ごく、と喉を鳴らす音がして。
畳の上、小さな小さな足に、ぐっと力が入った。
て、てと、て。と。
「あ、歩いた……!!」
「歩いた、歩いたよ珀姫!」
「ええ、見ていたわ雪麗……! すごい子ね、鯉伴」
「きゃっきゃ」
まだおぼつかない足取りだけれど、二、三歩だけれど。それでも歩いていた。
感動して思わず抱きしめれば、鯉伴はくすぐったそうに笑う。
人間より成長速度が速いとは聞いていたけれど。もう歩けるようになっただなんて。
「ぬらりひょん達にも言ってやらなきゃ」
「驚くでしょうね」
「そりゃあね。偉いぞ鯉伴」
「だ」
つんつんと雪麗が頬をつつくと、鯉伴は不思議そうな顔をする。
産まれたころより重くなったし、大きくなった。言葉が少しずつ出てきて、歩けるまでになった。
我が子の成長はこれほどまでに嬉しいものなのか。
「鯉伴。今日は外に出てみましょうか」
「う?」
「今まで庭程度だったもんね」
「ええ。お買い物……は無理でも、近くに素敵な場所を見つけたの。どうかしら」
「あい!」
「はは、行きたいって。折角だからぬらりひょんも誘って行ってきなよ」
「ワシがどうかしたか?」
「あ、地獄耳」
「ぬらりひょん」
雪麗の言葉に呼ばれたかのように、ぬらりひょんが廊下からひょっこりと顔を出す。
鯉伴を抱き上げて、私はぬらりひょんに微笑んだ。
「鯉伴をね、外へ連れて行こうかと思っているの。もう歩けるようになったし、そろそろいいかなって」
「何!? 歩けるようになった!?」
「さっき初めて歩いたのよ」
「くっ……何故ワシがいないときに……」
「……見てみる?」
「おう!」
「鯉伴、さっきのお父様にも見せてあげて」
「と、と?」
「そう、ととにね」
鯉伴を立たせてみて、少し離れて手を差し出す。
おいで、と手を鳴らすと、鯉伴は再び足に力を入れて、そして。
てとてとと、覚束ない足取りで、けれど確かにこちらへ歩いてきた。
「すげぇじゃねえか鯉伴!」
「きゃっきゃ」
「さすが、総大将の子ね。運動神経が良いわ」
ぽす、と私に倒れ込んできた鯉伴を、ぬらりひょんが抱き上げて褒める。
鯉伴はうれしそうに笑った。可愛らしい。
「それでね、もし良かったら、お寺まで鯉伴を連れて行こうかと思って」
「寺……ってーと、あの山吹が咲いてるところか?」
「そう。あそこの近くに野原もあったし、鯉伴にも新しい空気を吸わせてあげたいわ」
「おう、分かった」
黄金の山吹が咲き誇る、綺麗なお寺。
比較的近くにあるそこは、何回か訪ねたことがある。
鯉伴は山吹を見たことがないから、連れて行ってみたい。野原の感触も味わわせてあげたい。
「あ、でも貴方、お仕事は?」
「んなもんどうにでもなる」
「カラス天狗に後で怒られたりしない?」
「そうなったら珀姫が慰めてくれ」
「もう、調子の良いこと」
いいのかな。……まあ、後でカラス天狗に怒られたとしたら、私も一緒に怒られよう。
今のところ、急ぎの仕事はなかったと思うし。
「じゃあ行きましょうか、鯉伴」
「う?」
こちらを不思議そうに見てきた鯉伴に、私は微笑んだ。
「いつ見ても、ここの山吹は見事だわ」
金色の花が道の端に咲き、通行人の目を楽しませている。
まだ何回かしか来たことがないけれど、やはり美しい。
鯉伴を抱き上げた状態でそっと山吹に近づければ、彼は不思議そうに手を伸ばした。
「鯉伴、これは山吹というお花よ」
「やー?」
「そう、山吹。綺麗でしょう」
「きゃい!」
鯉伴はきゃっきゃと笑う。こんなに沢山の花を見るのが初めてで、物珍しいのだろう。
「これは一重山吹じゃな」
「一重?」
「八重山吹というのがあって、そっちは花は咲いても実はならん。この山吹は実をなすんじゃ」
「へえ、物知りね」
「そうじゃろう」
きっとどちらも綺麗だろうけれど、せっかくなら実をなす方が縁起が良い。
奴良組の庭には桜が咲いているし、奴良組を見下ろせる丘には藤が咲いている。そしてここには山吹が。
花に囲まれるとは縁起が良い。それに何だか、心も明るくなる。
「かか、やー、やー」
「? 何じゃ?」
「やー、って山吹のこと?」
「んー!」
鯉伴は一生懸命、山吹に触っている。というか、引っ張っている。
これはつまり。
「鯉伴、山吹の花がほしいの?」
「あい!」
「そう……。でも駄目よ、これはお寺のだからね。勝手に摘んだらいけないのよ」
「やー!!」
「駄々をこねないの」
綺麗な物がほしいのは分かる。でも出来ることと出来ないことがあるのだ。
必死にほしいとねだる鯉伴に、どうしよう、と困ってしまったとき。
「鯉伴、いいぞ」
「え、ちょっとぬらりひょん?」
「今し方、寺の住職に聞いてきた。一房だけなら持っていっていいとのことじゃ」
「そうなの? ありがたいわ」
住職さまが言うなら大丈夫だ。赤子がほしがるというのを聞いたのだろうか。
見事な山吹の中で鯉伴が手を伸ばした一房を、優しく切り取った。
「はい、鯉伴」
「きゃー!」
「はは、喜んでおるな」
「ええ、ありがとうぬらりひょん。住職さまにもお礼を言わないとね」
鯉伴の手に持たれる山吹の花は、不思議と咲いているときより綺麗に見える。
親の欲目か、そうでないかは分からない。でも鯉伴に山吹は、あつらえたようにぴったりきた。
大事にしてね、とささやく。鯉伴はうれしそうに、「あい!」と返事をした。
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