縁側の方が賑やかになったのを感じて、私は立ち上がった。
日が沈み、茜色の空が紫へと変わったこの時間。
そろそろ人々が眠りへと落ちようかというこの頃に、奴良組は活気づく。
「いやー、久し振りの出入りですな」
「全く。総大将が魑魅魍魎の主となってから楯突く輩なんざ、そうはいませんでしたからのう」
「キャハハ、楽しみじゃのう」
縁側へと足を向ければ、妖怪達のそんな声が聞こえてくる。
そう、今日は私が奴良組に来て初めての出入りだった。
どこの組だったか、奴良組に調子づくなと悪態ついてきた者がいるらしく。ならば戦ってどちらが上か決めようじゃないかとなったらしい。
奴良組の妖怪達は戦いが好きらしく、いつになくそわそわしており。中でも一つ目や牛鬼、狒々なんかは特に楽しそうだった。
「もう出るの?」
「おう珀姫。そうじゃな、もう時期に」
「危ないことしないで、なんて言えないけど。……気を付けてね」
「何じゃ、不安か? 心配せんでもワシ等は強いからのう、死ぬことなんざそうそうねえさ」
「怪我をこさえてくるのも出来ることなら控えて欲しいのよ。もう……」
怪我をするのは人間だろうが妖怪だろうが心配なことには変わりない。
手当ては出来るけれど、私には珱姫のように傷を立ち所に治す力なんてのは備わっていない。
妖怪の快復力が強いのは知っているけれど、出来るなら傷一つなく戻って来て欲しいのだ。
「……行ってらっしゃい」
「ああ。――行くぞおめえら!! 奴良組の決戦じゃ!!」
「おおおおおお!!!!」
軽く手を振って、勇んで去って行く妖怪達を見送る。
妖怪の中に雪麗がいるのを見つけて、ちょっとだけ羨ましくなった。
いいな、戦えるの。力になれて、危ない時には守ったりなんかもできるんだろう。
私は陰陽術を使えるけれど、でも妖怪の中に混じって戦ったりなんてできない。
妖怪は妖怪、陰陽師は陰陽師。結婚しようと何しようと、それは変わらないんだから。
……今更だけど、生まれつき妖怪なの、いいなあ。
そんな、考えたってどうしようもないことを考えて。
私は溜息を一つ零して、くるりと踵を返した。
出入りにどれくらいの時間がかかるかは、その時によって違うらしい。
手強い相手なら長く、弱い相手なら短く、そうでなくても相手の大将と気が合って、義兄弟の杯を交わすならそれなりに時間もかかるのだとか。
先に寝ていて良いと言われたし、風呂も食事も済ませて布団に潜り込んだけれど、でも去って行く彼等の姿が瞼の裏に焼き付いて離れない。
怪我をしていたらどうしよう。呪いを受けたらどうしよう。
……ああ、夜は悪いことを考えてしまう。考えても意味なんかないのに、考えて、考えて、眠れない。
はやく、戻ってこないだろうか。奴良組の凱旋だ、なんて楽しげに言いながら。
そうしたらこの気持ちも、ほんのちょっとは落ち着くのに。
「……はぁ……」
何度目かの溜息をついた、その時だった。
「たっだいまー!!」
「帰ったぞ〜!!」
「!!」
玄関口の方が、俄に騒がしくなる。
感じる沢山の妖気。帰ってきたんだ。
呪いの気配は……分からない、妖気が多すぎて感じきれない。
逸る心臓の鼓動を押さえて、私は羽織るものもとりあえず、急ぎ足で玄関へと向かった。
「お、お帰りなさい」
「おお姫様」
「奥方様、戻りました」
「総大将、珀姫様ですよ」
「おう。珀姫、帰ったぞ」
「ええ……お帰りなさい」
沢山妖怪がいて、誰もが家族だとは思っているけれど、でもどうしたって私の目線はまず真っ先にぬらりひょんへと向かってしまう。
妖気に乱れはないし、呪いの気配もない。怪我は……していないみたいだ。
ほっと胸を撫で下ろす。そのまま微笑めば、ぬらりひょんもまた笑みを返してくれた。
「寝ていていいと言ったが、起きておったのか」
「……なんだか、眠れなくって。大事はない?」
「ああ、ワシはな。ただちょっと……」
「……?」
ぬらりひょんが振り向く。何だか嫌な予感がして、恐る恐るそちらの方に目を向ける。
人混みの中から出てきたのは、雪麗だった。
着物の裾が、赤く染まっている。
「! 雪麗、どうしたのそれ。怪我したの?」
「別にこんなの、大したことないのよ。ちょっとざくっとやられただけで」
「まあ妖怪じゃし、すぐ治るとは思うんじゃがな。一応手当てしてやってくれるか」
「いいわよそんな、大袈裟にしなくて」
「駄目!」
私の声に、雪麗がびくっと肩を揺らしたのが分かった。
しまった、つい大きな声を出してしまった、と思ったけれど、でも出てしまったものは押さえられない。
「……駄目よ、雪麗。治療するからこちらへ」
「え、ええ……」
「歩ける? 肩を貸しましょうか」
「そ、そんな大事でもないんだけど」
「何言ってるの、大怪我じゃない。ぬらりひょん、ごめんなさい、ちょっと薬箱を取ってきてくれる? 広間に向かうから」
「お、おう」
雪麗の歩行を手伝って、広間へと向かう。
彼女の足取りは思ったよりもしっかりしていたけれど、でも傷付いた方の足を庇うような動きが見られた。
「……大丈夫?」
「だ、大丈夫よこのくらい。アンタが大袈裟なの」
「だって傷が……あ、もうすぐよ雪麗」
