抜けるような青空に、薄い色をした花びらが舞っている。
桜色のそれは可憐で儚げで、暫く会っていない妹姫のことを思い出した。
彼女は元気だろうか。手紙はくれるけれど会えはしないから、実際の様子までは分からない。
体をこわしてはいないか。親戚と何かもめ事を起こしてはいないか。そんな事をぼんやりと考えていれば、不意に視界の中にひょいと顔が飛び込んできた。


「何しとるんじゃ、珀姫」
「……ぬらりひょん」


驚きのあまり一拍遅れて声を出す。彼は特別返答を求めてはいなかったようで、よっこらせと声を出しながら隣へ座りこんだ。


「縁側で花見か? それは結構じゃが、如何せんまだ寒い。風邪を引くぞ」
「平気よ、そんな長いこといたわけじゃないから」
「そうか? アンタはわしらと違って弱いからのう。どうも勝手が分からん」
「弱い? 私が? そうかしら」
「アンタが、というよりは人間がじゃな。傷の治りも遅いし、生き肝を取られれば死んでしまうじゃろう」
「……私から見れば貴方達が強いだけなのだけれど」


傷の治りも早くて生き肝を取られても死ぬことはない。妖怪だから当たり前とは言え、彼等はやはり人間よりも格段に強い。
彼等から見ればそりゃあ私は弱いことだろう。私としてはこれが普通なのだけれど、ぬらりひょんを時々心配性と感じるのはその認識の違いのせいもあるかもしれない。


「総大将様ー、ぬらりひょん様ー!?」
「あら? ぬらりひょん、呼ばれているんじゃない?」
「ああ、ほっとけほっとけ。カラスの奴じゃ」
「それ、放っといていいの? 大事なことなんじゃなくて?」
「さっきまでは婚儀のことじゃったからワシも真剣じゃったが、その後の話は知らん。ここぞとばかりに余計な仕事を持って来る奴じゃ、ほっとけ」


婚儀。その言葉で私は、ふっと思い至った。
私とぬらりひょんとのそれは、私が思っていたより幾分か早く準備が進められている。この分だともうすぐ、初夏になる頃にはありそうだ。
取り寄せる着物の細かな色の違いや、場の飾り付け。私が話し合いに参加する分だけでも、しなければならないことはうんと多く感じるけれど、実際はその倍はあるらしい。
それを一手に引き受けてくれているのがぬらりひょんだ。彼自身も当事者であるから、引き受けるという言い方はおかしいかもしれないけれど、それでも負担してくれていることに変わりはない。
そうなると、今は彼の少しの休憩時間なのかも知れない。ならまあ、鴉天狗を態々呼ばなくてもいいか。


「よっと」
「っきゃ! な、ちょっとぬらりひょん……!」
「揺れるな珀姫、頭を打ちそうじゃ」
「あ、ご、ごめんなさい。……じゃなくて!」


ひょい、とぬらりひょんの頭が私の腿に乗る。所謂膝枕と言うあれだ。
別段重いとか、そういうことはない。……ないが、着物を通して感じる熱がくすぐったい。
特に普段人の熱なんて感じない場所だから、余計にだ。何と言うか、気恥ずかしい。


「何してるの貴方……」
「膝を借りとる」
「それは見れば分かるわよ、そうじゃなくって」
「いいじゃねえかちょっとくらい。……な?」


伸ばされた手がすり、と私の頬を撫でるように掠めた。
その触り方があまりにも柔らかくて、優しくて。……そして何処か、愛しげで。
かっと熱くなった頬を隠すようにふいとそっぽを向けば、くつくつとぬらりひょんが笑った。


「……何」
「いんや、何でも。ワシの女は可愛えなと思っただけじゃ」
「っ、……馬鹿じゃないの」


苦し紛れにそう言ってみても、ぬらりひょんは喉を鳴らして笑うだけだ。
軽く睨んでみても、赤い顔じゃ何の意味もなさない。分かっている。
ゆったりと吹く春風で熱を冷まそうと、私は顔を上げて再び桜を見つめた。


「……桜が好きかい?」
「そうね。珱姫を思い出すから」
「珱姫?」


ぬらりひょんは眠る間際の様な、緩やかな声で問いかけてきた。
それに返せば、更に不思議そうな声が返される。


「あの子は桜が綺麗な日に生まれたの。だから珱姫。着ている着物も桜柄でしょう?」
「んー……? そうじゃったか?」
「忘れちゃったの?」
「女子の着物の柄なんぞ一々覚えとらんからな……。ああ、珀姫は別じゃぞ、アンタは――むぐ」
「……そういうことは言わなくて良いの」


また何か恥ずかしいことを言いそうな気がして、私はぬらりひょんの口を塞いだ。
不満げな視線が注がれ、それを躱すように咳払いをしてから手を彼の頭へと持って行く。
ふわりと手に触れた髪の毛は思いの外艶やかで、手触りの良いそれに私は思わず手を動かした。


