暫くすると、落ち着いた珱姫は赤くなった目を冷やしてくると言って部屋を出た。
顔に涙の跡をつけた少女を不安そうに見つめながら、妖怪達が入れ替わり立ち替わり、部屋に入ってくる。
素っ気ない物言いで、しかしいつもより柔らかい雰囲気の雪麗を筆頭に、牛鬼、鴉天狗、一つ目……とにかくありとあらゆる奴良組の妖怪達が勢揃いだ。
秀元が頭首だし、彼はおそらく文句も何も言わないからこうなっているのだろうけれど、是光兄様はお冠だろう。
妖が初めて兄様と対面したときもそうだった。今思うと、彼に陰陽術が利かなかったのもぬらりひょんの特性故だったのだ。

妖に目を移す。布団から三尺ほど離れた窓際で煙管を吸っていた彼は、私の視線に気付いてゆるりと此方を向いた。
戦闘時の荒々しい光は、今の瞳にはない。薄ぼんやりとした金色が、夜の暗闇に光っている。
暫くそれを見つめていると、ふと彼の瞳は細められた。


「何じゃ? 見惚れとるのか」
「っ、そういうわけじゃ……」
「……?」
「……いえ、そうね。見惚れていたわ」


妖怪の瞳は美しい。妖だけじゃない。雪麗も、牛鬼も、鴉天狗だってそうだ。
命を賭けて生きている者の、力強さがある。のんびりとただ生を享受している人間にはない、生命の輝きとも言うべきその光。
だからこそ、人は妖怪を畏れるのだろう。自分にないものを持っている者への、畏敬の念だ。


「……アンタにしては、随分あっさり認めるんじゃな」
「嘘吐き呼ばわりは心外だもの」
「うっ……い、いやアレは言葉の綾というか……」
「……ふふ」


らしくもなく慌てる妖に、笑みが漏れた。
あれだけの大妖怪を倒したというのに、とてもそんな風には思えない。


「いいの、自分でも分かってるから」
「……」
「本当はね、初めから自覚していたのよ。花開院の家にこだわりすぎていたけれど……この家に私の居場所なんて、最初からなかった」


本来であれば、花開院に生まれた女は早々にどこかへ奉公に出されるか、武家屋敷に嫁がされるかの二択だ。
私がそうならなかったのは、生まれ持った才のためであるというしかない。おかげ、ととるか、せいととるかは別問題にしてもだ。
歩むべき道から逸れた私のことを、本家が疎ましく思っていることくらいもうずっと前から知っていた。知っていたって、どうすることもできなかったのだ。
彼等の意識は、私が変えられるほど生易しいものじゃない。


「それでも、憧れていたんでしょうね。陰陽師の仕事は……少なくとも昔の私にとっては、本当に格好よく映っていたから」


だからこそ、その差に愕然とした。
あれほど情景の念を抱いていたはずの仕事だったのに。命を奪うことがどういうことなのか、分かっていなかったのだと思い知った。
それでもようやく掴んだ憧れを放したくはなくて。子どものように、意地になって握り締めていたのだ。
握っていたそれは、既に私の憧れたものではなくなっていたというのに。


「……花開院が、恋しいか?」
「え?」
「ワシはアンタを、花開院の家から引き離すつもりじゃった。じゃが、何も無理矢理連れ去ろうなんざ思っちゃいねえ」


煙管を窓枠に置き、妖はゆっくりと此方へ歩いてきた。
次第に大きくなる影は、私の布団の前に座りこむ。
無骨な手に攫われた黒髪が、何かを懇願するように口元に寄せられた。


「アンタが本当に嫌だと言うなら、そんときゃ……」


言いかけた言葉は形にならず、妖の口の中で消えていった。
美しい瞳に宿る色が、先程より心なしか弱って見える。
緩んだ指先から滑り出した髪は弧を描いて、それから。


「……馬鹿」
「!! 珀……?」


完全に髪が落ちてしまう前に、隙間を埋めるように私は手を伸ばした。
広く硬い背中に腕を回し、胸に額を寄せる。
いつも妖の吸っている煙管の匂いが漂ってきて、落ち着くと同時に少しだけ気恥ずかしくなった。


「何を言うかと思えば、随分弱気じゃない?」
「……は、」
「覚えてる? 一番最初に会ったとき、貴方私に向かってこう言ったのよ」


忘れもしない、あの夜のこと。
人を押し倒すなり、妖は勝ち誇ったように言ったのだ。
今考えても、呆れた言葉だとは思うけれど。それでも、私達の関係は確かにあの時から始まったから。


「……本当に、神通力も陰陽術も何一つ関係なしに、私が欲しいんだったら」


息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
収まっていた鼓動が、静かに速くなっていく。
頬が熱くなっていくのを自覚しながら、私は呆然とした妖の瞳を見上げて、口を開いた。


「簡単に、諦めるなんて言わないで」


瞬間、痛いほどの力で身体を抱き込まれた。
身動ぎすら許さないとでも言いたげに、背中の手は私を押さえつける。


「アンタは……っ、本当に……」


ふ、と耳元で妖が笑う気配がした。
思わず其方へ顔を向けると、弱々しかった金の双眼は蕩けるような甘さを含んでいる。
目を見開くと同時、顎を捉えられて引き寄せられた。


「あやか……ん、っ……!」


唇に感じる他人の熱に、反射的に目を瞑る。
肩に回された手の形や熱がありありと伝わってきて、死にそうなくらい顔が熱い。
甘噛みのように食まれた感触がいつまでも残って、火傷のようだった。


「っ……ちょ、も……あ、やかし……んんっ、!」
「は、っ……珀……」


角度を変えて、何度も何度も繰り返される口付け。
時折鳴るちゅっと言う音がやけに響いて聞こえて、たまらなく恥ずかしかった。


「〜〜っ、ぬらりひょん!!」
「!!」


途切れ途切れな息継ぎの合間に、妖の名を叫ぶように呼んだ。
それに反応したのか、一瞬妖の動きが止まる。
その隙を見計らって額を肩に埋め、やっと私は一息ついた。

何でこの妖は、こうも小っ恥ずかしい事ばかり出来るのだろう。顔が熱くなるのだって、何度目か分からない。
自由奔放で人の事なんてお構いなし。ぬらりひょんの特性にしたって度が過ぎる。
一度きっぱり言った方がいいのかもしれない。だって何処でもこんなのじゃ、身が持たないじゃないか。


「変態……」
「アンタのせいじゃ」


ぼそりと呟くと、間髪入れずにそう返ってきた。
人のせいにしないで、と小突けば小さく笑い声があがる。
髪が優しく掬われる感覚が心地よくて、私は静かに目を閉じた。


「……珀」
「なあに?」
「本当に、いいんじゃな?」


最後の声は、やはりどこか震えているようだった。
恐怖、ではないのだろう。緊張か、もしかしたら武者震いのようなものかも知れない。
どちらにせよ、笑えてきてしまう。
こんな、妖怪の世界の主とも言うべき存在が、たった一人の人間の小娘相手にここまでとは。


「……ええ、勿論」


背に腕を回して、もう一度微笑んだ。
昔の私が見たら卒倒ものだし、もしかしたらこの選択が誤りだったと思う日が来るかもしれない。
それでもきっと、後悔だけはしないはずだから。







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