婚儀の広場に入りこんできたのは、筋骨隆々な鬼を先頭にした、数十名の妖怪の集団だった。
それまでの荘厳な雰囲気に似合わぬ野蛮さは、あまりにも突然で。
ぬらりひょんが咄嗟に私を庇うようにして、体を盾にするように前に出したのが分かった。
「何奴じゃ。ここが何処であるか、今日がどういう日か知っての狼藉か」
「大将の祝言やってんだろう。知っててぶち壊しに来たんだよ!」
カラス天狗のいきり立った声に、先頭の鬼が野太い声で怒鳴り返す。
この祝言の場に刀を持ち込むのは憚られたのか、普段ならカラス天狗が手にしているはずの錫杖も今はない。
それは彼に限ったことではなく、他の牛鬼や狒々を始めとした組員達も皆、同様に獲物のない状態である。
妖怪の彼等が祝言の場を慮ってくれたのはありがたいが、今の状況ではそれは悪手だった。
「何が魑魅魍魎の主だ! 粋がるんじゃねえぜ! てめえらを潰して、今日から俺達が主だ!!」
そう叫んだ先頭の鬼は、けれど数十の妖怪を引き連れながらも、大将という風格ではなかった。
想像するに、多分彼等は何処にも属していない荒くれ者の集まりだ。奴良組襲撃という、取り敢えずの目的で集まったのだろう。
先頭の鬼だって、多分組長というわけではなく、押しが強く体格も良いから前に出されたのではないだろうか。
そんな事を考えていれば、視界の端でゆらりと誰かが立ち上がったのが分かった。
「上等じゃねえか、このハンチク共が」
凄みのある声にぎょろりとした瞳。幹部の一人、一つ目だ。
今は腰の武器だけでなく煙管すら離れた所に置いてあるようだが、どうやら奴良組を虚仮にする言葉を聞いて黙っていられるほど大人しくはなかったらしい。
「奴良組の祝言を、その汚え足で踏み荒らしたんだ。代償は高えからな」
「ほざいてろ。てめえら全員ぶっ殺して、屋敷ごと俺達のもんにしてやるぜ。……お?」
一つ目に向かって野次を飛ばしていた先頭の鬼が、視線を不意に此方に向ける。
ぬらりひょんの肩越しに見えたその顔は酷くあくどくて、思わず眉を顰めてしまう。
けれどそんな反応をものともせず、鬼はあんぐりと口を開けた。
「……う、美しい……まさかその女が嫁さんか?」
「……だったら何だってんだ」
「……野郎共!! ついでにあの嫁も頂くぜ!! あんな美しい女がいれば、俺の名はますます知れ渡る……! げっへっへ、あだっ!!」
不躾な視線に、品のない笑い声。
その様にぬらりひょんの空気がゆらりと揺らいだけれど、鬼の顔面に飛んで行ったのは大きな氷の塊だった。
「能書きはいいからさあ、とっととかかっといでよ」
挑発するように薄く笑った雪麗だが、その瞳は底冷えするほど恐ろしく光っている。
庇ってくれたのだと思うから、感謝しなければいけない。……いけないけれど、でもその行為は火に油を注ぐものとして作用したらしい。
屈辱で顔を赤くした鬼が、「ぶっ殺すぞ!」と叫びながら、巨大な岩のような拳を振り上げる。
それを受け止めたのは一つ目で、鬼と同じくらいかそれ以上の体格はやや有利に働いていた。
「おい、カラス天狗よ。この喧嘩、まさかお前止めたりしねえよなあ?」
「止めるわけがなかろう。世話役は、喧嘩の世話もその仕事のうちじゃ。さあ、無粋な連中に存分に仕置きしてやろうぞ!!」
その一言を合図に、双方が歓声を上げてどっと動き出した。
大広間は瞬く間に修羅場と化した。
彼方を見ても此方を見ても、あるのは奴良組と狼藉者達の大乱闘ばかり。
おまけに誰かが刀を持っていたらしい、時折銀色の光が視界の端にちらつくのが分かる。
