足が痛い。胸が痛い。
鯉伴を抱えて走る。後ろなど振り返る暇はない。
は、は、と息が切れる。赤い液体が広がる光景が、脳裏から離れなかった。
バン、と勢いよく門を開ける。慣れ親しんだ妖気を感じた。奴良組だ。
「珀姫様!」
「奥方さま、どうなさったのです!」
「は、……っは、……ふ、」
全速力で走った所為で、言葉が出ない。
鯉伴を抱きしめる力も、制御が出来なかった。
「帰ってきたの、珀姫……って、アンタ……」
「……せつら、」
「ちょっと、酷い顔してるわよ!? 何が……」
「りはんを、お願い……」
「あ、ちょっと!」
押しつけるように、雪麗に鯉伴を託す。
よろよろと、力が抜けそうな足を叱咤して歩いた。
「珀姫様、どうされたのですか」
「……ちょっと、……一人にしてちょうだい」
「珀姫……?」
「か、かあさ……」
「……っ、ごめんなさい……」
その謝罪は、誰に向けた物だったのか。
鯉伴か、雪麗か。いや、きっとーー。
あの、襲ってきた妖怪に対してだ。
部屋に戻る。
力なく座り込んで、ふと鏡台を見ると、随分と酷い有様だった。
全力で走った所為で、髪は荒れ放題、体は汗だくだ。顔は青ざめていて、表情も暗い。
さっきの光景が、忘れられない。
咄嗟に呼び出した鵠g。繰り出した刃。
妖怪の血が、飛び散る光景。
「……っ、……う」
きもちわるい。
また、殺してしまった。
もう殺したくなかった。二度と手を血に染めたくなかった。
たとえあの場では、ああするしかなかったとしても。
花開院を離れ、京を離れ。
妖怪を滅することから離れ、これでいいと思っていたのに。
結局私は、何も変わっていない。
妖怪を殺す力を持っていて、それを使役する。妖怪だって心もあるし痛みも感じるのに。
それって、人殺しと何が違うんだろう。
は、は、と呼吸が荒くなる。手が血にまみれている気がしてならない。
周囲が見えない。自分の呼吸音しか聞こえない。
息が、苦しい。
「……め、……姫、」
「…………」
「珀姫!」
「…………あ、」
自分の名前を呼ばれている、と認識するまで少しかかった。
顔を上げる。いつの間に部屋に入ってきたのか、ぬらりひょんが目の前に居た。
「ぬら、りひょん……」
「大丈夫か珀姫、酷い顔色じゃ……何があった?」
「……わ、わたし、」
「……落ち着け珀姫、ゆっくり聞くから。……話せるか?」
そっと、ぬらりひょんが私の手を取ってくれる。
なにが、あったのか。
話して良いの? 話して、大丈夫なの?
貴方と同じ妖怪を、殺してしまったと。
そう言ってしまって、いいの?
嫌がられてしまったら。嫌われてしまったら。
そうなったら、どうしよう。
「う……わ、たし…………っ」
「……話したくないなら、無理に話す必要はねえ。じゃが……」
ぬらりひょんが、目を合わせてくる。
暗い部屋の中、彼の金の双眸がうっすらと光って見えた。
「アンタが一人苦しんどる姿を見るのは、つらい」
「……っ」
「珀姫……」
ぽろ、と目から雫が零れる。
ぬらりひょんが、苦しそうな顔をした。
「……っ、ぬらりひょん……」
「うん?」
「おねがい……きら、わないで……」
最初に出てきたのはその言葉。ああ、何て最低なんだろう。
それでもぬらりひょんは目を見開いて、それから真剣な瞳で言った。
「ワシがアンタを嫌うなど、天地がひっくり返ったってありえんさ」
「……ほんと?」
「ああ、本当じゃ。ワシを信じられんか?」
「……」
ふるふると首を振る。ぬらりひょんを信じられないなんて、まさかあるはずもない。
私はそっと、口を開いた。
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