よた、よた、と覚束ない素振りで、鯉伴が懸命に手足を動かしている。
手を差しだした状態で待っていれば、彼はこちらを見ながら懸命にはいはいで近寄ってきて、ぽすんと私の膝の上に到着した。


「上手ね、鯉伴」
「あ、うー」
「鯉伴様、成長早いですねえ。妖怪は人より早いけど、それ以上だ」
「流石は総大将のお子ですな」
「ふふ、そうね」
「まんま、だあぶ」


よだれを垂らしながら、鯉伴がもごもごと何か言う。
なあに、と目を合わせてみれば、彼は嬉しそうにきゃっきゃと笑った。


「かわいい〜」
「流石珀姫様の子〜」
「総大将だけじゃこうはならねえな」
「なんじゃと?」
「げ、総大将」
「なんでもありませーん」
「ったく……おう鯉伴、元気か」
「ばぶ」


ぬらりひょんがつん、と頬を突くと、鯉伴は返事をするように言った。
そのままぬらりひょんの指に手を伸ばし、ぎゅっと掴む。可愛らしい、赤子特有の仕草だ。
子どもの相手はそんなに得意そうには見えないけれど、ぬらりひょんは彼なりのやり方で鯉伴を可愛がっているらしい。


「総大将〜! 総大将〜!」
「なんじゃ、うるさいのうカラスよ」
「ここにいらっしゃいましたか総大将! やや、鯉伴様のお相手中で?」
「そうじゃ。じゃから仕事はせんぞ」
「お仕事はして貰わなければなりません! ですが今はそれどころではないのです!」
「何?」
「これを見て下さい」


カラス天狗が持ってきたのは、数枚の紙だった。
よく見ると大きく絵が描かれており、横に何やら解説が付けられている。
ぬらりひょんに習って私も覗き込めば、そこに書いてあるのは女の肖像画だった。


「これって……」
「今江戸の城下町では、この瓦版が大量に配られているのです!」
「……? それの何が悪いの?」
「よくご覧下さい珀姫様、こちらを」


カラス天狗がびし、と指した先。そこに書かれていたのは、「天下一の美姫」という言葉。
……何処かで聞いた事があるような宣伝文句である。


「これ……まさか、珀姫の肖像画か!?」
「左様。それも同一人物が、何枚も大量に描いては売っているようなのです。天下一の美姫と名を付けて」
「……本当に私? 別の人なんじゃなくって?」
「いいえ、この江戸で、というかこの日本で天下一の美姫と言えば珀姫様以外にはございません! こちらもその証拠で」
「! ……この髪紐……」


描かれた女が付けている髪紐は、以前ぬらりひょんがくれた藤色のものとよく似ている。
色だけでなく、紐の端に付けられた玉飾りまで、そっくりそのまま同じであった。


「珀姫の美人画か……」
「迂闊でした……。珀姫様が江戸に来られて、もう少しで一年が経ちます。それなのに噂が出回らないはずがありません。寧ろ遅すぎるくらいですよ!」
「ふむ……」
「人の口に戸はたてられないと言いますからな。元々噂にはなっていたのでしょうが、この絵が出回って一気に広がったと言うことでしょう」
「チッ、余計なことをしおって」
「この絵図も、大量に売られてはいますがその価値は未だかつて描かれた美人画とは比べものにならないほどであり、持つ者には幸せが訪れるとの話も」
「……はあ、下らない。そんなわけないでしょうに」


髪紐の絵を見る限りだと、どうやらここに描かれた女は私のようだけれど。
それでも確定事項ではないのだし、大体絵を持つだけで幸せになれるなんてありうるはずがない。
だというのに。変な噂は京でも江戸でも出回るものらしい。


「カラスよ。これ以上話が膨らんで珀姫に影響が出る前に、この絵を描いた主を探せ」
「御意」
「そこまでする必要がある? 描きたいなら放っておけばいいじゃない」
「いや、このままじゃアンタの私生活にまで影響が及ぶ。これだけ売れているとなると、本人にまで粉を掛けようとする者もいるじゃろう。そうなってからでは遅いからのう」
「……影響ねえ」


私は正直話半分で聞いているので、どうでもいいのだけれど。
ちらりと鯉伴を見る。鯉伴は物珍しそうに紙を弄っては、その感触にきゃっきゃと喜んでいた。

万が一。万が一、変な人が来たとしてだ。
鯉伴に影響が及ぶ可能性も、ないとは言えないのだとしたら。
……それは、由々しき事態である。


「……分かったわ」
「大急ぎじゃぞカラス」
「拝命いたしました」
「いやそこまで急がなくても……って聞いてないわね」


カラス天狗は風音が鳴りそうな勢いで飛んで行った。小さくなるその姿に鯉伴が手を伸ばす。
鯉伴を抱き上げ、もう一度紙を手に取った。

確かに立派な絵姿である。丁寧に描かれているし、それだけで価値があると思う者もいるだろう。
だけど本当に私のことが描かれているのだろうか。京では天下一と謳われても、江戸ではそれ以上の美姫がいる可能性だって大いにあるというのに。


