ふ、とおぼろ車が音もなく止まった。
ぬらりひょんに先導されながら車を降りる。
久方ぶりの本家は、相も変わらず賑やかだった。
「お帰りなさい、総大将、珀姫様!」
「土産は買ってきてくれたかい? 総大将」
「ほれ、奴良組各地の地酒じゃ」
「流石、分かっておる」
「珀姫、体調は大丈夫だった?」
「ええ、平気よ雪麗」
出迎えてくれたのは本家中の妖怪達。
彼等も寂しかったのだろう、離れていた時間を埋めるように歩きながらも私達を囲んで話している。
空を見上げれば、もうすっかり冬の雲が浮かんでいた。
「じゃあ、最後の仕上げをしないとね」
「仕上げ?」
「そう。奴良組の中央、地中深くに埋めるのよ、これを」
「これ、って……」
取り出したるはもうおなじみとなった紫水晶。けれど土地の中央、結界の核となる部分の物であるため、他のものより少し大きめだ。
これを埋めて、血を垂らして、霊力を込める。それで結界の完成だ。
上手くいくといいのだけれど。結界術は最後の最後まで、成功したかどうかが判断出来ないから。
「奴良組本家の中央、っていうと……」
「ワシの部屋じゃな」
「そうね。貴方の部屋の縁側に埋めるの。不快だったら場所を少しずらすけれど」
「今まで手伝ってきたんじゃ、不快も何もあるかい」
「そう? なら良いわ」
荷物を持って歩き出す。すると妖怪達もぞろぞろ列を成して着いてきた。
物珍しげな視線が、水晶に注がれる。まあ、陰陽術の呪具なんてそうそう目にする機会もないだろうし。
もしこれが何かを封じ込めるためのものなら、くさび代わりになる何か……そう、例えば大木とか。そういったものが必要になるが、今回はこの水晶で十分である。
ぬらりひょんの部屋の前について、穴を掘って。その中央に、札の巻かれた紫水晶を置いた。
そして小刀を取り出し、ぴっと指の先を切る。小さく出来た切り傷から、ぽたりと一滴、血が水晶に落ちた。
「……後は、これだけね」
手をかざす。集中するために、息を吸って、吐いた。
ここに注ぎ込むのだ。私の持ちうる、全ての霊力を。
「っ……!」
「わあっ! すごい!」
かざした掌から水晶へと流れるように、けれどぶわりと溢れ出す、私の霊力。
勢いよく出ていく霊力に、髪が静かに靡いている。
妖怪の妖力と似ているけれど、霊力は人間の持つ力。真っ白で緩やかに落ちていくその様は、まるで雲のようだ。
最初は滝のようにどんどんと、そして次第にとろり、とろりと、粘性のある液体のように流れていくそれ。ぎりぎりまで搾り取るように流し込めば、水晶がぼんやりと光を帯びた。
そして水晶から、じんわりと陽の気が漏れ出す。それは少しずつ、奴良組の土地に広がって、やがて結界となるのだ。
「……ふう。上手くいったみたい」
「体に変化はあるか?」
「変化……そうね、霊力が作られたそばから流れ込んでいくのを感じるくらいかしら。これでこの子に影響はないはずよ」
「ふむ……奇妙なものじゃのう」
「ふふ。貴方から見れば、そうかもね」
奴良組の体力自慢達が、えっせほいせと深い穴を埋めてくれて。これで完成だ。
霊力はもうほとんど無い。式神の顕現と結界術の保持に使われるからだ。
式神顕現を解けば、産後も支障はないだろう。
「後は通常通り、この子が産まれてくるのを待つだけね」
「元気な子が生まれるとええが」
「きっと大丈夫よ。だって貴方の子ですもの。それに、こんなにも蹴ってくるんだから」
「……え?」
腹を擦って言った言葉に、妖怪達の疑問符が落ちる。
何だと思って振り返れば、そこには目を丸くした奴良組の妖怪達の姿。
「え、珀姫様、今蹴ってくるって言いました?」
「蹴る? 蹴るってその子が?」
「つまり、動いている……?」
「え、ええ……そう言ったけれど、何か?」
「え、ええええええー!!!!」
綺麗に揃った叫び声に、私は思わず耳を押さえた。五月蠅っ。
「蹴る!? もうそんなに大きくなってるんですか!?」
「嘘でしょ教えて下さいよ総大将!!」
「ワシもこないだ体験したばっかりじゃ。親のワシより先に誰か別のヤツが蹴られるような事があってよいと思うか?」
「何だよやきもちかよめんどくせーウチの大将!」
「ふむ。まあもう冬になろうとしていますし、動くのも無理はありませんな」
「知ってたなら教えろよ鴆!!」
そんなにも知りたかったのか。ぬらりひょんと鴆に詰め寄る妖怪達に、私はぽかんと口を開けた。
確かに私も、この子が初めて蹴ってきた時には驚いたし、嬉しかったけど。
