兄様に婚姻の許可を貰ってから、数日が過ぎた。
奴良組は宴の次の日には花開院家を経って何処かの宿に向かったそうで、既にここにはいない。
人の気配のしなくなった花開院本家にいるのは、今や秀元、是光兄様などに加え数人の陰陽師、そして私と珱姫だけだった。
「鵺切丸?」
「はい、是光様がくださった刀です。何でもお作りになったのは秀元様だとか」
「へえ……そんな名前だったの、あの刀」
久し振りに煎れたお茶をすすって、息を吐いた。
お茶菓子は、奴良組の誰かが贈ってくれた京の名菓子店の桜餅だ。本当は詰め合わせだったけれど、珱姫とお茶をするなら桜餅がいいと思って選んだ。
私が藤なら珱姫は桜だ。彼女自身、綺麗な桜の刺繍の着物をよく着ているし、その美貌は桜の儚さに何処か似ている。
「そんな大切な刀、ぬらりひょんに渡して良かったの?」
「ええ、勿論。どうにも私は刀を扱うには向いていないようなので」
「そう……」
確かに、珱姫は刀を持って戦うには些か不向きだ。
腕も細いし、特別身軽でもない。何より武器を持つには優しすぎる。
普通の娘子のように、ただ幸せに生きて行ってくれればそれでいい。
「失礼するでー」
「あら、秀元」
「こんにちは、秀元様」
「やっほー、珀姫ちゃん、珱姫ちゃん」
襖が開いて、秀元が顔を出した。
珱姫の屋敷が壊滅的な被害を受けたために、彼女がここに寝泊まりするようになってもう何日経つだろうか。
随分と打ち解けたようで、秀元は手を振りつつ部屋へ入ってくる。
私はふともう片方の手に握られたものを見て、首を傾げた。
「なあにそれ、刀?」
「そうそう。と言っても、ただの刀やあらへんで」
秀元は腰を下ろし、少しだけ刀を鞘から抜いた。
僅かに見えた刀身が、鈍く光っている。
その抜き身に、何故か私は違和感を覚えた。
「もしかして、それ……陰陽術か何か、かけてる?」
「おっ、気付いたか。そうや、珱姫ちゃんに渡した鵺切丸に似せて作った妖刀……『藤霧』や」
「藤霧……」
光に淡く混じるのは、仄かな藤色。それが名前の由来だろうか。
刀身から何となく目を離せないでいると、秀元に名を呼ばれて私は顔を上げた。
「これ、珀姫ちゃんにやろうと思ってな」
「え……? で、でもこれ、日本刀なんでしょう?」
「うん」
「うんって……私、刀なんて扱ったことないのに」
差し出された刀剣を受け取り、それでも持てあますように掌で転がしながらそう呟く。
すると秀元は小さく笑った後、言った。
「知っとるよ。でも江戸に行った後、式神だけで全ての妖怪に対応できるとは限らん。あっちは家みたいな抑止力もおらんし、血の気が多い輩もいるしなぁ」
ぬらちゃん見とったら分かるやろ、と苦笑気味に落とされた言葉に、思わず笑ってしまった。
確かにぬらりひょん含め、奴良組は血の気が多い。
あんなのがそこら中にいるとすれば、江戸は京なんかより余程危険なところだ。
「流石に、出会う妖怪全部切り捨てえって訳じゃあらへんけど。まあ、餞別みたいなもんやね」
「餞別……」
「珀姫ちゃん用の刀やから、一定の霊力を込めればすぐにでも扱えるようになっとるし、祢々切丸と違て妖怪でも人でも斬れるようにはなっとる。とはいえ無理矢理力を引き出してるようなもんやから、相応に疲労はたまるけどな」
「……要するに、身の危険を感じたら霊力を込めればいいのね?」
「そうそう」
「……ありがとう、秀元」
掌の刀は相応に重い。けれどそれが刀の分だけの重さではないことを、私は知っていた。
刀なんてただの人殺しの道具だ。いくら理由をつけようと、それは変わらない。
これは些か、私には重すぎる。私の手にはとてもじゃないが、収まりそうにはない。
「無用の長物だと思うがなあ」
「っ!!」
「あ、妖様!?」
突然、耳元で低い声がそう呟いた。
拍子に刀を思わず畳に落とすと共に、珱姫の言葉でその声の正体を知る。
……いや、正体なんてそもそも一人しかいないのだけれど。
「……ぬらりひょん」
「よう珀姫、身体の調子はどうじゃ?」
「今ので寿命が縮んだ気がするわ」
「そりゃ大変だ」
恨みを込めて言ってみても、何処吹く風といった感じで受け流される。
腰を下ろした彼が刀を拾うのを見ながら、私は溜息を吐いた。
「妖刀、ねえ……。こんな危なっかしい物、アンタには持たせたくないのう」
「でも珀姫ちゃんほっとくと、何やらかすか分からんしなあ」
「まあ、それは確かに」
「どういう意味」
思わず口を挟めば、二人は顔を見合わせて口角を上げた。
何でそんなに仲良くなっているのか、理解に苦しむ。敵対関係のくせして。
「いくら陰陽術が使えるって言っても、式神取られたら話にならん。現にぬらちゃんが初めて訪ねてきたとき、そうやったんやろ?」
「そう言えばそうじゃったのう。懐かしいな」
「……ちょっと、何で貴方がそんな事知ってるの」
「珀姉様……? 何かあったのですか?」
「ん、珱姫はまだ知らんかったか。あのな……」
「余計な事は教えないで頂戴!」
耳打ちしようとするぬらりひょんにそう叫び、珱姫の肩を引き寄せた。
冗談じゃない。この純真無垢な子にあんな事、教えられてたまるか。
珱姫のことだ、きっと私を見る度に顔を赤くさせるだろう。そんなの居たたまれなさすぎる。
「けど、ワシがおるじゃろう? 何か不満でもあるのか、秀元」
「ぬらちゃんはそりゃあ強いけど、組の大将やし、何処にでも珀姫ちゃん連れ歩ける訳じゃないし。……最後はホンマに、自分の力でってとこやな」
「……まあ、危険が及ぶよりはマシか……」
彼等の言葉を聞きながら、再び刀に目を向ける。刀の鞘に施された、藤の装飾が美しかった。
妖刀、藤霧。私の物だと言って渡されたそれが、手に馴染む日は来るのだろうか。
今はまだ白く光っているあの刀身にもいつか、血が滴る日が来るのだろうか。
他の、刀と名が付く物の様に。
「なあに、心配せんでもいいさ」
「え……?」
「アンタがそれを使う日は、この先一度たりとてない」
ぬらりひょんの言葉に顔を上げるも、言葉の意図を上手く掴めなくて、首を傾げた。
それでも彼は相も変わらず、飄々とした笑みを浮かべていて。
「これからはずっと、このワシが側にいるんじゃからのう!」
「!」
「それでも不安か、珀姫?」
答えを聞いているようで、その顔は全てを分かっているようだった。
思わず、ふっと顔が綻ぶ。
彼がずっと側にいる。これ以上に、安心できることがあるだろうか。
……否、きっとそんなの、どこにもない。
「……そうね。不安なんて、何処にもなかったわ」
「おう。そんな刀、孫の手代わりにでもすればいいさ」
「……孫の手は流石に止めて欲しいわあ」
「ふふ、確かに」
秀元の言葉に、珱姫が笑い出す。
その笑い声を聞きながら、何となく、彼の言葉は真実なのだろうと思った。
私があの刀を使う日は、多分この先一度もないのだろうと。
確固たる根拠があるわけではないが、その予想はきっと外れない。そんな気がした。
→
back
ALICE+