さあっと、大きく吹いた風が髪を靡かせた。
思わず目を閉じ、数度瞬きをする。遠くに、桜色の衣が見えた。


「珱姫!」
「!」


名を呼べば、彼女も気付いたように此方を向いて駆け寄ってくる。
少しだけ大人びた、けれどあの頃と変わらない愛らしさを持って、彼女は私を呼んだ。


「珀姉様!」


依然として変わらない、鈴の鳴るような美しい声で。


「久し振りね、珱姫。元気にしていた?」
「ええ、姉様! 姉様も、お元気でいらっしゃいましたか?」
「私は相変わらず」
「妖様や奴良組の方は? それに……お生まれになった、姉様のお子様は?」
「もう五月蠅いくらい賑やかにしているわ。鯉伴……子は、連れては来られなかったのだけれど。でも、少しずつ大きくなっているの」
「わあ……! いつかお会いしてみたいです、きっと姉様譲りの美しい子なのでしょうね」
「ふふ、相変わらずみたいね、貴女の方も」


そう微笑むと、珱姫はくすぐったそうに笑った。


江戸の中心部に来る用事が稼業の方であるから、少しだけでも会えないだろうかと。
そういった旨の手紙が届いたのが、およそ一月前。
是非、と返し、それから何度か手紙のやりとりをして、そして今日。
ようやく、婚儀の時ぶりに珱姫に会う事が出来た。


桜色の衣を纏った彼女は、少しだけ髪が短くなっていて、そして少しだけ背が伸びていた。
今日一日だけ休みを貰ったのだという珱姫に、じゃあ沢山話せるわね、と返せばまた笑う。
珱姫は少女から少しだけ成長して、綺麗な女性になっていた。


「ふふ、姉様とこんな風に連れ立って歩くなんて、京以来ですね」
「そうね。懐かしいわ」
「京では姉様お勧めの茶屋に連れて行っていただきましたね。今度は私がお連れ致します!」
「あら、素敵な茶屋を知っているの?」
「はい! 何度か来たことがあって。こっちです!」


珱姫の導きに連れられて、見慣れない道を進む。
ここまで来るにも地図とにらめっこだったというのに。江戸の中央ともなれば、随分と道が入り組んでいる。
珱姫はよく来るようで、すいすいと慣れた様子で歩いて行った。


「いらっしゃい。おや珱ちゃん。また来てくれたのかい」
「はい! こんにちは」
「いつもどうもね。それに……その方は?」
「私の姉様です!」
「こんにちは、初めまして」
「あらまー、こりゃまた別嬪な……」


珱姫の後を追って着いたのは、昔ながらの茶屋だった。
店名を見ると、何処かで聞いたような感覚を覚える。確か、奴良組の妖怪の中にもここの菓子がお気に入りという者がいた気がする。
茶屋は店主の老婆がやっているようで、それに加えて若い男が手伝いをしているようだった。


「これ、佐吉! おいで」
「なんだいばあちゃん?」
「挨拶をし。珱ちゃんの姉様だそうだ」
「よ、珱姫様の!?」
「ふふ。こんにちは、珀姫と言います」
「こ、こんにちは」


老婆が佐吉と呼ぶ、その男。どうやら彼女の孫らしい。
清潔感のある顔立ちで、体格もよい。にこりと微笑めば、彼は顔を赤くした。


「佐吉です。珱姫様はここの常連様でして、贔屓にして頂いています」
「もう、佐吉さん。様はいらないのですよと何度も言っているのに」
「し、しかし珱姫様……」
「何なら店主さんのように、珱と呼んでいただいても構わないのですが」
「恐れ多いですよ、あはは」


珱姫が話しかけた瞬間、ぼしゅんと爆発するように顔を真っ赤にする佐吉という男。
……これは、もしかして。いや考えすぎか?


「し、しかし珱姫様、お姉様がいらしたんですね。やはりというか、綺麗な人で」
「! そうでしょう、そう思いますよね! 姉様は京で暮らしていた時から美人と評判で……」
「噂が膨らんだだけです。実際は珱姫の方が可愛いわ」
「もう、姉様ったら。姉様の方がお綺麗に決まっています」
「そんなことないわ。ねえ、佐吉さん。貴方もそう思われるでしょう?」
「へ!? あいや、自分は、えっとその……」
「姉様ですよね、佐吉さん?」
「よ、珱姫さま近い、ちかい……」


興奮した様子の珱姫が近付き、佐吉さんはますます顔を赤くする。
珱姫の言うことを否定はできないが、珱姫より別の女が綺麗とは言えない。そんなところだろう。
分かりやすい人だ。随分素直で、初心な性格らしい。


