“療養”生活は、思っていた以上に大変だった。
料理も掃除も洗濯もできない。というか、離れの部屋から出ることすらろくに出来ない。
お手洗いにでも行こうと部屋を出れば、たちまち女妖怪達が着いてくる。
平気よ、と言っても、倒れられては困りますと返され、部屋に戻るまで離れないのだ。
そして意外にも、一番それが顕著だったのが、雪麗だった。


「珀姫、入るわよ……あ! あんたまたそんな薄着して! 窓開けるんなら羽織着てなさいって言ったでしょ!」
「母親みたいな事言わないでよ雪麗。今日は暖かいから大丈夫……」
「大丈夫じゃない! ったくもう!」


がば、と雪麗が着ていた羽織を肩にかけられる。ほのかに香の匂いがした。

雪麗は一日に何度も、私の様子を見に離れに来てくれる。
ご飯を持ってきたとか、お茶を持ってきたとか、大人しくしてるかどうか確認しに来たとか。
それらしい理由をつけては会いに来るのが、素直じゃない雪麗らしい。


「はいこれ」
「? 手紙……と、小包?」
「そう。珱姫から届いてたわよ」
「! ありがとう」


珱姫にも、普通の……いわゆる一般的な、式神を使わないやり方で手紙を書いた。
体調が優れないこと。しばらくは、式神を使ったやりとりができないこと。
けれどもしよければ、飛脚に運んでもらうやり方で手紙を送りたいと。
珱姫はすぐに返事をしてくれて、今もやりとりは続いている。
とはいえ珱姫も今や一児の母。忙しく、前ほど頻繁に送ってくるわけではないけれど。


「あら、香炉だわ」
「うわ、これまた高そうな……こういうとき、あの子いいとこの出なんだって実感するわね」
「ふふ、そうね」


小包を開けて出てきたのは、藤の花の描かれた香炉。
香炉を選んでくれたのはきっと、香炉の煙を浴びると体調がよくなるという話に基づいたものだろう。
香も二種類、藤色と桜色のものが用意されている。遠き地にいる妹姫の心遣いを思って、私は微笑んだ。


「珀姫、って雪女……お前まーた珀姫の部屋に籠もりきってからに」
「何よぬらりひょん、珀姫が一人でいたら淋しいだろうと思って来た心遣いじゃないの。なんか文句あるの?」
「ワシが来る度おるじゃろお前。ちっとは夫婦関係に気を遣わんか」
「はあ? 妾がいるときに来るぬらりひょんが悪いんじゃない」
「まあまあ二人とも……というか、雪麗はやっぱり私のことを考えて来てくれてたのね。手紙を届けに来たんじゃなくて」
「うぇ!? な、別にそういうわけじゃ……」
「ふふ、ありがとう雪麗。嬉しいわ」
「うぐ……」


笑いかけてみれば、雪麗は眉根を寄せて顔を染めつつそっぽを向く。
そうじゃないかと思っていたけれど、実際そうだと聞くとやはり嬉しい。
離れの部屋はどうしても皆が住む所からは距離があって、賑やかな声だけを聞くのは寂しいのだ。


「珀姫」
「なあに、ぬらりひょん」
「ワシは?」
「……? なあに?」
「ワシが来るのは嬉しくないのか」
「……貴方時々子どもみたいになるわよね。10年以上夫婦やってるんだから、私の事くらい分かるでしょうに」
「雪女に対してはそんなに素直なのにワシに対してはつんつんじゃからの」
「はいはい、嬉しいわよ貴方がいるのも」


むすっとむくれた顔は鯉伴そっくりだ。いや鯉伴がぬらりひょんそっくりなのか。まあそこはどちらでもいい。
宥めるように手を伸ばせば、ぬらりひょんはすり寄るように頬を寄せた。


「ったく……邪魔者は退散した方がよさそうね」
「あ、待って雪麗」
「? 何よ」
「もし皆に私の事聞かれたら……」
「ああ、はいはい。元気だったって言っとけって言うんでしょ」
「そう。お願いね」
「……ホントに元気になれば良いのに」
「……」


最後にぼそりと呟かれた言葉を、私は聞き逃さなかった。
困ってただ笑みを浮かべると、雪麗は微妙な表情を浮かべて去って行く。
今日は本当に元気なんだけどな。


「……すまん、珀姫」
「あら、何が?」
「アンタの病が何か……全力で調べてはおるんじゃが、どうにもわからん……。江戸の名医にも聞いてはおるが……」
「いいのよ。今日は随分体調もいいし……」
「……だが、アンタ毎晩うなされておるぞ」
「え、嘘」
「本当じゃ。自分じゃ気付いておらんかったのか?」
「え、ええ……」


その、時だった。
ゆらりとぬらりひょんの姿が揺らぎ、黒い靄のようなものが辺りを漂っているように見えた。


「あら……?」
「ん? どうした?」
「……? いえ、見間違いだわ」


ぱちくりと瞬きをすればそれは一瞬のうちに消えてしまう。
何だったのだろう。見たことのない姿だった。
……まあ、気のせいだろう。きっと。


「それより、鯉伴は元気? 総大将になって忙しくしているそうだけど、体調は大丈夫?」
「アンタに比べりゃ元気も元気じゃ。まあまだ危なっかしいとこもありゃするが、そこは周りが補佐してくれておるからの」
「良かったわ」
「……なんじゃ、アイツは顔も見せにこんのか?」
「いいえ、毎日来てくれてるわ。毎日神通力を使ってくれてる。でも忙しそうなのに変わりはないし……。貴方は? 鵺切丸鯉伴に渡しちゃったけど、良かったの?」
「ワシはもう隠居じゃ隠居。ぬらくら好きなように暮らすだけじゃ」
「ふふ、いつも通りじゃない」
「くく、言いおる」


くすくす笑いつつ、私はふと思う。
私のこの症状が病だとして、あとどれくらい生きられるのだろうか。
あとどれくらい、こうしてぬらりひょんと一緒にいられるのだろうか。

……止めよう。考えても意味がない。


「珀姫」
「なあに?」
「大丈夫じゃ。ワシがなんとかしてやる」
「……」


一瞬考えた、暗い未来。
それもぬらりひょんにはお見通しだったらしい。


「……うん。でも、…………ううん、何でもないわ」
「……」


言おうとして、止めた。
私は絶対、貴方より先に死んでしまうと。速かろうと遅かろうと。
だから無理して調べなくてもいいのだと。そう言おうとして、口をつぐむ。
ぬらりひょんはそれを分かったのか、分からなかったのか。
ただそっと、私の肩を抱き寄せた。








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