――さあ、疾くやっておしまいなさい。
――何をためらっているのです。
――これは、花開院家としての使命なのですよ。
――珀姫様。
「っ!」
がば、と勢い良く起き上がった。
きょろきょろと辺りを見回して、見慣れた寝室だと気付く。
ゆめ、か。
随分と、昔の夢を見た。
心臓が嫌な音を立てている。胸を押さえ、ため息をついた。
「珀姫」
「! ぬらりひょん……」
「大丈夫か?」
「ええ……ごめんなさい、起こしてしまったかしら」
隣で寝ていたぬらりひょんが、私の肩に羽織を掛けてくれる。
枕元の明かりをともせば、真っ暗だった寝室はいくらか明るくなった。
「……酷い顔をしとる」
「……ちょっと、嫌な夢を見て」
「昼間にあんなことがあったばかりじゃからな。無理もない。大丈夫か?」
「……」
すり、とぬらりひょんの手が私の頬をなでる。温かい。
そのまま肩を抱き寄せられ、私は抵抗することなく彼にもたれかかった。
「……昔の夢を見たの」
「昔?」
「私が……花開院家に引き取られた後の話」
神通力が使えるようになってまもなくして、私は本家に引き取られた。
母様と父様と離れることは淋しくて、数えるほどしか行ったことのない本家に行くのはちょっぴり恐くて。
それでも秀元や是光兄様が歓迎してくれたから、私は意を決して行ったのだ。
「秀元や兄様は稽古ばかりしていたけれど、私はそうでもなくて。最低限の稽古と花嫁修業の合間に、京の町をぶらぶらしていたの」
ご当主様が、私に言ったのだ。
お前の稽古は、最低限で十分だと。
秀元や兄様を羨ましく感じながらも、私はそれに反抗する気は起きなくて。
ついてくる護衛もうっとうしくて、こそこそと町に出ていたのを思いだす。
「鵠gを、覚えてる?」
「鵠g? アンタの式神のか?」
「そう。……彼は、私が作った式神で……そして、元になった人がいたの」
「……」
「鵠gは……彼は、私が初めて殺した妖怪だった」
「!」
今でも、昨日のことのように思い出せる。
町外れで出会った、見慣れない浮世離れした雰囲気の男の人。
困った顔をしながらも、私が行くといつもおしゃべりに付き合ってくれて、隠れてしていたお稽古も付き合ってくれて。
秀元や兄様とはまた別に、随分と慕っていたと思う。
その存在を、花開院家に知られるまでは。
「……分からなかった、とは言わないわ。なんとなく、気付いていたの。彼は普通の人間ではないと」
「妖気、か?」
「……ええ。でも随分薄くて、……幽霊だったのよ。腰に刀を携えていたけれど、使う所なんて見たことなかった。優しい人だった」
気付いていながらも、楽しい時間を失いたくなくて。
年の離れた兄のような彼を、失いたくなくて。
けれどそんな私を、花開院家は酷く叱って――そして、言ったのだ。
『妖怪と仲良くするなど花開院家の沽券に関わる』
『二度とそんな気が起きないよう、滅してしまいなさい』
『珀姫様、貴女自身の手で』
「なんじゃと?」
「断ったけど……駄目だった。貴女がやらないなら、拷問にかけた上で実験に使うと言われたわ」
「実験?」
「当時の花開院家は、そういうこともしていたのよ。何も綺麗な部分だけを持っていたわけじゃないわ」
どんな妖怪に、どんな術が効くのか。
どこが急所で、どこを責めればより苦しみを与えられるのか。
花開院秘録に記載されているそれらの事実。
記載されていると言うことはつまり、実験したことがあるということだ。
「そんなの耐えられなかった。私と関わったせいでそんな目に遭うなら、いっそ私が――」
「……」
「そう思って、震える手で攻撃の手を向けた私に、彼は何一つ反撃しなくて」
いつも通り、優しく笑って。
抵抗など、何もしなくて。
ごめんねと。
さようならと。
それだけを、言って。
「……そして、私は彼を殺したの」
「……それが、鵠gか」
「そう。鵠gはあくまで彼を元にした式神で、彼自身じゃないわ。それでも……あのときの私には、彼を失うことが酷く恐かったの」
彼を失ってすぐ、私は鵠gを作り上げた。
彼にそっくりな、私の式神。
鵠gを使って妖怪を退治するのは、心苦しかったけれど。
それ以上に、偽物でもいいから、彼を失いたくなかった。
「それをこの年まで手放せないでいるの。笑えるでしょう?」
「……笑えるもんか」
「……」
「ようやく分かった。だからアンタは、妖怪を滅するとき、いつも謝っていたんじゃな」
「……うん」
滅してしまう妖怪相手にも、そんなことに使ってしまう鵠gにも。
申し訳なく思いながら、止めることなどできなくて。
「……すまなかったな、珀姫」
「え?」
「ワシはアンタを守ると約束したのに……」
「……? どこも怪我はしていないわ」
「心の話じゃ。……辛かったな」
ぎゅっと、抱きしめられて。
彼の温かい体温が、私を包んでいることに安心して。
それから。
「……っ、」
「……」
ぬらりひょんの肩に顔を埋め、私は震えるように泣いた。
これで最後にするから。明日からは元の私に戻るから。
だから少しだけ、弱くなっても、いいかな。
花開院家にも奴良組の奥方にもふさわしくない、弱い姿。
ぬらりひょんの前だけでなら、見せられる気がした。
きつく私を抱きしめる腕に、すがるように。
私は声を出さないまま、泣き続けた。
→
back
ALICE+