珱姫は、と咄嗟に探すと、部屋の隅の方で小さくなって隠れていた。乱暴なことには慣れていないのだろう、僅かに震えているようにも見える。
念のため珱姫の前に頑丈に結界を張ってから、私は前に塞がったままのぬらりひょんへと口を開いた。
「ねえぬらりひょん、このままじゃ危ないわ、どうにかしないと……!」
「くくっ、賑やかな祝言で結構じゃねえか」
「は、そ、そんなこと言ってる場合じゃ……」
「珱姫は端にいるし、アンタにはワシがいる。危害は加えられんさ」
「私達だけのことじゃないわ、戦いに慣れてない妖怪だっているでしょう!」
「なあに、あいつらとて妖怪、何とかするじゃろう」
何を言っても飄々とした様子で、一向に取りなしてくれそうな様子を見せない。
襖は蹴破られ、壁に掛けられていた布は切り裂かれ、先程までの厳粛な空気は跡形もなく散らされているというのに。
「のう珀姫よ、堅苦しい祝言はさっきまでで仕舞いじゃ。後はもう、この座興をアンタも楽しめばいい」
「な、何言って……!」
冗談かと思うほど軽い口調で言うぬらりひょんは、やはりこの状況を真剣には考えていないらしい。
見れば他の奴良組の妖怪達も、罵声や怒号が飛び交ってはいるが、何処か楽しげだ。妖怪にとってはこの騒ぎも、一種の余興なのだろうか。
そう言えば羽衣狐も奴良組との戦いをそう捉えていたし、彼等の価値観はやはり人間のそれとは違うのかもしれない。
……でも、だからって。
折角の婚儀がこんなに目茶苦茶にされて、それでも何も思わないのだろうか。
それとも、こういう時にもどっしり構えているのが、総大将の器というものなのだろうか。
「ひゃっは〜!! 嫁っ子は頂きだぜ〜!!」
「させるか」
「げふっ!!」
此方に向かってきた妖怪に、すかさずぬらりひょんが一撃をたたき込む。
倒れ込んだ妖怪だったけれど、どうやらその攻撃で敵方も此方を相手として認識したようで。
奴良組の妖怪達の手をすり抜けて此方に走る妖怪達が二匹、三匹と増えていく。
「アンタは下がってな」と私に言うと、ぬらりひょんは今し方倒したばかりの妖怪の手から刀を抜き取り、止める間もなく戦闘へと乱入していった。
ちらりと見えた横顔はやけに楽しそうで、私は思わず溜息をつきそうになるのを堪えつつ、珱姫の元へと足を進めた。
「珱姫、」
「! 珀姉様! ご無事で……!」
「何とかね……。貴女は? 何処も怪我してない?」
「はい、私は……。姉様ですよね、結界を張って下さったのは?」
「ええ、まあね」
頼りなさげに浮かぶ両の手を握れば、珱姫は少しだけ落ち着いたように安堵の息を吐いた。
先程ぬらりひょんがしてくれたように彼女を体で庇いつつ、戦況を伺う。
乱入してきた妖怪達は、依然として数が多いままだ。奴良組の戦闘力と彼等の力が比べものになるとは思っていないけれど、今は丸腰の妖怪も多い。
おまけにどうやらこの状況を楽しんでいるようだし、数が減っていなくても無理はないだろう。
婚儀のことを考えれば止めるべきなのだろうが、如何せん楽しげなのを邪魔するのは頂けない。
どうしたものかと考えた時、「うわっ!」と叫び声が聞こえた。
「!」
「珀姫様ぁ、治してくだされ〜!」
転がり込んできたのは、奴良組で本家勤めの小妖怪だ。確か京での戦いにも来ていたはず。
見ればその小さな腕がぱっくりと開き、血が流れている。然程深い物ではなさそうだが、刀傷だろうか。
思わず手を伸ばすと、それを皮切りに、大小様々な妖怪達が此方へと走ってきた。
「珀姫様、ワシもお願いしますだ〜!」
