鴆の診断から、二週間。


「お、奥方様何を!?」
「何って洗濯を……」
「いけません! これは私がいたします!」
「じゃあ掃除を……」
「なりません! こちらはわたくしがいたします!」
「それなら……」
「珀姫様は静かに寝ていてくださいませ!!」


あまりの勢いで話す女妖怪達に、私は思わず閉口した。

私が子を成したという知らせは、今や奴良組中に駆け巡っていた。
本家のみならず親戚筋、更には珱姫まで。一体誰が知らせたのかは知らないが、「おめでとうございます!」という旨の手紙が珱姫から届いた時は驚いた。
ともかくそれ自体は目出度いこと。奴良組は数日掛けて大宴会を執り行った。
が、しかし。

悪阻で気分が悪くなったり、目眩や頭痛に耐える姿を本家の妖怪達に目撃されてしまい。
私は家事も碌に出来ず、自室に閉じ込められてしまったのである。
安静に、と誰も彼もから言われてしまい。あの一つ目でさえ私から掃除用具を取り上げたのだから、その慌てようはお分かり頂けるだろうと思う。


「おう珀姫、調子はどうだ?」
「ぬらりひょん……」


寝室の布団の上、起きてまだ数刻で眠くもないのに、昼間からだらだらと。
……情けない。まるで重病人のようである。


「ねえ何とかして頂戴。ここ数日全く働いてないのよ、寝てばかりで足に根が生えちゃうわ」
「いいことじゃねえか。鴆も言ってたろ、安静にしとけって」
「限度があります」
「まあアンタは常日頃からくるくる働いてたからな。丁度良い休暇じゃと思ってのんびりせい」
「のんびり……」


のんびりって、どうするんだっけ。
そりゃ私だって、花開院で働き詰めだったわけじゃない。
珱姫の屋敷を訪ねたり、気に入りの甘味処に寄ったり。息抜きしていたころもある。
だがしかし、こんな布団の上に閉じ込められるような経験なぞ今までした事がない。
私が働けない分、他の妖怪達に負担が渡ってしまうし。罪悪感で押しつぶされそうである。


「……はあ。奴良組の妖怪達は心配性が過ぎるのよ」
「そんなことねえさ」
「あるわよ。……別に、病気じゃないのに」


妊娠は病気じゃない。あくまで一般的な女性の体の仕組みだ。
巷の女性達は産気づくまで働くというのに。こんな昼間から布団の中にいたら罰が当たってしまう。
そう言うと、ぬらりひょんは呆れた顔で私を見つめた。


「体調も優れんのじゃろう。ゆっくりするくらい悪いことじゃねえさ」
「でも……眠くもないのに眠れないわ」
「んー……」


どうしても、何もしないというのはやはり居心地が悪い。
ただでさえ嫁入りしてきた身、言わば他所者である。何かしていなければいけない、という意識は常につきまとう。
だが確かに、料理は出来ないし、洗濯していても掃除していても気持ち悪くなることはあるわけで。
倒れて迷惑を掛けるくらいなら、じっとしておいたほうが他の妖怪達にとっては助かるのかもしれないが。
そう思って、ままならない状況に溜息をついた時。


「じゃあこうしよう。ワシも一緒に寝てやる」
「は?」
「ほれ、ちょっと詰めてくれ珀姫」
「え、ちょ……」


ぬらりひょんはさも名案だというように手を打つと、掛け布団を捲って、まさか、本当に潜り込んできた。
確かに毎日起きたら同じ布団にいるとは言え、眠る時は別々だ。なのにこんなの、


「は、はしたない!」
「はしたないってアンタ……」
「と、殿方と同じ布団で眠れるわけないでしょ!」
「いいじゃねえか、夫婦なんだから」
「そういう問題じゃ……」


ぐらり。
声を荒らげるとどうしても頭に響いて、頭痛と目眩が襲ってくる。
思わず頭を押さえて悶えていると、完全に布団に入ってきたぬらりひょんが撫でるように頭に手を置いた。


「大丈夫か?」
「……大丈夫。平気よ」
「本当は?」
「…………。ちょっと痛い」
「じっとしとけ。ワシも休んでやるから。な?」
「貴方が休みたいだけじゃないの……?」
「ばれたか」


じとりと睨んでみても、ぬらりひょんは顔色一つ変えない。
はあ、と溜息をついて、私は渋々彼の行動を受け入れた。
二人分の熱が入った布団は温かい。少しだけ収まった頭痛にほっと息を吐くと、ぬらりひょんが言った。