「ふふ。まあそれは置いておいて。珱姫、貴方のお勧めをいただこうかしら」
「はい、姉様! 佐吉さん、店主さん、いつものをお願い致します」
「毎度。少々お待ち下さいませ」
「腕によりを掛けて準備するからね」


何が来るのだろう。楽しみである。
店の奥に行った店主達を見送って、珱姫に目をやる。彼女は笑みを浮かべて店主達を見ていた。


「素敵なお店ね。私も探しておこうと思ったのだけれど、珱姫の方が詳しいみたい」
「無理もありません、姉様は婚儀やご出産で大変でしたから」
「子がもう少し大きくなったら、次こそ私がお勧めの茶屋を紹介するわ。今はまだ、住んでいる町の周辺しか分からなくて」
「姉様の町……以前お伺いした時は、少ししか見て回れなかったんです。今度遊びに伺いますね」
「それはいいわね。私も珱姫の町に行ってみたいわ」
「はい、是非!」


にっこりと笑う珱姫は、昔より少し笑顔が柔らかくなったみたいだ。
父親の管理を外れて、自由に生きるようになって。大変なこともあるだろうけれど、その分楽しい日々を送っているらしい。
愛おしく感じて頭を撫でれば、珱姫は照れたように笑った。


「珱姫、今は楽しい?」
「はい、姉様。稼業の手伝いも随分上手くなったんですよ」
「そう」


実は少しだけ、申し訳なさを感じていたのだ。
あの時、珱姫の屋敷を妖怪が襲撃した時、もし私がその妖気を感じ取れていたなら。
妖怪の接近に気付いて、お父上ごと逃がすことが出来ていたなら、と。

もしもなんて下らない。それでも考えずにはいられなかった。
だから珱姫が少しでも楽しく暮らせているのなら、それでいい。


「お待たせしました、団子になります」
「わ! ありがとうございます」
「あら、美味しそう」


持ってきて貰ったのは、串に刺さった二本の団子だった。
四つの小さな団子が刺さっていて、半分は普通の餡だが、半分は桜色をしている。


「これ、桜色のほうって……」
「それ、お勧めなんです! 是非召し上がって下さい」
「頂きます。……! 桜餡ね」
「そうなんです」


嬉しそうに笑って、珱姫も団子にぱくついた。
桜色の方は恐らく、塩漬けにした桜の花を材料に使っているのだろう。仄かに桜の香りがする。
珱姫にぴったりだ。勧めるのも頷ける。


「これ、私がこの茶屋に来るようになって、少ししてから出来た新しい品なんですよ」
「そうなの」


……桜の花のような姫が、来るようになってから。
あの佐吉さんの反応と言い、もしかしてこれは珱姫から着想を得た物だったりして。
ちらりと奥に目をやると、ぼうっと此方、というか珱姫を見ていた佐吉さんが見えた。
成る程。どうやら彼は、本格的に珱姫に懸想しているらしい。


「確かに美味しいわ。お茶との相性もぴったりね」
「そうでしょう? 私の一番お気に入りのお菓子なんです」
「ふふ。珱姫に似合うものね」
「え? そうですか?」
「ええ」


にっこりと笑えば、珱姫はよく分かっていないような顔をしながらも微笑んだ。
珱姫は顔立ちは勿論の事ながら、性格も明るくて優しい。それだけでなくしっかりとした芯を持つ女性だ。
だから恋愛や結婚もするだろうな、と思っていたけれど。どうなることやら。
珱姫が幸せになるなら、私は何も文句はないのだけれど。


「そうだ。珱姫、折角江戸の中央に来たのだから、ちょっと見たいものがあるの」
「そうなのですね。何をお探しなのですが?」
「……まだ、品は決まっていないのだけど。ぬらりひょんへの贈り物を考えていて」
「贈り物?」
「ええ。婚儀を挙げて一年になるから、その記念と……後は、日頃のお礼も兼ねて」
「まあ、素敵ですね!」


珱姫はぱちんと手を合わせ、可愛らしく微笑んだ。

婚儀の夜にぬらりひょんから贈られた着物や簪の礼も含め、彼には返しきれない恩が山ほどある。
私の手持ちの金はそんなに沢山あるわけじゃないけれど、先日画皮から受け取った分のものと、京から持参したものを合わせれば、何か一品くらいはあつらえられる。
江戸はどんどん大きな町になっているから、その中央なら何かいいものもあるかもしれないと。
そう思って、贈り物をずっと考えていたのだけれど。


「でも肝心の品が思い当たらなくて。あの人はこだわりのある品を持つから、それも考えると中々……」
「妖様なら、姉様からの贈り物と言われれば何だってお喜びになりそうですが……」
「それは……まあ、否定しないわ。でもどうせなら気に入ってほしいじゃない」
「そうですねえ……」


