「さあ、もたもたしている時間はないぞ! 後一刻もすれば、総大将と珀姫様との祝言が始まる! 抜かるなよ!」


かつてないほどに様々な妖怪達でごった返す厨房。
その上空を飛び回りながら、カラス天狗は指示を飛ばした。

奴良組が京で羽衣狐一派との激闘を繰り広げたのが、つい二月ほど前の事。
つまりは帰ってきた総大将が、京から連れ帰ってきたという人間の姫君を嫁にすると宣言した時からも、およそ二月が経過したと言うことである。
勿論奴良組の妖怪達の間では、総大将のその宣言に対して一騒動あったものの、最終的にはぬらりひょんの意見を尊重することに落ち着いた。

ということで、一同の考えがそこに着地すれば、次に奴良組がなすべきことは決まっていた。
ぬらりひょんと珀姫との婚儀。つまり、祝言である。


「ねえねえー、この籠の青物はどこに運ぶんだい?」
「杯が人数分足りないよー、在庫取ってきてー!」
「ちょっと、そんなとこに突っ立ってたら邪魔だよ! 退いた退いた!」
「ろくろ首様からのお祝い到着しましたー!」


彼方此方から聞こえる声で、厨は大騒ぎである。
互いが互いに負けじと声を張るものだから、騒ぎは一層大きくなる。誰も相手に配慮しようとか、そういう事は考えていない。
否、考えていられないのだ。
何せ時間がない、人手もない、物も足りない。ないないづくしで今日の奴良組は大変な騒ぎなのである。
なおこれは厨に限ったことではなく、奴良組本家のそこかしこで同様のことが行われていた。
祝言の後には宴会もあるし、宴会があるとなれば当然親戚筋の組の者達は揃って参加するし。
そうなれば何か不手際があっては本家の恥である。
ということで、奴良組は朝からてんてこ舞いなのであった。


「カラス天狗様、この山菜はどこに置きましょう?」
「おお、すまんな。それは竈の側に置いてくれ」
「カラス天狗様、この魚はどうしたらええ?」
「お、随分あるな。では、これはすぐに下ごしらえに回せ」


当然、世話役たるカラス天狗は引っ張りだこだ。
右に左に、物理的に引っ張られたりもしながら何とかその場を回していくが、如何せん彼とてこんな事態になるのは初めてのことである。
取り纏めるのは不得意ではないが、だからと言ってここまでの大役は務めたことがない。
……だがしかし、ここで投げ出すのは奴良組本家世話役の名が泣く。


「このカラス天狗、世話役の名にかけて、是が非でも本日の婚儀を成功させて見せましょう!!」


えっへんと胸を張る。大役を務めると言うことは、カラス天狗にとってはつまり誇りであった。
次から次に飛んでくる声にあれこれ指示を出しつつ、彼は懐から口上の書かれた紙を取り出した。


「えー、これより、奴良組総大将ぬらりひょん様と珀姫様の……んん、ちょっと声が高いか?」


理想としては牛鬼や一つ目くらい低く、渋めの声が適している。
カラス天狗も決して女子ほど声が高いわけではないけれど、それでも彼等に比べれば渋さは劣っていた。
かといって投げ出すのは奴良組本家世話役……以下略。
ともかく、今の声で納得いかないのなら、声を少し変えれば良いのだ。ごほんと一つ咳払いをし、カラス天狗は少し濁った声で試してみる。


「ご、ごれより、奴良組、ぞ、ぞうだいじょう……」
「……何そのダミ声。風邪でも引いたの?」
「わ!」


不意にかけられた声にびくりと振り返る。そこに立っていたのは雪麗だった。
この女いつの間に、と驚きながら、カラス天狗は何とか返事を返す。


「お、おお、雪麗か。いやその、ちと口上の練習をな」
「ふうん、忙しそうね」
「うむ、忙しくはあるが、やりがいもあるぞ。祝言の儀も宴席も粗相なく取り仕切り、流石は本家カラス天狗の世話よと、皆に言わしめたいからのう」
「あっそ。けど、そんなに頑張らなくても良いんじゃない? 粗相の一つや二つ、あった方が面白いと思うけど」
「これこれ、そういう滅多なことを言うもんじゃない」


窘めるカラス天狗に、雪麗はふんと鼻を鳴らす。
そしてつかつかと歩いてくると、雪麗はその勢いのままカラス天狗の持っていた髪をぱっと取り上げた。


「あ、これ!」
「……かたっくるしい文面。つまんないわよ、こんなんじゃ」
「む、そんな事はないぞ。伝統と格式を重んじるのが大切なのは、何も人の世に限った話では……」
「伝統と格式ばっかじゃ、ぬらりひょんや珀姫だって退屈しちゃうに決まってるじゃない。……そう言えばあの二人は?」


きょろきょろと辺りを見回す雪麗だが、当然今日の主役の二人は厨にはいない。
そう言えば朝から見かけてないわねと呟く雪麗に、カラス天狗は記憶を引っ張り出しながら答える。


「総大将は親戚筋の組からのお祝いを受け取っておられる。珀姫様は準備の最中じゃ。女性は何かと時間がかかるからな」
「へー。……そうだ、良い事考えた」
「ん? 良い事とは?」


にやりと笑みを作る雪麗に、カラス天狗は嫌な予感がして顔を近付ける。すると、


「うっ! 臭い! 雪麗、お主さては酒を飲んでいるな!?」
「あら、ばれちゃった? 良いじゃない、顔が赤くならない程度なんだし」
「量の問題ではない! 宴も始まらぬ準備のうちから酒を飲む奴があるか!」


雪麗が口を開けた瞬間香ってくる強烈な酒の匂いに、カラス天狗は鼻を押さえてしかめっ面になる。
雪女の特性上、雪麗は肌が白く、酒を飲むと顔の色に出やすい。それがいつも通りの色と言うことは、彼女が言うとおり量はないのだろう。
が、そういう問題ではない。カラス天狗は持って生まれた生真面目さでびしりと雪麗を制した。


「うっさいわねえ、今日は目出度い日なんでしょ。何ならアンタも飲む?」
「飲まぬ! ワシは今日の婚儀を成功させる責務があるのだ!」
「お堅い考えですこと。いいわよ別に、妾は珀姫の所に行ってくるから」
「な!! さてはさっきの良い事とはそれじゃな!? いかんぞ雪麗、あの方は大事な……」
「……大事な? 大事な、何よ?」


雪麗は進めていた足を止め、カラス天狗の言葉にくるりと振り返った。
その声色に、カラス天狗は思わず動きを止める。
そろそろと目線を合わせれば、雪麗の雪女の名に相応しい極寒の瞳が、カラス天狗を射貫いていた。


「あの子は大事な花嫁様で? 恋に破れた雪女は、漬け物石でも抱いてなさいって言いたいの?」
「う、そこまでは言うておらんじゃろうが。……全く悪い酒じゃ」
「……なんですって?」


ピキリと雪麗の眉間に皺が寄る。
カラス天狗は思わず漏れた言葉を押さえるように口を塞いだが、時既に遅し、覆水盆に返らず。
雪麗がすうう、と深く息を吸い込んだと思った時には、もう手遅れであり。

その場には一体の、それはそれは見事な雪像が出来上がったのであった。







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