ずき、と感じたことのない痛みがやってきて。
ああ始まった、と他人事のように思った。
「っ、……ぐ、う……」
「珀姫様、まだ力んではなりませんよ」
「ちょ、ちょっと……大丈夫なのこれ。珀姫凄い顔色してるけど……」
「まだです。もう少し」
「わ、かったわ……っ、いっ……」
鼻から西瓜を出すようだ、と言ったのは誰だったか。
定期的な痛みと、股から水のようなものが流れる感覚。
呼んでおいた産婆が来る頃には、痛みも大分強くなっていた。
汚れてしまう可能性もあるから、普段使わない部屋でお産をしましょう。
そう言われて運び込まれたのは、離れにある一部屋だった。
勿論、毎日掃除はしているけれど。慣れない天井を見ながら、別の家のようだと思う。
身がちぎれるような痛みに、不慣れな部屋。いくら一人でないとは言え、出産の不安も相まって心細くなる。
「っふ、う……」
「珀姫、水はいらない? 汗を拭くからじっとしていて」
「ありがとう雪麗、大丈夫……」
「……珀姫様ぁ……!!」
「……大丈夫ですかー……!!」
「ったくうるさいわねあいつら……」
雪麗がぎろりと襖の向こうを睨む。
この部屋に来てからどれくらい経っただろう。痛みで時間も定かじゃないけど、大体三刻か四刻ほど、経つか経たないかくらいだろうか。
襖の向こうから聞こえる沢山の声は、奴良組の妖怪達のものだ。
「男共はうるさいばっかりで何の役にもたたないんだから……」
「心配してくれているのでしょう……ありがたいことだわ」
「心配するのは当たり前よ。ぎゃあぎゃあ言ってるだけじゃ意味ないでしょ」
「ふふ、手厳しい……っ、い……!」
ずき、とまた例の痛みが来る。
母は強しと言うけれど、こんな痛みを乗り越えているのなら納得も行く。
拳を握り締め、歯を食いしばって耐える。耐えるしかないのだ。だってそれ以外何も出来やしないのだから。
ああ、痛い。痛いどころじゃない。体が裂けてしまいそうだ。
くじけそう。くじけてもどうにもならないけど。そう思って自嘲気味に笑った、その時。
「――珀姫」
「!」
襖の向こうに、ぬらりひょんの気配がした。
痛みで全然気付かなかったけれど、もしかしてずっといたのだろうか。
少し続いて、痛みが遠のく。軽く息をついてから、私は襖の方に目を向けた。
「ぬ、らりひょん……?」
「すまねえな、変わってやれなくて」
「……いいの。それより、ずっとそこにいたの?」
「ああ。ワシは入るなと言われたからのう。せめてここにいたいんじゃ、何も出来ねェが」
「そう……」
今の時代、男の人がお産の場にいることはない。
手伝ってくれるのは産婆や親族の女性だけだ。ここにいるのは、呼んでおいた産婆と雪麗だけ。
それでも、何て頼もしいのだろう。
心のよすがになってくれるだけでありがたい。だって一人でいると、身が裂けて死んでしまいそうなんだもの。
「あ、っぐ……う、いっ……!」
「! 珀姫様、力んで下さい」
「り、きむ……」
「ええ、力を入れるのです。赤子を産むのです」
「ぎ、……っあ……!」
「そう、お上手ですよ」
痛みが来て、遠のいて、また痛みが来て。
その繰り返し。その度に、死にそうなほど苦しくなる。
……母様も、私を産む時そうだったのだろうか。
もう少し親孝行、してくればよかったな。
「……頑張れよ、珀姫」
「っう、あああ……!!」
それから、気の遠くなりそうな程時間が経って、そうして。
「……ぎゃぁああ、ふぎゃあああ!!」
「っ……ん、」
どうやら少しだけ、気を失っていたらしい。
聞こえる声に目を覚ます。すると雪麗が安心したように、息をついた。
「目が覚めたのね、珀姫」
「ええ……、っ! 私、お産の途中で気を失って……」
「大丈夫よ。ほら」
そう言って、雪麗が見せてくれたのは。
しわくちゃの顔をした、真っ赤な肌の赤子だった。
「この子を産んだ瞬間、アンタってば返事もしなくなっちゃって」