ぬらりひょんは何も、高い品だけを持つわけではない。
奴良組傘下の組から贈られた品でも、むやみやたらと身につけるわけではないし。かと思えば、首に獣の妖怪を襟巻き代わりに巻き付けることだってある。
まあどちらかというと派手な方が好きらしいが。だからといってごてごてと派手なものよりは、品のあるもののほうが似合うから。
どうしたものかと溜息をつくと、珱姫はくすりと笑った。


「ふふ、思い出します。妖様も昔、京にいたころ、姉様への贈り物を私に相談しに来られたことがあるのですよ」
「贈り物?」
「ええ。確か髪紐を贈られたと仰っていましたね」
「あの髪紐、そういうことだったの」
「姉様と妖様、似た者同士ですね」
「……そうね」


ぬらりひょんは女に人気の出そうな見目だから、贈り物なんて相談せずとも分かるだろうに。
……それとも、それだけ手に入れたがっていたということか。
まあ、そんなことを今考えたって仕方ない。今考えるべきはぬらりひょんへの贈り物である。


「では姉様、これから店を巡ってみましょう。私も男性用品が売られている店は中々見ないのですが、場所は分かるのでお力になれるかと」
「あら、いいの?」
「勿論です!」
「ありがとう珱姫、助かるわ」


にこりと微笑めば、珱姫は照れたように頬を染めた。

お勘定をして、暫く道を歩く。
江戸の中央だけあって、進めど進めど店が建ち並んでいる。


「反物で着物を作って差し上げるのはいかがでしょう?」
「そうね、いいかもしれないわ」
「妖様のお好きなお酒などもありますよ」
「お酒……は、止めておこうかしら。すぐに宴を始めようとするのよ、あの人」
「あとは……うーん、何がいいでしょうね」


反物やら髪紐やら、後はぬらりひょんの好物の食材やら。
色んな店を覗いてみるけれど、これ、というものは思い当たらない。
反物も候補の一つだけれど、いいものをとなると天井知らずだ。流石に極限までいいものを買うほどの財布はない。
けれどやっぱり、上質なものがいい。出来ればこの先ずっと使えるような。


「ぬらりひょんなら羽織とか、あとはたまに髪を結っていることがあるから髪紐とか……?」
「沢山種類があって迷ってしまいますね」
「そうねえ……」


きょろきょろと店を行ったりきたりしながら歩くこと、一刻。
珱姫をいつまでも付き合わせるわけにはいかないし、けれど妥協はしたくないし。
どうしよう、とほとほと困ってしまった時、不意にすれ違った男性が持っていたものに目を止めた。


「……」
「……姉様? どうかされました?」
「あ、ごめんなさい。いえその……ちょっと候補が浮かんで」
「候補?」
「ええ、あのね珱姫……」


こそ、と耳打ちしてみる。すると珱姫は、ぱっと明るい笑顔を浮かべた。


「いいかもしれません! 日常使いが出来ますし、上等なものもありますしね!」
「でもああいったものってどこで売っているのかしら……」
「ふふ、それなら姉様、こちらへ」
「あら、なあに?」


珱姫に手を取られ、先導されるままに進んでいく。
いくつかの通りを抜けた先、そこにあったのは露店だった。


「まあ……」
「実はここ、私が引き取られた親戚筋がやっているお店なんですよ!」
「そうなの? ということは……」
「はい、外つ国から仕入れたものや、それを使った品が並んでいるんです!」
「素敵ね。見ても良い?」
「是非」


並んでいる品は、あまり見たことのない材料で作られている。
水晶や銀のみならず、透明な石のような、不思議な素材もあった。


「これはなあに?」
「これは硝子の中に花びらを閉じ込めたものです。女性から人気があるんですよ」
「綺麗。あら、こっちは?」
「それはですね……」


珍しいものばかりで、つい目移りしてしまう。
硝子や青銅などで作られた、見事な意匠の小物。
男性向けのものもあるけれど、女性用の手鏡なんかもある。
日本ではあまり見ないつくりの、けれど美しい形のものばかり。
その中でもいっとう目を引いたのは、まるでぬらりひょんの瞳のような――


「これ……」
「! 素敵。妖様によく似合いそうです」
「そう……そうよね。ぴったりだわ」


黄金に輝くその色は、ぬらりひょんにあつらえたような具合でしっくりくる。
これを彼が使っている姿を脳裏に浮かべ、ふっと微笑んだ。


「これ、いただくわ」
「はい、毎度あり! です!」


珱姫はにっこりと、可愛らしく笑った。








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