「オラもオラも!」
「あたしも頼みます〜、さっきしくじっちゃって」
「え、ええ……!?」
わらわらとなだれ込むように走ってくる妖怪達は、傷の種類に差はあれど、皆何処かを怪我しているらしい。
流石に怪我したままでは忍びなく、怪我の重い者から治療しようとするけれど、一人終わればいつの間にか三人増えており、一向に終わる気配がしない。
おまけにどうやらどさくさに紛れて敵方の妖怪達も並んでいるらしく、このままじゃどうにもならないと珱姫に助力を頼もうとした時だった。
「っぎゃあ!」
「!?」
「う、うう……っ!!」
倒れるようにして眼前に出てきた妖怪は、一番最初に治療したはずの小妖怪だった。
治っていたはずの腕に、先程よりも大きな傷をこしらえており、しかもそれなりに深いのか、血をだくだくと流している。
真新しい畳に染み込む血は決して少なくなく、人間であればすぐに手当てが必要な傷だった。
「貴方……!」
「珀姫様、どうか治療を〜!!」
その手が伸ばされた時、縋るようなその瞳に、頭の中で何かが切れた気がした。
「………………ふ、」
「……珀姫様?」
「……ふふ、ふふふ……っ」
「ね、姉様……?」
ああ、これは本当に深い。痛いだろう。
早く治してあげなければ、と思うけれど、その一方でふつふつと煮えたぎる怒りがあった。
そっと手を差し伸べて傷を治療すれば、小妖怪の怪我はあっという間に消えて。
ただならぬ雰囲気を察知したのか、「ありがとうございましたー……」と囁くような声で言いながら去って行こうとする小妖怪。
けれどそうはさせないと、私は静かに構えをとった。
「結界!!」
「な!?」
「うわあ!?」
「何だ!?」
叫んだ瞬間、小妖怪含め、奴良組も敵方も関係なく一斉に動きを止めた。
刀を構えた姿で、あるいは術を行使している姿で、ぴくりとも動かず静止している。
……なんて簡単なんだろう。最初からこうしておけば良かった。
沢山の妖怪が集まる場で何かやらかしでもしたら、なんて。
そんな事を恐れながら終われるほど、妖怪との婚儀は簡単なものではなかったのに。
「お、おい……珀姫?」
恐る恐るという様子で声を掛けてきたぬらりひょんに、にっこりと微笑んで。
私はようやっと、口を開いた。
「本当に妖怪というものは常識を越えてくるのねえ、驚いたわ」
「え……?」
「怪我をしても治ればすぐに戦いに戻るなんて、勇敢だこと。私にはとても考えられないわ」
「へ、へへ……?」
「そうですかい……?」
困惑していた妖怪達が、私の言葉に照れたように笑う。
ただ一人、視界の端に移る珱姫だけが、何かを恐れたようにちらちらと此方を伺っていた。
「ええ、本当に。襖は蹴破られ、布は切り裂かれ……ここまでしてもまだ暴れ足りないのかしら」
「…………へ」
「いくら敵方が攻めてきたとはいえ、こうまでして応戦せずとも、貴方達なら鎮められたのではなくって? それをまあ、随分と楽しげに戦うものね」
「…………ぁ、う……」
言葉の端々に怒りを滲ませながら言えば、妖怪達はどうやら私が素直に褒めているのではないらしいと気付いたようだった。
私が怒っているのは、一に婚儀を目茶苦茶にされたことがあるが、二に彼等がそれに対して微塵も罪悪感を感じていないこともあった。
泣きつくような顔で怪我の治療をしてもらいに来たかと思えば、痛みなんか欠片も覚えていないようなけろりとした顔で帰って行く。
妖怪だし、多少怪我を負ったところで、そうそう死ぬわけではない。けれどだからと言って、此方が治療するのをさも当然という顔で受け入れられては困る。
