「……はぁ……」
「珀姉様? どうかなさいましたか?」
「! ……いえ、なんでもないわ。ごめんなさいね、珱姫」
無意識的にこぼれ落ちた溜息が、私の気分を益々重くさせた。
心配そうな声を上げた珱姫ににこりと微笑みを返すも、きっと上手く作れていないのだろう、彼女は不安げな表情を崩さなかった。
一夜が明け、私はまた日常の中に戻っている。
けれど頭の中は、妖の言葉が延々と回っていて、押しつぶされそうだった。
「姉様、もし何か心配事がおありでしたら、力不足かもしれませんが、この珱にお話し下さいませ」
「珱姫……」
「不安なことは、人に話すだけでも少し楽になるといいます。それに……きっと、妖様の事なのでしょう?」
「っ!? な、ど、どうして……」
「ふふ、実は私、何度か妖様にご相談されたことがあるのです。その時は、相手の方の名前は仰いませんでしたが……察するに、姉様のことで間違いなさそうですね」
相談? あの妖が、珱姫に?
もしかして、あの時香った珱姫の香りは、それが原因だったのだろうか。
にしても、いつの間に一体そんなに仲良く……って違う。妖がどう行動しようが私には関係ない。
「…………他言無用よ?」
「心得ております」
「……絶対、絶対に誰にも言わないでね?」
「はい、もちろんです」
「…………あ、のね……珱姫、実は私……」
それからは、もう自分でも止まらなかった。
今までの行動を振り返って、端的に述べただけだと思うけれど。感情は述べずに、ありのままを。
ただ、客観的に見てみても、やはり私の行動には自分でも違和感しかなかった。
いつから、こんな風になってしまったんだろう。
「……なるほど。それで、姉様は困ってらっしゃるのですね」
「……ええ」
「……ふふ」
「! ど、どうしたの」
「いえ、すみません。ただ……姉様とこうして、恋のお話をするのが楽しくて」
「……そう」
「はい。姉様はあまり弱みを見せない方ですし、そういうところも美点ではありますが……嬉しいのです。姉様の内面を打ちあけていただいて」
「……」
朗らかに笑う珱姫に、気恥ずかしくなって抱えた膝に顔を埋めた。
普段、妹のように接しているからだろうか。
恋愛ごとの相談をするのが、何故か物凄く恥ずかしいことのように感じられる。
「でも、よかったです。姉様と妖様、上手くいっているようですね」
「!? べ、つに……そんなんじゃ……!」
「あら、違うのですか? お話を聞く限りですと、姉様も妖様の事……」
「ち、ちが……わ、ない……けれど」
ああもう、なんて聡い子なのだろう。いや、私が分かりやすかっただけなのかもしれないけど。
珱姫がふふと微笑んだのを視界の端で捉え、いっそ消えてしまいたいとさえ思った。
「秀元様に、相談してみてはいかがでしょう」
「秀元に……?」
「花開院家の当主ですし、妖様との仲も悪く無さそうです。それに、秀元様は頭の良い方ですから、何らかの解決策を見いだしてくださるかもしれません」
「……確かに」
一理ある、と頷いた。秀元は何だかんだで、面倒見のいい人だ。
こういうときばかり頼るのも申し訳ない。でも、他に相談できそうな人もいないし。
……どうしても、駄目だったら。妖の求婚は、断ることにしよう。その時はその時だ、仕方ない。
「……ありがとう、珱姫」
「いいえ、珱は何もしておりません。ですが、もしまたお困りのことがあれば、ご相談くださいませ」
そうだ、昔からそうだった。
珱姫は心優しくて、警戒心が薄いから、私が守ってやらなければとそればかり思っていたけれど。
こんなにも、強くて優しくて、素敵な女の子だったのだ。
熟々、珱には敵わないなあ。
その時、だった。
かたん、と遠くで物音が聞こえたのは。
「あら……? 何かしら、今の音」
「音、ですか?」
「聞こえなかった? 少し遠くの方で……小さな音だったのだけれど」
「さあ……もしかしたら、また病気の方がいらっしゃったのかもしれませんね。私、ちょっと見てきます」
珱姫はすっと立ち上がって、障子の向こうへ歩いて行った。
何となく手持ち無沙汰になり、袂から先日作ったばかりの式神を取り出す。
妖に対抗するために作ったのに、結局今まで一度も使わなかった。まだ簡単な伝言を託すくらいしか出来ないし、これ一つで倒せるとは思っていないけど。
……いや、今となっては倒す必要性すら……。
「きゃあああ!!!!」
「っ!? 珱……!?」
甲高い女の叫び声に、半ば反射的に部屋を飛び出した。
珱姫は滅多なことでは驚かないし、恐怖もしない。なのに、あんな悲鳴を上げるなんて。
何かあったんだ、何か……!
