「あ、珀姫様!」
「奥方様、こんにちは!」
「こんにちは〜!」
「ふふ、こんにちは。今日も元気ね、貴方達は」
「そりゃもちろん。元気が取り柄ですんで!」


にか、と笑って言われたその言葉に、私はくすくすと笑みを返した。

あの練り切り騒動から数日。
私は自分でも驚く程に、奴良組の妖怪達に受け入れられていた。
おずおずと練り切りを差しだした時の、驚いた顔。それを食べて更に驚いた顔。よければ仲良くして欲しいと告げた時なんか、目をひんむいて驚いていて。
そんなにつんけんしてそうに見えるだろうか。まあ確かに珱姫のように素直さはないかもしれない。……まさか悪人面なんてことは、ないとは思うけれど。
心配して思わずそっと顔に手を添えたのもつかの間、妖怪達は驚いた顔にじわじわと笑みを浮かべてくれた。

ぬらりひょんや狒々、雪麗が怖がることはないと、口添えしてくれたのもよかったのかもしれない。
京に来ていなくて、更に陰陽師に対抗するだけの力のない小妖怪なんて、前は一番怖がられていたのに。
今となっては、朗らかに挨拶をしてくれる仲になっていた。


「本日はどのようにお過ごしで?」
「そうね、特に予定はないのだけれど……江戸の街の地理に弱いから、探索でもしようかしら」
「おっ、じゃあワシらが護衛いたしますぞ!」
「珀姫様のことはオレ達がお守りします!」


元気いっぱいのその姿に、思わず笑みを零した。
小妖怪達だから戦闘力はそれほどでもない。だけど守ってくれるというその気持ちが嬉しかったのだ。


「何じゃ、出かけるのか珀姫」
「! ぬらりひょん」
「総大将!」
「こんにちは!」
「おう。珀姫に遊んでもらっとったのか?」
「違いますよぉ、護衛してたんです。なっ」
「そうそう!」


妖怪達のその言葉に、ぬらりひょんも口角を上げた。
やはり総大将である彼は、奴良組の誰からも慕われているらしい。そういえば大阪城に一人で来た彼に、奴良組の面々が着いてきていたな。
自由奔放だけれど強くて憎めない。そんなぬらりひょんが人気があるのは、まあ分からないでもない。


「お、そうじゃ珀姫。暇ならワシとでぇとに行かんか?」
「で……? なあにそれ。異国語?」
「その通り。外つ国の言葉でな、ええと……そう、逢い引きのことじゃ」
「ふうん」


耳慣れない言葉だけれど、ぬらりひょんと話しているとたまにこういう言葉が出てくる。
ぬらりひょんは新しいものが好きだから、外つ国の文化も興味津々なのだろう。
でぇと。聞き慣れない言葉をもう一度頭の中で反芻して、私は笑みを浮かべた。


「じゃあ貴方のおすすめの場所に行こうかしら。江戸で素敵なところはある?」
「おう、勿論じゃ。そうじゃのう……ワシのとっておきの場所に案内しよう」
「あら、それは楽しみだわ」


江戸に来てから、思えば外出なんて買い物くらいのものだった。
それも日用品や食料を買いにいくだけのもの。不満があるわけではないけれど、久し振りの外出に気持ちがそわそわしてしまう。
とっておき、なんて。素敵な響きだ。一体どこに連れて行くつもりなのだろう。


「じゃ、珀姫様。ワシ等はこれで」
「さよなら!」
「えっ、貴方達も一緒に行かないの?」
「流石に夫婦の逢い引きに乗り込むほど無粋じゃありませんぜ」
「総大将もその方が良いでしょ、ねえ総大将」
「確かにな。お前等は烏天狗にでも遊んでもらっとけ」
「あの人遊んでくれないですよお。仕事増やされるんですもん」


ぶすっと唇を突き出して言う小妖怪に、私はくすくすと笑った。確かに、あの生真面目な烏天狗が暇な妖怪に仕事を言い渡すのは目に浮かぶようだ。
お土産買ってきてくださいねーと言いながら廊下を去って行く妖怪達に手を振っていれば、ぬらりひょんがこちらに目を向けた。


「じゃ、行くか珀姫」
「あ、ちょっと待って。誰かに言付けを……」
「いらんいらん。ほれ、行くぞ」
「きゃっ!」


ひょい、と、ぬらりひょんはいとも簡単に私を抱き上げた。
少しだけ慣れたとは言え、そして彼が私を落とすことなどないだろうと言っても、やっぱり浮遊感はちょっぴり怖い。
思わず彼の羽織を掴めば、ぬらりひょんは小さく笑って言った。


「ワシがこの世で一番美しい景色を見せてやる」


その言葉に目を見張る私を他所に、ぬらりひょんは空へと大きく飛び出した。




















「着いたぞ珀姫、ここじゃ」
「……?」


ひょいひょいと移動するぬらりひょんの浮遊感に、恐ろしくなって耐えきれず目を瞑ったままいれば、不意に動きが止まってぬらりひょんの声が聞こえた。
そっと下ろされ、恐る恐る、目を開ける。そうして見えたものに、私は思わず息を飲んだ。


