「……! 美味しい……!」
「ふふ、そうでしょう? 一度貴女と来てみたかったの。お口に合って良かったわ」
「ありがとうございます、姉様!」


口の端に着いた粉を拭ってやりながらそう言えば、珱姫は照れたように頬を染めながら笑った。
大きな大福餅に、専門店から取り寄せたらしい茶葉を使った緑茶。京の郊外にあるこの茶屋は、知る人ぞ知る名店というものらしい。
私が初めて知ったのは、確かずっと昔に兄様達に連れてきて貰ったことが切欠だった。
店主が派手さを好まないために名前が知れ渡っているわけではないが、菓子の腕は確かである。いつか珱姫を連れてこようと思いつつ、随分と遅くなってしまった。
今日は客もほぼいないし、店主はいつものように奥に引っ込んでいる。茶をしながら二人で談笑するには持って来いの日だった。


「こんな素敵な茶屋があったなんて……姉様は何でも知ってらっしゃるのですね」
「そんな事はないけれど……でもそうね、ここはよく来ていると思うわ」
「……もしかして護衛なしで来てらっしゃった場所って」
「あら、分かった? だってお茶くらいゆっくり楽しみたいじゃない」
「そ、それは分かりますが……はっ! そう言えば今日も……!!」
「大丈夫よ、奴良組の存在が抑止力になってるから」


茶を啜りながらのんびりと呟き、皿に残っていた大福を一つ摘んだ。
あの羽衣狐を倒したという組が未だ京に残っている、という噂は、様々な尾鰭を付けて広まっている。
流石に細かい話の顛末までは隠されているかもしれないけれど、何にせよそんな京で勝手な行動をすればどうなるか、分からない妖怪達ではない。


「……あの、姉様」
「なあに?」


ぽつり、と、それまでとは違った調子の言葉が落とされた。


「姉様は、いつから江戸に向かわれるのですか?」
「……そう、ねえ。詳しい日程はまだ知らないの。でも傷は癒えているし、そう長いことでもないんじゃないかしら」


沈んだような珱姫の声色に、気付かないふりをしながら努めて何でもないことのように言う。
下がった眉尻を一瞥して、けれど何も言わずに湯飲みを手の中で弄んだ。……何も言えずに、の方が正しいのかもしれないが。


「貴女も、江戸の近くに親戚が見つかったんでしょう?」
「あ……はい。母方の方の親戚で、……その、私もそう経たないうちに向かうことになりそうなんです」
「どんな方なのかしら。もう会うことは出来たの?」
「はい、一度だけ。……良い方でした、お父様にもお線香をあげてくださって」
「……そう、良かったわね」


珱姫と同じ椅子に座って前を向いていれば、彼女と目線がかち合うことはない。
それでも声だけでどんな顔をしているか察することが出来ないほど、私達の付き合いは短くも薄くもなくて。
きっとそれは珱姫の方も同じなのだろう、と思いながら、温くなった茶を誤魔化すように飲んだ。

江戸は広い。いくら江戸の近くとは言っても、今のように頻繁に会うことは出来なくなるだろう。
そんな事は知っている。いつかはこうなることもあるだろうと思ったこともある。
けれど知っているからこそ、どうにもならないその未来が少しだけ歯痒くもあるのだ。


「……私、あの時……」
「……?」
「あの時、死ぬことを覚悟しました。お父様も、花開院の方々も亡くなっていたのを見た時……」
「……」


頭の片隅で、場違いにも意外だと思った。
彼女はどちらかと言えば、辛い過去を一々思い返して浸るような女ではないからだ。
それでも態々その話を持ち出してきたと言うことは、何らかの意味があると言うこと。


「でも、だからこそ、姉様に助けていただいて、奴良組の方々に救っていただいて、またこうして姉様とお茶を飲めているのが本当に嬉しいんです」
「……そうね。私もそう思うわ」
「お父様はいなくなってしまいましたが、引き取ってくださる親戚の方も見つかって、……ありがたいことだと思います」


でも、と珱姫は再び言った。


「もうすぐ、終わってしまうんですね。姉様とこうして、お茶を飲める生活も……こうして、ただお喋りすることも、出来なくなってしまうんですよね」
「……」
「贅沢だとは思うんです。死ななかっただけでとても恵まれていると分かっているんです。……なのに、私……」


声にならない言葉が、珱姫の瞳から涙となってこぼれ落ちた。
真っ白な手を伝って落ちていく雫を見ながら、私はそっと息を吐き出す。
湯飲みの水面に映る自分の顔に被さるようにして、吐息で出来た波紋が揺らめいた。


「……贅沢、かしら?」
「え……?」
「私だって今の日常が消えてしまうのは嫌よ。結婚するって言うのに、おかしな話かもしれないけれどね」
「姉様、も……ですか?」
「ふふ、意外? 誰だってそんなものじゃないかしら。慣れ親しんだ日常に浸っていたいって思うのは変なことじゃないわ」


涙を溜めた大きな瞳に、私の姿が映っている。
何度も見たこの顔をもうすぐ見られなくなるなんて、未だに何処か信じがたくて、夢か何かのようで。
けれどそんなふわふわした感覚のまま終えてしまうには、あまりにも惜しいものが詰まっている。


「でもね、珱姫。同じ生活をいつまでも続けていくことは、どんな人にだって出来ないわ。例え貴女のお父様がご存命だったとしても、きっといつかは終わりが来ていたはずだもの」
「っ……」
「それに、何もこれから貴女とこうしてゆっくりする機会が全くないわけじゃないでしょう。場所が分かれば文を送ることも出来るし、いくらだって会いにも行ける」
「! よろしいのですか……!」
「ええ。それとも、私が会いに行っちゃ迷惑かしら?」
「そ、そんな事……! あり得ません、絶対!」


勢いよく首を振る珱姫に、思わず笑みが零れた。
そのまま笑い声を漏らせば、珱姫もきょとんとした顔を段々と笑みに染めていく。


「江戸に行ってもまたこうしてお茶が出来るよう、良い茶屋を探しておくわ。だから貴女も、その時までに色々な話を用意していて頂戴」
「はい……! あの、私も姉様の所に行ってもいいですか?」
「勿論。……ねえ珱姫、楽しみね」
「っ……はい!」


笑って頷いた珱姫の髪を、静かに吹いた風が攫っていく。
その向こうに見える青空の色は、きっと江戸でも京でも変わりはしない。
ただ願わくば、今よりももっとこの子に幸せが訪れればいい、と。そう思って、私はゆるりと微笑んだ。







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