぼ軟禁状態とは言え、こんなにも美しい姫。


「珀姉様、また今日も護衛の方を付けずにやっていらしたのでしょう?」
「ええ、そうよ」
「私を気遣って会いに来てくださるのはとても嬉しいですし、珀姉様の舞もお綺麗です。いえ、舞だけでなく珀姉様はお姿も心もとても美しいです……ですが! もし珀姉様が、私に会いに来た帰りになにかあったらと思うと……!!」
「大袈裟ねえ、珱姫は」
「〜〜っ、珱は珀姉様のそういうところも美点だと思っておりますが……しかし、せめて護衛をおつけください! いくら珀姉様が、並ぶ者のいない実力のある陰陽師であろうと……力だけで言えば、男の人にはかないません……!」
「それは……まあ、そうだけれど……。でも、妹姫のところに行くのに態々護衛だなんて、気詰まりにも程があるじゃない?」


実を言うと、珱姫の家に向かうのは、彼女のためでもあり、私のためでもある。
私の実家、花開院は古くから続く伝統的な陰陽師の家。今一番力があるのは、私の従兄弟の秀元だ。
けれど、私だってそれなりの力は持っている。実際、幼いころは同い年の誰にも負けたことはなかった。……ただ、今は女だというだけで、表舞台には立たせてもらえない。
女だからなんだというのだ、そう言えれば楽だっただろうに。そう上手くはいかなかった。
だからと言って、家にずっといるのもなかなかにきつい。主に他の陰陽師からの目線が。
母様は母様で、花嫁修業花嫁修業と五月蠅いし。日舞や料理はともかく、食べるものまで制限されてはたまったものじゃない。


「それより珱姫、あなた顔色悪いわよ。大丈夫? 力を酷使しすぎているんじゃないの?」
「そ、そんなことは……」
「ほら、いらっしゃい珱姫」


そっと手を差し出せば、珱姫はおずおずと近寄ってきた。
華奢な体躯を抱きしめ、目を伏せて念をこめる。
途端、私と珱姫を包み込むようにして溢れた光の塊が、吸い込まれるように珱姫の身体に入っていった。


「……いつ見ても、凄い光景ですね」
「ふふ、でも私はあなたの神通力のほうがよっぽど神秘的に見えるわ。あなたのは怪我でも病気でもたちどころに治してしまえるけれど、私のはあくまで本人の治癒力や回復力を高めているだけだもの」
「ですが、珱は姉様のお力が好きです。温かくて、とても心地がいいですから」
「そう……? ……はい、どうかしら。少しは楽になった?」
「ええ、とても」


それはよかった、と微笑む。
珱姫の神通力に比べればとても地味な力だけれど、私にも一応摩訶不思議な力は備わっている。
相手を抱きしめ、相手の事を想いながら念をこめる。それだけで、私は相手の治癒力や生気を高めることができるのだ。
ただ、相手を本当に大切だと想わなければできない。だから自分自身にかけることは不可能だし、今一番この能力を出せるのは珱姫相手だ。
ふと空を見ると、もう大分日が暮れかけていた。逢魔が時だ。戻らなければ。


「じゃあね、珱姫。私はそろそろお暇するわ。また、お話ししに来るわね」
「楽しみにしております。その時は是非、お供の方を連れてきてくださいませね」
「……善処するわ」


にっこりと可愛らしく、しかしどこか恐ろしい笑顔の珱姫に微笑み返し、私は屋敷を出た。
途中ですれ違う本家の陰陽師に会釈をしながら門の外へ出る。
待ち伏せていたように飛びかかって来た小物の妖怪を咄嗟に張った対魔用結界ではじき飛ばし、家路を急ぐ。
珱姫のところへ行くといつもこうだ。時間が過ぎるのが恐ろしく早くて、毎回毎回妖怪に出くわしてしまう。
一歩門の内へ入ればたちまち本家お抱えの陰陽師達に消されてしまうと言うのに。妖怪は考えることをしないのだろうか。


「……珀姫、」


ぞわり、と、背筋が震えた。
殺、気……? 今、誰かが私の名前を呼んだ気がする。
駄目だ、振り返ってはいけない。真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ行くんだ。
でないと、もし畏れでもしたら、


「……アなたガ、珀姫でスね」
「……っ!」


突然、目の前に立ちふさがったのは、黒い布を被った男。
顔は見えない。背はそれほど高くない。
私の名前を知っているのが気にかかるところだけど、そんな事どうでもいい。
ただ、直感的に分かった。……この男は、危険だ。


「チかラ……タカメる……キちょウな……イきギモ……」
「……――!」
「チョう、だイ……」


すっと手が伸びてくる。人間の物とはとても思えない、真っ黒で痩せ細った手。
同時に纏わり付く様に濃くなった瘴気に確信した。
これは、妖怪だ。しかも、生き肝信仰の。
……なら、話は早い。


「――式神、鵠g!!」


袂から取り出した紙に念をこめれば、たちまちその場に軽い爆発音と共に式神が出現した。
面を着けた顔に、狩衣姿の男。足元が幽霊のように霞んでいるから風でも吹けばたちまち飛んでしまいそうだけれど、生憎私の使う式神はそんなに弱くない。


「ッ、な……なンだ、コイツ……!!」
「……お願いね、鵠g」
《御意》


陰陽師の使う式神は、階級も強さも使い手によって決まる。
ましてやこの私が使うのだ。ただの妖怪なんかに、負けるはずがない。
女一人だと思って舐めきっていたのだろう。妖怪は鵠gの振るう刀によって、妖力をほとんど奪われてしまった。


「……生き肝、ね」


最近京妖怪達の間で、生き肝を食べることによって力が増す、という噂が交わされているらしい。
剣や弓の腕前が素晴らしかったり、容貌が美しかったり、不思議な力を持っていたり。そういう特別な人間の生き肝は、特にいいのだとか。
……下らない。そんな事をして手に入れたところで、穢れた力だ。何になるというのだろう。
力を求めるのは悪いことじゃない。でも、その本質を見極めようともせず、ただ闇雲にそれだけを欲するのは醜いことだ。
何か物を手に入れようとすれば、必ず代償を払わなければいけないのに。
そんな事すら分からない輩に、私の生き肝なんてとてもくれてはやれない。

切られた妖は、やがて妖力が尽きて消える。
痛みと恐怖に身を苛まれながら、自分の行動を後悔しながら消えていくのだ。
仕方ない、と言えばそれまでだ。人間に手を出した妖怪が悪いのだから。

……だけど。


「……ごめんなさい……」


そう呟いた声は、誰の耳にも入ること無く消えていく。
僅かな呻き声をあげながら消えていく妖怪から目を逸らし、私は踵を返した。
仕方ないことだと自分にどれ程言い聞かせても、この命を奪う瞬間だけは好きになれなかった。
そんな事を考えていたからだろうか。
私は、闇の中から私を見つめる視線に気付かなかった。






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