広間へと着いて、座布団を近くに寄せる。
雪麗をそれに座らせて、改めて傷を見てみれば、深くはないけれど大きかった。
血も出ている。持ってきてもらった布で圧迫止血しながら、薬箱を開けて傷薬を手に取った。
「ごめんなさい、痛いだろうけど……ちょっとだけ、我慢してね」
「だからこのくらい大丈夫って……いっ」
「薬、しみるでしょうけど……塗らなきゃだから、ごめんね」
白い足に幾筋も赤い血が伝っている。
歩けていたから神経や骨に異常はないだろうけれど、でもかなりの怪我だ。
薬の痛みに眉を顰める雪麗に、申し訳ないと思いつつも治療を施していく。
薬を塗って、綺麗な布を巻いて。……これくらいしか、私には出来ない。
それから、最後に。
「雪麗、動かないでね」
「え? ……っ!」
雪麗の背中に手を回して、ゆっくりと抱きしめる。
目を伏せて、相手のことを思って。
そうすれば、宙に光の玉が浮かんで、静かに雪麗の体に入っていった。
「い、今のって……」
「神通力。心配しなくても治癒力を高めただけだから、安心して。痛くはないでしょう?」
「痛くはないけど……こんな怪我にそんな力、使わなくてもいいのに。妖怪なんだから、すぐ治るわよ」
「……妖怪でも、人間でも。痛いことに変わりはないでしょう?」
すぐに治せるわけじゃない。珱姫と違って立ち所に癒やせたりはしない。
しないよりはまし、それくらいの力だけれど、でも私に出来るのはこれだけだ。
「……まあ、一応礼を言うわ。ありがと」
「どういたしまして。安静にしていてね、傷が治るまでの間は」
「……分かったわよ。だからその顔やめて、調子狂っちゃうわ」
いつの間にか眉間に寄っていた皺を、ぐいと無理矢理伸ばされる。
それに驚きつつも、取り敢えずは大丈夫そうだと息をついた。
「……珀姫」
「なあに、ぬらりひょん」
「ワシにもそれ、やってくれんか」
「は?」
ぬらりひょんが、じとりとした目で私を見ていた。
それ、って……神通力のことだろうか。
「どうして? 貴方も怪我をしているの?」
「んや、無傷じゃ」
「なら良いじゃない、別に」
「よくねえ」
「……? どうして?」
意味が分からない。怪我をしているわけでもないし、妖気に乱れが出るほど疲れているわけでもない。
元気なら神通力なんて使う必要、ないと思うのだけれど。
だけどぬらりひょんは、私の言葉にますます眉を顰めた。
「珀姫、アンタはワシの嫁じゃろう」
「え、ええ……そうだけど」
「ならワシに一番にその力を使うべきじゃねえか?」
「……どういうこと? だって貴方、怪我してないんでしょう」
「してねえが。雪麗や小妖怪達にばっかり使うのは、ずるくねえか?」
「ずるい……?」
ぬらりひょんの言っていることが分からない。
狡いも何も、怪我をしたんだから治癒するのは当たり前のことだ。
首を傾げていれば、雪麗が小さく溜息をつき、私の耳元へ口を寄せて言った。
「ようするに、自分も抱きしめて欲しいのよ」
「……は? ……なんで?」
「悋気よ悋気。妾が珀姫に抱きしめられてるのが羨ましくなったのよ」
「……」
悋気。まさか、そんなわけ。
そう思ってぬらりひょんを見る。不機嫌そうに顰められた眉、ぶすくれたような形の唇。
……え? もしかして、本当に?
「ほれ、珀姫。こっちじゃ」
「……」
そろそろと近寄って、ぬらりひょんの首の後ろに手を回す。
するとすぐさまぬらりひょんの腕が私の背中に回って、何だかちょっとだけ恥ずかしくなった。
目を伏せて、思いを込めて。光の玉が、ぬらりひょんに吸収されていく。
それが終わって手を放しても、ぬらりひょんは腕を離してくれなかった。
「ぬらりひょん、したわよ。これで終わり」
「おう。確かに凄いな、アンタの力は。疲労回復にぴったりじゃ」
「そう。……あの、離してくれない?」
「嫌じゃ」
「は?」
ぎゅ、と。抱きしめられる力が強くなった。
離れようとぬらりひょんの肩に手を置くけれど、妖怪の力に適うわけもなく。
「アンタから抱きしめられるなんざ、そうないからのう。もう少しだけ堪能させてくれ」
「え!? いや、これ抱きしめてるって言うか、神通力発動させてるだけなんだけど」
「まあ細かいことはええじゃろ」
「よくないわよ、離して」
「もうちっとじゃ」
押し問答である。これはまさか、本当に焼きもちを妬いていたんだろうか。
ぐぐぐと体を離そうと手に力を込めてみても、ぬらりひょんはびくともしない。
「ちょっと!」
「んー?」
「んーじゃなくて」
「ええじゃろたまには。……な、珀姫」
その言葉が、どこか甘えるような色を含んでいる気がして。
……悋気、か。全く、面倒な事だ。
私は一つ、溜息を落として。ぬらりひょんを拒んでいた手から力を抜いた。
「……少しだけね」
「おう」
雪麗からの、呆れた様な視線を浴びながら。
私はたまにはいいかと、そう了承したのだけれど。
その後思いの外ぬらりひょんが離れず、布団に戻る時間がなくなってしまったことは、失敗談である。
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