「……っ」
「どうじゃ、見事じゃろう?」
「え、ええ……」


そこにあったのは、京でも中々見ないほど立派な、大きな藤棚だった。
淡い色をしたもの、濃い色をしたもの。薄い桃色や、白の藤もある。こんなにも沢山の藤の花は見たことがない。
爽やかな青い空に広がる色とりどりの藤の花。正に圧巻であった。
声も出せずに見惚れていると、視界にひょいとぬらりひょんが入って来た。


「アンタを初めて見た時思い出したのが、この藤棚じゃった」
「初めて……? あの夜、貴方が不法侵入してきた時のこと?」
「不法侵入と言うな。逢い引きじゃ」
「逢い引きではないわよ絶対に」
「……アンタは知らんじゃろうがな、ワシはその前に、アンタを見とる」
「え?」


その、前?
思い返してみても、あの一件より前にぬらりひょんの姿など見たことがない。
これだけ強烈で凛々しい容姿の男。口を開けば飄々として、こちらをからかってくるような妖怪なんて、一度見れば忘れられるはずがないのに。
首を傾げていれば、ぬらりひょんはくつりと笑った。


「アンタが……妖怪を滅しているところじゃ」
「! な、んでそんな、とこ……」
「いやあんまりにもアンタの噂が凄まじかったから、確かめに行ってやろうと思ってな」
「……っ」


ドクン、と心臓が鳴った。嫌な汗が頬を伝う。
妖怪を滅しているところ、なんて。
そんな、そんなの。


「……貴方にだけは、見られたくなかったのに」


だってそうだろう。妖怪退治なんて私が陰陽師としてやっていることの最たるもので、妖怪からしてみれば仲間を殺されているところなのだ。

思わず目を伏せる。ぬらりひょんの顔が見られない。……怖い。
何て思われたんだろう。恐ろしい? 憎い? それとも……ああ駄目だ、嫌な方ばかりに考えが行く。
けれどそんな私の耳を打ったのは、ぬらりひょんの柔らかい声だった。


「それが、アンタに興味を持った切欠じゃ」
「は……ど、どうして?」
「アンタ、謝っとったじゃろう」
「……え」
「妖怪を倒した後じゃ。ごめんなさい、ってな」


それならば、心当たりはある。
妖怪を倒して、その罪悪感に耐えきれず謝罪するなんて、陰陽師らしくないことをするのは私位のものだ。
こくんと頷けば、ぬらりひょんは笑った。


「姫君とは言え陰陽師、しかも花開院の人間が、妖怪に謝罪するなんぞ普通あり得んじゃろ? じゃがアンタの瞳も、声も、本当に沈んでいた」


己の行いを悔いていた。そう、ぬらりひょんは言う。
有り得ない。確かにそうだ。でも私は、自己満足だとしたってせめて何か言わなきゃ、奪った命の重さに耐えきれないから。


「戦闘時の強く光る瞳とは打って変わって儚くてな。……アンタという人間が、欲しくなった」
「……だから、あの夜忍び込んできたの?」
「おう。欲しいと思ったら我慢はしない性分でな」


あんなの、綺麗でもなんでもないのに。
ただの、私の弱いところが出ただけなのに。
なのに、そこを見て、私を欲しいと言ってくれたの?


「……変な人」
「なんだそりゃ」
「褒め言葉よ」
「ならいいが」


じわりと目に浮かんだ涙を、何でもないふりをして拭った。
そう、見ていたの。
……見ていた上で、私を欲しがったの。
あんな、誰からも肯定されないような、弱い私を見て。


「……珀姫? どうした?」
「……ううん、なんでもないの。……なんでも、ないのよ」


心に広がったのは、嬉しさだった。
誰にも打ち明けられなかった、私の苦しいところ。弱いところ。
それを、知っていてくれる人がいる。
知った上で、それでいいと言ってくれる人がいる。

ちょっとだけ、救われた気がした。


「……それにしても、本当に綺麗な藤の花ね」
「そうじゃろう。ここも本家の土地じゃが、この時期になると人間が花見をしに来る。ま、アンタの美しさには適わんが」
「っ、すぐそうやって人を口説く……!」
「本心じゃ。安心せい」
「どこに安心しろって言うのよ……全く」


はあ、と一息ついて。私はぬらりひょんを見上げた。
彼の金色の相貌に、様々な色合いの藤が映っている。
……綺麗だな、と。言うともなしに思った。


「何じゃ?」
「いえ……何でも」
「そうじゃ、気に入ったんならこの藤棚、丸ごと本家の庭に移すか。そうすりゃいつでも見られるしな」
「は!? そ、そんな大変な作業、どれだけ手間と時間がかかると思って……!」
「烏天狗にでも任せときゃええじゃろ」
「貴方は彼を酷使しすぎ。……いいのよ、このままで」


確かに、ぬらりひょんの瞳に映る藤の花は綺麗だけれど。
囲っておくには勿体ない美しさだから、いいのだ。

その代わり。


「もう少しだけ、ここにいてもいいかしら。あとちょっとだけでいいの」
「うん? 構わんよ、アンタの望みなら」
「ありがとう」


風に靡く髪を押さえ、藤の花を見上げる。
藤は確か、寿命のとても長い花だ。時に千年を超えることもあると聞く。
奴良組の土地の端でひっそりと、でも柔らかく、優しく。
彼等を見守っていって欲しいと、私は藤棚に願いを託した。





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