妖に連れてこられたのは、明るい店の建ち並ぶ裏通りだった。
石畳の道を中央に、橙色の灯りがともる飲み屋が並んでいる。飲み屋ばかりではなくて、きっと昼は開いているのであろう茶屋もあるにはあるけれど。
どちらかというと大人向け、というかともすれば遊郭とも間違えそうな外観の店もある。
先日行った街より少し怪しげな通りに興味が沸いて眺めていると、妖は足で勢いよく一つの店の扉を開けた。
出迎えた女店員に軽く挨拶して、私を抱えたまま向かった先の角部屋からは、どんちゃん騒ぎが襖越しにこれでもかと漏れ聞こえていた。
ようやく下ろされ、肩から落ちかけていた羽織を掛け直す。
「……騒がしいところ」
「まあそう言うな、大きな出入りが成功したばかりなんじゃ」
「そんな大事な宴席に、私を連れて来てよかったの?」
「なあに、滅多にない席だからこそ連れてきたんじゃよ」
そういうもの、なのか。こんな場所、来たこともないから常識なんて分からない。
襖の向こうには、見たこともない妖怪が山ほどいるのだろう。そう考えると、不安にならないわけではない。
でも、これくらいで尻込みしていたら、陰陽師なんて務まるものか。
開けられる襖の向こうへ意識を集中させながら、私は深く息を吸い込んだ。
……覚悟を、決めよう。
「よう、帰ったぜ」
「総大将ー!! 宴席の途中でアンタどこ行って――」
声が、それ以上の言葉を無くしたように、ぴたりと止んだ。
あんなに煩かった騒ぎがなりを潜め、代わりに痛いほどの視線が突き刺さるのを感じる。
元来、人の視線には敏感な方だった。立場上、誰かの上に立つことが少なくなかったのも一因だと言えるかもしれない。
だけど、こういう風に不躾に上から下まで眺められるのは、いつまで経っても慣れなくて。
溜息を零すと、それで気を取り戻したように群衆がまた騒ぎ始めた。
「なんて美しい……」
「まさに天女のような……」
「しかし……あれは何者じゃ? 妖気を感じぬが……」
「まさか人間では……」
「それにしては、妙に慣れておらぬか……?」
ひそひそひそひそ、聞こえるか聞こえないか位の声量で噂する声が上がる。
言いたいことがあるならはっきり言えば良いものを。こういうのが一番嫌なのに。
「そ、総大将……まさかこの方、珀姫にございますか?」
「ああ。どうじゃカラス、美しかろう?」
恐る恐ると言った様子で妖に声を掛けたのは、大きな鴉の妖怪だった。初めて見るけど、多分鴉天狗だ。
何故だか妖は誇らしげに返し、私の肩を引き寄せた。……一瞬肩が強張ったのは、気付かれていないと信じたい。
「ええ、確かに……。噂通り、いえ、それ以上にございます。で、ですが総大将……そのー……ワシの記憶が正しければ、確か此方の姫、花開院の血筋だったのでは……?」
「そうじゃ」
「なっ……!!」
途端、周りの妖怪達のざわめきが大きくなった。
私に聞こえるかどうかなどお構いなし。そんな感情より、焦りや恐怖が勝っているのだろう。
「花開院だと!? あの花開院か!?」
「花開院と言えば京では名の知れた陰陽師……!!」
「おしまいじゃ!! 皆殺しにされてしまう!!」
……あまりの騒がしさに、無意識に眉間に皺が寄った。
ざわざわざわざわ、よくもまあそんなに口が回るものだ。
喧しいのは好きじゃない。騒がれるのも好きじゃない。
あんまりに狼狽えるのは、自分達の弱さを露呈しているのと同じだ。
苛立ち混じりに視線を逸らすと、それに気付いたのか、妖が苦笑気味に口を開いた。
「……悪ぃな、珀姫。頼むから不機嫌にはならないでくれよ」
「そんなの知らないわ。貴方の責任でしょ、どうにかしたら」
「こればっかりはどうにもなあ。陰陽師を恐れるのは妖怪として普通のことさ」
「なら貴方ってよっぽど変わり者なのね。あそこまで過剰に接触してくるなんて。……それといい加減手を放して」
「あれはアンタだったからだ。いいじゃねえか、減るもんじゃなし」
「――ちょっと!」
ざわめきの中で、一際よく通る声が聞こえた。
少しばかり静けさを取り戻した部屋の窓際、真っ白な着物を着た女の妖怪……きっと雪女だ、彼女がその発信主らしい。
一瞬で其方に向いた視線が、そう物語っていた。
「アンタ、陰陽師だか何だか知らないけど、何のつもり?」
「何って……」
雪女は眉尻を上げながら群衆をかき分け、私へと近付いてくる。
なまじ顔立ちが良いだけに、こう言った表情も似合うのだ。
怒ったような拗ねたような顔をしていても、彼女の顔は崩れていなかった。
「ぬらりひょんに取り入って、奴良組ごと潰そうってわけ?」
「おい、雪女……」
「ぬらりひょんは黙ってて!」
いつの間にか、部屋は完全に静かになっていた。
誰もが息を殺して、彼女と私を交互に見つめている。
私が怒りにまかせて彼女を滅するか、彼女が怒りにまかせて私を殺すか。固唾をのんで見守っているのだ。
……嗚呼、なんて面倒くさい。何もかもこの妖のせいだ。
「……何か、誤解が生まれているようだから言っておくけれど。私は別に、貴方達を滅そうなんて、少しも思ってないから」
「……え?」
妖怪達が顔を見合わせるのが、視界の端に映った。