「私、どれくらい気を失って……?」
「ほんの二、三分くらいよ。大丈夫?」
「ええ……平気」
「珀姫様、おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
「おとこのこ……」
ほっと息をつく。どうなることかと思っていたけれど、無事産むことが出来たらしい。
産婆が手際よく赤子の体を拭いてくれて、おくるみに包んで、寝転がる私の腕の中に置いてくれる。
意外と重くて、でもとっても軽い。産まれたばかりの、私の子。
恐る恐る、つんと頬を突いてみる。小さな体に見合わぬ大きな泣き声に、安堵した。
「珀姫、珀姫!」
「ああもう五月蠅いわねさっきから!」
「珀姫が気を失ったのに静かにしてられるか! 珀姫は無事か!?」
「ぬらりひょん……?」
襖の向こうから声がする。中々聞かないくらい焦った声だ。
返事をすると、ぬらりひょんががたりと物音を立てた。
「! 珀姫、大丈夫か!?」
「……うん、入って来て頂戴」
すっと襖が開き、閉じる。足音がして、側に誰かが座る気配がした。
上を向く。ぬらりひょんが、不安そうな顔でそこにいた。
「体調は!? 大事ないか、珀姫」
「ええ……大丈夫よ。ほら、元気でしょう」
そう言って、赤子に目をやる。
ふぎゃあ、ふぎゃあとよく泣いている。良い子、と頭を撫でた。
「いや子が元気なのは何よりじゃが……アンタは? 平気なのか?」
「平気よ」
「産婆!」
「鴆様が来られてからの判断になりますが、今のところは大丈夫かと」
「そうか……」
ぬらりひょんがほっと息をつく。私の言葉を信用していないのだろうか。平気なのに。
……いや、信じられないのも無理はない。実際気絶していたから、不安になっても仕方ないことだ。
「それより、ねえぬらりひょん。抱いてあげて」
「へ、……い、いや……ワシがか?」
「貴方以外に誰がいるのよ。……私達の子よ、可愛いでしょう」
「う、うむ……」
恐る恐る、ぬらりひょんが子に手を伸ばした。
おっかなびっくりな手付きで、子を抱き上げる。泣いていた子は抱き上げられたのに気付いたのか、少し静かになった。
ぬらりひょんの眼が、子を辿って。ふ、と口元を緩めた。
「……ああ。可愛いな」
「ふふ、そうでしょう」
「おう。流石は天下一の美姫の子じゃな」
「そんなことないわ、ぬらりひょんにそっくりよ、その子」
「そうか……?」
目元とか、特に似ていると思う。
そう言うと、ぬらりひょんは不思議そうに首を傾げた。
そしてやっぱり抱いているのが少し怖かったのか、恐る恐る子を寝かせて。つんつんと無骨な指が、頬を突いた。
「柔らかいな……」
「赤子ですもの」
「小さいな……」
「赤子ですもの」
「珀姫に似ておる」
「え、そう?」
私と言うより、ぬらりひょんに似ているが。
泣き止んで、すうすう寝ている顔もぬらりひょんそっくりだ。赤子だから、もう少し可愛らしいけど。
……うん。本当に、とても可愛い男の子。産まれてきてくれて、よかった。
「……珀姫、ありがとうな」
「うん?」
「十月十日も頑張ってくれて、ありがとう。お疲れ様じゃな」
「……うん」
すり、とぬらりひょんの手が私の頬を撫でる。
悪阻があったり、結界術のための旅に出たり、色んな事があった。
全て楽だったとはとても言えないけれど、でも。
この子に会えたのなら、もう何でもいい。
それくらい、言葉に出来ないほど幸せだ。
今はもう、それだけでいい。
鴆の診断も終わり、赤子も私も大事ないと分かってから、ぬらりひょんは安堵の息を吐いた。
それから部屋の外で待っていた妖怪達に赤子をお披露目して、騒ぎすぎた彼等に再び子が泣いて。それに雪麗が激怒して。
氷の像がそこら中に出来るほどの大惨事になって、……大変だった。
まあ、今は奴良組揃って、大広間でどんちゃん騒ぎをしているようだが。
「貴方は行かなくていいの? この子の誕生祝いに」