彼等が婚儀を踏み倒し、楽しく喧嘩をするために、私や珱姫がいるわけではないというのに。
「あ〜……その、何だ。珀姫……」
「ぬらりひょん、一番問題なのは貴方なのよ」
「は、」
「今日は私と、貴方の婚儀でしょう。それなのに戦いを止めもせず眺め、あまつさえ嬉々として参加していくなんて。……その自覚はお有り?」
「ぐっ……」
何かが刺さったような顔をしたぬらりひょんを、さも呆れたという視線で眺めれば、彼は気まずそうに目を逸らした。
けれど本当のことだ。本来なら彼は婚儀の主役として、邪魔されたのを怒ったり鎮めたりするのが筋だろうに。
いくら敵が多いとは言え、総大将が態々戦いに行くこともないじゃないか。
「で、でも珀姫様、向かってきたのはあいつらですぜ!」
「そうじゃそうじゃ! 天下の奴良組に刃向かう奴がいるんだから、オイラ達としてはやっぱりこう、目に物見せてやらなきゃっていうか」
「……そう」
動けないながらもやいやいと騒ぐ小妖怪達に、私はすっと眼を細めた。
「馬鹿!」と雪麗の声が飛んだけれど、止めるには少しばかり遅くて。
私は再び静かに微笑んでから、珱姫の手を取ってゆるりと立ち上がった。
「それは失礼したわ、不勉強で妖怪のことがよく分からなかったの。ごめんなさいね」
「ね、姉様……?」
「どうぞ存分に、喧嘩を続けて頂戴。……私は珱姫と一緒に、暫くお暇させていただくから」
「へっ、」
「お暇……? お暇って……」
私の言葉に、小妖怪達が困惑の表情を浮かべたのが見えた。
けれど言いたいことはもう言い終えたし、これ以上ここにいるのも無意味だ。
ああまで言われてしまったのだ、説得することすら諦めてしまう。
私は妖怪達の視線を一身に浴びながら、珱姫の手を引いて襖へと歩を進めた。
珱姫は戸惑いながらも、静々と私の後を付いてくる。
彼女の意見を聞いていないけれど、どちらにせよこんな危ない場所に一人だけこの子を残してはいけない。
開いたままの襖に手をかけ、私は肩越しに他人行儀な笑みを浮かべて口を開いた。
「さようなら、皆様方。私はしばし、江戸からはいなくなるので。そのおつもりでいらしてね」
「…………えっ」
「えええええ〜〜〜〜!?」
最後に指を打ち鳴らし、かけていた結界を解除する。
行動を制限する力が一気に失われ、どさどさと崩れ落ちる音が聞こえた。
同時に聞こえてきた叫び声を右から左に流しつつ、誰もいない廊下を進んでいく。
そっと見上げてきた珱姫に、にこりと微笑めば、彼女は遠慮がちに口を開いた。
「あの、姉様。本当に江戸を離れるのですか……?」
「さあ、どうしようかしら。別に出任せを言ったつもりはないけれど、……でも、そうね。このまま彼等が引き止めてくれないなら、そうしようかしら」
「……よろしいので?」
「ええ。……だって、あの状態で黙ってるなんて……」
――ぬらりひょんの妻としての名が廃るじゃない?
そう小首を傾げて告げれば、珱姫はきょとんとした後、困ったように微笑んだ。
「……それでこそ、私の憧れの姉様ですね」
「あら、ふふ。ありがとう」
その後慌てて追いかけてきた妖怪達によって、私の江戸離れはなかったことになるのだが。
「……そう言えば珀姫様って京都の女だったな」
「京女の怒り方怖ぇ……」
「怒らせねえようにしねえと……」
それから数日間、奴良組のそこかしこでそう呟く妖怪達の姿が見られたのは、また別の話である。
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