「……アンタにばかり負担を掛けて悪いな」
「……え」
「変わってやれたらええんじゃが、そういうわけにもいかんしのう。……すまねえな、珀姫」
「……なあに、らしくない」
「本当のことじゃ」


ぬらりひょんは眉間に皺を寄せて、思い悩むような顔をしていた。
頭に置かれた手が、優しく髪を梳く。その心地良さに目を伏せていれば、ぬらりひょんは口を開いた。


「二人の子なのに、しんどいのはアンタだけじゃ。ワシに何か出来ることがあればええんじゃが」
「……別に、そんなこと」
「あるじゃろ。頭痛も目眩も吐き気も、ずっと続くとそりゃあキツイじゃろう。だがアンタはあんまり弱音をはかねえしな」
「それは……性分なのよ」


弱音を吐かない。弱みを見せない。
例えぬらりひょんが許してくれたとしても、産まれた時から言い聞かせられたその言いつけは私を縛る。
だけどそれをキツイとは思わない。だって昔からそうなのだから。


「……別に、悪阻なんてそう長く続くものじゃないわ。後何週間かすれば終わる話よ」
「何週間か耐えなきゃならんじゃろう。……こういうとき、何をしてやったらいいのか、ワシには分からん」
「何って……何もしなくていいのよ、貴方は」
「そういうわけにはいかんじゃろう」
「……心配性ね」


くす、と笑ってみても、ぬらりひょんの眉間の皺は取れない。
この人は優しくて、それ故に私に対して過剰なまでの心配をする。
それは心地良いけれど、でも心配を掛けていると思えば、そちらの方が申し訳ない。


「……平気、って言っても、貴方は信じてくれないんでしょうね」
「アンタは嘘吐きだからな。……悪い」
「……ううん、いいの。……いいのよ」


好きな人との子ども。嬉しくないわけがない。
無事に産まれてくれるかなんて分からない。でもそのためにこの不快な悪阻を乗り越える必要があるなら、私は甘んじて受け入れよう。
少しでも、ぬらりひょんに喜んで欲しいから。


「……そうじゃ、アンタの霊力のことじゃが」
「! 何か分かったの!? っ……!」
「あ、おい落ち着け。……大丈夫か?」
「え、ええ……」


駄目だ、どうにも。大きな声を出すと頭に響く。
ずきずきと痛む頭に手をやりつつも、視線でぬらりひょんに話の続きを催促すれば、彼は不安げな顔をしながらも続けてくれた。


「詳しいことは今カラスに調べさせとるが、要はアンタの霊力を放出して、体に溜まる分を空っぽにすりゃええらしい」
「空っぽ……?」
「ええと、何て言ったらええかのう……うむ……」
「……使い切るってこと?」
「まあ、そういうことじゃ。……分かるか?」
「……なんとなく」


でも霊力を使い切る、ってどうしたらいいんだろう。
私は生まれつき霊力が多かったこともあって、霊力切れなんて起こしたことがない。故に、仕組みが分からない。
是光兄様や秀元が何か言ってなかったっけ。ええと、確か……。


「……あ、分かったわ」
「む?」
「要するに、ギリギリまで陰陽術を使えば良いのよ」
「……それは」
「やったことはないけれど……霊力の上限は把握しているから、出来ると思う」


陰陽術は使い方によっては、人や妖怪を倒すものだけれど。使い方によっては、そうしない道も選ぶ事が出来る。
とはいえ私の知っている陰陽術には限りがあるから、手当たり次第にやって見るしかないのだが。


「……アンタの体に負担はかからんのか?」
「……まあ、少しくらいは平気」
「本当に?」
「……本当に」


負担はかからないかと言われれば、まあかかることに違いはない。
とはいえその方法しかないのであれば仕方がないし、何より使い切るギリギリを目指せば倒れることはないだろう。……多分。


「じゃあ早速……」
「ああ待て待て。流石に今の時期から無理させるわけにはいかん」
「え、でも……」
「今はまだアンタの霊力も微量程度しか放出されとらんしな。まだ腹の子には障らんと言われた」
「……じゃあ、いつからすれば……」
「んー……まあ、悪阻が終わったら、かのう」
「終わったら……」


大体妊娠してから四月経てば、悪阻は治まると言われている。個人差はもちろんあるけれど。
今は三月経ったところ。後一月、持つだろうか。この子の命は。
……否。持たせなければならないのだ。この子の、親として。


「……頑張るわ」
「……。無理はするなよ」


むん、と握り拳を作って言えば、ぬらりひょんはやや呆れた顔をしながらそう言った。
背に腕が回されて、引き寄せられる。心地よい温かさの中で、私は腹部を撫でながら、もう一度思った。

……頑張ろう。この子の、親として。






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