鯉伴の成人の祝いから、何度か季節が巡った。
体調は一進一退という感じで、良くなったり悪くなったりを繰り返す。
結局病名は分からないまま、鴆は焦っているようだ。
けれど鴆だって必死にやってくれているのだし、聞けば彼も体の弱い妖怪だというから、あまり無理はさせたくない。
「いて」
「? どうしたのぬらりひょん」
「爪切っておったら肉まで抉った。ほれ」
「やだ、痛そう。ちょっと待って」
今日も今日とて離れまで足を運んでくれたぬらりひょん。鯉伴が跡を継いでからすっかり隠居生活だ。
というかまあ、私のためではあるのだけれど。
戸棚から薬箱を取りだし、薬と清潔な布を用意する。
ちょいちょいと薬を塗って布で覆うと、じわりと血が滲んだ。
後はぬらりひょんの背中に手を回し、神通力を使えば終わりだ。
ふわ、と浮かんだ光の球がぬらりひょんに吸い込まれていく。この力だけは、体調がどうなろうが衰えない。
……良かった、と思った。
「……相変わらずすげえな、アンタの力は。ほれ、もう傷が塞がった」
「それは貴方が妖怪だからよ」
「だが……神通力を使って体に負担はないのか?」
「負担があるとかないとか、そういう時期はもう通り過ぎているわ。初めて力が発現したときは発熱したりもあったけれど、今は平気」
「どれ」
こつん、とぬらりひょんの額が私のそれと合わさった。
眼前に迫った整った顔に、どきりと胸が鳴る。
もう夫婦になって何年経つというのか、という話なのに。
「……熱はないようじゃな」
「…………ぬらりひょん、いきなり顔近づけるの止めて」
「なんじゃ、照れておるのか? 流石のワシでも病床の妻に無体は働かんよ」
「そういうことじゃないんだけど……」
ぬらりひょんは距離が近いというか、何のためらいもなくこういうことをやってのける。
はあ、とため息をついて、ぬらりひょんの血が滲んだ布を回収した。
「母さん、悪い、ちょっといいか」
「あら鯉伴。どうしたの?」
「刀の手入れしてたら指切っちまって。薬とかねえかな」
「ふふ、親子揃って。丁度出したところよ、いらっしゃい」
「悪い」
鯉伴の傷の治りは、一般的な妖怪よりやや早い。
おそらくは私の血を受け継いでいるからだと思う。私より治るのは遅いけれど。
鯉伴の傷にもぬらりひょんと同じ薬を塗ってから布を巻き、神通力で治療を行う。
そして血がついた布をとれば、傷は綺麗に治っていた。
「……母さん、神通力使って大丈夫なのか?」
「貴方たちって本当にそっくりね……。同じ事ぬらりひょんにも聞かれたわ、大丈夫よ」
「親父」
「一応熱はなかったぞ」
「ならまあ……平気か」
「ちょっと鯉伴?」
「いやだって母さん平気で嘘つくし……」
「…………」
本当にぬらりひょんに似ている。腹が立つくらい。
もう、と見つめていれば、鯉伴は誤魔化すように笑って見せた。
「総大将ー、総大将ー! どちらですかー?」
「呼ばれてるわよ鯉伴、行ったら」
「怒るなよ母さん、悪かったって」
「怒ってないわ。ぬらりひょんで慣れたもの」
「お、ワシに流れ弾が来たか」
つん、とそっぽを向いてみせる。別に怒ってないけど、形だけだ。
鯉伴はくつくつと、ぬらりひょんと同じような笑い方をして立ち上がった。
そのまま部屋を出て行こうとして――ぴたりと、止まる。
そして此方を振り返り、優しく笑った。
「母さん」
「なあに?」
「母さんの願い、叶えてやれそうかもしれねえ」
「……? 願い……?」
「ああ」
鯉伴はそれ以上何も言わず、部屋を後にする。
願いって何の事だろう。何か願ったかしら。
心当たりがない。
「ぬらりひょん、鯉伴の言った意味分かる?」
「さあ? ワシの血が流れてるんじゃ、適当に言ってるだけの可能性もあるぞ」
「……それもそうね」
「おい」
くすくす笑えば、ぬらりひょんはつんと頬をつついてきた。
その指には、さっき怪我した跡はもう残っていない。
私はそっと、自分の手のひらに目をやった。
……良かった、力が残っていて。
何も出来ず、毎日布団からほぼ出ることもなく。
これで神通力まで失ってしまえば、本当に役立たずになってしまう。それだけは避けたい。
お荷物になることだけは、避けたかったから。
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