雪女も、威勢の良かった表情に困惑が浮かんでいる。
「……っな、ならとっととぬらりひょんから離れなさいよ!!」
どことなく顔を赤らめながら、雪女は強く肩を引き離した。
その力強さと表情に、ああ、と合点がいった。
いろいろ言ってはいるけれど、結局のところ、彼女は。
「……っふふ」
「……!」
「面白いわね、貴女」
ただ、妖のことが好きなだけなのだろう。
勿論、奴良組とやらが心配なのも嘘ではない。
だけどそれ以上に彼女を突き動かしているのは、単なる嫉妬なのだ。
他人の恋慕に触れたことなどなかったけれど、分かってみれば随分といじらしい話だ。
くすくすと笑い始めた私に気が抜かれたのか、妖怪達はまた騒がしさを取り戻し始めた。
「な、何よ、変だって言いたいの?」
「まさか。良いと思うわ、そういうの。私、貴女のこと好きよ」
「な、な、っ……!!」
微笑むと、雪女はたちまち顔を真っ赤にさせた。
照れ隠しのようにそっぽを向く彼女に、益々笑いがこみ上げてくる。
友達なんて珱姫くらいしかいなかったけど、案外妖も人間も変わらないのかもしれない。
「そういえば、まだ言ってなかったかしら」
「……?」
「花開院珀よ。よろしくね、雪女さん」
名乗るのも、よく考えてみればかなり久し振りだ。
妖には名乗っていない。最近会ったのは本家の陰陽師と珱姫くらいなもので、名乗る必要性すらない。
少し前から初めてや久し振りの経験ばかりで、自分が自分でないようにすら思える。
花開院、という名は誇りであるけれど、誇りは同時に重荷にもなるのだ。
重荷を捨て去ることは出来ずとも、立ち止まって一瞬それを下ろせる。得がたく貴重な経験だった。
差しだした手に、雪女の手がすぐに重ねられることはなかった。
困ったように眼が細められて、小さく口が開いて。
「…………雪麗、」
「え?」
「……っ、雪麗よ。雪女は名前じゃないわ」
「……よろしくね、雪麗」
「……よろ、しく……」
凍っているのではと錯覚するほどに冷たい手が、怖々と重ねられた。
その藍色の瞳は違う方を向いていたけれど、照れ隠しだと分かるくらい耳は赤くて。
また漏れ出た笑いを隠さず発すと、雪麗はむっと眉を寄せた。
「笑わないで」
「ふふ……っ、ごめんなさい、可愛くて」
「……っ! ふ、ふん! お世辞言って機嫌取ろうったって無駄だからね!」
「あら、私お世辞って苦手なのよ。どうしても本心が出ちゃうの、ごめんなさいね?」
「アンタって人は……」
頬の赤みがまだ引かない顔に、呆れが浮かぶ。
警戒心はおろか、嫉妬すらほとんど消え去った表情に、そっと安堵した。
関わりたての妖怪を、滅したくはない。例え一夜の付き合いだとしたって。
「……来なさい」
「え?」
「アンタ、こういうところ来たこと無さそうな顔してるわ。遊び方、教えてあげる」
「! いいの?」
「駄目だったら言わないわよ。……ほら、あんた達もいつまで怖がってるのよ! 滅さないって言ったの聞いてたでしょ!」
雪麗がそう叫ぶと、遠巻きにしていた妖怪達も恐る恐るではあったけれど、近付いてきた。
その中に混じっていた納豆小僧や3の口と目が合い、逸らされる前に微笑んでみる。
すると彼等は、先程までの態度が嘘のように駆け寄ってきた。
「珀姫! オレ納豆小僧! 遊ぼうぜ!」
「ぼ、ボクも!」
「ちょっとあんた達、言っとくけど最初に声かけたの妾なんだからね!」
騒がしい。けど、嫌いじゃなかった。
さっきまであんなに苛々していたのに、単純だと自分でも思う。
きっと浮かれていたのだ。初めての経験は、人を臆病にも脳天気にもさせるから。
「珀姉様!?」
そんな私を正気に戻したのは、一つの澄んだ声だった。
聞き覚えのありすぎる、鈴の鳴るような声。
振り返った先にいたのは、予想通りの人物で。
「珱……姫……?」
「な、なぜここに珀姉様が……!?」
それはこっちの台詞だ、と言いそうになって、口を噤んだ。
聞かずとも分かっている。だって、彼女の隣には妖が立っているのだ。
ここに来る前のあの香りと照らし合わせれば、否が応でも答えは出た。
「……きっと、貴女と同じよ、珱姫。そこの妖に連れてこられたの」
「え、ええっ……!?」
驚きをあらわにしながら、妖と私を見比べる珱姫。
拍子にふわりと漂った香りに、忘れたはずの感情が出てきそうになって、必死で押し込めた。
気取られないよう、表面には笑顔を浮かべて。
「いらっしゃいな、珱姫」
「で、ですが……」
「大丈夫よ。何もされないわ、遊びましょう?」
「……わ、かりました……」
おずおずと、しかしあまり恐怖はなさげに珱姫は言った。
彼女は優しい子だ。妖怪に対してすら、慈悲を持つ。
湛えている笑みすら、私とは違う。本心から出る笑顔は、美醜の差を抜きにしたってこんなにも美しいのだ。
例え誰がこの子に想いを寄せたって、それを私が責める資格などない。
そっと目を閉じて、心を押し殺さなければ。
大丈夫。大丈夫。得意なことでしょう?
ずっと、やってきたことじゃない。――そうでしょう?
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