「皆大袈裟ねえ、ねえ鯉伴」
「だあ」
「うふふ」


返事をするように声を上げた鯉伴をゆらゆらと揺らす。
まあ、この子に被害があってからでは遅いのだし。
カラス天狗の勘違いなら、全部が一気に解決するのだけれどな。












そんな私の願いは、僅か三日後に打ち砕かれることとなる。












「総大将〜! 連れて参りました!!」
「何じゃカラス、騒々しい」
「見つかりましたぞ! こやつが珀姫様の絵を描いた下手人にございます!」


どたどたと、カラス天狗が大広間に連れて来たのは、縛り上げられた一人の男だった。
髪は随分と切っていないようで、顔の半分を隠している。ボサボサの前髪の下に、伸びっぱなしの髭。手に着いたままの墨汚れ。
若いのか年なのかも分からない。けれどその男からは妖気を感じた。


「……妖怪か」
「は。こやつ、画皮と申す者でございまして」
「画皮……聞いた事がある。他人の顔の皮を剥いで被る妖怪の名じゃ」


画皮。確か花開院秘録に載っていた気がする。
けれどあまり詳しいことは覚えていない。ぬらりひょんが言った様な妖怪ならば恐ろしい。
彼はぬらりひょんのひと睨みにも臆せず、ケッと唾を吐いた。


「何だってんだ、誰が下手人だと?」
「お前じゃ! 珀姫様の絵を勝手に描いていたじゃろう!」
「珀姫……っあー!!!!」


びく、と思わず肩を揺らす。彼の視線、というか髪で隠れて分からないがその瞳が、此方に向けられているような気がした。


「見つけた! オレの天女様!」
「は……? てん……」
「江戸の城下町でお見かけした時はついに妄想が形になったかと思った! アンタみたいな美人を探してもう三百年も生きている!!」
「え、」
「オレの理想通りの姿……ずっと絵に描いてきた女がようやく現れた! アンタはオレの運命だ、もう逃しはしない!」
「っ、」
「勝手なことを言うな、三下が」
「何だと?」


男の言葉が何だか恐ろしくて思わずぬらりひょんの袖を掴む。
ぬらりひょんは私をその男から庇うように一歩前に出て、画皮という妖怪を睨み付けた。
彼からどうしようもないほどの怒気を感じて、恐る恐るぬらりひょんを見る。顔は見えないが、彼は間違いなく怒っているようだった。


「この女はお前の運命などではない。ワシの女じゃ。分かったら消えろ」
「は……? ワシの女……って、アンタまさかその女の旦那か!?」
「そうじゃ」
「っく……そ、そんな……」
「は、そもそも江戸に連れて来た時点でこの女はワシのものじゃ。お前のではない」


滅多に聞かないほどの冷たい声だ。怒っている、なんて可愛らしいものじゃない。
確かにこの画皮という男は気味が悪い。知らない間に知らない人から欲求を向けられるなど気持ちの良いものではない。
あの絵も、彼が描いたのだろう。私を思い出しながら描いたのだろうか。
……一つ一つ、丁寧に。

そう、丁寧だった。あの絵は、単に上手いだけではない。
心を込めて描いているのが分かる。誰もを虜にする魅力があった。


「……ねえ、貴方……」
「っっっ推せる!!」
「……は?」
「え?」
「こんな美丈夫が旦那!? つまり二人は夫婦!?」
「……な、何じゃこいつ……」
「だあぶ」
「! 鯉伴」
「あ、駄目ですよ坊ちゃん!」


聞こえてきた声に廊下を見れば、鯉伴がそこにいた。
妖怪達に世話を頼んでいたのに。ああでも、画皮が来ることを知らなかったのだからしょうがない。
興奮しきった画皮に近付けてはいけない気がして、私は慌てて抱き上げた。が。


「既に子どもまで!?!?!!」
「…………珀姫、鯉伴を連れて下がっておれ」
「…………そうするわ」


奇妙、なんて生易しいものではない。何と言うか、地味に恐怖を感じる。
悪意がないのは伝わるが。すすす、と後ずさりしている私を他所に、画皮はとてつもなく興奮しているようだった。


「うおおおおお滾ってきたあああ!! 縄邪魔!! 描かせろオレに!!」
「うわあ!」
「な、縄をちぎりおった……」
「……結界」


ぶちい、と派手に縄をちぎって拘束を解くと、彼は何やら蹲って紙に何かを書き始めた。
念のため私と鯉伴の前に結界を張って。遠目に見ていると、彼が描いているのは二人の人物画のようだった。
……いや、その内の一人の手に、何かが抱えられているような。
あれって、まさか。


