いつだったか、騒がしいのは嫌いだと言った覚えがある。
だけど私は、花開院家で時々催されていたような、賑やかな宴は好きだった。
いつも顰め面ばかりしているような陰陽師たちや御爺様が、珍しく笑顔を浮かべる瞬間。
お酒の力や場の雰囲気もあるとはいえ、滅多に見られないようなその光景は本当に輝かしく見えて。
その時ばかりは、つかの間の平和に浸っていたものだ。
とはいえ。
賑やかなのと五月蠅いのとでは、天と地ほどの差があるのだけれど。
「大勝利じゃー!!」
「奴良組は無敵じゃー!!」
「無敵じゃー!!」
清々しいほどに暢気な言葉が、何処からか聞こえてきた。
完全に酔っているその声を聞き流しながら、漏れそうになった溜息をお茶と共に飲み込む。
辺りを見渡せばそこら中に妖怪たちが溢れていて、あまりにも異様なその光景を、呆れ半分にじっくりと眺めてしまった。
「ちょっと、何よ珀、全然飲んでないじゃないの!」
「貴女達が飲みすぎなのよ。ここが陰陽師の総本山だってこと、忘れてるんじゃないの?」
肩に回ってきた、力の微妙に入っていない腕を撥ね退けて言い捨てた。
顔を寄せてきた雪麗の口から漂った息も酒臭くて、思わず眉を顰める。
私は眠っていたから気付かなかったのだけど、どうやら奴良組はここ最近、ずっとこんな調子らしかった。羽衣狐という魑魅魍魎の主を倒したことによって、士気も非常に上がっているらしい。
でもだからと言って、いくら何でも花開院の本家で宴会をするなんて。
秀元が許可を出したとはいえ、是光兄様や他の陰陽師が見たら何て言うだろう。想像しただけで頭が痛い。
「……聞いたわよ。あんた達、結婚するんですってね」
「……!!」
ぽつりと、猪口を傾けながら雪麗は呟いた。
突然声の調子が変わったことに驚いて、彼女の顔を見るも表情は読み取れない。いつもと変わらない端正な美貌は感情が乗っていなくて、それが逆に罪悪感が心を締めた。
ぬらりひょんの申し込みを受けたときは、正直言ってそこまで頭が回っていなかったのだと思う。
ただ彼が生きていたことに、そして私が生きていたことに、驚いて、喜んで。
雪麗がぬらりひょんに想いを寄せていたことを、あの時の私は完全に忘れていたのだ。
「頭首の兄が随分と反対してたらしいけど、解決したのね」
「……せ、」
「この騒ぎ、羽衣狐を倒したことだけじゃなくて、それも含まれてのものなのよ。知ってた?」
「……雪麗……」
淡々と、雪麗は言う。
何て言えば良いのか分からなくて、それでも何か言わなきゃいけないような気がして。
名を呼ぶと、彼女の目線が此方に向いた。
一瞬だけ、言葉に詰まる。必死に言うべき事を探した末に見つかったのは、結局一言だけで。
「何」
「……っ、ごめんなさ――」
「謝るんじゃないわよ、馬鹿」
「……え」
だけどそれを言おうとした瞬間、遮るように雪麗の声が飛んだ。
彼女は再び、猪口を傾ける。空になったそれに新たに日本酒を注ぎつつ、薄い唇はまた開かれた。
「……そりゃあ、妾だって好きだったわよ、あの人のこと。それこそ、ずっと前からね」
「……なのに、どうして……」
「そんなの、決まってるでしょ」
白い手に握られた、二つの猪口。
その内の一つを私に手渡しながら、雪麗はきっぱりと言った。
「あの人が選んだのが、アンタだったからよ。それ以外、理由なんてないわ」
不意に、涙が零れそうになった。
しっとりと、濡れたような髪の隙間から見える彼女の目は、相も変わらず美しい。
真っ直ぐに私を見つめてくるそれに、偽りなんて微塵も感じられなかった。
「本音を言えば悔しいわよ、すっごくね! 絶対落としてやるって思ってたのに、その男があっという間に他の女に落とされるんだもの」
「う……」
「だからって、アンタに謝られてもどうにもならないの。大体、別にアンタは悪いことしてないじゃないの。悪いのはこんな良い女に見向きもしなかったぬらりひょんよ」
「雪麗……」
一気に猪口の中の酒を飲み干して、雪麗は言った。
大体それがそもそもおかしいのよ、なんであいつはこんな美人に見向きもしないわけ……。なんて、溜め込んできたであろう不満が流れ始める。
その言葉だって、勿論嘘ではないだろう。この人は恋敵をこんな風に励ますような、か弱い女じゃない。
それでも。それでも、どうしたって彼女がぬらりひょんを思い続けてきたことに変わりはないのだ。
私は覚悟を決め、猪口を畳に置くと、改めて雪麗に向き直った。
「殴っていいわよ、私のこと」
「はあ……? アンタ何言ってるの?」
「だって、雪麗だってぬらりひょんが好きだったんでしょう。なら、一発ぐらい私を殴っても罰は当たらないはずよ」
「……それ、普通殴る側が言う言葉じゃないの?」
呆れた様な声が降って来るけれど、私はそこを動かなかった。
痛み分け、なんて言うつもりもないが、このままじゃ私が収まらない。
雪麗の優しさに甘えてぬらりひょんと結ばれるなんて、冗談じゃない。
誰かを傷付けたまま幸せになるだなんて、そんなのない方がましだ。
「全く……本気で言ってるの、珀?」
「勿論」
「これ、ぬらりひょんや花開院の陰陽師に知れたら、不味いのは妾なんだけど?」
「大丈夫よ、そうなったら私が何とかするわ」
「……何でアンタって子は、そうも男らしいのよ」
雪麗が溜息をついて、猪口を置いた。
目を閉じて、開いた瞬間、向けられた視線の鋭さに驚く。
そこにいたのは妖怪だった。先程まで酒に酔っていたとは思えないほどに、畏れを纏うその姿。
「……いいのね?」
「ええ」
頷いて、私は静かに目を閉じた。
直後。
「っ! ……え?」
「……ふん、天下一の美姫も、そんな間抜け顔じゃ台無しね?」
「え……いや、は……? 雪麗……?」
「何よ、何か文句あるの」
「だ、だって今、貴女……」
痛みを発する額に、そろそろと手を伸ばした。
痛いことには痛い。でもそれは、覚悟していた頬への打ち身ではなくて。
額を、弾かれただけ……?