「違う、ここじゃない……ここも違う、っ……」
手当たり次第に襖を開けては、中を覗き込んで踵を返す。
ここの家には何度か訪ねたことがあるけれど、全ての部屋を把握しているわけじゃない。
悲鳴の聞こえた方を順々に巡っていっているけれど、こっちで本当に合っているのだろうか。
襖の開いた部屋が増えていくのに比例して、焦りもどんどん沸き上がってくる。
でもどうして、一体珱姫に何が……。
……?
部屋を開けていくうちに、ふと何故か違和感が生まれた。
何かがおかしい。この家は、前来たときと何かが違う。
前来たとき……ここは、こんなにも人気の無い家だっただろうか?
「珱姫! っ……!!」
「あ……ねえ、さま……!!」
「おや……?」
そこは、地獄とでも称すべき場所だった。
足元に倒れているのは、花開院の陰陽師達。額から流れる血はまだ新しいのにもかかわらず、身体はぴくりとも動いていない。
辺りの畳に血や体液が飛び散り、じわじわと染み込みながら悪臭を漂わせている。
彼等の手には、薙刀などの武器が、綺麗な状態のまま握られていた。
そして、最奥にいたのは。
面影すらないほどに殴りつけられた、屋敷の主だった死体と。
珱姫を腕に抱えて立つ、歪な人間の姿をした二人の男達だった。
「……何、これ……」
違和感の正体は、これだったのだ。
珱姫の父親は、その神通力を狙う妖怪から彼女を守るため、莫大な財産を使って花開院本家の陰陽師達を護衛に立たせている。
なのに、さっき見回った部屋にはどこにも、誰一人として陰陽師の姿がなかった。
まさか、こんな事になっているなんて。
「危険です珀姉様、お逃げください……!!」
「なっ……馬鹿なこと言わないで! 貴女を置いて、逃げられるわけ無いでしょう!?」
「珀……? そうか、お前があの珀姫か……」
ぎょろりと、男の大きな瞳が私を見る。あまりに無感情なそれは、酷く恐ろしかった。
もう分かってる。この二人は妖怪の仲間だ。しかもこの部屋の惨状を見る限り、それなりの力もある。私一人で、対処できるだろうか。
そっと袂に手をやって札を取り出そうとすると、此方を見つめる瞳が薄く光を帯びた。
「それは止めた方が利口だ、珀姫」
「!!」
「我らの腕に握られているのが誰か、分からぬ訳ではあるまい?」
腕の力が強められ、珱姫の顔が苦しそうに歪む。
……人質、ってことか。これじゃ、下手に手出しなんか出来ない。
「……その子を、どうするつもり?」
「我らの主が希少な生き肝を望んでいる。珱姫は大阪城へ連れて行く」
「大阪城……? どうしてそんな所に、」
『……羽衣狐?』
不意に、脳裏を記憶がよぎった。
今より少しだけ昔、まだ妖と知りあってすらいなかった頃。秀元が話していたのを覚えている。
『あれ、珀姫ちゃん知らん? 大阪城に住んどる、大妖怪の名前やねんけど』
『初めて聞くわ。大妖怪って、そんなに強い妖なの?』
『強いなんてもんやあらへんで。何回も転生を繰り返したせいで、おっそろしいほどの妖気を持っとる。多分珀姫ちゃんどころか、僕でもかなわんとちゃうかなあ』
『……、貴方がそこまで言うなんて、なんだか意外だわ』
『それだけ怖い妖怪っちゅうことや。まあ、自分から花開院に喧嘩売りに来ることはないと思うけど……一応、気ぃつけてな』
「まさか……羽衣狐……!?」
「知っていたのか。なら丁度良い」
呟き気味に言った名前に、妖怪の言葉が被さる。
手下とは言え、あの羽衣狐の一味だったなんて。それじゃあ、今私が手を出しても……。
「鬼一口、予定変更だ。珀姫も共に連れて行く」
「なっ……!」
「羽衣狐様が求めているのは不思議な力を持つ者の生き肝……なら、一つ増えても構うまい?」
にいっと吊り上げられた口端が、無感情な目と相まって奇妙な笑顔を形作る。
上から下まで舐めるような視線が這いずり回り、背筋に寒気が走った。
駄目だ、恐れてはいけない。畏れは陰陽師の大敵だと、さんざん言われてきたじゃないか。
「……いいわ」
「姉様……!?」
「ほう、物分かりが良いな」
「その代わり、珱姫に手荒なことはしないで」
声を張る。震えでもしたら、畏れていることを証明することになる。
前を見て、背筋を伸ばして。虚勢だとしても、相手に知られなければ問題は無い。
伸びてきた巨大な手に目を瞑り、気取られないよう、袖から一枚だけ式紙を落とした。
それくらいしか、今の私に出来ることはなかった。
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