「珱姫か……どうする珀姫、珱姫も婚儀に呼ぶか?」
「呼んでいいの?」
「アンタが呼びたいならな。客人は傘下の妖怪達ばかりになる。流石に花開院を呼ぶわけにはいかんが、珱姫くらいならいいじゃろう」
「そう……そうね」


珱姫が来て、互いに驚いたりしないだろうかと少し考える。考えて、大丈夫だろうと頷いた。
だって珱姫は胆力がある。初対面の妖怪の中で一緒に遊んでいたような少女だ。きっと大丈夫。
問題は、と私はぬらりひょんに目をやった。


「貴方、私が花開院の出だってこと、本家以外の組の誰かに言った?」
「んや。言った方がいいか?」
「後々知って吃驚したりしないかしら。怯えられるのは好きじゃないのよ」
「んー……」


ぬらりひょんは考えるように目を伏せて、少し黙った。
珱姫が来るなら、私の事情も含めて予め話を通しておいた方が良い。
京に出向いた妖怪達は私のことを知っているけれど、それでも知らない者がいないとは限らないのだ。


「今知ったとしても後で知ったとしても、ある程度怯えられるのは仕方のないことじゃねえか?」
「……そう」
「勿論、アンタがワシ等を滅することはありえんと、今になっては分かるがな。ほれ、奴良組の宴に連れてった時だって、花開院の名を怖がる者はおったじゃろう」


それと同じじゃ、とぬらりひょんは言う。
確かにあの時もそうだった。私が陰陽師の力を持っている限り、彼等を不安にさせてしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
滅するつもりなんてないけれど、花開院が妖怪を全て悪だと考えるように、妖怪も花開院は全て敵と認識していても無理はない。
予め言っておいても怖がられる可能性はあるが、後々知られた場合には何故隠していたのかという疑念がつきまとう。
どうしようかと考え込んだ時、まあ、とぬらりひょんが言った。


「聞かれたらでいいんじゃねえか。何も態々言いふらすほどのことじゃあるめえし」
「……どうして隠してたのか、って言われたりしない?」
「言われたらそん時に、お前が聞かなかったからだと答えりゃいい。そうすりゃ誰も何も言わんさ」
「えっ、……でもそれって、何て言うか……」
「……後ろめたいか?」


見通すような問いに、こくりと頷く。
秘密を作ると言うことだけでも何となく、悪いことをしているような気分になるというのに。それが陰陽師に関することだなんて。
いつかその秘密が知られてしまった時、何て言われるだろう。
……想像するだけで、背筋が震え、頭が真っ白になるほどの恐怖だった。

けれど、


「なあに、心配するな」


ふ、と柔らかく笑うぬらりひょんに、目を奪われた。
怖くてすくんでしまいそうなのに、その強張りから解放するような、優しい顔。
妖怪らしくない、総大将らしくないその顔は、けれどとってもぬらりひょんらしくって。


「何か言われたら、ワシが必ず守ってやるさ。言ったじゃろう、ずっと側にいると」
「ぬらりひょん……」
「それに、アンタの人柄を知っとる奴なら、アンタがワシ等の敵じゃねえってことくらい分かるに決まっとる」
「……そうかしら」
「そうじゃ」


だから、心配するなと。
そう繰り返すぬらりひょんに、知らず知らずの内に肩に入っていた力が抜ける。
彼の言うことは奇妙な説得力がある。信じられる、信じられないではなく、信じたいと思わせる力が。
だからだろうか。ぬらりひょんのその顔を見ていると、何だかとても安心するのだ。
それが彼も分かったのか、ぬらりひょんは一層笑みを深めた。


「それに、ワシとこんなことしとる奴が奴良組を潰そうなんぞ、考える奴はいないじゃろうしなー」
「!! こ、これは貴方が始めたことでしょう!! もう、いい加減退いて頂戴!」
「何じゃ、まだいいじゃろう? アンタの膝は心地が良いし、カラス天狗に見つかるまでは……」
「総大将!! ここにいらっしゃいましたか!!」
「げっ、カラス……」
「げっとは何ですかげっとは! 良いですか総大将、大将のお役目とは何も出入りだけではなくてですね!!」


肩を怒らせて言うカラス天狗に、眉を顰めて耳を塞ぐぬらりひょん。
なんだなんだと顔を出す小妖怪達に、騒がしいと怒る雪麗の声。
途端に賑やかになる縁側に、思わずくすりと笑みが漏れた。

もしいつか、私のことを知らない妖怪が増えたとしても、この賑やかさがずっと変わらなければ良いと切に願う。
そしてそれは、願わくば、私のことを知ったとしても変わらないで欲しいと。
そう、思うのだ。



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