「椿姫ちゃん、はいこれ」
「あら、なあに?」


大阪城での一幕が終わり、傷も大分回復した頃。
唐突に私の部屋にやってきた秀元は、懐から何かを取り出して私に差しだした。


「! これって……」
「これ、椿姫ちゃんのやろ? 込められとる陽の気が、いかにもって感じやもん」
「そうよ、ありがとう。……秀元が持っていたのね」


受け取ったのは、小さな白い紙。
長方形で、中央に印が描かれたそれは、かつて私が作った、手を触れずとも操れる式神だった。
私が大阪城に連れて行かれる時に唯一残せた、伝言の手段。
きっと後で珱姫の屋敷に来るであろう花開院の人間に伝われば、と。それだけを思って落とした、紙だった。


「面白いなあ、それ。触らんでも操れるん、ある意味強いやん。ま、伝言しか残せんのは残念やけど」
「そうなのよね……。ぬらりひょんに対抗しようとして作ったのよ、意味なかったけれど」
「どうやって作ったん? 式神作りの本にそんなん載っとったっけ?」
「いえ、自己流よ」
「……ふうん」


式神作りはいくつか手順があるけれど、これはあくまで自己流のやり方で作ったものだ。触らないで操れる、なんてそんな都合のいいものは文献にはなかったから。
そのせいで発揮できる能力は今ひとつだし、誰か明確に宛先を作って伝言を託すことも出来ないし。
自分で何かを生み出すというのはとことん難しい、と私は苦笑いを零した。


「あの時な、兄さんが珱姫ちゃんの屋敷に行ったんよ。そんでこれ拾うて、めちゃくちゃ真っ青んなって僕んとこ駆け込んできてん」
「是光兄様が? それは……ご心配をおかけしたことでしょうね」
「もうえらかったで。まあ花開院の陰陽師殺されまくっとるとこに落ちとったんが椿姫ちゃんの式神、なんておっそろしいやろなあ。兄さん、椿姫ちゃんの事大事にしとるし」
「ええ、それはもう十分感じているわ。後でお礼を言っておかないとね」


式神を袂に戻しながら、私は兄様の顔を思い浮かべた。
兄様は普段は冷静だけれど、感情の起伏が激しいところがある。しかも懐に入れた人間には甘いから、私のことをそれはもう心配してくれたのだろう。
謝罪の言葉もいるし、なんなら怒られる準備くらいしておかなければならないかもしれない。と思ったところで、秀元が「椿姫ちゃん」と名を呼んだ。


「なあに?」
「椿姫ちゃんって、破軍は使えたんやっけ?」
「破軍? いえ、そんなまさか。私に使えるわけがないじゃない」
「ふーん」


破軍は花開院陰陽術の中でも群を抜いて難しい術だ。使えるのは今の花開院家だと、前当主様と秀元だけ。
過去の当主を呼び出す、なんてある意味黄泉がえりの術。そんなものひょいひょい使えてしまえば、彼岸と此岸の兼ね合いが取れなくなってしまう。


「教えてもらったこともないしね。秀元だって前当主様から直々に教わったのでしょう?」
「うん。僕と兄様と、あと何人か。そういやあの場に椿姫ちゃんおらへんかったなあ」
「あの前当主様が、私なんかに破軍の使い方を教えると思う?」
「……ま、無理やろな」


前当主様は線引きをきっちりなさる方だった。秀元や是光兄様を含め、花開院当主になりそうな見込みのある子どもに教えていたのだろう。
門外不出の技だから、そう簡単に教えてしまうわけにもいかないし。
ましてや私は女だし、陰陽師にはなれないと言われていたし。教えられていた方が驚きである。


「……教えたろか、使い方」
「は!? な、何言ってるの貴方」
「いやほら、椿姫ちゃん危ない方にほいほい行くくせあるやん。炎に集まる虫みたいに」
「例えが最悪なんだけれど」
「せやからちょっとくらい教えといたほうがええかなって思て」
「ちょっとくらいって……」


破軍をそんな言い方するの、秀元くらいだ。思わず溜息をついて、私は秀元を見る目を眇めた。
そりゃあ昔の私なら、喜んで教わっただろう。陰陽術に関わることを勉強するのが嬉しくてたまらない時期もあったから。
それでも今となっては昔の事。そもそも妖怪に嫁に行くというのに、そんな技教えていいわけがないのではなかろうか。


「そもそもそんな、ちょっと教えられただけで出来るものなの、それって?」
「兄さんは28年修行したけどできへんかったなー」
「じゃあ無理に決まってるじゃない」
「いや分からへんよ、案外椿姫ちゃんにおっそろしい才能が眠ってはるかも」
「私に才能があったら、前当主様が見いだしてらっしゃるわ」


けらけらと笑う秀元は、全くもって冗談を使いこなして生きているらしい。
破軍は秀元並みの才能があって初めて使いこなせる。勿論彼だって努力をしているし、私が一朝一夕練習したところで身につくはずもない。


「ま、やり方だけ教えといたるわ。こう、手をかざしてむむむっと力を込めるんや」
「説明が雑!」
「ほんで心を静めて、力を強くしたいと願えば――あら驚き、歴代の当主の登場や」
「簡単に言ってくれるけどねえ……」


言っていることは分からないでもない。破軍だって陰陽術の一貫だ、使い方は他の術と通じるところもある。
とはいえ練習を死ぬほどこなさなければならないし、それには相応の霊力がいる。
私は霊力が多い方だけれど、でも破軍を出す前に切れてしまうだろうことは想像に難くない。


「……ま、何かあったらいつでも連絡しいな、椿姫ちゃん。そや、破軍の使い方載っとる花開院秘録あげよか」
「貴方はいい加減門外不出って言葉を覚えなさい!」
「あはは、冗談やーん。堅いわ〜椿姫ちゃん」
「是光兄様が聞いたら激怒なさるわよ」


最後の手段として兄様の名前を出してみても、秀元はどこ吹く風である。
大体この先、私が破軍を使う必要がある場面が出てくるかすら分からない。
そしてその時は、恐らく来ないであろうと予測できる。

私ですら分かるのだから、秀元が分からないはずもないのに。
なのにどうしてこの時秀元が強く勧めてきていたのか、この時の私は分からないままだった。




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