西の空が赤く染まり、やがてその色が段々と薄れてくる。
赤から紫、そして紺へと空が移り変わり、奴良組の屋敷もまた静かに宵闇に沈む。
祝言の儀の、始まりを告げる時が訪れていた。
舞台となるのは奴良組の屋敷の大広間。
普段は皆が食事をしたり、宴で盛り上がったりするその場所が、今はがらりと荘厳な場所に姿を変えていた。
つい先日、婚儀のために張り替えられた真新しい色合いの畳。その上に道を作るようにして長い真っ赤な布が敷かれ、それを辿った先にある上座には、花婿と花嫁の席が用意されている。
脇には世話役のカラス天狗を始め、雪麗や牛鬼など奴良組の妖怪達と、珱姫含めた参列者が正装にて勢揃いしており、隠してはいるが今か今かと期待を胸に入り口に主役の登場を待ち構えていた。
参加者達の目を惹く床の間には、掛け軸や鶴亀の置物が飾られており、壁や障子は真白の布で覆われた上に紅白の花々で彩られている。
全てぬらりひょんが一から計画し、取りはからった物だ。
見事としか言いようのないその会場に、訪れた招待客達は皆口々にぬらりひょんを褒め称えた。
舞台は整った。開始の刻限である。
始めに口を開いたのは、世話役のカラス天狗だった。
「――鬼火」
その声に呼応するように、花道の両側に一斉に灯りが灯る。
それらは燭台や行燈ではない。等間隔に浮かんでいる、鬼火達であった。
ゆらゆらと微かに揺れるその明かりが、参列者達の影を白地の布に波打たせている。
それを合図に、皆が待ちに待った主役が登場した。
まず現れたのは、総大将のぬらりひょんである。
いつもなら着流しに羽織という、色男ながらゆったりとした格好の彼も、婚儀の時ばかりは紋服に替わっていた。
かっちりと着込まれた黒の紋服が、ぬらりひょんの鋭い瞳を引き立たせる。参列していた妖怪達が、ほう、と息を漏らした。
彼が進むのは、花道から向かって右側。花婿の席である。
周囲の注目を一身に集めながら、けれど彼は微塵も臆した様子を見せない。寧ろ歓迎だと言わんばかりにうっすらと笑みを浮かべて歩いて行く。
そのままふわりと腰を下ろし、ぬらりひょんは今自身が歩いてきた花道をじっと見つめた。
主役は彼だ。けれど彼だけではない。
もう一人、この場の主役となるべき人物が残っていた。
聞こえてきたのは、先程の物より静かで軽い足音。
それに導かれるようにして、闇の中からぼうっと白い影が現れる。
その姿に、誰かが息を飲む音がした。
一点の穢れもない白無垢。それは生家の娘としての人生を終え、婚家の嫁として新たに生まれ変わるという宣言の証。
静々と進む綿帽子の下、僅かに覗くのは、着物に負けず劣らずの真っ白な肌。
その中に浮かぶ真っ直ぐな口紅と伏せがちな瞳は、参列者が思わず息を忘れてしまうほどの美しさだった。
巫女や仲人の先導はない。当然だ、彼女は一人で京からやってきたのだから。
この場に彼女の身内は珱姫ただ一人。それでも珀姫は決して歩みを止めることなく、花嫁の席へと歩いて行く。
凛としたその姿は正に、天下一の美姫に相応しい。誰一人として目を逸らさないその中で、けれど彼女以外に誰一人として身動きすらもとれることのないまま。
花嫁は花婿の隣に、静かに座を占める。
役者が全て出揃った。
主役両名の姿から、名残惜しそうに目を離し、カラス天狗が厳かに告げる。
「――ではこれより、奴良組総大将ぬらりひょん様と珀姫様の、婚礼の儀を執り行いたいと存じます」
音は僅かに誰かの呼吸音が聞こえるのみ。皆主役の二人に見とれたまま、殆ど動くことすらできない。しわぶき一つすら上がらない厳粛な空気の中、カラス天狗が進行を努める。
まず行われたのは、本日最も重要と言っても過言ではない、夫婦固めの杯の儀である。
白木の台に大中小、三種類の盃と銚子が置かれた物が運ばれてきた。運び役の妖怪がそっと下がったのを合図に、カラス天狗が神酒を杯に注ぐ。
カラス天狗から盃を渡されたぬらりひょんは三度口に運び、それが終わると珀姫も同様に盃を口へと持って行った。
小、中、大と三種類、交互に運び終わると、最後に大の盃に口を付けた珀姫がそっと台にそれを戻す。
そのまま姿勢を正す際のほんの一瞬、花婿と花嫁はふっと視線を交わし合った。
珀姫が柔らかく白粉の下の頬を染め、それを隠すように面を伏せる。総大将はその様を見てから、正面へと向き直った。
その口元にうっすらと笑みが浮かんだ瞬間、座の雰囲気の中に仄かな安堵感が漂ったのを、カラス天狗は感じていた。
人と妖。更に言うなら、陰陽師の娘と妖怪の総大将。
本来であれば結ばれることのなかった二人が、こうして盃を交わす様は、何百年と生きる妖怪の世界でも非常に珍しい。
けれどそれを物見高い気持ちで眺める者は一人もいない。そこにあったのは、人と人との婚姻、あるいは妖怪同士の婚姻の儀と同様に、幸せな二人を心から祝福する気持ちだった。
この場にいる誰もが感じたその気持ちが一体となり、広間に安堵感として漂ったのだ。
「それでは、ぬらりひょん様。盃事も滞りなく終わりましたので、ここで花婿の誓いのお言葉を頂きとう存じます」
告げられたぬらりひょんが、静かに顎を引く。それと同時に、綿帽子の下で、珀姫が僅かに目を見開いた。
けれどこの空気の中、彼女が動くことはなく。背筋を伸ばしたぬらりひょんに、珀姫もまたそっと姿勢を正した、その時だった。
「――奴良組のご一党さんよ、邪魔するぜぇ!!」
厳粛な空気だった広間に、無粋な声が入りこんだ。
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