想像以上にこの子は、皆から歓迎されているらしい。
「珀姫様お腹目立たないから分かんなかった……」
「細いですもんね。帯もあるし」
「巷の妊婦ってこうもっと……ふくよかっていうかでっぷりっていうか……」
「おうワシの珀姫に何か文句でもあるのか」
「いえとんでもないっす」
まあ、毎日風呂に入って体を見ている私と違って、彼等から見ればそう体型も変わらないのかも知れない。分からないが。
その上帯と着物があるし、冬だから厚着していて分かりにくいのかも。
でもそんな、知りたかったなんて。言ってくれればよかったのに。
「あの、良かったら触ってみる……?」
「え!」
「いいんですか!?」
「え、ええ……」
「じゃあ遠慮なく……」
「ちょっと待った!」
別に腹くらい、と思って妖怪達の手を待っていれば、その手が触れる前にびしりと声が飛んだ。
この耳慣れた、綺麗だけれど厳しい声は。
「雪麗?」
「アンタねえ、奴良組大将の奥方って認識が足りないんじゃないの? アンタ達もよ!」
「え?」
「人妻の腹をそう易々と触る男があるか! まして総大将の嫁よ、分かってんの!?」
雪麗はまなじりを挙げ、鋭い声を飛ばす。
彼女の言うことにも一理ある。けれど、別に妖怪達は不埒な思いを持って触ろうとしているわけでもないのだし。
妊婦の腹を親族が擦るなど、よくある話だ。
私はそう思って、きょとんとしたのだけれど。
「う……ま、まあそれもそうか……」
「総大将が悋気起こすしな……」
「流石にそこまで狭量じゃねえぞワシも」
「と、いうことで」
「ん?」
雪麗はにっこりと綺麗に笑って、私の腹へと手を伸ばしてきた。
「妾がアンタ達代表して触ってあげるわ、感謝しなさいよね」
「ず、ずっりー!!」
「雪麗お前、お前ー!!」
「ふん、妾は女だし、珀姫も妾なら嫌じゃないでしょ! 文句ある?」
「ありまくりだ馬鹿ヤロ−!!」
触られることに否やはないのだが、なんというか、妖怪らしいと言うか。
私は苦笑を浮かべて、得意げな雪麗が腹にそっと触れるのを見ていた。
「……」
「……どう?」
「……動かないわね」
「ほれ見ろ、そいつは生意気じゃからな。ワシにもそうそう触らせなかったんじゃ、雪女になど……」
「そう? ……雪麗は優しいから、大丈夫よ。動いてあげてくれないかしら」
私も腹をそっと擦って、中の子どもに語りかける。
すると、ぽこん、と返事をするように蹴ったのが分かった。
「! 動いた、これ、今のよね!?」
「ええ、そうよ」
「何!? ワシの時はほぼ半月かかったのにか!?」
「んふふ、分かったわ珀姫。この子多分男ね。美人に弱いと見たわ、ぬらりひょん譲りで」
「おい変な事吹き込むな」
「ふふ。私もそう思うわ、雪麗」
「珀姫まで……」
男かどうかは分からないが、ぬらりひょんの血は濃く継いでいると思う。間違いなく。
ぶすっとむくれた顔をしたぬらりひょんが、私の腹の前にしゃがみ込んで、つんつんと指で腹を突いた。
「お前のせいでワシまで風評被害じゃぞ、えーと……」
「……? どうしたの?」
「いや、こいつを何と呼んだものかと思ってな」
「何と……そういえば、私もこの子、としか呼んでなかったわね」
産まれるのはまだ何月も先だし、性別も分からない。
私は特に不便していなかったけれど、ぬらりひょんは呼ぶのに困るみたいだ。
「産まれたら、貴方が付けてくれる? この子の名前」
「ワシか? 一番の功労者は十月十日も腹の中で育てたアンタじゃろう?」
「でも名前は、親から一番最初に貰う贈り物でしょう。それも一生ものの。だから貴方がいいの」
今はこの子、でいい。まだ顔も性格も、よく分からないのだから。
けれどもしこの子に名を付けるなら、私はぬらりひょんに付けて欲しいと思うのだ。
私からは体を、ぬらりひょんからは名前を。両親から贈られたものを、受け取って欲しい。
「……分かった。考えておく」
「うん。お願いするわ」
「取り敢えず今はチビ助と呼んでおこう」
「……。貴方がそれで良ければ、良いけれど」
チビ助。何とも不名誉な呼び名に、文句を言いたげにぽこんと腹が動いた。
宥めるように撫でながら、私はふと空を見上げる。
これから冬が来て、雪が降って。やがて雪はとけて花が咲く。
その頃にはこの子も産まれるだろうか。どうか元気に産まれてきて欲しい。
産まれてきてさえくれれば、後は私が命をかけてでも守ってあげるから。
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