「楽しいかい、珀姫?」
「妖……あら、珱姫は……?」
「ああ、少し眠そうにしてたんでな、家に帰したんじゃ」
「……そう」
どれくらい、経っただろうか。
気付けば少し疲れをおぼえるくらいに時間は経っていて、頭はどこかぼんやりとしていた。
妖怪はまだまだ元気なようで、賭け事や悪事自慢で楽しそうにしている。
横に座った妖の顔も、いつもと変わらない。妖怪は体力があるんだろう、羨ましい。
「とても……楽しいわ」
「なら何よりだ。連れてきてよかったぜ」
「……ええ、ありがとう」
疲れのせいか、口調が大分ゆっくりしている。
手に持った飲み物を口に運び、一息ついた。
「……初めてだったわ、何もかも」
「……」
「貴方に連れられて、夜の街に行ったことも……こんな店の集まる路地に来たことも……」
「……そうかい」
「貴方と出会ったときから、ずっとね。……ずっと、初めての体験の繰り返しなの」
全て、禁じられていたことだ。やる機会すらなかったのに。
昔の私が今の私を見たら、きっと嫌悪するだろう。でも今は、もう良いと思えた。
平和すぎて、麻痺している。本当は、全然平和なんかじゃないというのに。
「……ん? おい珀姫、こりゃあ酒じゃねえのかい?」
「さあ……雪麗が置いていった物を、いただいているだけだから」
「没収だ。お前さんにはちと早い」
「あ……」
すいっと猪口が手から奪われ、けれど追いかける気にもなれず目で眺める。
そうか、お酒か。だから妙に頭が働かないのか。
そう言えば、お酒を飲むのだって初めてだ。
心地良い眠気と怠さが身体を回る。このまま、眠ってしまいたい。
何処か遠くに聞こえる騒ぎ声や、自分自身の息使いが、まるで子守歌のようだった。
「なあ、珀姫」
「なあに……?」
「ワシと、夫婦になろう」
「………………………………は?」
「はああああ―――――っ!?」
めおと。めおと……夫婦?
頭の中を逡巡する響きが漢字に変換されるまで、数秒。その意味を理解するまで、更に数秒。
妖怪達の叫び声を遠くに聞きながら、眠気なんてどこかへ飛んでしまった頭はなおも混乱する。
「ななな、何言ってんですか総大将――――っ!!!」
「ちょっとぬらりひょん!? アンタ何言って……!!」
「………………………………夫婦? 私と、貴方が…………?」
「そうじゃ」
え、っと。
それは、つまり。
「…………貴方、私のこと好きだったの?」
「今更かい。最初っから言っとったじゃろうに」
「……最初っから意味分からないことばかりされたけど、好きなんて言われた覚えはないわ」
言葉の響きにむっとして、可愛らしくない答えを返す。
これでも記憶力は良い方だ。物覚えの悪い奴というような言い方をされるのはたまらない。
嗚呼、でも熟々私は素直じゃない。凝り固まった矜恃や家名にばかり囚われて、本当の気持ちすら表に出せないなんて。
「なら言おう。――あんたが好きだ、珀姫。ワシの女になれ」
「っ……!!!」
あまりにも直接的な言葉だった。
飾り気もない。彩りもない。
思い返せば彼の言葉は大体がそうだった。本心を覆い隠した言葉しか出せない私とは違って。
だからこそ、私はいちいちこういう風に、過剰とも思えるくらいに顔を赤くしていたのだ。
「……馬鹿」
「あん?」
「貴方って本当馬鹿よ、有り得ないわ、何考えてるの……馬鹿じゃないの、本当に」
ひたすらに馬鹿馬鹿と繰り返す私は、どう映っただろうか。
知りあったばかりの妖怪達の目には、得体の知れない物として映ったかもしれない。
ああでも、妖は変に鋭いところがあるから、これが何を意味するのか分かっているのだろう。
その証拠に、罵声を浴びせられているにしては、妖の顔はあまりにも楽しげだった。
「そ、総大将……」
「なんじゃいカラス」
「ほ、本当にその方を、妻として迎え入れるおつもりですか? 人間ですし、何より陰陽師ですぞ……!?」
「ああ、そうじゃなあ」
だからなんだ、と言わんばかりの声色に、鴉天狗の口があんぐりと開く。
鴉天狗の言っていることは正しい、と思う。
人間と妖は、何より陰陽師と妖は、決して交わることのない平行線を辿るべき存在なのに。
「……本当……馬鹿なひと」
「……」
「分かってるでしょう……? 私がどう答えるかくらい……なのに、」
「ああ、分かっとるよ」
目線を落とした私には、妖の顔は見えない。
妖のことは嫌いじゃない。……いや、もっと正確に言うなら、きっと私の抱くこれは恋慕の情だ。認めよう。
だけど、花開院の名は、陰陽師家の重圧は、そんな思いなど殺してしまうほどに大きなもので。
「だから、返事は言わんでいい」
「……!」
降ってきた言葉が信じられなくて、反射的に顔を上げた。
うっすらと浮かんでいる笑みに困惑する。聞き間違いじゃ、ないのか。
「アンタを困らせたいわけじゃねえんだ。……返事は、アンタの覚悟が出来てから聞くことにしよう」
覚悟、か。
どんな覚悟を、求めているのだろう。言葉をそのまま受け取れば、もう返事は肯定以外無いじゃないか。
それでもその時の私は、妖の言葉を笑い飛ばすことなんて出来そうになくて。
何も言うことの出来ないまま、こくりと首だけを縦に動かした。
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