「それじゃ、行くとするか」
「ええ」
「忘れ物はない? 体調は大丈夫?」
「平気よ、雪麗」
「総大将、土産頼まあ」
「おう、美味い酒でも買ってくるとするぜ」
「羽目を外しすぎないようご注意下さいね。珀姫様の言うことをよくお聞き下さい」
「お前はワシの親か? カラスよ」


巨大な顔が描かれた牛車――牛はいないけれど――に、ぬらりひょんと共に乗り込む。
これがぬらりひょんの言っていた、おぼろ車。確かに妖気を感じるけれど、内装は牛車とほぼ変わりないらしい。
二週間分の荷物と、何かあった時のための保険の荷を積んで。前簾を下げると、おぼろ車は静かに浮き上がった。


「全く皆、過保護だこと」
「賑やかでいい組じゃろう?」
「ふふ、そうね。皆貴方のことが大好きって言うのが伝わってくるわ」
「ワシだけじゃねえさ。アンタも十分愛されとるよ」
「だといいけど」


なんて言ってみたけれど、まあ実際そうだろうな、とは思う。別に自意識過剰とかではなく。
初対面では花開院出身の私をあれだけ恐れていたというのに、今は朗らかな笑顔で見送ってくれるのだもの。
物見にかかった布を捲ると、奴良組の妖怪達はまだこちらに手を振ってくれていた。
手を振り返す。そうすれば、彼等は体全体使うようにして、大きく手を振ってくれる。


「ふふ。皆面倒見がいいわね」
「はねむーん、じゃな」
「はね……? なあにそれ」
「夫婦が結婚した後に行く旅行のことじゃ。外つ国の言葉でのう。本来は婚儀を挙げてすぐ行くらしいが……ま、細かいことはええじゃろ」
「ふうん。よく知ってるのね」


外つ国には色んな文化があるらしい。でえと、だとか、はねむーん、だとか。
耳慣れないそれらを、彼はとてもよく知っている。物珍しいのだろう。


「でも忘れちゃ駄目よ、今回の旅の目的は結界を完成させること。結界に絶えず霊力を流すことが出来れば、この子に対抗するための私の霊力もなくなるでしょうから」
「それなんじゃが、奴良組全土を結界内に修める必要はあったのか?」
「だってその方が便利じゃない。それに、変に結界を小さくして、誰かだけを外に残すなんて嫌だわ」
「それはまあ……その通りなんじゃけれども」
「なあに?」
「結界を大きくしたせいで、アンタの体に余計な負担がかかるとかいうのはないのか?」
「……」


……鋭い。
そんなこと一言も言わずにここまで来たのに。
すっと視線を逸らすと、ぬらりひょんの声が低くなった。


「……珀?」
「……」
「……珀姫」
「……やあね、そんな怖い顔しないで」
「……そうなんだな?」
「…………」


じとり。ぬらりひょんの視線がこちらを射貫く。
あまり広くはないおぼろ車の中、気まずい空気が立ちこめる。

だって、聞かれなかったから。何て言ったら怒られるだろうか。


「中止じゃ中止! 何で早く言わなかったんじゃ!」
「だ、だって……無理な負担がかかる、とかじゃないし……」
「身重なのを自覚せんか! いつもなら良くても今は避けるべきとかあるじゃろ!」
「いやほら……ね? 鴆にも了解を貰ったし……」
「鴆に霊力のことは話したのか?」
「……奴良組全土を囲むくらいなら大丈夫って言ったわ。嘘ではないし」
「…………珀姫」


嘘じゃない。この国を丸ごと囲む結界なんてなったら流石に無理が過ぎるけど、奴良組の支配する土地だけであれば私の霊力でも足りる。
……足りる、というだけで。本当にぎりぎりのところまで霊力を使うことになるかもしれないが。


「……だって。ぎりぎりまで霊力を使わなくちゃ、この子に何か影響があるかもしれないじゃない」
「だっても糸瓜もあるか! 奴良組総大将ぬらりひょんの子じゃぞ、そう簡単にやられたりは……」
「分からないじゃない、そんなの……!」


思わず、喉の奥を振り絞るようにして言ってしまった。
ぱっと口を押さえても、出てしまった言葉は戻らない。
ぬらりひょんが驚いた顔をして、こちらを見ている。……やって、しまった。


「……言ったでしょ。私はこの子の方が大事なの。勿論、倒れるつもりなんてないけれど、でも自分を優先にしてこの子に何かあったら……」
「……何かあるかは、分からんじゃろう」
「そう、分からない。分からないから、慎重になるのよ」


妖怪と陰陽師の子、なんて前例がない。誰も知らない、分からない。
気付いた時には子が死んでいる。そんな恐ろしい未来だって、あるかもしれないのだ。


「……お願いよ、ぬらりひょん。私にこの子を殺させないで」


ここまで、上手くいきすぎるほど上手くいっている。羽衣狐との戦いも、それぞれの立場の違いも、全て何とかなってきた。
けれどそれは、周りの人達のおかげ。秀元が、是光兄様が、珱姫が。それに奴良組の妖怪達がいてくれたから、何とかなっただけ。
やや子に関しては、もう誰にもすがれないのだ。だって私のことだから。鴆ですら、ぬらりひょんですら、どうにもできない。
私がやらなくちゃ、いけないこと。


「〜〜っ、ああもう分かった! ワシにはアンタの願いは断れん! 分かって言っとるじゃろ珀姫!」
「……じゃあ」
「その代わり、きつい辛い具合悪いその他諸々、全部ワシに言え! 何かあったらすぐ! そのために着いてきたんじゃからな」
「うん。言うわ、ちゃんと」
「ったく……ワシがアンタに弱いのを分かってからに」
「別に利用したわけじゃないわよ」
「分かっておる。ワシが勝手に折れただけじゃ」


はああ、と深々溜息をついて、ぬらりひょんは頭を掻く。
別に死にたいわけじゃない。自己犠牲が綺麗だとも思わない。
でも一番大切な物を、守れるのは私だけの大切なこの子を、どうしても守りたいのだ。


「心配しなくても、今のところ異常は――」


ぽこ。


「…………?」
「……珀姫?」
「……ちょっと待って」


今、何か。

……ぽ、ぽここ。


「!」
「どうした珀姫、具合が……」
「違う。……動いたわ、この子」
「……は?」
「今、お腹の中で。小さく動いた気がするの」
「!」


気のせい? いや、確かに動いた。
手を当ててみる。前より僅かに膨らんだ腹の中、今度は確かに、しっかりと。
ぽこん。と。腹の子が、動いたのが分かった。


「動いてる……!」
「え、あ……」
「触ってみる?」
「は!? い、いや……」
「……嫌?」
「嫌ではねえが……さ、触って平気か? 痛くねえか?」
「痛くないわ、ほら」


ぬらりひょんの手を取って、そっと腹に当ててみる。
じっと私の腹を見つめるぬらりひょんの目が、期待を帯びている。

けれど。


「……?」
「……」
「……」
「……動かなくなっちゃったわね」
「…………ワシが嫌だったんじゃねえだろうな」
「何言ってるの、たまたまよ」


ふふ、と笑って腹を撫でる。何だか急に実感が湧いてきた。
この向こうに、確かに生きているのだ。私達の子どもが。


「さてと。この子も頑張れって言ってくれてるみたいだし、頑張らなくちゃね」
「珀姫。無理は――」
「はいはい、無理はしないわ」


出来るだけ。
最後の言葉は自分の中にしまっておくけれど。
それでも多分、大丈夫。
だってぬらりひょんが一緒にいるんですもの。何とかなるわ。

……本人には、言わないけどね。






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