「周りが騒いでおるだけじゃ。それに三日三晩続くじゃろうから、ワシがいなくてもあいつらは飲んどるよ」
「……それもそうね」
私もぬらりひょんもこの子もいないのに、大広間の騒ぎが離れのここまで聞こえてくる。平和で何よりだ。
雪麗の怒号が聞こえないと言うことは、お産の介助で疲れて寝ているか、酔っ払っているかの二択だろう。
彼女にも、後でお礼をしなくては。永久にも思える苦痛の時間、支えてくれたのだから。
「そういえば、ねえぬらりひょん。考えてくれた? この子の名前」
「ん? ああ。ばっちりじゃ」
口角を上げて、ぬらりひょんは得意げに言った。
「ずばり、奴良鯉伴!」
「ぬら……りはん?」
「ぬらりひょんの子、という意味で奴良鯉伴じゃ。字面はな、今日池の鯉にも子が生まれたようじゃから、そこから取った」
「鯉伴。……鯉伴、うん。素敵な名前だわ」
「そうじゃろう?」
奴良鯉伴。二代目総大将に相応しい名だ。
まあ、それもこの子が望むなら。望まないなら人間として生きてもいいのではないか、と私は思う。
好きに生きて欲しい。だってこの子は自由な妖怪、ぬらりひょんの子なのだから。
「鯉伴」
腕の中、すやすやと寝息を立てる赤子に呼びかけた。
産声を上げて暫くして、鯉伴は眠ってしまった。
ぬらりひょんに似た色の瞳は、今は閉じられて。可愛らしい、柔らかそうな頬がむにむに動いている。
「……よかった」
「うん?」
「無事に産まれてくれて。……本当に、よ、かった……」
思わず涙声になってしまって、誤魔化すように眼を拭った。
ご懐妊です、と言われた時の喜びと絶望は、今でも思い出せる。
愛しい人との間に出来た子。その子どもを、私のせいで殺してしまうのではないかという恐怖。
けれどこの子は、そんなものにも負けず、元気に産まれてきてくれた。
「……そうじゃな。アンタはいつも、頑張っておったから」
「貴方もよ、ぬらりひょん」
「何がじゃ?」
「私が妊娠してから、ずっと煙管を吸わなかったでしょう。前は何かと言えば吹かしていたのに」
「……あー、まあのう。悪影響があってはたまらんしな」
決まり悪げに、ぬらりひょんが言う。
こういうのを指摘するのは、無粋かも知れない。でも分かっていても言いたかったのだ。
京でも江戸でも、ぬらりひょんからは煙管の匂いがした。けれど私が妊娠してから、羽織から匂いはしても、彼が煙管を吹かす姿は見なかった。
それはつまり、遠慮してくれていたのだろう。私と、腹の中の鯉伴に。
「ありがとう」
「……おう」
微笑めば、ぬらりひょんは照れたようにそっぽを向いた。
彼のこんな姿は珍しい。思わずにこにこしながら見ていれば、不意に遠くの方に、陽の気を感じた気がした。
「……?」
「ん? どうした?」
「この、気配……」
顔を上げる。空に飛んでいたのは、風を纏った一羽の鳥だった。
「鳥……?」
風が吹いて、花びらが舞う。その中で、鳥は優雅に、私達の側へと降り立った。
……間違いない、この気配は。
昔から慣れ親しんだ、間違えるはずもない、
「秀元……?」
「何?」
鳥がぼふんと、軽い破裂音を立てて爆発する。
その後に残ったのは、一枚の紙。
「これ、って……」
「手紙……?」
書いてあったのは、見慣れた字で、ただ一言だけ。
「おめでとう」、と。
その言葉だけが、流麗な文字で書かれていた。
「……どうやって知ったのかしら」
「まあ秀元じゃしな。どうにかして知ったんじゃろ」
「本当に底知れない人だわ。我が従兄弟ながら」
それでもその言葉から感じるのは、純粋なる祝いの気持ち。
私は花開院を捨てた身だから、手紙を送ることは出来ないけれど。
ありがとう。私は心の中で、そっと呟いた。
親愛なる従兄弟の、温かい気持ちに向けて。
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