「……式神、水蓮!」


ぼふん、と猫が現れる。式神の水蓮である。
水蓮は画皮が描いた絵のうち一枚を咥え、とことこと此方に近寄ってきた。
持ってきてもらった絵を覗き込む。横からぬらりひょん、前からカラス天狗も一緒になって顔を見合わせた。


「……これって」
「総大将と珀姫様、それに鯉伴様に見えますな」
「だぶ」


見事な絵である。仲睦まじい家族のそれは、紛れもなく私達の姿だった。
……否、私の絵は若干、というかかなり美化されているが。それはともかく、ぬらりひょんと鯉伴はそっくりである。


「似てるわね」
「うむ……珀姫の美人さをよく表しておる。ワシの色男っぷりもな」
「私は似ているかは……分からないけれど。貴方はよく似ているわ」


まじまじとその絵を見るカラス天狗達を他所に、画皮に目を向ける。彼は相変わらず絵を何枚も描き上げていた。


「……ねえ、貴方。画皮、と言ったかしら」
「! 天女……」
「天女じゃないわ。私は珀、と申します」
「あ、これ珀姫!」
「危のうございますよ!」
「大丈夫」


結界は張っているから。とは言わないが。
近付くと、彼はばっと顔を上げた。真っ直ぐな視線が突き刺さる。
私は腰を下ろし、座った状態の彼に目を合わせると、散らばった絵の一枚を拾った。


「見事な絵だわ。……でも、貴方はこれをどうするつもり?」
「どう……そうさな、売るだろうな。生計を立てるためにも」
「……そう。私の絵を勝手に描いていたのはどうして?」
「どうして? そりゃあ……アンタが美人だから。それに、美人の絵は広まるものだろう?」
「無断で?」
「……気を悪くしたなら謝るが」


つん、と拗ねたように画皮が口を尖らせる。謝るが、けれど悪いとは思わない。そういうことだろうか。
……まあ、別に気を悪くしたわけではないけれど。
使えるものは使い、貰えるものは貰っておくのが賢い生き方というものだろう。


「そうね。もし貴方が、これからも私の絵を描くというなら条件があります」
「条件?」
「そう。二つだけね。それを守ってくれるなら、私からは何も口出ししないわ」
「……聞こうじゃないか」


筆を置いて聞く体勢を取る画皮に、私はにっこりと微笑んだ。

















「あれでよかったのですか、珀姫様?」
「ええ、いいのよ」


不安げなカラス天狗に、ゆるりと笑みを浮かべてみせる。
私の手元には、大量の絵があった。
それらの共通点は一つだけ。ぬらりひょん、もしくは鯉伴の絵が描いてあること。

私が画皮に出した条件は二つ。
私を描くというのなら、その代償にいくらかの金銭を払うこと。
そしてぬらりひょん、及び鯉伴が描かれた絵は、私にのみ売ること。
それだけだ。


「代償の金銭は分かりますが……総大将や鯉伴様が描かれた絵を買い取るというのは?」
「私程度であの騒ぎですもの。あの二人が描かれた絵なんて出回ったら大変なことになるじゃない」
「ふむ……総大将ならのらりくらりと畏れを纏って躱しそうではありますがな」
「そうかもしれないわね。でもぬらりひょんは私の亭主でしょう。なら態々誰かにひけらかすこともないわ」


私自体が広まることは、正直言ってどうでもいい。
あの絵は確かに見事だった。あの絵と私を結びつける人は、多分あまりいないだろう。
京でならともかく、江戸で天下一の美姫の名が広まっても、私の名前が出ていないのであれば、私に危害は及ばないと考えた。
ぬらりひょんは渋い顔をしていたが、画皮には私の名を出さないよう約束してもらったから大丈夫だと思う。
彼も彼で、自分の絵を広めることを目的としているようだったから。


「要するに、総大将の絵姿が広まるのがお嫌だったと?」
「あら、カラス天狗。そんなに女心を解説しようとするなんて、無粋なんじゃなくて?」
「は、これは失礼を。……しかし、総大将も愛されておりますな」
「ふふ」


否定も肯定もしないけれど、まあカラス天狗の読みは当たっている。
ぬらりひょんや鯉伴の姿が広まることを良しとしない。それだけだ。理由は何であろうと、好き勝手言ってもらって構わないけれど。

私は手元の絵の中で、特に気に入った一枚を手に取った。
金髪に金の目をした伊達男。……実に見事な絵である。
これが広まってしまうのは、少々勿体ないと思わせるくらいには。
別に誰かに損をさせるわけでもなし。これくらいはいいだろう。

私だって、彼の事は憎からず思っているのだから。



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