理解できない頭で雪麗を見つめると、彼女は再び猪口に酒を注いでいた。
「……どうして……」
「……言ったでしょ。アンタが悪い事なんて何もないの。ただ、やっぱりちょっと腹立つから、仕返ししただけよ」
「な……そ、そんなのって……」
「別にいいでしょ。妾の報復方法なんだから、殴ろうが弾こうが勝手よ」
「そ、れはそうだけど、でも……」
腑に落ちない。
何だか手加減されたようで、どうにも気に入らないのだ。
憮然とした表情で見つめていれば、雪麗は満足げに口角を上げた。
「いいのよ、それで。大体、江戸に帰ったらどうせ祝言挙げるんでしょ? 花嫁の顔に傷が付いてちゃ、格好つかないじゃないの」
「……だけど」
「ああもう、いいって言ってんでしょ! いい加減にしないと、もっと酷いことするわよ」
「酷いこと……?」
「そうねえ……例えば、ぬらりひょんの口唇を奪うとか。何代かけてもね」
「!」
予想だにしていなかったその言葉に、固まった。
確かに酷い。物凄く酷い。どうして仮にも好いた男との口吸いを宣言されなきゃならないのか。
でも、私にそれを嫌だという権利はあるのだろうか。
嫌だけど、それは間違いないのだけれど、でも雪麗がどうしてもというのならそれくらい、見過ごすべきではないのだろうか。
……いや、でもやっぱり嫌だ。
頭の中でぐるぐると考えが巡り、しかし一言も口には出せないままに時間が過ぎていく。
そんな私の様子を見て、雪麗はさも可笑しそうに笑い声を漏らした。
「アンタでもそんな顔するのね」
「……だって」
「ま、心配しなくていいわよ。少なくとも、あの「ぬらりひょん」に口吸いするわけじゃないから」
「え……? そう、なの?」
「そうよ。いくら何でもしないわよ、どうせ拒まれるだろうし」
「……そう」
雪麗の言葉に、少しだけ安堵した。
悪いとは思うし、私にあれこれ言う権利があるのかも疑問ではあるが……。何も起こらないなら、その方がいいに決まっている。
表情を緩めた私に、呆れた様にまた杯を傾けた後、彼女の顔は再び楽しそうに笑んで耳元へ近付いてきた。
「何なら、アンタ達の子どもや孫相手でも悪くないわね」
「っ!? こ、どもって……!」
「あら、何よ。作らないつもりなの?」
「ば、馬鹿なこと言わないで! もう……!」
一瞬で、顔が熱くなる。
そりゃあ、このまま彼とずっと二人だけ、なんて訳にはいかないだろう。
あの人が恋愛ごとに淡泊なようにも思えないし、跡取りだって必要になるだろうし。
だけどだからと言って、すんなり受け入れられることでもないのだ。
すっかり調子を取り戻して口を回し始めた雪麗に吐息を零し、立ち上がった。
顔が火照っている。廊下は寒いかも知れないが、この熱を冷ますのには丁度良いだろう。
「何よ、どこか行くの?」
「ええ、少し。貴女も来る? 兄様達のところだけれど」
「! 冗談じゃないわ、妾は飲んでるからアンタだけで行きなさいよ……!」
犬にでも対するような手付きで私を追い払うと、雪麗は言葉通りまた飲み始めた。
あの分だとしばらくは終わらない。というか戻って来た頃には出来上がっていてもおかしくない。
あまり飲み過ぎないでよ、なんて言葉も何処まで聞くだろうか。
喧騒の合間をすり抜け、騒がしい部屋を後にした。
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